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第十四話 気づかなかった名前

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 ミツルとため息混じりに、ルミカさんの背中を見送る。
 もう、俺に執着しないという確信があった。
 最後の方は、俺の顔すら見なかったからだ。

「なんとか、終わったな。結局マリンちゃんのことは、あんまり分かんなかったけど」
「それなんだけど、俺自分でミックスしてるんだよ基本」

 投稿した動画の概要欄を開いて、ミツルに見せる。
 大体が俺の名前「湊音」になっていることを確認して、ミツルは顔を上げた。

「じゃあ」
「そう、頼んだのは四人くらいしかいない」

 こくんっと頷けば、ミツルはずるりとソファになだれ込むように倒れた。
 安堵のようなため息を漏らしてから、自分のスマホを取り出して検索を始める。

「湊音がやりとりしてた、相手。そもそもそんな多くないんだろ」
「多くはないけど……」

 SNSを開いて、スーッと俺のアカウントのリプライ欄を遡っていく。
 俺もミックスを頼んだ相手四人を思い返しながら、アカウントを確認してみる。
 海夢以外の三人は見つかったが、マリンはいない。
 相変わらず、音楽に関わってる三人を見るとつい頬が緩む。

「いないなぁ……」
「だよなぁ」

 ヒントを手に入れたと思ったのに。
 マリンは変わらずに、遠い。
 ぬるくなったカフェラテを、飲み込んで、はぁっとため息をこぼす。
 ミツルも、ソファに倒れ込んだまま、ぼーっと天井を見上げていた。

 とりあえずで買ったパンに、手をつける。
 ベーコンとチーズのパンは、ほどよい塩味で、喉が渇く。
 ごくごくとカフェラテで喉を潤せば、ミツルが必死に何かを検索している。

「何調べてるんだ?」
「んー? マリンって名前の漢字」
「漢字?」
「いや、こう言っちゃ悪いけど、ソウって頭良くないだろ」
「ミツルに比べたらな」

 自慢じゃないが、成績は中の下程度だ。
 そこまで、バカでもないが、頭が良くもない。

「それに、漢字も苦手だろ。自分の湊って字ですら、一本多かったり少なかったりするんだから」

 その通りなんだけど、悔しくて唇を噛む。
 最近の高校生はみんなそんなもんだろ。
 スマホで変換すればすぐ出てくるし。

「だから、マリンちゃんって名前を間違えて読んでるんじゃないかと思ってな」
「でも、普通IDがアカウント名と同じにするからわかるって」
「いや、そうでもないだろ」

 言われてみれば、先ほど遡ったミックスをしてくれた仲間たちも、人によりけりだった。
 IDとアカウント名が一致してる人。
 多分ペットの名前らしき人。
 好きな食べ物らしき人。
 さまざまだった。

 それでも、俺が思い浮かぶ仲間たちの中には、マリンと読む人は居ない、と思う。
 自分の学力が、急に不安になってくる。

「真綾は?」
「それで、マリンって読むのかよ」
「らしいぜ」

 子供の命名サイトを開いて、俺に見せる。
 マリンの漢字のランキング形式になっていた。
 ずらっとスライドしても、見覚えはない。
 真綾という視聴者は確かにいたけど、関わりはほとんどなかった。

 時々、リクエストを書いてくれたことはあったけど、ミックスを頼んだりはしていない。

「いないな」
「いないかぁ……」

 ミツルがそのまま、人差し指を動かしていく。
 俺はもぐもぐと冷え切ったパンを、齧る。
 もう、見つからない気がしていた。
 諦めにも似た気持ちで、パンを飲み込めば、喉に引っかかる。

「海って付く仲良いやつは?」
「海……?」

 そういえば、海のミナトチャンネルにしたのも、単純にマリンの名前を英訳したところからだった。
 海で、マリン。
 海という名前もいなかった。
 海夢は、カイムだしなぁ。

「いないの?」
「いや、居るけど、違う読み方だよ」
「どんな漢字?」
「海に夢でカイム。IDはsea_dreamだったかな」

 ぼんやりと海夢のことを思い出す。
 いつだって、くだらないことも話せた。
 俺は勝手に親友だと思って、そして、勝手に置いて消えた。
 今なら、大丈夫になったって送って、友人としてやり直せるかもしれない。
 でも、海夢も、ネットの海に消えてしまった。
 もう、取り戻せない絆を後悔しても遅い。

「いやいやいやいやいや」

 ミツルがスマホに何かを打ち込んだかと思えば、大声をあげる。
 周りの人にちらりと見られながら、唇に人差し指を当ててしーっとアピールした。
 慌てて口を押さえたミツルは、俺にスマホを見せる。

 覗き込めば、検索欄の五個目くらいに、マリンと表記されている。

「はぁあああああ?」

 驚いた声を上げてしまい、ミツルに口を塞がれる。
 海夢が、マリン?
 ってか、海夢でマリンって読むとか普通わかるかよ。

「待って、いや、でも、本当にそうかは、まだ決まったわけじゃない」
「とりあえず連絡してみろよ」

 ミツルの提案に、首を横に振る。
 海夢は、もうアカウントを削除している。
 いつ消したのかも、わからない。
 少なくともこの一ヶ月以内に、俺がアカウントを消した後に削除している。

 海夢は、俺が続ける理由にもなった相手だ。
 歌の動画に関係することも、関係ないことも、よくDMで語り合った。
 この曲が良かったよというオススメも……

 記憶を辿るたびに、海夢への想いが溢れ出てくる。
 海夢が、マリンなことを確信した。
 最後まで俺を心配して、連絡をくれたのは海夢だった。

『大丈夫?』

 何度も問いかけられたDMに、俺は答えもせずに、存在を消した。
 そして、湊音をなかったことにしたんだ。

 今更、気づく。
 俺は、二回もマリンを傷つけた。
 大丈夫と心配してくれる海夢を置き去りにして、俺を探しに、元気づけに、鶴岡まで来てくれたマリンに気づかない。
 そして、自分勝手に、ただ楽しいという理由だけで、マリンの隣にいた。

 マリンは、俺が湊音だって、最初からわかっていた?
 だから、カップルチャンネルを提案したのか?

 いや、違うと思う。
 だって、あの日、最後の日に、心底驚いた顔をしていた。
 じゃあどうして。
 俺を元気づけに来たと言いつつ、湊音じゃない俺にカップルチャンネルの提案をしたんだ?
 また、わからないことが増えて、頭が混乱する。
 
 それでも、海夢がマリンだと思えば、それが、混じり気のない真実な気しかしてこない。
 海夢も少し独特な表現をする癖があった。
 その表現が大好きで、何度も海夢に、いつか歌を作ってよと、言ってた。

「わかんねぇ……」

 ぽつりと、呟けばミツルがとんとんと肩を叩く。
 混乱と、よくわからない気持ちで胸の奥がぐちゃぐちゃだ。
 海夢がマリンだったら、嬉しい。
 でも、傷つけた事実と、急に一緒に動画を撮ることを提案してきた意味が、胸にのしかかる。

「どうする?」
「どうするって何が」
「これ以上はもう、探しようがないだろ……」

 ミツルの言葉に、唾を飲み込む。
 探しようはない。
 だって、俺のメッセージはマリンに無視されている。
 それに、海夢のアカウントは、ネットの海に泡となって消えていた。

 どうしようもない、そんなことはわかってる。
 わかってるのに、心が諦めてくれない。
 俺は、マリンに会いたい。
 もちろん、海夢にも。

 俺の心を支えてくれた人だから。
 そして、傷つけたことを謝りたい。
 たとえ、許されなくたっていい。
 マリンのことを好きな気持ちばかりが、走り出して、マリンを探してる。

 それに……諦めないことは、マリンが教えてくれた。
 だから、俺は、マリンに会いたいを伝える。
 どんな手を使っても。

「諦めねーよ」
「そういうと思った。どうする? 湊音として、動画で探す?」

 海夢を探しています。
 そう書いたら、きっと視聴者は探してくれる。
 でも、海夢の迷惑になるだろう。
 だから、それはしない。
 まずは、炎上の訂正をしよう。
 ルミカさんの勘違いだったこと、謝罪をしたこと、そして、活動を再開すること。

 マリンが、まだ俺の動画を見てくれるって、信じてる。

「動画撮る。付き合ってくれる?」
「もちろん。撮影でも編集でも」

 ミツルはすぐに近くのカラオケ店を調べて、スマホで予約を取ってくれる。
 残っていたパンを、胃の奥に詰め込む。
 マリンに、俺の思いを伝える。

 俺は間違ったことをしたとは、今でも思っていない。
 でも、勘違いで視聴者を裏切ったと思わせたこと。
 湊音ということを隠して、カップルチャンネルをしていたこと。
 視聴者にすべて、謝ろう。
 許されなくていい。
 ただ、謝って、またやり直すんだ。
 湊音として。

 湊音なら、マリンはきっと見てくれるから。

 パン屋を出れば、風が強く背中を押した。
 横断歩道を渡って、ミツルのナビに従ってカラオケ店へと向かう。
 山形駅は、高校生も多く賑わっているように見えた。

 ここは、海の音がしない。
 少しの寂しさを感じながらも、ビルの合間を眺めた。
 ビルとビルが、太陽の日差しを少し和らげてくれる。

「あったあった、あそこ」

 ミツルの指をさした先には、カラオケ店が、ビルの一階に入っていた。
 目の前には、スナックやラーメン屋さんなど、所狭しといろいろな店が並んでいる。
 大人の雰囲気だと思いながら、カラオケ店の扉を開ければ、地下に階段が繋がっていた。

 受付を済ませて、取れた部屋に入る。
 物静かな空気と、曲紹介をするアーティストの声が耳に届く。
 テレビの電源を落として、ミツルにスマホを渡した。

「撮ってくれ」
「何をいうかとか、決めなくていいの?」
「素直な気持ちで、そのまま言葉にする」
「そう……わかった」

 ミツルが、こくんっと頷いてスマホを俺に向ける。
 スマホに向かって、今の気持ちを言葉にしていく。

「まずは、皆様に謝罪をさせていただきたいです」

 炎上してしまったこと。
 勝手に消えたこと。
 カップルチャンネルを、名前を隠してしていたこと。

 そこまで口にして、喉の奥がカラカラに乾いた。
 水で、潤したい。
 それでも、言葉は止められなかった。

 まだ伝えたいことがある。
 湊音として、また活動していきたい。
 認めてほしい。
 マリンに届いてほしい。

 謝罪だけをするつもりだったのに、勝手にマリンへの想いを口にする。

「湊音だということを隠してカップルチャンネルはしていましたが、本当に、好きでした。本当の恋です。応援してほしいとは言いません。俺は、歌ってみたを上げる湊音としても、カップルチャンネルのソウとしても、これからも活動したいと思っています」

 マリンとの動画は、もう撮れないのに。
 それでも、願望が尽きることなく唇から溢れていく。
 喉の奥がかぁああっと熱を持っていくのが、わかった。

「迷惑をかけて申し訳ありませんでした。それでも、やっぱりまだ活動させてください。そして、カップルチャンネルの方は、しばらく、動かせないかもしれませんが、いつかまた、動画を投稿します」

 マリンの気持ちも置き去りに、俺だけの勝手な想いだけど。
 願掛けみたいなものだ。
 この言葉で、俺の思いがマリンに伝わればいい。

 ピッという録画が終わった音に、体の力が抜けた。

「撮り直す?」

 ミツルが心配そうな顔で、俺を見つめる。
 首を横に振って、否定した。
 支離滅裂でも、マリンの許可を得ずに願掛けのように発した言葉でも。
 今の俺の正直な、気持ちだ。
 だから、訂正も撮り直しもしない。

 それでまた、炎上するなら、またいくらでも謝罪をする。
 マリンに届くまで、俺はもうやめない。
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