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第2章
61 異常
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***レルア視点です。***
どこへ行こう。何をしよう。
楽しむ……か。正直な話、私はここにいるだけで楽しい。この世界は、知識で持っていたものよりもずっと綺麗で、鮮やかだ。マスターが楽しければ、私はそれで良いのだが。
意外にも、隠蔽を切っても一向に手配中の冒険者だと気付かれる様子はなかった。マスターの言う通り考えすぎだったのだろうか。
「へいそこの彼女! 可愛いじゃんね、今ヒマ?」
「……私、ですか?」
「ったりめーよ、むしろ彼女が眩しすぎてマジ周り見えねえ的な?」
軽薄、という単語を思い浮かべた。まとう雰囲気までもが薄っぺらく笑っているような気がする。
それにしても、この男は何を言っているのだろう。閃光で目眩しをしたわけでもない。
「そう、ですか」
「そうそう! てかフードなんて取っちゃいなよ。その方が可愛いって」
フードが払いのけられた。強引な男だ。
しかし、この男も私の正体には気付いていない様子。一般人にまでは知れ渡っていないのだろうか。
「うお、やっぱすげえ可愛い……んでさ、ぶっちゃけ彼氏とかいちゃうわけ?」
彼氏……マスターは彼氏ではない。そのような次元の存在ではない。
「いえ。しかし私にはマスターがおりますので」
「っあー、メイドちゃんだったのね。どーりで激マブなわけだ……ま、ここで会えたのも何かの縁ってことで! 美味い店知ってんだけど、用事とかなければどーよ?」
用事。マスターは好きに歩いて楽しむように言ってくださったが、私にとってのそれはマスターが楽しいと感じてくださることだ。
私一人で歩くよりも、この男について歩いた方が良い店探しが効率的なのは確かだろう。
先程の店も喜んで頂けたが、あれより美味しいものを売っている店がないとも思えない。
「ええ。少しの間にはなりますが、ご一緒しましょう」
「っしゃー! それじゃこっちこっち!」
男は私の手を取って歩き出した。どこまでも強引な男だ。
向かう先は街の喧騒とは反対方向のようだが、隠れた名店なのだろうか。
* * *
「……らっしゃい。ふん、またお前か。今日は?」
「ハイエバで! あ、ツマミはいつものな」
店は貧民街の地下にあった。どことなく物騒な雰囲気だが……。
「ほら彼女、隣座んなよ」
「失礼します」
男と中身のない会話を交わしていると、程なくして飲み物と軽い肉野菜炒めのような料理が運ばれてきた。
「よっ待ってました! じゃ、俺と彼女の出会いを祝して――乾杯!」
「乾杯」
小気味の良い音が小さく響く。この前マスターとしたので作法は完璧だ。それにしても、この世界にもある文化だったとは驚いた。
「あれ彼女飲まない系? 俺の奢りだからガンガン飲んじゃいなよ!」
「では、お言葉に甘えて」
グラスの内側で碧色に揺れる液体を口に含む。この間の麻痺のような刺激はなかったが、代わりに爽やかな香りが広がった。
「どーよ? 表じゃ飲めない高級なヤツだ、彼女が可愛いから特別にな」
「ありがとうございます。美味しいです」
男はひたすらにその飲み物を勧めた。甘いような苦いような、冷たいような熱いような、不思議な味につられて二杯目を飲み干す。
「おっさん! 彼女にもう一杯!」
料理を味わう間もなく男が三杯目を注文した。
勧められるがままに三杯目に口を付ける。グラスが空になる頃には、身体がふわふわとした感覚に包まれていた。
男の話には適当に相槌を打っていたが、頭はぼんやりとして、視界もまるで靄がかかったようだ。
そろそろ戻らなければならないと心のどこかで思いつつも、ぼんやりとグラスを眺めることしかできない。思考が上手くまとまらない。首から上が熱い。
「よー彼女、もう一杯いっとく?」
「いえ……待っておりますので……マスターが」
「ん、おっさん勘定!」
なんとか立ち上がるが、足元も覚束なかった。何らかの状態異常だろうか。大抵のものは無効化できるはずだが。
「彼女具合悪そうじゃん、休んでく?」
「……大丈夫です」
「そう言わずにさ。飲ませすぎちゃった俺にも責任あるし~的な?」
男が熱い吐息と共に私の手を握る。少し気分が悪いのも相まって不快でしかない。
が、振り払おうにも上手く力が入らなかった。
「……本当に……結構ですので」
「……はは、今更そんなこと言ったって無駄無駄。身体もほとんど動かないっしょ? 大体、ついてきたってことはそういう気があったってことだよ――なっ!」
乱暴に腕を引っ張られる。今のぼやけた頭では何を言っているのか理解できなかったが、とにかく今の私にとっては邪魔でしかない。
「離してください……!」
「彼女さ、痛いのヤでしょ? だったら黙って――」
「っ――風衝」
男の身体は勢い良く吹き飛び、壁にぶつかって鈍い音を立てた。まずい。
威力は抑えたつもりだったが、どうも失敗したようだ。首――特にうなじが先程より熱くなってきた。
「え……衛兵さん! 衛兵さん!」
「なんだぁ? 痴話喧嘩か?」
「違ぇんだ、こいつがいきなり……」
今のは私にも非がある。幸いマスターに頂いたルナはかなりの額なので、もし何か弁償を求められたら素直に支払って謝罪しよう。
それにしても散々な結果だった。一時は美味しいと思った飲み物も、終わってみれば毒と大差ない。マスターに勧めるのはやめておこう。
「! 待て、貴様……顔をよく見せろ」
「?」
衛兵は私の顔をまじまじと眺めたあと、青ざめてどこかに通信を始めた。何事だろうか。
「ちょ、ちょっと衛兵さん? 今は」
「黙っていろ! こちら遊撃隊士ヤクト、件の冒険者を発見。聖騎士の出動を要請する」
……ああ。
思い出した。いや、覚えてはいたが心のどこかで油断していた。気付かれるはずもないと高を括っていた。
ここでは私はお尋ね者だ。
視界が急にクリアになる。自分の行動を後悔している時間はない。この二人をどうするか。
頭は依然として痛いままだ。体温も上がったまま戻らない。
こんな状態で忘却を使うのは危険すぎるというものだろう。ここら一帯の全ての者の記憶どころか、その自我ごと喪失させてしまいかねない。
昏睡を使うか。しかし、今の状態では危険であることに変わりはない……。
「衛兵さん、一体あいつは何者なんですか?」
「Bランク冒険者を一人引退に追い込んだ――下手すりゃ人族ですらない『何か』だ。あまり近寄らない方がいい」
かくなる上は根源魔術の昏睡を使うしかないか。消費魔力が大きい分、繊細な威力調節ができる。これに賭ける。
「根源より出でし力よ、我が願いに応えよ」
「え、詠唱を止めろ! さもなくば――」
遅い。
「その力を貸し与えたまえ――昏睡!」
街から音が消える――ことはなかった。どうやら成功のようだ。深い眠りに落ちているのは二人だけ。
道の真ん中で眠っているというのも目立つ。壁際まで運んでおくか。
「――隠蔽」
ひとまず隠蔽で自分の身を隠す。恐らく他の人族には見られなかっただろうが、既に顔や姿が出回っているのだから用心するに越したことはない。
頭痛と熱が更に酷くなってきている気がする。早くマスターと合流せねばならない。きっと帰りが遅い私を心配していることだろう。或いは、楽しさのあまり私が時を忘れていると考えるだろうか。……心配をかけるよりは、余程その方が良いが。
とにかく、今すぐ転移で迷宮へ戻らねば。
「――?」
こんな街中で転移を使う? 緊急事態でもないのに?
まず迷宮へ戻る、とはどういうことだ。私はマスターのもとへ急いでいる。
そもそも意識を保つので精一杯の今、碌な魔術が使えるとも思えない。
いよいよ日が傾き始めた。もつれる足を必死に動かす。早く迷宮へ戻らねば。日没は近い。
「――ら」
口が動く。同時に魔力が動くのを感じた。視界は再びぼやけ始める。
「――転移」
明らかにおかしい、と思ったときには既に私の身体は青い光に包まれていた。まだマスターはこの街だ。違う。何かを間違えた。
だが正解はわからなかった。どうするべきかもわからなかった。朦朧とする頭で、思うように動かぬ身体で、必死に何かをしようとしていた。私は――
私は、迷宮へ戻らねばならない。
どこへ行こう。何をしよう。
楽しむ……か。正直な話、私はここにいるだけで楽しい。この世界は、知識で持っていたものよりもずっと綺麗で、鮮やかだ。マスターが楽しければ、私はそれで良いのだが。
意外にも、隠蔽を切っても一向に手配中の冒険者だと気付かれる様子はなかった。マスターの言う通り考えすぎだったのだろうか。
「へいそこの彼女! 可愛いじゃんね、今ヒマ?」
「……私、ですか?」
「ったりめーよ、むしろ彼女が眩しすぎてマジ周り見えねえ的な?」
軽薄、という単語を思い浮かべた。まとう雰囲気までもが薄っぺらく笑っているような気がする。
それにしても、この男は何を言っているのだろう。閃光で目眩しをしたわけでもない。
「そう、ですか」
「そうそう! てかフードなんて取っちゃいなよ。その方が可愛いって」
フードが払いのけられた。強引な男だ。
しかし、この男も私の正体には気付いていない様子。一般人にまでは知れ渡っていないのだろうか。
「うお、やっぱすげえ可愛い……んでさ、ぶっちゃけ彼氏とかいちゃうわけ?」
彼氏……マスターは彼氏ではない。そのような次元の存在ではない。
「いえ。しかし私にはマスターがおりますので」
「っあー、メイドちゃんだったのね。どーりで激マブなわけだ……ま、ここで会えたのも何かの縁ってことで! 美味い店知ってんだけど、用事とかなければどーよ?」
用事。マスターは好きに歩いて楽しむように言ってくださったが、私にとってのそれはマスターが楽しいと感じてくださることだ。
私一人で歩くよりも、この男について歩いた方が良い店探しが効率的なのは確かだろう。
先程の店も喜んで頂けたが、あれより美味しいものを売っている店がないとも思えない。
「ええ。少しの間にはなりますが、ご一緒しましょう」
「っしゃー! それじゃこっちこっち!」
男は私の手を取って歩き出した。どこまでも強引な男だ。
向かう先は街の喧騒とは反対方向のようだが、隠れた名店なのだろうか。
* * *
「……らっしゃい。ふん、またお前か。今日は?」
「ハイエバで! あ、ツマミはいつものな」
店は貧民街の地下にあった。どことなく物騒な雰囲気だが……。
「ほら彼女、隣座んなよ」
「失礼します」
男と中身のない会話を交わしていると、程なくして飲み物と軽い肉野菜炒めのような料理が運ばれてきた。
「よっ待ってました! じゃ、俺と彼女の出会いを祝して――乾杯!」
「乾杯」
小気味の良い音が小さく響く。この前マスターとしたので作法は完璧だ。それにしても、この世界にもある文化だったとは驚いた。
「あれ彼女飲まない系? 俺の奢りだからガンガン飲んじゃいなよ!」
「では、お言葉に甘えて」
グラスの内側で碧色に揺れる液体を口に含む。この間の麻痺のような刺激はなかったが、代わりに爽やかな香りが広がった。
「どーよ? 表じゃ飲めない高級なヤツだ、彼女が可愛いから特別にな」
「ありがとうございます。美味しいです」
男はひたすらにその飲み物を勧めた。甘いような苦いような、冷たいような熱いような、不思議な味につられて二杯目を飲み干す。
「おっさん! 彼女にもう一杯!」
料理を味わう間もなく男が三杯目を注文した。
勧められるがままに三杯目に口を付ける。グラスが空になる頃には、身体がふわふわとした感覚に包まれていた。
男の話には適当に相槌を打っていたが、頭はぼんやりとして、視界もまるで靄がかかったようだ。
そろそろ戻らなければならないと心のどこかで思いつつも、ぼんやりとグラスを眺めることしかできない。思考が上手くまとまらない。首から上が熱い。
「よー彼女、もう一杯いっとく?」
「いえ……待っておりますので……マスターが」
「ん、おっさん勘定!」
なんとか立ち上がるが、足元も覚束なかった。何らかの状態異常だろうか。大抵のものは無効化できるはずだが。
「彼女具合悪そうじゃん、休んでく?」
「……大丈夫です」
「そう言わずにさ。飲ませすぎちゃった俺にも責任あるし~的な?」
男が熱い吐息と共に私の手を握る。少し気分が悪いのも相まって不快でしかない。
が、振り払おうにも上手く力が入らなかった。
「……本当に……結構ですので」
「……はは、今更そんなこと言ったって無駄無駄。身体もほとんど動かないっしょ? 大体、ついてきたってことはそういう気があったってことだよ――なっ!」
乱暴に腕を引っ張られる。今のぼやけた頭では何を言っているのか理解できなかったが、とにかく今の私にとっては邪魔でしかない。
「離してください……!」
「彼女さ、痛いのヤでしょ? だったら黙って――」
「っ――風衝」
男の身体は勢い良く吹き飛び、壁にぶつかって鈍い音を立てた。まずい。
威力は抑えたつもりだったが、どうも失敗したようだ。首――特にうなじが先程より熱くなってきた。
「え……衛兵さん! 衛兵さん!」
「なんだぁ? 痴話喧嘩か?」
「違ぇんだ、こいつがいきなり……」
今のは私にも非がある。幸いマスターに頂いたルナはかなりの額なので、もし何か弁償を求められたら素直に支払って謝罪しよう。
それにしても散々な結果だった。一時は美味しいと思った飲み物も、終わってみれば毒と大差ない。マスターに勧めるのはやめておこう。
「! 待て、貴様……顔をよく見せろ」
「?」
衛兵は私の顔をまじまじと眺めたあと、青ざめてどこかに通信を始めた。何事だろうか。
「ちょ、ちょっと衛兵さん? 今は」
「黙っていろ! こちら遊撃隊士ヤクト、件の冒険者を発見。聖騎士の出動を要請する」
……ああ。
思い出した。いや、覚えてはいたが心のどこかで油断していた。気付かれるはずもないと高を括っていた。
ここでは私はお尋ね者だ。
視界が急にクリアになる。自分の行動を後悔している時間はない。この二人をどうするか。
頭は依然として痛いままだ。体温も上がったまま戻らない。
こんな状態で忘却を使うのは危険すぎるというものだろう。ここら一帯の全ての者の記憶どころか、その自我ごと喪失させてしまいかねない。
昏睡を使うか。しかし、今の状態では危険であることに変わりはない……。
「衛兵さん、一体あいつは何者なんですか?」
「Bランク冒険者を一人引退に追い込んだ――下手すりゃ人族ですらない『何か』だ。あまり近寄らない方がいい」
かくなる上は根源魔術の昏睡を使うしかないか。消費魔力が大きい分、繊細な威力調節ができる。これに賭ける。
「根源より出でし力よ、我が願いに応えよ」
「え、詠唱を止めろ! さもなくば――」
遅い。
「その力を貸し与えたまえ――昏睡!」
街から音が消える――ことはなかった。どうやら成功のようだ。深い眠りに落ちているのは二人だけ。
道の真ん中で眠っているというのも目立つ。壁際まで運んでおくか。
「――隠蔽」
ひとまず隠蔽で自分の身を隠す。恐らく他の人族には見られなかっただろうが、既に顔や姿が出回っているのだから用心するに越したことはない。
頭痛と熱が更に酷くなってきている気がする。早くマスターと合流せねばならない。きっと帰りが遅い私を心配していることだろう。或いは、楽しさのあまり私が時を忘れていると考えるだろうか。……心配をかけるよりは、余程その方が良いが。
とにかく、今すぐ転移で迷宮へ戻らねば。
「――?」
こんな街中で転移を使う? 緊急事態でもないのに?
まず迷宮へ戻る、とはどういうことだ。私はマスターのもとへ急いでいる。
そもそも意識を保つので精一杯の今、碌な魔術が使えるとも思えない。
いよいよ日が傾き始めた。もつれる足を必死に動かす。早く迷宮へ戻らねば。日没は近い。
「――ら」
口が動く。同時に魔力が動くのを感じた。視界は再びぼやけ始める。
「――転移」
明らかにおかしい、と思ったときには既に私の身体は青い光に包まれていた。まだマスターはこの街だ。違う。何かを間違えた。
だが正解はわからなかった。どうするべきかもわからなかった。朦朧とする頭で、思うように動かぬ身体で、必死に何かをしようとしていた。私は――
私は、迷宮へ戻らねばならない。
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