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第一章

第一回天帝杯ビーチバレー大会 三蔵の接吻をかけて

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 脂肪の多い八戒の身体が溶けてしまいそうな太陽の下で、第一回天帝杯ビーチバレー大会が幕を開けた。海を目にするのは三蔵にとっては初めての経験である。三蔵は通天河に沈んだ過去を思い出しているのか、やや眉を顰めて目の前に広がる大海原を見つめている。水練が得意な八戒と悟浄は早く水に入りたそうにそわそわしているが、有無を言わさず砂浜のコートに召集をかけられている。

 ここは言わずと知れた天界の海浜である。天界の海であるのならばもう少し過ごしやすい気候にすればよいものと思うが、ここは火炎山を思い出すような暑さである。

 いつも通り取経の旅を続けていた三蔵法師一行は突然白い光に包まれ、気がつくとこの砂浜にいた。しかも何故か褌一丁に着替え済みである。 

 八戒はせり出した大きな腹で自分の褌がよく見えない。

「これ下半身丸出しなのとあまり変わりがねえよな。暑いし、思い切って全部脱いじまうか。」

「いやいや、八戒兄者、布にて隠れているのと丸見えなのは大きな違いだ。脱ぐのは思い止まってくれ。」

 褌に手をかけようとする八戒を、悟浄が慌てて止めている。

 一方の三蔵は禊の時でさえ薄衣を羽織っているのが常なのに、突然上半身を裸にひん剥かれた結果、羞恥のあまり顕わになった両肩を自分で抱きながら小さく震えている。悟空は苛立ったように大きな息を吐くと、自分の柔毛を衣に変化させてその肩から掛けてやり、大きなビーチパラソルの下まで誘導してやった。

「これ、羽織っていてください。それと、この大きな傘の陰に入っていた方がいいです。こんな熱さではひ弱なお師匠様はすぐ干物になっちまいますよ。」

「ありがとう、悟空。ところで、どうして我々がこのようなところに来ることになったのだろう。」

「おおかた天帝の退屈しのぎでしょう。今から観音に文句言って、早く元のところに戻すように脅し……じゃなかった、頼んできますから、ちょっと待っててください。」

 悟空は柔らかい砂に足を取られながらのしのしと歩いて、観音菩薩に詰め寄った。托塔李天王らと何やら打ち合わせをしていた観音菩薩はゆっくりと振り向いた。癪な事に観音菩薩の上には大きな蓮の葉が浮いており、日傘代わりになっている。しかも観音菩薩が動くとその蓮の葉もついてくるのに加えて、蓮の葉からは霧のように細かい冷水がとめどなく降り注いでおり、自然の冷房のようになっている。

「おいっ。お前だけなんで涼しんでんだよ。その蓮の葉をおれのお師匠様にも貸しやがれっ。」

「これは母胎から生まれた凡夫の身体では使えない代物です。」

「お師匠様が干上がっちゃうだろっ。じゃあ早く元の場所におれ達を帰せってんだ。」

「ビーチバレー大会が終われば帰しますよ。」

「なんだよそのビーチバレーってのは。どうせ天帝が退屈してんだろ?暇つぶしは暇人同士でやってろよ。おれ達は天竺へ行く旅の途中なんだぜ、忙しいっつーの。」

「そのわりには居心地の良い国には妖怪退治の後に数か月も滞在したりすることもあるようだが……。」

「う、うるさい。お師匠様の疲れを癒すためだから仕方ないだろ。」

「三蔵の疲労が心配なのであるならば、これでどうだ。」

 観音菩薩が片手をすいと動かした。途端に三蔵の手の中にかき氷が現われた。

「氷菓である。三蔵、食べて身体を冷やすと良い。」

 ちなみに宇治金時である。おそるおそる匙で口に運んだ三蔵は、一口食べてその冷こさに眉をしかめたものの、飲み込んでから微笑んだ。

「冷たくて……とても甘いです。」

「もう少しここにとどまっても良いだろうな。」

「ええ、観音菩薩様の思し召しの通りにいたします。」

 三蔵はにっこり微笑んだ。

「ほら、師もこう言っているぞ。悟空。」

 むう、と頬を膨らませる悟空を取りなすように、托塔李天王が言った。

「大聖殿。天界の住人は不老不死の者が多い故、何をするのにしても顔ぶれが変わらんのだ。お主たちが参加してくれると良い刺激になる。」

「そんなこと言ってもよう……。」

 まだむくれ顔を続ける悟空に、機嫌取りの上手いおなじみの太白金星が近付き、耳打ちした。

「今回の大会の優勝賞品は凄いらしいですよ。もしかすると蟠桃一万個かも。」

 悟空は天界に生る蟠桃が大好物である。
(そういや、五百年間五行山に閉じ込められてからというもの、一回も蟠桃食ってねえなあ。)

 口中に広がる豊満な香りと瑞々しい果実を思い出しただけで悟空の咽喉が鳴った。

「よし、まあ、そういうことなら仕方ねえかな。さっさと優勝して、さっさと帰るぞ。いいな、悟浄、八戒。」

 悟空が景気よく褌をぽんと叩くと、八戒と悟浄が後ろに続いた。

「俺、桃より饅頭やちまきみたいな、もっと腹にたまるもんがいいなあ。でも、まあ食いもののためならやってやるか。」

「何にせよ、与えられた使命は果たすべきと考える。拙者、尽力いたそう。」


 

「ただいまより、第一回天帝杯ビーチバレー大会開催でございます。司会は不肖、この観音が務めさせていただきます。」

 涼し気な顔で拡声器を持つ観音菩薩が言った。まったくの棒読みであり熱意もやる気も微塵も感じられない。

「観音も妙な仕事押し付けられて、顔には出さねえけど怒ってんじゃねえのかな。」

 悟空が隣に立つ二郎真君にぼそっと声を掛ける。さすがの二郎真君は褌姿とはいえ、颯爽たるものだ。筋骨隆々の胸を張って、腕組みしながら頷く。

「ありうるな。」

「天帝のやつは姿は見えねえが、どこにいてやがるんだ。」

「千里眼と順風耳に実況中継させて、天界の玉座で楽しんでおられるとのこと。」

「おれ達にうだるように暑い場所でアホみたいなことさせて、自分だけは涼しい場所で高笑いか。おい、お前の伯父だろう?なんとかしろよ。」

「なんとかできようものなら、私がこのような場所でこのような格好でおるはずもない。」

 くそ真面目な顔をしているものの、やはり二郎真君も内心では憤慨しているらしい。

「道理だな。」

 くくく、と悟空は思わず忍び笑いを漏らす。

「ハイ、そこ。悟空と二郎真君は無駄口を叩いていたので、それぞれマイナス3ポイントです。」

 ルール説明をしていた観音菩薩が急に鋭い口調で述べた。

「なんだと!」

 悟空はいきり立ち、二郎真君は思わず両手で自分の口を塞いだ。観音の弟子恵岸が二人の肩を優しく 叩いて声をかける。

「お二人ともお静かに。勝ちたいのであれば、きちんとルールは確認してしておくべきです。」

 なるほど、と悟空は黙る。観音菩薩は丁寧にビーチバレーのルール説明をした後、付け足した。

「特別ルールとして、一、空を飛ぶこと、二、武器を使うこと、三、法術を使うことは禁止です。」

 悟空にとっては、如意金箍棒を使えないとなると自分の半身を奪われたようで口惜しそうに唇を噛む。

「さあ、第一回大会の優勝賞品は!」

 やる気は感じられないものの、観音菩薩が一応声を張り上げた。
 
 悟空はごくりと息を呑んだ。

「三蔵法師の接吻です。」

 観音菩薩の一言に大きな歓声が上がった。牛魔王と羅刹女と紅孩児の家族だ。三蔵の肉を食べられなかった腹いせに唇だけでも奪ってやろうとの魂胆だろうか。

「はあああああああ?」

 悟空は大きな唸り声を上げた。ビーチパラソルの下で涼んでいた三蔵の元に電光石火の勢いで駆け寄り、守るようにすっと自分の背後に隠す。

「なんでなんでなんでなんで。おいっ、観音っ。なんでお師匠様の接吻が優勝賞品なんだよ。おかしいだろ!蟠桃一万個じゃなかったのかよ!」

 噂の出所太白金星はとぼけた顔であらぬ方を向いている。あの爺、本当の賞品知ってやがったな、あとで殴ってやる、と悟空は苛立つ。

「玉帝が決めたことですから、私にはなんとも……。」

 観音菩薩が我関せずの顔で答える一方、途端にやる気を無くす面々もいる。

「食い物じゃねえのかあ。」

「そんな賞品、悟空兄者しかやる気にならぬであろう。」

 しょげた顔をする八戒と悟浄に、観音菩薩が要らぬ知恵を貸す。

「三蔵法師の前世は金蝉子。接吻し、その息を吸っただけで寿命は三千年延びます。犯した罪も浄化され、心の責苦も和らげられます。もしそなたたちが不要ならその権利を他の天界住人に売ることもできる。」

「そうか、その金で食い物買えばいいんだな。」

「この心痛が減るのであれば、それは一考の余地があるな。」

 おとうと弟子達も心変わりしそうな危機を感じ、悟空は大きな声で観音菩薩に噛み付いた。

「待て待て待て待て。お師匠様は物じゃねえんだぞ!そんな勝手に口付けが賞品にされてたまるかってんだ。ほら、お師匠様もなんとか言ってください。」

 後ろを振り向くと、三蔵は急にくたあっと後ろに倒れそうになっている。悟空は慌ててその背を抱きかかえた。

「三蔵はしばらく眠らせておきます。」

「てっめえ、さっきの氷菓に眠り薬でも混ぜやがったな。天界の野郎どもはやることが汚ねえぞ。」

 悟空達のいるパラソルに向かって、軽やかな足取りで誰かが近づいてくる。日焼けを知らぬ真白い手脚は、まだ成長途中で若芽のようなふくふくした勢いを感じさせる。過去の名を紅孩児、今は善財童子と名乗る牛魔王の息子である。

「大聖さん、俺様は天界の先輩達と違ってまだ尽きない寿命を得ているわけじゃないし、寿命三千年は欲しいから、優勝するために全力を尽くす。君も賞品を誰にも渡したくないのなら優勝すればいいじゃん。」

「……お前、善財童子の名に似合わず、腹黒いのな。」

「元は妖怪だからね。」

 睨み合う悟空と善財童子の間に割って入るように、新たな少年が現れた。こちらも美少年であるが、善財童子を炎に例えるならばこちらは氷、冷たく整った容姿と細い手足が特徴的だ。托塔李天王の第三子哪吒太子である。

「悪いけど優勝は僕がもらうから。」 

「オメーも寿命三千年が欲しい口かよ。」

 悟空が顎を向けると、哪吒は前髪を後ろに払いながら言った。

「大聖には一度負けたけど、僕もあの後修行を積んだし。僕と二郎真君が組んだら最強だってことを教えてあげるよ。」

 静かに闘志を燃やして宣言する哪吒の肩を掴んで善財童子が睨みを効かせる。

「割り込んでくんじゃねえよ、天界の坊ちゃんが。」

「大会に両親を連れてくるガキには言われたくないね。」

「坊ちゃんこそ、パパを連れてきてんだろ。」

「父とは別のチームだ。乳離れできてないお前とは違うっ。」

「なんだとうっ。」

 一触即発の善財童子と哪吒を、其々の目付役の恵岸と二郎真君が引き剥がす。




「さ、異論はありませんね。大会を始めます。」

 観音菩薩が片手を挙げて宣言した。異論など九千個ほど思いつきそうな悟空だったが、自分の胸にもたれて穏やかに眠る三蔵を見て首を振って諦める。三蔵を人質にとられているようなものだ。諦めて大会に参加するほかないらしい。

(お師匠様の唇は、おれが絶対に守ってやるからな。)

 


                   *
さて、一回戦は悟空、八戒、悟浄のチーム取経対牛魔王、羅刹女、善財童子のチーム牛家族である。

「拙者、玻璃の杯を落として割ったかどで下界に落とされたのだ。丸いものの扱いは不得手だ。」

 悟浄がおどおどと申し出る。褌だけを身につけた悟浄は心なしか線が細く見える。どうやら着太りする体型らしい。

「なあに、心配するこたねえよ。要するにあのボールを相手の陣地に落とせばいいんだ。杯落とすのが得意なら丁度いいじゃねえか。」

「八戒兄者は楽天的が過ぎる。」

「おい、お前ら。」

 ドスの効いた声を出しながら、悟空が二人の肩を力強く掴んだ。

「優勝以外はあり得ねえからな。死んでも球を落とすんじゃねえぞ。お師匠様の唇を守れるのはおれらしかいねえんだからな。」

 肩をいからせた悟空と対照的に、八戒と悟浄は気合が入りきらないようである。

「優勝賞品の接吻って一回だけかい。チーム三人それぞれに一回ずつ権利があるってわけにはいかねえものかな。」

「この阿呆八戒め。あんな貴重なものを三回もさせられるわけがないだろう。」

「悟空兄者、しかし負けたからといってお師匠様の命が取られるわけでもなし、何か減るわけでもなかろう。」

「減るだろう。わっかんねーのかよ。お師匠様の純潔な精神が汚れちまうだろう。」

 悟空の必死な説き伏せも奏功せず、八戒と悟浄はひそひそと陰口を叩く。「過保護」、「兄者は師匠に夢を見過ぎ」、「処女厨」などと聞き慣れない言葉が漏れ聞こえる。

「お前ら、いいか。負けたら如意金箍棒で百叩きだからな。」

「そんなことされたら俺、豚饅の餡になっちまわあ。」

「それが嫌ならきりきり働けっ。」

 ふぇぇぇい、と鼻を鳴らした八戒だったが、コートの向かいに妖艶な美人がいることに気づいて途端に目の色を変えた。牛魔王の妻羅刹女である。

 羅刹女はさすがに褌とはいかず、肩から膝までぴったりした衣服で覆われているがしなやかな身体の線を拾う相当な露出である。丸みを帯びた腰が熟した果実の在処を教えている。

「たまげるほどの美人じゃねえか。」

 息を呑んで八戒は見惚れた。

「あれほどの美しさは天界でもそうはお目にかかれぬな。」

 色事にはさほど関心のない悟浄も目を見開いたほどである。ぴんときた悟空は二人に耳打ちをした。

「線ぎりぎりに球を落とせ。そうすればあいつは球を拾いに砂に飛び込むぞ。きっと服も乱れるに違いない。」

 八戒はもうにやにや笑いを抑えられない。ふんっ、と八戒は大きな鼻息を鳴らして力こぶを作り、隣の悟浄も神妙に頷いた。

「さあ、兄貴。やってやろうじゃないかっ。」

「出家の身ゆえ、決して女人の露わな姿を期待するわけではないが、熱戦の末に裾がはだけることはありえよう。拙者も気合は十分だ。」
 




「試合開始。21点先取したチームの勝ちとなります。まずはチーム牛家族のサーブから。」

 司会兼審判を務める観音菩薩のホイッスルで、牛魔王がサーブを繰り出す。緩い球がネットを超えてくる。

「牛魔王の兄い、歳取って体力もなくなってるようじゃねえか。」

 悟空が鼻で笑いながらレシーブしようとすると、球はぎゅんと曲がって落ちた。

「はぁ?」

 一歩も動けないままあっけにとられた悟空の表情を見て、牛魔王は腹を抱えて笑った。

「ふっはっはっ。これぞ、名付けて水牛の角カーブサーブだっ。」

「おいっ、観音。あいつ、ズルしたぞ。術使って球を曲げた。反則だ。」

 悟空が告げ口するも、観音菩薩は煩そうにちらっと視線を向けただけだった。

「あれは回転サーブじゃ。術ではない。」

「なんだよそれ。」

 牛魔王はしてやったりの表情で両肩を回している。

「この日のためにバレー特訓に励んできたんじゃ。ふっはっはっ。サルめ。手も足も出んだろう。」

 それを聞いた悟空は観音菩薩に食ってかかる。

「なんだとう。おれ達はなんの準備もせずに突然連れてこられたんだぞ。観音っ。あいつら、自分達だけ事前に練習してやがる。反則っ。マイナス3ポイントだなっ。」

「事前練習は禁止されておらぬ。」

「おれ達だけ不利じゃねえかっ。」

「これ以上文句を言うようなら、反抗的態度によりお前から3ポイント引きますよ。」

 観音菩薩にそこまで言われては悟空も返す言葉がない。ぎりぎりと唇をかみしめてコートに戻った。

「悟空兄者、拙者にはあの球の軌道読むことができる。」

 悟浄が悟空の隣にひっそりと立ち、呟いた。

「本当か、頼むぞ、悟浄。それで八戒、お前は悟浄からの球を受けろ。おれが向こうに球を思い切り沈めてやる。」

「わかった。」

 また牛魔王からのサーブが来た。ぐいんと曲がるが、悟浄はうまく軌道を読んで球を拾った。八戒が繋いだトスを悟空が跳び上がって思い切り叩き込んだ。一点決まった。

 悟空は両手を挙げて悟浄と景気良く手を合わせる。

「よっしゃあ。きょうだい、よく軌道を読めたもんだ。やるじゃないか。」

「我が降魔宝杖は円をくり抜いた三日月の形。水牛サーブは水牛の角の丸みだ。どちらも五行の水に起因しており、水滴が必ず円になるが如く、描く曲線は一致する。すなわち、牛魔王のいる位置に想像上の宝杖の先端を合わせ、もう片方の先端に自分の位置を調整すればその弾道で球は飛ぶ。」

 悟空はぶつぶつと説明を続ける悟浄の背中を叩く。

「よくわからねえが、軌道が読めるならこっちのもんだ。」

 次は八戒のサーブである。これも難なく決まる。八戒は明らかにコートの右に陣取る羅刹女を狙ってコートの端に落ちるようにしている。

 ネットを挟んで悟空と牛魔王が向かい合う。

「牛魔王の兄い、今更三千年寿命が延びたところで変わりもねえだろ。勝ちを譲ってくれねえか。おれとしても兄いと戦いたいわけではねえし。」

「お前はいつまで経っても成長のないやつめ。儂が優勝を狙うのは子のためだ。紅孩児の寿命を三千年延ばしてやりたい。お前のような独り者にはわかるまいが、子は生きがいだ。紅孩児の修行の助けにならんとするため、儂は老体に鞭打って出てきたわけだ。」

 口の立つ悟空は手を振って言う。

「そいつはいけねえや。子を大切に思えばこそ、苦労させてやらなきゃ。かわいい子には旅させろって言うじゃねえか。」

「ちょっと、アンタ。気を逸らされるんじゃないよっ。」

 羅刹女が前方にスライディングして八戒のサーブを受けながら、牛魔王に釘を刺した。

「そうだよ、大聖さんは上手いこと言って俺達を諦めさせようとしてるだけなんだから。」

 善財童子がトスを挙げ、牛魔王が飛ぶ。悟空もブロックしようと跳ぶがもともとの上背に差がありすぎるため、到達点も大きく異なる。ボールは悟空の両手のはるか上を通り、チーム取経のコートのど真ん中に突き刺さった。チーム牛家族は三人で抱擁している。

「儂とて油断してはおらんぞ。」

「父ちゃん、やるなあ!」

「さすが本性は牛。馬鹿力だな。」
と、八戒も目を丸くするほどである。

 次は羅刹女のサーブである。大きく球を投げ上げ、跳び上がってサーブを繰り出してくる。さすが一家でバレー練習をしてきただけのことはあるようだ。

「大聖も唐僧の接吻ごときで何を慌ててんのやら。一回や二回の接吻で騒ぎ立てるんじゃないよ。大聖と私は何度も酒の口移しをした仲じゃないか。」

 揶揄うような言葉と一緒に鋭い球が飛んでくる。ぎくり、と肩を強張らせた悟空に、聞き捨てならぬ、とばかりに八戒が出っ張った口を挟んでくる。

「なんだなんだ、その話。兄貴、あの色っぽい人妻とイイコトしたのかよ!兄貴ってそういうところあるよなあ。顔さえ良ければいいんだ、現金過ぎる。それで自分だけいい思いして黙ってんだよ。」

 視線も注意もボールからとうに外している八戒の隣にサーブがさくっと落ちた。

「お前はっ!球を拾えよっ!」

 悟空が声を荒らげるが、悟浄も近寄ってくる。

「悟空兄者、お師匠様に捧げる思いが真摯なものであることを拙者は疑ってはおらぬ。だがしかし良いのか。軽はずみに人妻と関係を持っては師父のために捧げる心が汚されてしまうのではないか。」

「お前らっ、おれのこと全然信用してねえのな!」

 羅刹女から再び激しいサーブが来る。悟空は自ら動いてレシーブしながら大声で説明した。

「違う!羅刹女が言ってんのは、おれが牛魔王に化けて芭蕉扇を騙し取った時の話だ。バレないように夫婦らしく話を合わせて、あいつがしなだれかかってきたり、酒を飲ませてくるのを避けなかった、それだけだっ。」

 悟空が上げたボールは、悟浄がおざなりにトスをする。

「しかし口移しは事実なのだろう。」

 悟浄の言葉に悟空は不満たっぷりな表情ながらも頷くしかない。

 八戒がでっぷりした跳躍をし、適当なアタックをする。

「夫婦なんだから、酒の口移しくらいで済むもんか。そのあと腕と足を絡ませ床に入って、いんぐりもんぐりしたに決まってらい。」

 悟空は途端にやる気をなくしたおとうと弟子達に喝を入れたいが、どうにも説得するすべを持たない。

「そんなことしてる暇があるかよ!芭蕉扇を手に入れて、すぐにお前らのところに戻ってきたんだろうが!」

 八戒のスパイクを難なくいなした羅刹女が艶っぽく笑いながら言う。

「よく言うよ。忘れたとは言わせないよ。あんたは私の中に入って、上に下にと突きあげてさんざん暴れたくせに!」

 羅刹女の誤解を招く言葉に、八戒はうおお、と鼻息を荒くし、悟浄は非難がましい目で悟空を睨んだ。

 悟空は狼狽えながらパラソルの陰にいる三蔵の様子を伺う。砂浜の上に寝かしたら鼻から砂を吸って窒息してしまうかもしれない、と悟空がごねたので、太白金星が海の家から取り寄せたビーチチェアに横たわり、三蔵はまだすやすやと寝息を立てている。余計なことを聞かないでくれて助かった、とあまりにも安心した悟空はついに開き直った。

「悪いかよ!羽虫に化けて羅刹女の胃袋に入って暴れただけだ!」

 その瞬間、牛魔王がこすっからく指先で打ち込んだ緩いスパイクが、チーム取経の陣地に落ちた。チーム取経の面々はもはやビーチバレーどころの騒ぎではなく、誰一人として球を見ていない。

 悟空の様子を見て、善財童子は狡猾な笑いを浮かべた。何か思いついたらしい。

 羅刹女のサーブが再び来る瞬間、善財童子が喧嘩を売るように叫んだ。

「大聖さんにとっては芭蕉扇を奪い取るという目的のために、女を騙して口移しすることなんて大したことじゃないんだね。」

「ああ、そうだよ。悪いか。人妻との口移しの二回や三回がなんだ!別にどうってことねえだろう。騙されておれにしなだれかかってきたお前の母さんが悪いだけだ。」

 サーブはなんとか悟空がレシーブし、ラリーが続く。突然、三蔵の耳元に巨大な拡声器が現れ、それが先の悟空の声で喋り出した。善財童子の仕業である。

『人妻との口移しの二回や三回がなんだ!別にどうってことねえだろう!』

 耳元で大音量を聞かせられた三蔵は身じろぎをし、薄目を開ける。

「ん……ご、悟空……?。」

 一瞬のうちに全身冷や汗まみれになったのは悟空である。なんという言葉をお師匠様に聞かせてしまったのか。慌ててコートをとび出し、悟空は三蔵の背を一定のリズムで優しく叩き、寝かしつけにかかる。悟空がいない間も試合は続行しており、一人足らないチーム取経はどんどん点を取られてしまう。

「いま……なにか……き、聞こえたような……。」

 不思議そうに眉根を寄せていた三蔵も、悟空の手の温かさとリズムに誘われて、再び寝息を立てだした。
 



 無事三蔵を寝かしつけ、試合復帰した悟空は開口一番、善財童子に向けて怒鳴った。

「お師匠様の耳を汚すんじゃねぇ!」

「大聖さんが自分で言った言葉でしょ。」

 善財童子は悪びれた様子もない。観音菩薩の御許で修行中の身とはいえ、散々悪行三昧を重ねてきた性根はまだまだ矯生が必要なようだ、と悟空は自分を棚に上げて心の中で講評する。

「お耳に入れて良いことと悪いことがあんだよ。お師匠様は根っからの清浄な生き物なんだ。おれ達みたいな妖怪あがりとは違う。な、観音。」

「自分の言葉には責任を持つべきです。が、ここは法術を使った反則により、善財童子がマイナス3ポイントですね。」

 ちぇ、とふくふくとした頬をより膨らませた善財童子だったが、いくらか満足気なのは点差が開いてきたかららしい。現在のところ、チーム牛家族が17点、チーム取経が8点である。

 八戒は口数少なめの牛魔王に声を掛けた。

「お前の嫁さんなのに、口移しどうのこうので動揺しねえのか。あんなに美人な嫁さんの心変わりが心配にならんのか。」

 牛魔王は大きな肩を精一杯縮こませ、サーブのために少し離れた羅刹女には聞こえぬようにして囁いた。

「儂は結婚して以来、あれが何をしても何を言っても恐怖しか感じぬ。逆らわぬことが肝要じゃ。」

 妻帯者であった八戒は納得したように大きく頷くが、悟浄は
「あれほどの美しい妻を持っても満たされぬとは……。結婚というものは、傍目にはわからぬ深淵で因果な謎らしい。」と首を傾げている。

 おれとお師匠様は四六時中一緒にいるけど、緊箍呪の時は別として恐怖を感じたりはしねえし、と対抗意識を燃やす悟空は、二人の関係は夫婦ではなく師弟であることをもはや忘却している。




 さてここからはハイライトでお送りしよう。

 点差が開いたことに奮起した悟空が、コートのラインの際を狙ってアタックを繰り返した結果、羅刹女の裾が露わになり、八戒と悟浄の鼓舞材料となった。その結果、チーム取経は驚異的な追い上げを見せた。

 焦った善財童子が三昧真火を再び繰り出し、得意気にそれをあげつらった悟空と、二人揃って観音にマイナス3ポイントを宣言された。さて、ついにチーム牛家族17点、チーム取経20点のマッチポイントとなった。

 悟空のサーブは見事にライン上を突いたが、羅刹女の果敢なレシーブに阻まれる。続く牛魔王のアタックを悟空はうまく勢いを逃しながら、悟浄に繋げる。悟浄が上げたトスを目掛けて八戒が飛び上がり、ボールを打とうとした瞬間、ブロックしようとした善財童子の鼻から大きな火の壁が現れた。三昧真火である。

「うわあ、焼き豚になっちまう。」

 慌てて避けた八戒の頭にボールが落ちてきた。

「おいっ、観音。あいつまた術使ったぞ。」

 悟空が告げ口したものの、善財童子は急にぽろぽろと涙を流して言い訳する。

「鼻血ですっ、暑いからのぼせたようです。跳んだ拍子に鼻の血管が切れて血が出ただけです。相手チームにふき掛けてしまうとはなんとも申し訳ないことを……。」

「鼻血があんなに火を吹いてたまるかってんだ。なあ、観音。」 

「善財童子はまだ力のコントロールができにくいのです。今度同じことをすれば反則とします。点数は18対20です。」

 観音菩薩は弟子である善財童子にどうも甘いところがある。性格と不釣り合いな幼気な容姿が憐れを誘うのである。

「今の点数入ったのかよ。」

 悟空は舌打ちをする。

 サーブ権が移り、善財童子のサーブである。派手にボールを回転させてから、跳び上がってボールを叩き落としてくる。球は悟空の元に飛んだ。悟空は軌道を読み、両手を下から出して球に備える。その僅かな間に急に球の軌道が変わり、風に飛ばされたように大きく曲がった。悟空は慌てて場所を移動するが間に合わない。するとどっしりと待ち構えていた八戒が難なくシーブした。悟浄に繋ぎ、悟空が思い切りスパイクを打ち込んだ。

 観音菩薩のホイッスルが鳴った。試合終了である。 

「チーム取経の勝ちです。」

 牛魔王一家は揃って砂にくずおれた。

 悟空は安堵して胸を撫で下ろす。とりあえずお師匠様の唇を守る第一歩は成功だ。

「おい八戒、お前最後の球、よく弾道を読んでたな。水牛の角サーブ、牛魔王だけじゃなくて息子もできるとはな。」

 八戒はがははと笑いながら言った。

「あれさあ、善財童子の放った球は普通だったんだけど、羅刹女が口の中で小さい芭蕉扇を舌で動かして球を曲げてたんだ。俺、あの女ばっかり見てたから気づいたみたいだ。観音も兄貴も気づかなかったんだな。」 

「お前、たまには役に立つのな。」

 悟空は心の底から感謝したが、遠慮のない物言いのため、思ったほど感謝の意は伝わらない。

「しかし、八戒兄者、思ったほど衣服ははだけなんだ。口惜しかったの。」

「だなあ。次の相手は野郎ばかりだろう。もう俺はつまらねえよ。」

 落胆するおとうと弟子の背中をばしばし叩いて悟空は励ました。

「二人ともよくやったぞ。さすがおれの弟分だ。」

「なあ、兄貴、今度美人の妖怪が出たら俺に退治させてくれよなあ。」

 ぼやく八戒に悟空は気分良く答えた。

「オメーが進んで働いてくれるんなら、おれは願ったり叶ったりだ。何を邪魔することもねえよ。」

「人妻との試合も終わっちまったし、こんな暑くてつまらないところさっさと帰ろうぜ。俺、腹が減ってきたよ。」

「眠っちまってるお師匠様を置いては帰れねえだろう。」

 八戒はなおもぶつくさ言いながら、口を尖らせている。

「拙者もこのような大きな海を目の前にして、未だ水の中に入れぬとは生殺しのようだ。」

 悟浄も肩を落としてため息をついている。

「わかったわかった。もう少ししたら海に入らせてやるからな。もう少しの辛抱だ。」

 幼児のように駄々をこねるおとうと弟子たちをあしらい、悟空は炎天の太陽に向かって叫び出したい気分だった。






                       *
 チーム取経がチーム牛魔王と試合している間、托塔李天王、太白金星、太上老君のチーム爸爸(おやじ)と、二郎真君、恵岸、哪吒のチーム型男(イケメン)は対戦し、チーム型男が勝利した。

「審判の観音もいねえのに、試合なんてできたのか。」

 悟空が尋ねると、哪吒は冷たく答えた。

「こっちの試合は、ルール違反するようなバカがいないから。」

 悟空がムッとするより先に、善財童子が口を挟む。

「それはもしかして僕たちの事を言ってんの。反則なんて怖くないバカの恐ろしさ、そのヤワい身体に叩き込んでやろうか。」

「君はもう試合に負けたでしょ。パパママと一緒に尻尾を巻いて帰りなよ。烏合の衆はお呼びじゃないんだよ。」

 すぐに噛みつき合う若者を見ていると、おれもこんな風に尖っていた頃もあったなあと悟空は少し懐かしくなる。天界で大暴れし、不遜に斉天大聖と名乗っていた頃は人間の師父に心から仕える日が来るとは思いもしなかった。

「まあまあ、チーム爸爸は途中で太上老君が腰痛を訴えられ通院のため帰られてしまってな。太白金星はにこにこ笑って立っているだけで始めから動く気もないし。托塔李天王は健闘されたが一人ではやはり試合にはならず、途中棄権されたのだ。」

 二郎真君が事情を説明して、二人を取りなした。太上老君は玉帝のわがままに付き合いきれず、老獪な戦略でそそくさと帰ったらしい。

 「我らはほとんど試合をせぬままに決勝戦に来てしまった。一試合を丸ごと闘い、体力を消耗してしまったチーム取経にとっては不利だろう。」

 手拭いで玉の汗を拭きながら二郎真君が言う。元来、品行方正な男なのだ。

「負けた後で、疲れてたからとか言い訳されたくないしね。」

 哪吒の煽動は、悟空にとっては仔犬の遠吠え程度の脅威もない。褌姿の哪吒は、褌を巻いてなお細い腰が身体の未成熟さをさらに強調するようである。八戒なぞは「あいつの身体の八割が脚だな。」と評す。

「体力は心配ねえんだが、阿呆八戒も根暗悟浄もやる気がねえからな……。」

 悟空はため息をついた。





 観音菩薩のホイッスルが鳴り響き、試合開始となった。悟空のサーブである。無造作にボールを上げると力の限り叩き込んだ。ばびゅんと音速でボールが恵岸のすぐ横に突きささった。恵岸の動体視力では追うこともできず、ぴくりとも動けずにいる。

「このままずっとおれが決め続けてやる。」

 まったく負ける気がしない悟空は言った。既にやる気を失っているおとうと弟子に期待できない以上、自分だけでなんとかするしかない。

 再び悟空がボールを投げ上げ、サーブを放つ。もはや恵岸は悟空が動いた瞬間から蛇に睨まれた蛙のように立ちすくんでいる。

「ちっ、だらしがないな。」

 恵岸の横をさっと抜けた哪吒が腕を出して、ばしぃんと球を受けた。腕の骨に響くような衝撃で哪吒も顔をしかめているが、球は綺麗に上がっている。二郎真君がすかさずトスを上げた瞬間、間髪入れずに哪吒が跳びあがりクイックアタックを放った。悟空が慌ててコート前面に駆け上がるが間に合わない。意気揚々と一点を決められた。

「あいつらも事前練習していた口かよ。」

 口惜しそうに悟空は言う。

 一方の哪吒は恵岸を睨みつける。ほとんど一緒に暮らしたことはないが、二人は托塔李天王の息子である。

「いくら荒事が苦手だと言っても、もう少し動いてくれないと戦力にならないだろう。」

「仮にも兄に向かって、もう少し口を慎むが良い。しかも、この試合は勝利が全てではない。」

 それだけ言って受け流そうとする恵岸に、哪吒は納得せずに突っかかる。

「兄らしいこと一つもしないくせに。」

「おーい、兄弟げんかはやめなさい。」

 コートの外から托塔李天王が声を掛けるが、二人ともまったく聞く耳を持たない。実は托塔李天王は少々息子たちから舐められているのだが、自分だけは気付いていない。

「恵岸、哪吒、二人ともフェアプレー精神に反しているので反則マイナス3ポイントです。」

 観音菩薩が慈悲の欠片もなく一方的に宣言した。観音菩薩は最近成長を感じる恵岸に自立を促すため、やや当たりが強いのである。えっ、そんな、と悲しそうな顔をする恵岸と哪吒は改めてみればよく似た顔をしていた。




 
 次は、二郎真君のサーブである。助走を付けてボールを押し出すように打ってくる。無回転サーブであるため、ネットを超えた瞬間、予想された軌道から急にぐんと落ち、悟浄の伸ばした腕の先に落ちた。

「これは水牛の角サーブとは異なり、玉の変化が読めぬ……。」

 悟浄が嘆息する。

 二郎真君が大声で挨拶しながら、次のサーブを繰り出してくる。

「天蓬元帥殿、捲簾大将殿、お噂はかねがねお聞きしております。」

 今度は風に煽られるように斜め左に寄ってくる球である。あらかじめネット際に陣取っていた悟空がなんとか対応する。

 昔の役職で呼ばれると流石に八戒と悟浄も気が引き締まるようだ。指先までぴっと伸ばして背筋を正し、急にボールに対する反応も良くなっている。

「いやいや、二郎真君殿にわざわざお声掛け頂き、恐縮至極でございます。」

 八戒のトスを悟浄がクイックアタックする。先の哪吒の攻撃を一度で見切り、さらに体得したようで、悟空も思わず目を丸くする。油断していたチーム型男から一点をもぎ取った。

(こいつら、やればできるんじゃねえか……。)

 悟浄のサーブで開始である。そのサーブも心なしか切れが良い。ネット前に出てきた二郎真君は会話を続けている。

「天将であったお二人が凡胎の師にお仕えするとはなんと、勿体ないこと。悪逆無道の妖怪達から守るのはさぞ難儀なことも多かりましょう。」

 ばしゅんとアタックされた球を
「身に余るお言葉、痛み入ります。」と頭を下げながら八戒は拾う。なんなら話しながら試合をする方がおとうと弟子たちの動きが良いようである。悟空は難なくチーム型男のコートにスパイクを打ち込み、一点決めた。

 実力も人望もある二郎真君は、悟空にとっても天界の中では話のわかる仁であるが、しかし悟空にとっては師父が神仙ではなく人間であることを見下すような表現を使うことは気に入らない。会話に加わらない悟空はだんだんと腹が立ってくるのを感じている。

 悟浄が再びサーブを繰り出す。恵岸がようやっと球を受けふらついて倒れそうになったのを、哪吒が後ろから支えてやる。目敏い二郎真君は二人がアタックできる状況にないのを瞬時に判断し、ツータッチで返球した。

「ところで、大聖殿はなぜそんなに唐僧の接吻を守りたがるのだ。」

 二郎真君から真っ直ぐな瞳で問いかけられ、悟空は返答に詰まった。にやり、とした八戒が球を受けながら、悟空の表情を窺っている。悟空が飛び上がってボールを叩く。

「い……や、あの……えっと……なんだ、その、お師匠様は清らかな身だから、汚れちゃなんねーんだ。」

 ボールは二郎真君のブロックに阻まれる。

「しかしここにいるのは牛魔王と羅刹女は別としても、いずれも天界の修行を積んだ神仙だ。誰と接吻したからとて唐僧の身が汚れるはずもなかろう。」

「……まあ、そうかもしんねーけど。」

  悟浄が拾った球はふわりと浮く。二郎真君は緩いスパイクを放った。

「さらに言えば、唐僧は前世は金蝉子といえど、今は単なる凡夫の身。その接吻如きで神仙の寿命が延びるのかどうか眉唾ものではある。」

 悟空の怒りが一瞬で沸点に到達した。悟空は球の行方を無視し、ネット越しに二郎真君の襟首を掴んだ。球は既に落ちている。

「その唐僧って呼び方、やめてくんねーかな。お師匠様は玄奘三蔵っていう綺麗な法名がちゃんとおありになるんだ。」

「なぜ怒っておる。」

「知らねえよ。」

「接吻くらい、なんでもないと豪語していたのではなかったのか。」

 先の羅刹女との一件は隣のコートまで響き渡っていたからのう、と太上老君が笑う。

「うるせえな。」

「私にはなぜ大聖殿が怒っているのか、理解が及ばん。」

 二郎真君は瞬く間にネットをくぐり、にゅっと悟空の傍に寄った。そして、悟空の腰を強くはがいじめにし、空いた左手で顎を引き寄せ口付けた。まったく予期していなかった悟空は目を見開いたまま固まっている。

 二郎真君の思いがけない口付けを目の当たりにした悟浄はあんぐりと口を開け、珍しくあっけに取られているが、八戒は指を咥えて「イイな。」と宣う。まだ年端も行かない善財童子と哪吒だけがぎょっとした顔をしたものの、他の天界の面々はやんややんやの大喝采である。彼らは一様に退屈している。面白そうなことなら大歓迎なのだ。

 二郎真君の口付けは深く、長かった。やっとのことでその腕を逃れた悟空はぴょんと跳んで距離を取り、低く腰を沈めた。いつでも飛びかかれる格好である。

 腕でごしごしと唇を拭いて悟空は怒鳴る。

「なんてことしやがる。歯の裏まで舐めやがって。」

 二郎真君は涼しい顔をしている。

「別に。ただの口付けだ。大聖殿の身は汚れたか?何も変わらんだろう。」

 どこまでいっても二郎真君との議論は平行線になることを悟空は悟った。

「おれは別にいいんだよ。でもお師匠様はだめだ。お前にも他の誰にも指一本だって触れさせたくねえ。おれの自己満足かもしれねえけど、お師匠様には一点の曇りのないお身体で天竺にたどり着いてほしいんだ。それがお師匠様の本懐だからだ。」

 切ない思いを告げるように悟空は言った。目の前にいる二郎真君への説明というより、もはや自分自身への意志の確認に近い。

 悟空の衷心あふれた述懐を聞き、太白金星は「きかん坊だった大聖殿がよくもここまで。」と嗚咽を漏らし、托塔李天王、牛魔王と羅刹女までも我が子の晴れ姿を見るように大きく頷いている。一方の善財童子と哪吒は「人間に骨抜きにされた根性なし」等と悪口で意気投合しあい、頼みの綱の八戒と悟浄の二人は生暖かい視線を送ってくる。

(すげえ居心地悪いな、ここ……)

 ビーチバレーとやらにも飽きてきた頃であるしそろそろ帰れないものか、と悟空が観音菩薩の様子を伺おうとした時、がしっと二郎真君から両腕を掴まれた。

「わかった。わかったぞ、大聖殿!大聖殿は唐僧に惚れておるのだろう。」

 地響きするような大声で二郎真君が確認するように、悟空の目を覗き込んでくる。うっ、と悟空は思わずうめいて、二郎真君から顔を背けた。

「まさかと思うが二郎真君は、天然なのか。」

「天界の温室育ちだからな。本音と建前など知らんのだろう。」

 八戒と悟浄は巻き込まれぬよう気配を消してそれとなく距離を取る。

 二郎真君は目を輝かせて、悟空の両腕をぶんぶん振り回した。

「いやあ、それでそれで。それならすべて納得がいくというもの。大聖殿は師弟愛をはるかに超えて、燃えるような情熱で唐僧のことを好いておるのだな。だからこそ唐僧のたった一度の接吻でさえ、誰にもさせたくないのか。そうかそうか、そこまで思い詰めて……さぞや大聖殿はのどから手が出るほど唐僧との情交を望んでおるのだろう。しかし、唐僧の本懐を大切したいと思えばこそ、触れてはならぬという……。くぅぅ。なんと切ない尊い恋慕の情だっ。」 

 叶うものならいっそ殺してくれ、と悟空は思った。もはや二郎真君の手を振り払う気力もなく、死んだような目でされるがままになるほかない。

「大聖殿、さぞや元陽が溜まって辛かろう。私で良ければ相手になっても良い。なんなら唐僧の姿に変化することもできるぞ。いやいや、遠慮召されるな。元陽が溜まる辛さは同じ陽の身を持つ私にもよくわかる。」

 なおも話し続けようとする二郎真君の肩に、恵岸が手を置いた。さすがに見かねたようだ。

「もうそのくらいにしてやれ。」

 恵岸は観音菩薩の付き人であるため、しばしば観音と共に取経の旅の助けとなるようとり図ってくれることが多い。下界で過ごす時間が他の者より長いせいか、身の置き所がない悟空の気持ちに配慮してくれたようである。

「みなまでいうな。真君、秘すればこその花なのだ。」

「そうか、相わかった。花を心の中で愛でることこそが大聖の矜持であるのだな。」

 何度も頷く二郎真君の背中から、こっそりと悟空は恵岸に目配せした。

「ありがとうな、恵岸。今まで観音の金魚のフンと思っていたが見直すことにする。」

「ありがたく思っている言葉とは思えんな。」 



 
  
「そろそろ試合を再開しても良いか。」

 観音菩薩が言った。蓮の葉による自然冷房にも限界があったのか、さすがの暑さに音を上げているようでもある。さっさと用事を済ませて涼しい南海普陀落伽山に帰りたいのだろう。

 二郎真君が片手を大きく振って、観音菩薩を制した。 

「いや、ここは優勝を譲ろう。ぜひ大聖殿に唐僧と接吻をして頂こう。心から唐僧を愛しておるのに正攻法では接吻できぬ間柄故、この機を逃してはならぬ。皆の者、そうだろう。」

 さぁ、と悟空を三蔵のいるパラソルの方向に向けて押し出しながら二郎真君は言った。哪吒は不満気だがさすがの二郎真君には逆らえず、一応頷く。悟空は心底げんなりした顔をしている。

「あいつも相当な有難迷惑のタマだな。」

「悪気がないのが始末に悪いな。」

 二郎真君に直接声を掛けられれば恐縮するくせに、八戒と悟浄は二郎真君の陰口で頷きあっている。  

「悟空、二郎真君の提案をどうしますか。」

 観音菩薩が静かに尋ねた。

「わかってるだろう。別におれはお師匠様と接吻したいわけじゃねえ。お師匠様の接吻を守りたいだけだ。哀れみなんかいらねえよ。試合は続行だ。必ず勝ってやんよ。」

 悟空の言葉に八戒と悟浄も強く頷いた。さすがに善意の迷惑で振り回される兄貴分の肩を持ちたくなってきたようである。

「では、3対3の同点から試合開始とする。二郎真君、勝負は勝負です。手を抜かないように。」

「相分かった。」

 観音菩薩がぴりっと鋭くホイッスルを鳴らした。恵岸は下から打ち上げるサーブを繰り出す。勢いはそれほどないものの、手堅くライン際を狙ってくる。兄貴分への忠義心を刺激され、やっと少しやる気を回復したらしい八戒と悟浄が球を繋ぐ。勢い良くアタックをした悟空の球はブロックした哪吒の手の先に当たり、大きく逸れて海に飛んでいった。

「ブロックアウトでチーム取経に1点追加だ。」

 観音菩薩が宣言する。

「拙者が取りに行こう。」

 止める隙もないほど目にもとまらぬ速さで、悟浄が海に飛び込んだ。球を追いかけ抜き手をきって泳いだかと思うと、すぐさま球を小脇に抱えて海から戻ってきた。悟浄はひどく満足気な表情をしている。

「海の中は冷たくて快適至極。拙者、文字通り水を得た魚、まさに意気軒高の気分だ。また海に球を飛ばしてほしい。」
 
 一度水を浴びた悟浄はたしかに本人の言う通り、動きが俊敏になり、あの二郎真君の強烈なスパイクでさえ受け止められるほどである。

 一方、スパイクを打ち込むこと以外に、相手のブロックにぶつけてコート外に飛ばすブロックアウトを覚えた悟空は、打ち方を使いわけ、チーム型男を翻弄した。ちなみにブロックアウトになって海に球が飛べば悟浄が嬉々として取りに行き、気力を回復してくる寸法である。一気に点差を突き放したいチーム取経であったが、元々の運動能力の高さと事前練習の甲斐あってチーム型男もなかなかしぶとくじりじりと食いついてくる。 

 次は哪吒のサーブである。宙に浮いた球に腕を打ち付ける際にうまく衝撃を合わせることで、勢いがつく。八戒はレシーブをしながら、うおっと思わずうめき声を漏らす。なんとか球は上がったが、コートの外に大きく逸れていった。

「あいつのサーブ、手元で伸びるようだ。見かけより威力がある。なんだか俺、疲れて腹が減ってきたなあ。」 

 先程やっとやる気を出し始めたばかりの八戒が泣き言を言う。この豚は辛抱強さに欠けるのだ。

 哪吒が再びボールを投げあげて、サーブを打ち込んでくる。

「僕は勝ちたいけど優勝賞品はいらない。接吻なぞ気持ちが悪い。唇同士を付けるだなんて不潔だ。」

 八戒は途端にわくわくした瞳をきらめかせる。艶っぽい話は八戒の大好物である。

「お、哪吒の君はまだ接吻をしたことがないんだな。」 

 さきほどの泣き言もどこへやら、太い足を機敏に回しレシーブをする。悟空がそれをバックアタックする。二郎真君のブロックに阻まれるが、海水を身体に浴びてすこぶる元気な悟浄がまた球を拾う。八戒が丁寧にトスを上げ、悟浄が再びアタックするが、二郎真君のブロックに阻まれ、一点を落とした。

「お前、童貞なのか。」

 コートの外にいる善財童子が野次を飛ばす。善財童子は自分も童貞なのだが、大人ぶりたい年頃なので鼻でせせら笑うポーズをとっている。

「別に経験があるから偉いわけではない。」

 哪吒は善財童子の挑発には乗らず、冷静に再びサーブを打ち込んだ。八戒がすばやく反応し球を受けながら、わくわく言い募った。

「哪吒の君、接吻というのは唇だけでは終わらんのだぞ。唇を吸い、肌を密着させては舌を絡ませ、唾液を啜りあうんだ。」

「……気持ち悪い。」

 動揺した哪吒のすぐ横に悟浄がスパイクを叩き込んだ。一点決まり、サーブ権が移る。

 八戒は哪吒を狙ってサーブを打ち込む。まるで俺の愛を受け取ってくれと言わんばかりである。

「そんなことはない。一度してみれば気持ちよさがわかる。なんなら、今俺とやってみようか。」

 青ざめて口を押さえて哪吒が後ずさる。下心のこもった八戒のサーブなど汚らわしくて触れられないのであろう。

「いやいや、天蓬元帥殿。やはりそれは心に決めた相手としないと本当の心地よさは味わえぬというものでは。」

 二郎真君が助け舟を出しながら八戒のサーブを拾ってやる。恵岸は兄としての責任感から自分の背に哪吒を隠してやっており、誰もスパイクを打つものがいない。ボールは虚しくチーム型男のコート内に落ちた。

 再び八戒が猫なで声で声をかけながらサーブを打つ。 

「もちろん気持ちがあれば精神的興奮から更なる快感を得られることは間違いないが、快感というものはいわば身体の生理的感覚だから誰とやっても基本的には気持ちが良いものだ。心配することはない。俺がちゃんと全部教えてやるから。」 

「ひいぃ……。」

 八戒はもちろん自分のコートから出ておらず、八戒の繰り出す言葉と球だけがネットを越えていくのだが、もはや哪吒は恐ろしさのあまり恵岸の腕をぎゅっと掴んだまま、動くことができない。二郎真君が仕方なくレシーブをワンタッチで返球するが、ふわっと上がった球を悟浄にネット際に叩き落とされ失点した。

 にやにや笑いの止まらない八戒の肩に、ゆっくりと手を置いて悟空は言った。

「そろそろやめてやれ。」

「なんでだ。さっき兄貴だって二郎真君に散々嫌がらせされてたじゃないか。本気であのガキを口説き落とそうなんて思ってねえし、ちょっと仕返ししてるだけだ。」

「仕返しするなら二郎真君にしてやれ。」

「天界の英雄二郎真君におれが動揺させられることなんてあるだろうか。」

「お前が得意なことあるじゃねえか。」

 悟空はにやりと笑った。






「チーム取経17点、チーム型男13点。」

 観音菩薩の宣言で、八戒は黙ってサーブを繰り出した。やっと動けるようになった哪吒がレシーブし、恵岸がトスした球をクイック攻撃で二郎真君がスパイクを打つ。一点決められた。

 二郎真君のサーブが来る。 

「あいつのサーブは予想できない軌道で曲がるから気を付けろ。」

 悟浄が忠告して、悟空も八戒も頷いた。

 二郎真君がボールを投げ上げた瞬間、八戒は
「そろそろ暑いな。褌の中にも風を入れてやらねば。」と言って褌の袋の部分に手を入れぱたぱた仰ぎ出した。袋の部分が緩まり、中の様子が見えるようになる。

 妙なものを目にした二郎真君は前につんのめりそうになる。一応ボールを叩いたものの、その軌道はあらぬ方向へ飛んで行った。悟浄が小躍りして海にボールを取りに行く。

「チーム取経18点、チーム型男14点です。」

 再び二郎真君がボールを手にするが、投げ上げる前に八戒に声を掛けた。

「……天蓬元帥殿、褌を緩め過ぎだと思われるが。」

「いや心配召されるな。風通しが良くなれば冷静に身体が動くというものです。頭寒足熱金玉もまた冷やすべしと昔からいうではありませんか。」

「そ、そうですか。」

 二郎真君が頷いてサーブを打ち込んでくる。八戒がすばしこく動いて腰を屈め、レシーブをする。身体を動かす度にぶらぶら揺れる玉と棒が袋の端から顔を覗かせる。
 
 悟空が上げてやった高いトスに合わせ、八戒はこれまで見たことがないほど高く飛び上がり、身体の一部を大きく揺らして鋭いサーブを打ち込んだ。恵岸がブロックに跳びあがったが、その隣にいた哪吒のちょうど目の前に八戒の股間があり、動く玉をもろに視界に捉えてしまったらしい。あまりのショックで哪吒は三面六臂の本性を現し、まるで独楽のようにくるくる回って動揺している。

「うわ、たくさんの顔だな。」

 哪吒の姿に驚いた八戒は慌てて尻を抑えるも間に合わない。大きな音を立てて、緩んだ褌の隙間から放屁と共に脱糞した。砂浜の上に大きな茶色い塊が出現する。

「うっ、……ちょっと……失礼……。」

 二郎真君はあまりの精神的打撃を受け、ふらふらとビーチパラソルの日陰に入っていった。

「兄者、どういうことであろう。」

 悟浄の質問に悟空は得意気に答えようとしたが、あまりの臭さに思わず悟空も顔をしかめる。足で砂を掛け、便を埋めながら言った。

「二郎真君は清浄な天界のエリートだからな。ゆらゆら揺れる豚の玉と目の前で漏らされた大便の不潔さに耐えきれなかったんだろう。」

「猪悟能、下品なふるまいによりマイナス9ポイントです。」

 既に帰り支度を始めた観音菩薩が冷たく言った。

「3ポイントじゃないんですか。」

 呑気に確認する八戒に、悟空は苦笑いする。

「それだけ観音もお怒りってことだろう。まあ、返す言葉もねえな。」 

「恵岸、善財童子、帰りますよ。」

 恵岸は観音菩薩の肩から下げていた荷物をずっと受取り(どうやら空飛ぶ冷房蓮が収納されているようである)、付き従った。

「もう大会は終わりなんですか。まだ勝負はついていないのに。」

 哪吒は少しだけ唇を尖らせたが
「排泄物で汚されたコートで試合を続行したいですか。」と尋ねられると迷いなく首を振った。

「したくないです。」

「試合は打ち切り。19対14でチーム取経の勝ちとします。」

 もう用はないとばかりにさっさと帰ろうとする観音菩薩の袖を悟空は引っ張った。

「お師匠様とおれ達を元の場所に帰してくれよな。それにお師匠様もそろそろ起こしてやらねえと。」

「三蔵は接吻にて目覚めます。そなたたちが優勝したのですから、元の場所に戻ってから起こしてやりなさい。」 

「それは……ちょっと困るんだが……。」と悟空が困惑する声が聞こえた気がするが、観音菩薩は構わずに片手を振った。チーム取経の三人と三蔵が白い光に包まれた。  

 一方、観音と悟空たちが話している間、善財童子は哪吒の傍に近寄り、下から見上げるように睨みつけた。視界に入れてしまった豚の浅黒い股間の衝撃により、まだ顔色が冴えない哪吒だったが気丈に言った。

「なんだ、まだ懲りずにからかいに来たのか。今回は直接対決できなかったが、僕は負けないから。」 

「お前まだ接吻したことないのは、実は怖いんだろ。」

 善財童子は妙にそわそわしている。

「うるさいな。お前に関係ないだろ。」

 善財童子は哪吒の両頬を掴み、ぐっと引き寄せた。勢いだけの接吻は両者の柔らかい唇がつぶれてしまうほど押し付けられた。 

 哪吒の青白かった頬が急に紅く染まった。 

「なっ、お前っ、何を……。」

「ふん……。生意気だからだ。」

 善財童子は哪吒に嫌がらせをしたかっただけなのだが、なぜか自分の心臓も早鐘を打ち始めていることに気付いて動揺している。予定では「お前の初めては僕がもらったよ。せいぜい悔しがるんだな。」と高笑いしてやろうと思っていたのに、唇がわなないて思い通りの言葉が出てこない。

 牛魔王と羅刹女は善財童子の様子を見てため息をついた。

「息子のアホさ加減にはため息がでるな。自分の気持ちも自覚できないのか。」

「アンタ似なんでしょうよ。とりあえず好きな子には優しくしなさいって後で注意しておかなきゃ。」

 真っ赤な顔をして見つめ合ったまま固まってしまった二人を托塔李天王はにこにこして見守っている。善財童子の背を恵岸がそっと押す。観音菩薩の後に付き従い、恵岸と善財童子も宙に消えていった。 

「お前、覚えておけよ。」
 と呟いた哪吒に後ろから力強い腕が肩を組んだ。やっと八戒ショックから回復した二郎真君である。

「うんうん、青春だな。結構結構。大いにやるがいい。好きな子には素直になれないものだよな。」 

 二郎真君を殴らなかった大聖の忍耐力は称えられるべきだった、と哪吒は気付いた。

 


                      *
 三蔵法師一行は山道に戻ってきた。見慣れたいつもの装束に戻っている。先程までの暑さが嘘のように、空には鰯雲が浮かび、木々は赤や黄色に色づき始めている。 

 ひらりと目の前に落ちた紙切れを、悟空は拾い上げた。

「反則のポイントは己の未熟さの表れです。ポイントの数だけ観音経を唱えておくように。」

 だれが唱えるもんか、そもそも玉帝の暇つぶしに巻き込まれただけでいい迷惑だ、と悟空は声には出さずに決心する。

「ということは何度反則を宣告されようと、勝負には影響がなかったということか。」

「それなら一試合目から俺がうんこ漏らしておけば楽に勝てたのにな。」

「牛魔王の家族は、糞くらいじゃ動揺せぬだろう。」

「たしかに、牛の糞見慣れてるもんな。」

 八戒と悟浄が言い合うが、悟空の視線は木の根元ですやすやと眠る三蔵に吸い寄せられる。まだ一つ大きな問題が残っている。

「さあ、お師匠様を起こさなくてはな。」

 悟空はぱんぱんと手を叩きながら言う。これは自分に気合を入れているのである。

「兄貴、俺が起こそうか。」

「いや、悟空兄者、拙者がぜひ。」 

「お前ら面白がってるだろ。だめに決まってらいっ。」

「じゃあ、兄貴が接吻して起こすんだぜ。」

「兄者、お師匠様を起こさないことには旅が続けられぬのだから、この接吻はきちんと理由あってのこと。照れたりせずにお師匠様を守るためと思ってとり行ってもらいたい。」

「わかってる。」

 悟空はそっと三蔵に顔を寄せる。固唾を呑んで見守る八戒と悟浄がいる。

 健やかな寝息が悟空の鼻先をくすぐる。何の苦難もない平穏そのものの表情で眠る三蔵を見ていると悟空はなんだか泣き出したいような気分になる。悟空は三蔵の頬に触れた。温かい。そして美しい。おれなんかが触れていいのだろうか。

「いやでもやっぱり、お師匠様の許しも得ずに接吻をするなんてよう……。」

 悟空は顔を逸らすようにして向き直った。八戒と悟浄は腕を振って悔しがる。

「兄貴の阿呆、眠ってるお師匠様の許しなんて得られないだろう。」

「緊急事態として起きてから事情を説明すればよい。お師匠様とて理由があれば怒り出したりせぬだろう。」 

 おとうと弟子二人から熱心に説得され、悟空は再び三蔵の頬に右手を添える。

「お、おぅ……。」

 悟空の唇と三蔵の唇が少しずつ近づいていく。八戒と悟浄は生唾を呑み込む。あと一寸ほどである。悟空もようやく目を閉じた。柔らかい感触を待つだけである。

 ぷぅ、と力のない音がして、緊張の糸が切れた。

「おい、八戒っ。」

 悟空が怒鳴る。

「悪かったってば。さっき排便してちょっと尻の穴が緩んでるようだ。」

「このあほんだらっ。ぼけなすっ。てめえはちょっとどっかに行ってろっ。」

「兄者っ。悟空兄者が生きるか死ぬかの大勝負のような決心で接吻をしようとしておるのにっ、兄者はっ。」

 悟空と悟浄が大きな声で八戒を罵倒する。

 三蔵が「んっ……。」と目をこすり、起き上がった。どうやら二人の怒鳴り声で目を覚ましたらしい。

「あ、お師匠様、おはようございますっ。」

 助かった、とばかりに八戒が三蔵にすり寄る。

「起きちゃったじゃねえか。」 

 珍しく拗ねるように言う悟空を、哀れみに満ちた表情で悟浄が見つめる。

「私は……。ひどく暑い大きな河にいた夢を見ていた。」

「それがですね、夢じゃないんですよ。」 

 八戒が勢い込んで経緯を説明する。全て説明し終わった頃には、既に三蔵は馬上の人となり山を下り始めていた。

「そうか……、皆、ご苦労であったな。」

「いえいえ、お師匠様の身が汚れずに戻ってこられて何よりですよ。」

 悟空は手を振って答えたが、多少投げやりな気分であることには違いなかった。

「そういえば、一度私が起きた時に背中をとんとんして寝かしつけてくれたのは悟空ですか。」

「そうです。」

「あれは心地よかった。母と生き別れた私は、幼い頃から僧院でどんな時も一人で寝ておった。あのように眠るまで誰かに優しく見守られるのは非常に安心できるのだな。……もしよかったら今夜もやってもらえないだろうか。」 

 おずおずと申し出る三蔵に、悟空はきゅううんと絞られるように胸が痛むのを感じた。切ない。可愛い。抱きしめたい。 

「もちろんです。」

 大満足で悟空は答えた。ビーチバレー大会もたまにならまた開催してもいいかもしれない。
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