社畜さん、ヒモになる〜助けた少女は大富豪の令嬢だった〜

空野進

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プロローグ

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 はぁ……、今日も帰れないのか……。


 日が沈み、真っ暗になった窓の外を眺めながら溜め息を吐く。
 会社に勤めだしてから、早三年。

 俺、有場健斗ありばけんとは朝は始発から、夜は終電……、もしくは会社に寝泊まりをするほどの生活を送っていた。
 初めは仕事を任せてもらえてる。頑張らないと! と、やる気に満ちていたのだが、それが幻想だと思い知らされるのにはそれほど時間がかからなかった。

 全く終わらずに次々と積まれゆく書類。
 そんな中、必死に業務をこなしていると頭ごなしに怒ってくる部長。
 まるで怒るのが仕事だと思っているのか、一日中怒っているし、そのくせ定時を過ぎると他人に仕事を押しつけてさっさと帰ってしまう。

 そんな環境なので同期の人は三ヶ月と経たずにみんな辞めてしまった。

 せめて給料くらいはそれなりにもらえるのならやる気も変わってくるのだろうが、手取りで十万を超える程度しかもらえず、ボーナスも会社の業績が悪いからなし。
 生活費を抜いたらほとんど金が残ることはなかった。


 一体何のために働いているのか……。


 無論、自分でも今の生活がおかしいことくらいわかっている。
 でも、職を失うと生活をすることすら出来なくなる。
 今の会社がブラック企業ということはわかっているが、それ以上に職がなくなることのほうが恐ろしかった。


「はぁ……、とりあえず飲み物でも買いに行くか……」


 どうせほとんど寝られないんだ。それならば眠気覚ましの飲み物を買いに行くしかない。
 大量に置かれた書類から一度視線を外すと俺は疲れた目元を押さえながら外へ出ていった。

 ◇

 会社の外はすでに人通りも少ない。
 それもそのはずで時間は二十二時を過ぎようとしている。

 こんな時間まで会社に残っている奴もほとんどいないのだろう。
 俺を除いて……。

 苦笑を浮かべながら一人歩いてコンビニを目指す。
 まわりから見たら変な奴に思われただろうが、まわりに人がいないので気にする必要もないだろう。


 毎日、残業をさせるんだからせめて会社の中に自販機くらいおけよ!


 心の中で悪態をつきながら歩いているとこんな時間なのに制服を着た少女とすれ違う。
 お嬢様を絵に描いたような清楚な少女で、そんな子がこの時間に出歩いているはずがない。
 もしかして、疲れのあまり幻覚でも見えるようになってしまったのだろうか?


 目頭を押さえて瞬きをする。
 次に目を開くと少女の驚く顔と歩道へと突っ込んでくる車が目にとまった。

 その瞬間に訳も分からないまま俺は走りだしていた。

 急に正義感に芽生えたとか、少女を助ける自信があったとか、そういうわけではなかった。
 もちろん、車に当たると俺自身ただじゃすまない……、下手をすると命を落とすことも理解していた。
 それでも、無意識に足が動いてしまった。

 そして、少女を突き飛ばすと車にぶつかり全身に強い衝撃を感じた。
 薄れゆく意識の中で色々な事が脳裏によぎる。


 溜まりに溜まった仕事はどうしよう……。
 家のパソコンの中身を見られるのだろうか……。
 少女は助かったのだろうか……。


 そこで俺の意識は途切れてしまった。



 ◇◇◇◇◇



 目が醒めると真っ白な部屋に寝かされていた。


 あれっ、こんなところで寝た覚えは……。
 って、朝!? や、やばい、早く仕事に行かないと!


 窓から見える明るい景色を見て、俺は慌てて起き上がろうとする。
 しかし、体が動く気配がなく、全身に痺れが走ったような痛みが襲ってくる。


「い、いたたっ……」


 身動きが取れないことで動くことを諦める。
 今頃会社では騒動になってるんだろうな。
 俺がやるはずだった仕事がそのまま残されてるわけなんだから……。
 やっぱりこのままだとクビ……だよな?


「はぁ……、これで晴れて俺も無職の仲間入りか……」


 生きる目的を奪われたように虚無感に襲われる。
 すると、そんなタイミングで部屋の扉が開かれた。


「お目覚めになったのですね!」


 声をかけてきたのは制服姿の少女だった。


 夢……、いや、あの夜の日に出会った少女だった。


 艶やかでサラサラな長い黒髪でそれが彼女の清楚感をより一層強調している。
 顔は比較的整っており、思わず見惚れてしまいそうなほどだった。
 白と青を基調とした制服は確かかなりの金持ちしか入れない、お嬢様学校のものだった気がする。
 要するにこの少女はどこかの大富豪の令嬢……ということなのだろう。


 どうしてこんな少女がこの部屋にいるのだろうか?


 それにあんな夜中に出歩く少女に見えない。
 いくつかの疑問が俺を沈黙という行動を選択させる。
 ただ、その少女のことは気になり、視線が外せなかった。


「私の顔に何か付いてますか?」
「えっと、その……」


 訳が解らない今の状況に思わず口を閉ざしてしまう。


 そもそもどこかの令嬢がどうして俺の部屋に来ているのか……。
 何を企んでいるのか……。


 俺が困惑していると少女は手をポンっと叩いていた。


「あっ、名前ですね。私は神楽坂莉愛かぐらざかりあと言います。莉愛と呼んでください」


 にっこり微笑む莉愛。
 その屈託のない表情に俺は違和感しか感じなかった。


 一度出会っただけの少女がどうしてこんな表情を向けているんだ?
 そもそも俺と二人きりでいる時点で違和感を抱く。


「どうして君はここに?」
「ここは神楽坂グループの病院ですから……」


 えっ!?


 俺は一瞬何を言われたのか分からなくなって言葉が詰まる。
 ただ、聞き覚えのあるその単語をうまく働かない頭の中から引きずり出す。


『神楽坂グループ』
 確か今日本にある大企業の中でも、特に大きなグループの名前がそう言ったものだった。
 製造系から医療、他にも大型複合施設やテーマパークなどにも手を伸ばしていたはずだ。


 ……神楽坂?
 確かこの少女の名前も神楽坂……。
 いや、まさかな……。


 俺は目の前の出来事が信じられずに乾いた笑みを見せながら莉愛の顔を見る。
 彼女は微笑み返してくる。


「その……なんだ……。ここが病院ということはわかった。体が動かないところを見ると俺は事故にあったんだな。ただ、そんな俺のところにどうして君がいるんだ?」
「それはもちろん、あなたが命の恩人だからです。お目覚めになるのをずっと待っていたんですよ。お礼を言うために」


 俺の手を握りしめてくる莉愛。
 そして、目を細め頬を染めながらお礼を言ってくる。


「本当に助けていただいてありがとうございます」


 頭を下げてくる莉愛。その際に揺れる髪からいい香りが漂ってくる。


「いや、気にするな。大したことはしていないからな」
「そんなことないですよね。私のせいであなたが無職に……」


 どうやらさっき俺が呟いたことも聞かれていたようだ。
 俺は頭を搔きながら諭すように答える。


「元々ひどい会社だったからな。辞められて精々するよ。だから君が気にする必要はない」
「い、いえ、そんな訳には……。そうです、少しここで待っていてください」


 それだけ言うと莉愛は部屋を出て行ってしまった。
 ここで待てと言われても、そもそも体も動かせないんだけどな……。
 苦笑を浮かべながらベッドに横になるとすぐに眠気が襲ってきた。

 ◇

 おい、いつまで寝てるんだ! 早く仕事をしろ!
 ぼんやりとした頭の中にそんな声が響いてくる。


「は、はい、申し訳ありません、部長」


 慌てて起き上がり、そこでようやく今いる場所が病院だということを思い出す。


「なんだ……、夢か……」


 嫌な汗が出てきたのでそれを拭う。
 そこでスマホが鳴っていることに気付く。

 嫌な夢を見た原因はこれか……。
 スマホの画面を見るとそこに表示されている名前は部長だった。

 震えるその手で電話を取る。
 その瞬間にスマホから怒鳴り声が聞こえてくる。


「おい、有場! お前、どこで何をしてるんだ! 今すぐに会社に来い!」


 思わずスマホから耳を離してしまう。
 しかし、怒鳴り声はまだ続いていた。


「お前がいないせいで会社に損害が出た! 今すぐに出てこい! 早く働け!」
「あの……、俺は今病院で……」
「はぁ? 病院に行ってる暇があったら会社に来い! 今すぐにだ!」


 そこで電話はブチッと切れてしまう。


 まだクビにはされてなかったのか……。
 ただ、会社に行くと怒られるんだろうな……。


 重い気持ちと痛む身体に鞭を打ち、ゆっくり体を起こし、ベッドから降りようとする。

 するとそのタイミングで莉愛が戻ってくる。
 ただ、彼女は俺がベッドから出ようとしているところを見ると慌てて近づいてくる。


「な、何をしているのですか!?」
「会社から……連絡を受けてな」
「だ、駄目です! そんな体で……」
「いや、俺のことは気にするな……」


 なんとかベッドから這い出るが、地面に足をつけた瞬間に体がその場に沈み込む。


「……あれっ?」


 まるで体が自分のものじゃないような感覚……。
 思わず俺は声を漏らしてしまう。

 そのまま地面に顔がぶつかりそうになる。
 しかし、その瞬間に柔らかい何かに顔が包まれる。


「よかった……」


 俺の体を莉愛が抱きしめて止めてくれていた。
 つまりこの柔らかい感触は……。
 さすがに顔が赤くなっていくのを感じた。


「それにもう大丈夫です。お仕事の心配はありませんから――」
「それはどういう……?」
「はい、私がこれからあなたを養っていくことを決めました」


 屈託のない笑みでそんなことを宣言してくる莉愛。
 一瞬何を言われたのか理解できずに固まっていた俺だが、しばらくしてようやく頭が働き出す。


「な、何を言ってるんだ!? そんなこと、普通の学生が……」
「大丈夫ですよ。すべて私に任せておいてください。とりあえず、あなたはここでゆっくり休んでおいてください。その間に残りの準備を済ませてしまいますので。とりあえずあなたがいた会社を――」


 そう言うと莉愛は俺のスマホを手に取っていた。


「なるほど……、あなたがいた会社は黒井野商工というところなのですね。わかりました、また少し出てきますね」


 俺をベッドに戻すと再び莉愛が部屋から出て行ってしまう。

 ◇

 一人ぽつんと残された俺はとりあえず体を休めようとする。すると再び電話がかかってくる。
 画面を見るとやはり部長の名前が表示されていた。


「はい、有場です――」
「おいっ、一体いつまで待たせるんだ!! 早く来い!! さもないと来月の給料、減俸するぞ! だから早く――」


 やはり部長の怒鳴り声が響いてくる。
 しかし、電話の途中でピタッと部長の声が止まってしまう。

 よく聞くと遠くの方で部長と誰かの話し声が聞こえてくる。


悪野あくのくん、君は一体誰と電話をしていたんだ?)
(しゃ、社長!? い、いえ、遅刻をしてきた部下を叱っていたところで――)
(もしかして、それは有場くんのことじゃないだろうね?)
(よ、よくご存じで……)
(彼のことならもういい、むしろ関わるな! 頼むから関わらないでくれ)
(へっ!?)
(もしこれ以上関わるというのなら私は君を処分しなくてはならない。あと、その電話はまだ繋がっているんだね。私から話をさせてもらうよ)
(わ、わかりました!)


 ひそひそ声がやむと電話の先から再び声が聞こえる。


「有場くん……だね?」
「はい、そうですけど……」
「私は黒井野くろいの商工の代表、黒井野有作ゆうさくというものだ」
「は、はい。いつも写真は拝見しております」


 毎日社長の写真に向かって社訓を読まされていたのは記憶に新しい。
 そんな相手なのだから、俺は電話をしながらペコペコと頭を下げていた。


「いや、もうそんなことは気にしなくていい。今まですまなかった。新しい会社に行っても頑張ってくれ。あと、未払い分の給料や残業代、今までの迷惑料。それらは即座に口座の方へ振り込ませてもらった。本当に申し訳なかった」
「えっ――」


 何を言われているのかわからなかった。
 新しい会社? それにあのブラックな会社が残業代などを振り込んでくれる?
 今起こっている出来事が夢にしか思えない。

 いや、そうか。
 俺は事故にあったんだからまだ夢の中かもしれない。
 それならこれは俺が望んでいた出来事なのだろう。

 ただ、それを否定するかのように全身から痛みを感じていた。

「わかりました。ありがとうございます」
「では、私の方はこれで失礼させていただくよ。ほかにも君に仕事を押しつけていたものの処分を下す仕事が残っているから……」


 それだけ伝えてくると電話が切れてしまった。
 呆然と病院の天井を眺めて頭の中を整理する。
 すると再度莉愛が戻ってきて声をかけてくる。


「これで大変だった会社と縁が切れましたよね?」
「も、もしかして、今のは君が?」
「はい、神楽坂グループであなたを引き取ることと、これからの商売のことを軽く話してもらったら即座に対応していただけました」


 にっこり微笑みながらすごいことを言ってくる莉愛。
 やはりこの子はあの神楽坂グループの令嬢……ということで間違いないのだろう。


「それじゃあ新しい会社というのは?」
「もちろん神楽坂グループ内の会社ですよ。ただ、それも名前を借りるだけです。だって命を助けてくれたお礼に私があなたを養っていくと決めましたから――」


 屈託のない笑みで言ってくる莉愛。
 どうやら俺はたまたま莉愛を助けただけで社畜からヒモへとジョブチェンジしてしまったようだ――。
 あれっ、それはどちらの方がマシなんだろう?
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