君よ、土中の夢を詠え

ヒロヤ

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十一月二日(水)みんなの想い

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 伊藤フクが体調を崩したという連絡が入ったのは、白井たちが、藤石の事務所で歌の山と格闘した翌日だった。

 フクは老人ホームから市立病院に移されてしまい、年齢を鑑みても回復は難しいと診断されたという。消沈した大鳥ヒサ江の声に、白井はかつての自分を重ね、引きずられそうになった。身内が重篤という、どうにもならない息苦しい状況。そっとしておくしかない、しかし、自身の心のやり場がわからない。

 白井は、ヒサ江に対してありったけの気遣いと励ましを伝えた。

 ――こういう筋書きだったか。

 どうすることもできないことが世の中にはある。白井は、それをさんざん思い知らされてきた。この数年、数ヶ月で自分の思い通りにできたことなど何がある。

 今回のフクの急変もその一部に過ぎない。

 最近は、そうやって受け入れることが容易になった気がする。

 ただ、今回は一生懸命やり過ぎた分、かえって消化不良を起こした、そんな気分だった。

 白井は、宇佐見と藤石にフクとの面会が難しくなったことを伝えた。

 これで、もう出来ることは何もない――。
 せっかく、大事なことに気づいたというのに――。

 そう思った矢先だった。

 二日後、大鳥ヒサ江から再び連絡が入った。

 その内容に、白井は言葉を失った。

「アサトくん、フクちゃんに用事があるんだって?ちょっとなら平気だよ。でも直接病院に来とくれよ。またどうなるかわからないから、来るなら早めにね。明日とか」

 反射的に、宇佐見の顔が浮かんだ。

「ヒサ江さん……僕の友人が失礼なこと言いましたよね。すみません、全部聞き流してくれて結構ですから、フクさんについてあげて下さい」

「イヤだ、違うよ。先生だよ」

「はい?」

「フジイシ先生から色々聞いたんだよ。ああ、先生にはね、今回のことをきっかけに、相続とか色々に乗ってもらおうと思っていたからさ。そうしたら、何さ、フクちゃんの歌が見つかったっていうじゃないか。驚いたよ」

 ――。

 驚いたのは、こっちだ。

 ――フジさんらしくないじゃないですか。

 白井の目の前が滲みだした。



 フクとの面会、 白井は最後まで悩んだが、今回は一人で出かけることにした。試験直前の宇佐見と、仕事を抱えている藤石をこれ以上巻き込むのは気が引けたのだ。

 実家の物置で見つかったフクから大伯父の麻人に贈ろうとした大量の歌、そして、それに対する大伯父からの返歌を携え、白井は家を出た。

 その時、向かいのゴミ捨て場の近くで、ちょうど水色の軽自動車が減速しながら止まるのと鉢合わせた。

 白井は、ある確信を持ちつつも、動揺を隠しきれない。しばらくすると、中から小柄で秀麗な顔つきの男と、異国顔の友人が現れ、こちらにやって来た。

「……」

「あ、タイミング良いな。はい、これ」

 藤石は片手で白井に何やら水色の封筒を手渡してきた。

「な、何ですか」

「権利証。相続の手続きが終わったんだよ。これであの墓地も実家の土地も建物も、晴れてお前のものだ。存分に所有しなさい」

 どうやら、藤石はわざわざ書類を届けにきてくれたらしい。白井は礼を述べつつ、それを受け取り、鞄の中にしまった。

「あれれ、アサトってば、出かけるの?」

 友人の宇佐見が不思議そうな顔をしつつも、なぜか藤石の車のドアを開けた。

「じゃ、出発!」

「え?」

「へへん、実はオレも行くところあるんだよ。山の森病院」

「……」

「ヒサおばちゃんのお嬢さんと是非一度お会いしたかったんだよ!チビ書士が何か個人的に相談受けているらしいから、オレが阻止する」

 間髪入れずに宇佐見の背中に藤石が蹴りを入れた。

「仕事だって言ってるだろうよ。大鳥家の方でも相続が終わっていない不動産があるらしいから、それの事前相談だ。邪魔するなよ、いいな?」

「ウサさん、フジさん……」

 白井が頭を下げようとしたところで、藤石が制した。

「は?何を勘違いしているんだ?お前からの仕事依頼は完了したわけで、もう俺は一切関係がない。とっとと一人でどこでも行きなさい」

「こら、チビ書士の意地悪!悪魔!ケダモノ!同じ目的地なんだから一緒に乗せたっていいじゃないよ!」

「俺の車は乗り合いタクシーじゃないんだよ!前から好き勝手使いやがって、社会に出たならガソリン代くらい出そうとかいう気持ちにならんもんかね!」

 二人が激しく言い争う中、道路の向こうから見慣れた白と黒の車――パトカーがやって来た。

『はい。そこの人、ここは路上駐車禁止ですよ』

「うげ!」

 秋の交通安全で近所を見まわるパトカーが、藤石の軽自動車に狙いを定めた。さらに、藤石の車のぜいで宅配便の車が通れなくなっており、その後に次々と車が続いていた。

 信じられない速さで藤石が自分の愛車に駆け戻る。それに便乗して、宇佐見は白井の腕を引っ張りながら、後部座席に乗り込んだ。

 藤石は、バックミラー越しに白井を眠そうな目で睨みつけた。

「覚えていやがれ」

 発進は、とても優しかった。



 道中、宇佐見が適当に見つけた蕎麦屋で昼食をとると、藤石の車は目的地へ向かった。
 山の森病院は、山奥とまではいかずとも、傾斜のある坂を上った小高い丘の上にあった。思ったより大きい建物で、白とグレーを基調にした美しい形をしていた。まだ新しいようだ。病院の出入り口付近では、車椅子を押していた男性が白井たちに向かって会釈をしてきた。白井は、都心では忘れていた何か温かいものを、ひっそりと胸に感じた。

 一階のロビーでは、会計待ちの人々がまばらにイスに座っていた。その中で見覚えのあるふくよかなシルエットを見つけた。

「大鳥さん……」

「あ!」

 ヒサ江は大声を出しそうになった口元を覆うと、その隣に座っていた細身の女性が振り返った。娘の京子だ。

「麻人くんまで……わざわざ」

 その視界に、どうやら宇佐見をとらえたらしい。京子はわずかに驚きの色を浮かべたが、友人は気にせず挨拶をした。

「こんにちは!アサトくんの同級生の宇佐見デス」

「あ、母からは話は聞いてます……」

 京子は母親のヒサ江を睨みつけた。

「ちょっと、やだ、お母さん。まだ若いじゃない。しかも、普通に日本人じゃないの」

「え!」

 ヒサ江が宇佐見の長身を見上げた。

「あんた、イタリアとかあっちの方の人じゃなかったの!」

「ん?イタリア国籍がお嬢さんとの結婚の条件なら、オレ、今からあっちで帰化してこようか?」

「あ、あの……私、もう四十歳なので、何か色々複雑な気分になります……」

 その場が笑いに包まれる。今までも、宇佐見の人に対して隔たりのないこうした態度に何度も助けられてきたが、今は病院内だ。これ以上友人がはしゃがないように、白井が諌めようとすると、隣にヒサ江が近寄ってきた。

 白井はぎこちないお辞儀をすると、ヒサ江も丸まるように頭を下げた。

「フクちゃんは、三〇一号室だよ、麻人くん」

「あ、はい……」

「私らも一緒に行って平気かい?」

「も、もちろんです。あの、ヒサ江さん……フクさんのお加減は」

「最初はね、もうどうなるかと思ったけど、何とか安定しているよ。ただ、退院できるかどうかは、まだわからないね」

 フクが高齢でもう間もないことは受け入れているとはいえ、さすがに楽しい面会であるわけがない。白井は宇佐見に静かにするよう目配せをすると、入院病棟の三階へ向かった。

 そのエレベーターの中で、

「しかし、このあたりは蕎麦が美味いですね」

 突然、藤石がそう言った。
「あ、先生。どこのお蕎麦屋さんに行ってきたんです?」

 京子が興味を示した。沈黙が耐えられなかったのは皆が同じだったようだ。

 藤石が何となく店の場所を伝えると、ヒサ江が本当かいと喜んだ。

「そこのお蕎麦屋さんは昔からあってね。フクちゃんも寝込む前までは働いていたんだよ」

「え、そうなの?」

 宇佐見も嬉しそうな声を上げた。たまたま自分で見つけた店だからだろう。ヒサ江も得意げに話しを始めた。

「フクちゃんも、若い時は私と同じで身体が弱かったけど、働くうちに少し体力もついたんだね。そうそう、お蕎麦の汁の作り方も教えてくれたよ。うちはその直伝のお汁で毎年大晦日は年越し蕎麦食べてるんだよ」

 白井は、ここに来てフクの遠くない過去を知って少し心が温かくなった。

 彼女にも生きてきた歴史が残されているのだ。

 病室に向かう廊下でヒサ江の声が響く。すれ違う看護師が苦笑しながら、静かにするようジェスチャーをすると、娘の京子が慌てて謝った。

 しかし、ヒサ江のお喋りは止まらない。

「それにしても、藤石センセイから電話でしか聞いてないけど、麻人くんの家から、すごい発見があったんだって?」

「あ、えっと、はい……」

 実家の物置で見つかった歌を鞄の中から取り出した。それを見つめ、京子が大きく息を吐きながらハンカチで口元を押さえた。

「……もう、私はこれだけで感動だわ。うちのおばあちゃにも報告しなきゃ」

 ヒサ江も手をこすり合わせて、祈るような顔をした。

 ――。

 ここにいる全員が一人の認知症の老人を想って色々と模索し知恵を出し合って、わざわざ集結したのだ。

 当人は、ここに揃う人間が誰だかもわからないのに。

 ここまで気持ちを動かしたものは、結局何だったのだろうか。

「美味かったな、蕎麦」

 藤石がもう一度言った。

「フクばあさんが、蕎麦の作り方も覚えてなくても、このヒサ江さんがしっかり受け継いでいる。シロップも教えてもらえよ。それで、俺に食わせろ」

 ――。

 きっと、誰かの生きた証を、繋ぎとめておきたいだけなのかもしれない。

 皆、いつかはいなくなってしまうのだから。

「ここだよ」

 三〇一と書かれた病室のドアをノックすると、少しだけヒサ江が開けた。個室かと思いきや六人部屋だ。

 ――ああ。

 入院病棟は苦手だ。あの頃の両親が思い出されるのを、白井は振り払った。

 半分以上のベッドが空いていたが、一人だけ寝息を立てる患者がいた。布団にくるまり、顔はわからない。

 ――どうしよう。

 できれば、自分一人でフクに会いたいと白井は思った。

 あの暗号を――。

 その時だった。

「さすがに患者より多い人数で押しかけるのはまずいだろう」

 藤石は部屋の外に留まった。それを受けて、宇佐見も京子も外から様子を見ることにしたようだ。
 白井が振り向くと、宇佐見は力強くうなずいた。

「オレは、ここで京子ちゃん口説いているから、アサトはフクちゃんに会っておいで!いってらっしゃい」

 藤石が片手をヒラヒラさせる。

「俺は、真面目に京子さんからの相談を聞いた上で口説くから、シロップは適当に好きなようにやれ」

「フジさん」

「最初から、全部お前だけの問題なんだよ。俺たちは知ったこっちゃない」

 眠そうな目が細められ、ゆっくり優しげな笑みを浮かべた。

「ちんけな美談は、あとで聞かせてくれ。大笑いしてやる」
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