その男、モブにつき 〜警戒されない一般人は最高の暗殺者でした〜

35.

　なんとかもってきた金で支払いは足りたのでホッとする。
　そして、家に帰ってくるとチルに出迎えられる。


「カイさん、お帰りなさい。お仕事の方はどうでしたか？」
「あぁ、少しトラブルが起きてな。様子見をすることになった」
「トラブル？」
「別の暗殺者も同じギルド長を狙っていたようなんだ」
「同じ人を狙うことってよくあることなんですか？」
「まぁたまにな。ただ、同じ依頼主から何も言わずに……ということは滅多にない。まぁ今回は違うけどな」
「でもカイさんの今回のターゲットって――」


　少なくとも他の相手が狙いそうにないギルド長が標的だった。
　彼を狙う理由があるのは少なくとも今はカイくらいだった。

　だからこそ不気味に思える。


「まぁ一旦ギルド長を狙うのは中止だ。それよりも明日は情報屋に行ってくる」
「それなら私は一人でお店に行きましょうか？」
「いや、一応送っていくよ。多分大丈夫だとは思うけど念のためにな」


　もしかして自分の周りの人物が狙われ始めてるのかもと疑い始めている。


「わかりました」
「それよりも朝も早いからな。そろそろ寝るか？」
「はい」


　◇


　まだ、夜も明けていない深夜。カイとチルの寝息しか聞こえない部屋の中。
　しかし、人の気配はそれだけではなかった。
　もう一人、ゆっくりカイに近づく人間の姿があった。

　気配を押し殺して、気づかれないように……。
　そして、確実に殺意だけは向けながら……。

　ただ、カイのすぐ側に来た瞬間にカイは起き上がり、隠し持っていたナイフを近づいてくるさっきの持ち主に当てていた。

　するとその相手は信じられない人物だった。


「誘惑ハニートラップ……？」


　そこにいたのは目がうつろになりながら手に持っていたナイフを突き立てようとしていた誘惑の姿だった。

　その目の焦点は全く合っておらず、どう見ても普段の様子ではなかった。

　しかも、首にナイフを突きつけているにもかかわらず動こうとする。


「くっ……、何か薬でもしているのか？」


　仕方ないのでカイは彼女の首にナイフの柄の部分を思いっきり叩きつける。
　そして、彼女の意識を奪うと、再び暴れられないように手足を拘束しておく。


「それにしても一体どうして？　彼女はギルド長に連れて行かれたはず……。それがなんで俺の場所に？　そもそも俺が狙われる理由は？」


　少し考えると当然のことながらある人物が浮かび上がる。


「ギルド長か……」


　まず誘惑をこんな姿にしたのはギルド長に違いないだろう。
　そして、カイ自身を狙いそうな人物……と考えてもギルド長が浮かんでくる。

　特に今夜はギルド長が誘惑を捕まえていった日だ。

　突然彼女が現れたら困惑すると考えていたのだろう。
　後の問題は……、何の薬を飲まされているのか――。


「さすがに薬のことはわからんな。アルマに聞いてみるか……」


　でも家の場所まで知られてしまったとなるとチルを一人置いておくのは不安すぎる。


「どちらにしても明日にならないと動くことも出来ないか……」


　仕方なくカイは朝になるまで誘惑を見張っていた。
　しかし、彼女は朝になるまで起きることはなかった。


◇


「おはようございます、カイさん……。って、そ、そちらの方は！？」


　朝起きたチルが誘惑の姿を見て驚きの表情を浮かべていた。


「いや、こいつは夜に襲撃してきたやつだ。拘束したはいいが、途中で目覚められても困るからな」
「その……いつもみたいに……しないのですか？」
「あぁ、殺しか？　そうしてもいいんだけどな。ただ色々と情報を持っていそうだからそれを聞くまでは生かしておくメリットもあるかなと――」
「そうなんですね。でも、私、全く気づきませんでした」
「こいつも暗殺者だからな。チルだと全く気づかないだろう」


（まぁ、あんな様子がおかしい状態じゃなかったら俺でも気づいていたかどうか怪しいが……）