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秘密の扉の鍵を手に入れろ 後編
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ロマノフ・ダガの外出を見送った後、俺はアリータを探した。
アリータはすぐに見つかった。彼女は庭で花木に水をやっていた。
「こんにちは。今日は洗濯ではなく、水やりですか?」
驚かせないように、そっと声をかけたつもりであった。しかし、彼女は振り返るなり、奇声を上げた。
「キャァッ!び、びび、ヴィル様?!」
その弾みで、彼女は水が出ているホースをうっかり手放してしまい。自由となったホースが、まるで意思を持ったように暴れ始める。
「ど、どうしましょう!?」
パニックになったアリータは、ホースを掴もうとするが、慌てていて、なかなか掴むことができない。
その間にも、彼女と俺は水を浴びて濡れていく。
俺は早々に、掴むのは無理だと判断し、蛇口を締めに走った。
「ヴィル様、ありがとうございます」
髪から水を滴らせた彼女が言う。
「いえ、僕の方こそ驚かせてすみません」
濡れたままでは、彼女が風邪を引くかもしれないので、屋敷まで戻って、拭くものを取りに行こうとしたときであった。
人の気配と視線を感じる。
そして、その気配は少し心当たりがあった。
こんなところにいるはずはない人物のものだ。
「アリータさん、すみません。僕は庭の警備に戻ります」
アリータに早口でそう言い残し、俺はすぐに裏庭へと走った。
水滴を垂らしたアリータは、その駆けていくヴィルの後ろ姿を見つめて呟く。
「濡れたヴィル様も、素敵……!」
もう少し彼とお話がしたかったのに。とアリータが思っていると、屋敷の窓に人が見えた。ちょうどロマノフの部屋の前だ。
「ヴィル様?」
だが、彼は今しがた裏庭の方、屋敷の入り口とは反対へ走っていったばかりのはずだ。なのに、いつの間に屋敷の中へ戻ったのだろう。
アリータは疑問に思ったが、ま、いいか。と思う。
それよりも、距離を縮め、彼をよく知る為にお話がしたい。
お仕事の邪魔にならなければ、お話しに行ってもよいだろうか。それに、彼を濡らしてしまったのだから、気遣いができる女性らしく、ハンカチぐらい貸すべきであった。
しかも、ハンカチを貸しておけば、後日にもまた話す機会ができる。
これで一石二鳥だ!
ぐふふふ…、とアリータはニンマリとした顔で笑うと、スキップをしながら屋敷に向かった。
♢♢♢
ヴィルに変装した私は、ロマノフの個人部屋に忍び込んだ。
なぜ彼に変装したかと言うと、万が一、廊下で他のメイドやナタリに会ってしまっても、警備員のヴィルであれば怪しまれないからである。
それに防犯カメラに映ったとしても、ヴィル本人は今頃、アリータと仲良くお喋りをしている。アリバイ工作は完璧だ。
ポケットから、昨日に、徹夜で作った偽の鍵を出して、扉を開ける。
指輪を持ってきたときにも見たが、変わった造りもなさそうな、普通の部屋だ。強いて言うなら、屋敷中の防犯カメラ映像を映した、巨大モニターがあるくらいのもの。
私は取り敢えず、机の引き出しの中から鍵を探し始めた。
なるべく痕跡を残さないよう慎重に気をつける。
一番大きな引き出しを開け、底を触ったとき、あることに気がつく。この引き出しだけが二重底の構造となっている。
机の上の置き時計を見る。
ロマノフが戻るまで、時間は多少ある。
私は引き出しの解体に、必要な工具となるものの代わりを探す。
定規やハサミ、コインが使えそうだ。
簡単に引き出しを外すと、下から何やらきな臭い紙束が出てきた。
「何これ?」
紙束を取り出して、頁をめくる。
これは、鍵以上に面白いものを見つけてしまったかもしれない。
携帯用小型カメラで証拠写真を撮っていると、部屋の外から声がした。
『ヴィル様?どちらに居るのですか~?』
アリータのものだ。
全くもって予想外の展開となった。
私が出てくるまで彼女と話をしておけと、あれほど言ってあったというのに。
まだ鍵は見つけられていないが、仕方がない。ここで騒がれて、多くの人に集まられては困る。
幸い、アリータは部屋の扉に背中を向けていた。
私は扉からサッと出ると、彼女に話しかける。
「これは、アリータ嬢。俺を呼びましたか?」
出たのは良いが、話しかけることを想定していなかったので、今一慣れていなかった。
警備員に扮している彼は、たしかこんなのではなかったか、と憶測する。
「ヴィル様!」
目を輝かせたアリータが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「あら?ヴィル様の服、もう乾きましたの?あんなに濡れてらしたのに」
濡れた?一体何のことなのか。
よく見ると、アリータは頭から水をかぶったように濡れている。
「私は着替えてきたのですよ。さあ、アリータ嬢も着替えておいで」
と、まあ適当なことを言って、何とか彼女をこの場から離そうとした。しかし、アリータはチラチラとこちらを上目遣いで見て、動こうとはしなかった。
「あの、今日のお礼がしたいのですが」
「お礼?」
「はい。何でもしますから、何をして欲しいか教えてくださいませ」
私が今、彼女にして欲しいことは一つ。“早くこの場から去って欲しい!”
あと十五分程でロマノフが帰ってきてしまう。
だから、彼女が喜ぶような甘い台詞で、連れて行くことにした。
「アリータ嬢、君の気持ちはとても嬉しい。では、早速、俺の部屋にでも来てもらおうか」
ここで、きゃあー、とか歓喜の声でも貰えるかと思った。が、アリータに反応はなかった。
引かせてしまったか、と彼女を見ると、彼女は私の後ろを見て何かに驚いていた。
「え?」
アリータが見ている方を見て、私も、飛び上がるほど驚いた。
本物のヴィルがそこに居たからだ。
「ヴィル様が二人?!」
アリータは顔を真っ青にし、その場で崩れるようにして倒れ、そのまま気を失った。
最悪のタイミングでの本物の登場であった。
「やあ、ヴィル君。ご機嫌は如何かな?」
「……」
冗談を言ってみるも、彼はクスリとも笑ってはくれなかった。
♢♢♢
屋敷を警備している、ヴィル・カーティがロマノフの部屋に入っていくのを、ナタリは廊下の角から見ていた。
「彼女、見つけたみたいよ」
ナタリは片耳につけた通信機に向かって、小声で言った。
通信機越しにフッと笑う声が聞こえる。
「わかったわ」
短い言葉をやり取った後、ナタリは通信を切った。
♢♢♢
ヴィルに、気絶したアリータを、彼女の部屋のベッドまで運ばせた後。
コナに変装を戻した私は、頭を抱えていた。
「私が頼んでたことすっぽかして何してたのよ?」
今度こそ、兄妹まとめて、追い出されてしまうかもしれない。
部屋に入ってきたヴィルを尋問すると、
「俺は俺の優先するべきことをした」
と心外そうに言った。
「優先するべきこと?」
私は彼に連れられ、屋敷の外の裏庭に向かった。
裏庭には、雑木林が広がっている。
「何で、ゴーリがここにいるのよ?!」
そこには、木に結び付けられたゴーリ・ラディがいた。彼は、私が警察に渡したばかりであったはずだ。
「こいつが、ロリアか?」
とゴーリがヴィルに聞く。
「今はロリアじゃないわよ」
私が代わりに素早く答える。
ゴーリが警察に捕まった後のこと。彼は、保釈金として全財産を渡して、出所してきたと言う。そして、偶然に、この屋敷の前でヴィルを見つけ、忍び込んだのだそうだ。そこで、庭で彼と話すアリータをのことを、私だと勘違いしたらしい。
「ロリア!今度こそお前に復っ……」
恐らく、復讐してやるとでも言いたかったのだろう。しかし、ヴィルが鋭い殺気を放ち、彼の脳天に銃口を当てた。
「じょ、冗談だよ、ヴィル君」
半泣きになったゴーリが声を震わせる。
ヴィルがゴーリに銃を突きつけたまま、私に向く。
「奴の部屋に入って、何か見つけられたか?」
「鍵は見つけられなかったけど、面白いものがあったわ」
私は携帯用小型カメラで撮った画像を見せた。
「これは、爆弾の作り方、か?」
「そう。ロマノフが人に警戒するのは、これを隠したいからだと思う。そして、秘密の部屋には、爆弾の材料がまだある」
秘密の部屋の中身はわかったが、肝心な鍵がまだ見つかっていない。
「まだ追い出されるわけにはいかないのよね」
そのとき、自然と私とヴィルの視線が下に降りて、ゴーリに行き着く。
「な、なんだ?!その目は?」
ゴーリが嫌な予感を感じて、左右に体を動かす。
私はゴーリの前にしゃがんで、こう言った。
「……これは、交換条件よ」
ゴーリは息を呑み、「それは……」と呟いた。
♢♢♢
目を覚ますと、屋敷ではある騒ぎが起こっていた。
ロマノフ様が鬼の形相で、ヴィル様に何かを問い詰めている。
「コナ、ヴィル様に何かあったの?」
アリータは、野次馬の中に入り、仲間のコナの姿を見つけた。
「アリータ!廊下で倒れてたって聞いたけど大丈夫?」
コナがとても心配そうに聞いてくる。
彼女はなんて、優しいんだろ、と思う。
「大丈夫よ。でも、私の部屋まで誰か運んでくれたのかしら?」
「……さあ」
急にコナが視線を外す。
それより、と彼女はヴィル様の方を指差し、声を小さくして言った。
「防犯カメラに、ロマノフ様の部屋に入る兄の姿が映っていたらしいのよ。でも、兄は知らないって」
その説明を聞いて、倒れる前の記憶が蘇る。
そうだ!
アリータは慌てて、ロマノフの前に飛び出した。
「ヴィル様が二人いたんです!」
「二人?何を言っておる」
ロマノフが訝しむ目でアリータを見る。
「私、廊下でヴィル様にハンカチを渡しに行ったのですが、そのヴィル様は濡れてなくて!それに、なんか、あのヴィル様は少し変でした!」
アリータの言葉を遠くから聞いていたコナは、変で悪かったわね、と口を尖らせた。
「何を言っているかわからんが、この怪しい男を追いっ……」
ロマノフが喋っている途中で、言葉を失い固まる。
遠目で騒ぎを見ている屋敷のメイドたちの中に、一人不審な男が紛れていた。
その男は、コナが変装させたゴーリであった。変装と言っても、ただメイド服を着せただけで、どこからどう見ても、ただの変態でしかない。
「お前は何者だ?!」
ロマノフがゴーリを指差す。
「わ、私こそ、そこの男に化けていた泥棒だ!」
事前に言うように伝えていた台詞を、ゴーリは赤面しながら言う。
私たちは取引をした。
それは、ロープを外す代わりに、騒ぎ収集のため、ゴーリが泥棒を演じるというもの。
ロマノフに捕まった後、こっそりと逃がすと約束したら、嫌々ながら承諾をしてくれた。
「あの男を捕まえろ」
ロマノフに命じられたヴィルが、あっさりとゴーリを捕まえる。
「捕まってしまったあ~」
……酷い棒読みだ。
ゴーリはそのまま地下の物置に、閉じ込められることになった。
♢♢♢
月明りが仄かに差し込む部屋の中で、人影が動く。
一人の影が、防犯カメラの操作盤に向かうと、元のコンセントを引っこ抜き、防犯機能を停止させた。
そして、次の動きをしようとしたときであった。いきなり、部屋の明かりがつけられ、影の人物は逃げる間もなく、姿を暴かれる。
「流石ね」
部屋の電気をつけたのは、メイド長のマーヤ・ナタリだった。
「その言葉、そっくりそのまま貴女にお返しするわ」
操作盤の前に立つコナは、ナタリを見て微笑んだ。
共に、ロマノフの部屋に忍び込んでいたヴィルが、コナの横へと移動する。
「騒ぎを起こしたその夜に入るなんて、少し慎重さが足りないのでは?女スパイさん?」
その言葉からして、彼女、ナタリは最初から“何もかも”知っていたようだ。
私たちがスパイであることも。何が目的なのかも。
しかし、私たちもまた気づいていた。
“これ”が罠であるということを。
私はポケットからある物を取り出して、それを彼女に投げ返した。
「その指輪は貴女に返すわ」
あのとき、私が脱衣所で拾ったもの。
あれで、彼女は盗聴し、私の居場所を把握していたのだ。
「どこから気づいていたの?」
ナタリは指輪を受け取ると、ゴミのようにそれを床に捨て、踏み潰した。
「そうね。ヴィルと裏庭で話してたあたりかしら」
ヴィルが鍵のことを聞いたとき、彼の視線はずっと私の後ろにあり、それが合図であった。
彼女を不審に思った私は、指輪を持って、あえて彼女を泳がせることにした。
その彼女が、まんまとここに現れ、今、彼女がただのメイド長ではないと確信した。
「私はつまらない茶番劇を見せられてた訳ね。この茶番劇の目的は、これ、でしょう?」
ナタリが、銀色の鍵を取り出す。
「ただでくれる気は、ないのよね?」
私はナタリを警戒して見た。
「これは、私がロマノフを眠らせて、ようやく盗ってきたもの。欲しいのなら、力づくで盗りに来なさい」
ナタリが天井に向かって、一発の銃を撃つ。
部屋で銃撃戦が始まる。
「貴女はこのまま、防犯カメラのモニターの後ろに隠れていてくれ」
銃を構えたヴィルが言う。
それを私は鼻で笑った。
「冗談。あの言葉は私に向けた挑戦よ」
私は銃を持って、先にナタリの前に飛び出した。
ナタリの撃った銃弾が横を掠め、後ろの窓ガラスを割り、私の弾が彼女の後ろの扉に穴を開ける。
「そうよ。私は力づくで、と言ったの。ヴィル・カーティ」
ナタリが、今度はヴィルを挑発する。
そして、彼女が身を低くすると、銃を撃ちながら、私たちの方に突進してくる。
弾を避けようも後退する範囲は限られている。
私は彼女と掴み合うような形になりながら、引き金を引き続けた。
天井や壁に穴が開き、床に薬莢が乱雑に転がる。
「避けろ」
ヴィルがナタリを体当たりで突き飛ばし、私からナタリを引き剥がす。
ナタリは体勢を崩し、床に倒れると思ったが、彼女は倒れながらヴィルの脳天を目がけて銃を撃った。
それをヴィルは、ギリギリでかわす。
「お前……」
ヴィルが呟く。
「さて、貴方は私を撃てるかしら?」
ナタリがヴィルを見て、笑う。
動きを止めるヴィルに代わって、私が彼の前に出る。
「ちょっと!ボーッとしてたら撃たれるわよ?!」
だが、ヴィルはナタリを見ているだけであった。
ナタリが再び態勢を整えて、こちらに向かってくる。攻める攻撃が彼女の十八番のようだ。
威嚇に数発、彼女の足元を狙って撃つが、弾道が見えているらしく、足止めにすらならない。
ならば、と私は横に飛び、机からペン立てを掴み、彼女に向かって投げた。
彼女が、素早く飛んでくるペンを振り払う。
「……?!」
ナタリの視界の先から消えた私は、一瞬の隙きをついて彼女の背後に回り、狙いを定めた。
銃弾が彼女の腹部に当った、と思った。
しかし、撃たれたはずの彼女は後ろに、わずかによろめいただけであった。
「防弾対策済みって訳ね」
私は唇を噛んで、ナタリを睨みつけた。
突っ込んでくるナタリの攻撃をかわしながら、私はヴィルを見た。
ヴィルは何かに迷っているように、苦し気な表情をしている。
ヴィル?
「戦いの中で、余所見はいけないわね」
ナタリが私の目の動きを見て言う。
腹部に鈍い痛みを感じる。
彼女の拳が腹部の中央に入っていた。
咳き込んで、後ろに下がろうとすると、落ちている薬莢に足を滑らせ、床に転んでしまう。
銃口が向けられる。
撃たれると覚悟をしたとき、誰かが扉を開けて、悲鳴を上げた。
悲鳴を上げた人物。それは、アリータであった。
「何?!どうしたの?コナ?」
アリータは、混乱する頭を抱えて、私に説明を求めようとする。
「アリータ。ここは危ないから、屋敷から離れて」
私は冷静にアリータに言ったが、彼女は首を振った。
「ヴィル様、これは?」
アリータはヴィルにも聞いた。
アリータが、彼の口元をじっと見て、言葉を待つ。
ヴィルは一度、目を伏せると、
「あのとき、俺を庇ってくれてありがとう。だけど、俺たちがスパイなんだ」
と彼女に頭を下げた。
「スパイ……?」
「つまり、彼らは貴女を騙してたのよ」
ナタリがアリータに、はっきりと教える。
「そんな……。ヴィル様が」
アリータは両手で顔を覆い、肩を震わせる。
彼女を騙していたことは申し訳なかったが、これが私たちの仕事なのだ。仕方がない。
私は、近くに転がってあったペンを掴むと、それをナタリが持つ銃口に刺し、足払いをする。
完全に油断をしていたナタリが、今度こそ床に倒れ、形勢逆転となる。
「さあ、鍵を渡してもらうわよ」
ナタリは負けを認めたらしく、嘆息して鍵を突き出した。
ヴィルがアリータの前に立つ。そして、慰めるように、彼女の肩に手を添えた。
私も彼女はきっと、傷つき泣いていると思っていた。
彼女がゆっくりと顔を上げる。
その顔は、……泣いていなかった。あの肩の震えは、“興奮”だった。
「スパイのヴィル様も素敵!!」
「……」
ヴィルが彼女から手を外し、ゆっくりと後ろに下がる。
彼も危険を感じたらしい。
そのとき、窓ガラスが割れる音がした。
音の方を見ると、ちょうどナタリが部屋を出ていくところであった。
「あーーっ!?」
私は叫んだ。
外から部屋の中のロマノフの姿を覗く為に、綺麗に磨いた窓ガラスが、全て木っ端微塵にされ、気分が落ち込む。
ナタリはそのまま振り返らず、夜の闇に姿を消して行った。
♢♢♢
屋敷から離れた場所で、ナタリは足を止めた。
「無事に鍵は渡せたか?」
再び聞こえる、通信機からの彼の声に、彼女が頷く。
「それが貴方の指示でしょ。リス」
彼女は顔の面を外し、束ねた髪を解く。
「よくやってくれた。クレイス」
クレイスがリスの言葉に顔をしかめた。
「貴方がさらった、本物のマーヤ・ナタリを帰してあげて」
「明日の朝までに屋敷に送り届けよう。もちろん、約束通り、生きた状態でね」
クレイスは通信機を外し、それを川に投げ捨てた。
♢♢♢
ようやく自分の屋敷に帰れたときには、私もヴィルもくたくたに疲れていた。
何とか鍵は手に入ったが、最後、アリータから逃げ出すのに、ひどく労力を使ってしまった。
ヴィルは、いつにも増して、口数が少なくなっている。
今すぐこの場で、倒れるように眠りたい、と思いながら、屋敷の扉を開けたときであった。
「もぉ~。遅かったじゃないの」
扉を開けた途端、馬鹿力のような怪力で抱きつかれた私は、そのまま後ろに倒れそうになり、ヴィルに支えられる。
突然抱きついてきたのは、女性の服装をしている、筋骨隆々な男であった。
「エミル・クイーン?!」
私は彼を指差して驚いた。
そう言えば、ヴィルがネアの代わりに、クイーンを呼んだのだった。
「ん?なんかもう一つ忘れてるような……?」
私は首をひねったが、ひどい疲れで思い出すことができなかった。
その頃、ロマノフの地下の物置には、取り残されたゴーリの姿があった。
「はっくしょい!」
ゴーリはくしゃみをし、
「俺は、いつまでここでこんな格好をしなくてはならないんだ?」
と、自身のメイド姿を見下ろして呟いていた。
(「秘密の部屋の鍵を手に入れろ 後編」終)
アリータはすぐに見つかった。彼女は庭で花木に水をやっていた。
「こんにちは。今日は洗濯ではなく、水やりですか?」
驚かせないように、そっと声をかけたつもりであった。しかし、彼女は振り返るなり、奇声を上げた。
「キャァッ!び、びび、ヴィル様?!」
その弾みで、彼女は水が出ているホースをうっかり手放してしまい。自由となったホースが、まるで意思を持ったように暴れ始める。
「ど、どうしましょう!?」
パニックになったアリータは、ホースを掴もうとするが、慌てていて、なかなか掴むことができない。
その間にも、彼女と俺は水を浴びて濡れていく。
俺は早々に、掴むのは無理だと判断し、蛇口を締めに走った。
「ヴィル様、ありがとうございます」
髪から水を滴らせた彼女が言う。
「いえ、僕の方こそ驚かせてすみません」
濡れたままでは、彼女が風邪を引くかもしれないので、屋敷まで戻って、拭くものを取りに行こうとしたときであった。
人の気配と視線を感じる。
そして、その気配は少し心当たりがあった。
こんなところにいるはずはない人物のものだ。
「アリータさん、すみません。僕は庭の警備に戻ります」
アリータに早口でそう言い残し、俺はすぐに裏庭へと走った。
水滴を垂らしたアリータは、その駆けていくヴィルの後ろ姿を見つめて呟く。
「濡れたヴィル様も、素敵……!」
もう少し彼とお話がしたかったのに。とアリータが思っていると、屋敷の窓に人が見えた。ちょうどロマノフの部屋の前だ。
「ヴィル様?」
だが、彼は今しがた裏庭の方、屋敷の入り口とは反対へ走っていったばかりのはずだ。なのに、いつの間に屋敷の中へ戻ったのだろう。
アリータは疑問に思ったが、ま、いいか。と思う。
それよりも、距離を縮め、彼をよく知る為にお話がしたい。
お仕事の邪魔にならなければ、お話しに行ってもよいだろうか。それに、彼を濡らしてしまったのだから、気遣いができる女性らしく、ハンカチぐらい貸すべきであった。
しかも、ハンカチを貸しておけば、後日にもまた話す機会ができる。
これで一石二鳥だ!
ぐふふふ…、とアリータはニンマリとした顔で笑うと、スキップをしながら屋敷に向かった。
♢♢♢
ヴィルに変装した私は、ロマノフの個人部屋に忍び込んだ。
なぜ彼に変装したかと言うと、万が一、廊下で他のメイドやナタリに会ってしまっても、警備員のヴィルであれば怪しまれないからである。
それに防犯カメラに映ったとしても、ヴィル本人は今頃、アリータと仲良くお喋りをしている。アリバイ工作は完璧だ。
ポケットから、昨日に、徹夜で作った偽の鍵を出して、扉を開ける。
指輪を持ってきたときにも見たが、変わった造りもなさそうな、普通の部屋だ。強いて言うなら、屋敷中の防犯カメラ映像を映した、巨大モニターがあるくらいのもの。
私は取り敢えず、机の引き出しの中から鍵を探し始めた。
なるべく痕跡を残さないよう慎重に気をつける。
一番大きな引き出しを開け、底を触ったとき、あることに気がつく。この引き出しだけが二重底の構造となっている。
机の上の置き時計を見る。
ロマノフが戻るまで、時間は多少ある。
私は引き出しの解体に、必要な工具となるものの代わりを探す。
定規やハサミ、コインが使えそうだ。
簡単に引き出しを外すと、下から何やらきな臭い紙束が出てきた。
「何これ?」
紙束を取り出して、頁をめくる。
これは、鍵以上に面白いものを見つけてしまったかもしれない。
携帯用小型カメラで証拠写真を撮っていると、部屋の外から声がした。
『ヴィル様?どちらに居るのですか~?』
アリータのものだ。
全くもって予想外の展開となった。
私が出てくるまで彼女と話をしておけと、あれほど言ってあったというのに。
まだ鍵は見つけられていないが、仕方がない。ここで騒がれて、多くの人に集まられては困る。
幸い、アリータは部屋の扉に背中を向けていた。
私は扉からサッと出ると、彼女に話しかける。
「これは、アリータ嬢。俺を呼びましたか?」
出たのは良いが、話しかけることを想定していなかったので、今一慣れていなかった。
警備員に扮している彼は、たしかこんなのではなかったか、と憶測する。
「ヴィル様!」
目を輝かせたアリータが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「あら?ヴィル様の服、もう乾きましたの?あんなに濡れてらしたのに」
濡れた?一体何のことなのか。
よく見ると、アリータは頭から水をかぶったように濡れている。
「私は着替えてきたのですよ。さあ、アリータ嬢も着替えておいで」
と、まあ適当なことを言って、何とか彼女をこの場から離そうとした。しかし、アリータはチラチラとこちらを上目遣いで見て、動こうとはしなかった。
「あの、今日のお礼がしたいのですが」
「お礼?」
「はい。何でもしますから、何をして欲しいか教えてくださいませ」
私が今、彼女にして欲しいことは一つ。“早くこの場から去って欲しい!”
あと十五分程でロマノフが帰ってきてしまう。
だから、彼女が喜ぶような甘い台詞で、連れて行くことにした。
「アリータ嬢、君の気持ちはとても嬉しい。では、早速、俺の部屋にでも来てもらおうか」
ここで、きゃあー、とか歓喜の声でも貰えるかと思った。が、アリータに反応はなかった。
引かせてしまったか、と彼女を見ると、彼女は私の後ろを見て何かに驚いていた。
「え?」
アリータが見ている方を見て、私も、飛び上がるほど驚いた。
本物のヴィルがそこに居たからだ。
「ヴィル様が二人?!」
アリータは顔を真っ青にし、その場で崩れるようにして倒れ、そのまま気を失った。
最悪のタイミングでの本物の登場であった。
「やあ、ヴィル君。ご機嫌は如何かな?」
「……」
冗談を言ってみるも、彼はクスリとも笑ってはくれなかった。
♢♢♢
屋敷を警備している、ヴィル・カーティがロマノフの部屋に入っていくのを、ナタリは廊下の角から見ていた。
「彼女、見つけたみたいよ」
ナタリは片耳につけた通信機に向かって、小声で言った。
通信機越しにフッと笑う声が聞こえる。
「わかったわ」
短い言葉をやり取った後、ナタリは通信を切った。
♢♢♢
ヴィルに、気絶したアリータを、彼女の部屋のベッドまで運ばせた後。
コナに変装を戻した私は、頭を抱えていた。
「私が頼んでたことすっぽかして何してたのよ?」
今度こそ、兄妹まとめて、追い出されてしまうかもしれない。
部屋に入ってきたヴィルを尋問すると、
「俺は俺の優先するべきことをした」
と心外そうに言った。
「優先するべきこと?」
私は彼に連れられ、屋敷の外の裏庭に向かった。
裏庭には、雑木林が広がっている。
「何で、ゴーリがここにいるのよ?!」
そこには、木に結び付けられたゴーリ・ラディがいた。彼は、私が警察に渡したばかりであったはずだ。
「こいつが、ロリアか?」
とゴーリがヴィルに聞く。
「今はロリアじゃないわよ」
私が代わりに素早く答える。
ゴーリが警察に捕まった後のこと。彼は、保釈金として全財産を渡して、出所してきたと言う。そして、偶然に、この屋敷の前でヴィルを見つけ、忍び込んだのだそうだ。そこで、庭で彼と話すアリータをのことを、私だと勘違いしたらしい。
「ロリア!今度こそお前に復っ……」
恐らく、復讐してやるとでも言いたかったのだろう。しかし、ヴィルが鋭い殺気を放ち、彼の脳天に銃口を当てた。
「じょ、冗談だよ、ヴィル君」
半泣きになったゴーリが声を震わせる。
ヴィルがゴーリに銃を突きつけたまま、私に向く。
「奴の部屋に入って、何か見つけられたか?」
「鍵は見つけられなかったけど、面白いものがあったわ」
私は携帯用小型カメラで撮った画像を見せた。
「これは、爆弾の作り方、か?」
「そう。ロマノフが人に警戒するのは、これを隠したいからだと思う。そして、秘密の部屋には、爆弾の材料がまだある」
秘密の部屋の中身はわかったが、肝心な鍵がまだ見つかっていない。
「まだ追い出されるわけにはいかないのよね」
そのとき、自然と私とヴィルの視線が下に降りて、ゴーリに行き着く。
「な、なんだ?!その目は?」
ゴーリが嫌な予感を感じて、左右に体を動かす。
私はゴーリの前にしゃがんで、こう言った。
「……これは、交換条件よ」
ゴーリは息を呑み、「それは……」と呟いた。
♢♢♢
目を覚ますと、屋敷ではある騒ぎが起こっていた。
ロマノフ様が鬼の形相で、ヴィル様に何かを問い詰めている。
「コナ、ヴィル様に何かあったの?」
アリータは、野次馬の中に入り、仲間のコナの姿を見つけた。
「アリータ!廊下で倒れてたって聞いたけど大丈夫?」
コナがとても心配そうに聞いてくる。
彼女はなんて、優しいんだろ、と思う。
「大丈夫よ。でも、私の部屋まで誰か運んでくれたのかしら?」
「……さあ」
急にコナが視線を外す。
それより、と彼女はヴィル様の方を指差し、声を小さくして言った。
「防犯カメラに、ロマノフ様の部屋に入る兄の姿が映っていたらしいのよ。でも、兄は知らないって」
その説明を聞いて、倒れる前の記憶が蘇る。
そうだ!
アリータは慌てて、ロマノフの前に飛び出した。
「ヴィル様が二人いたんです!」
「二人?何を言っておる」
ロマノフが訝しむ目でアリータを見る。
「私、廊下でヴィル様にハンカチを渡しに行ったのですが、そのヴィル様は濡れてなくて!それに、なんか、あのヴィル様は少し変でした!」
アリータの言葉を遠くから聞いていたコナは、変で悪かったわね、と口を尖らせた。
「何を言っているかわからんが、この怪しい男を追いっ……」
ロマノフが喋っている途中で、言葉を失い固まる。
遠目で騒ぎを見ている屋敷のメイドたちの中に、一人不審な男が紛れていた。
その男は、コナが変装させたゴーリであった。変装と言っても、ただメイド服を着せただけで、どこからどう見ても、ただの変態でしかない。
「お前は何者だ?!」
ロマノフがゴーリを指差す。
「わ、私こそ、そこの男に化けていた泥棒だ!」
事前に言うように伝えていた台詞を、ゴーリは赤面しながら言う。
私たちは取引をした。
それは、ロープを外す代わりに、騒ぎ収集のため、ゴーリが泥棒を演じるというもの。
ロマノフに捕まった後、こっそりと逃がすと約束したら、嫌々ながら承諾をしてくれた。
「あの男を捕まえろ」
ロマノフに命じられたヴィルが、あっさりとゴーリを捕まえる。
「捕まってしまったあ~」
……酷い棒読みだ。
ゴーリはそのまま地下の物置に、閉じ込められることになった。
♢♢♢
月明りが仄かに差し込む部屋の中で、人影が動く。
一人の影が、防犯カメラの操作盤に向かうと、元のコンセントを引っこ抜き、防犯機能を停止させた。
そして、次の動きをしようとしたときであった。いきなり、部屋の明かりがつけられ、影の人物は逃げる間もなく、姿を暴かれる。
「流石ね」
部屋の電気をつけたのは、メイド長のマーヤ・ナタリだった。
「その言葉、そっくりそのまま貴女にお返しするわ」
操作盤の前に立つコナは、ナタリを見て微笑んだ。
共に、ロマノフの部屋に忍び込んでいたヴィルが、コナの横へと移動する。
「騒ぎを起こしたその夜に入るなんて、少し慎重さが足りないのでは?女スパイさん?」
その言葉からして、彼女、ナタリは最初から“何もかも”知っていたようだ。
私たちがスパイであることも。何が目的なのかも。
しかし、私たちもまた気づいていた。
“これ”が罠であるということを。
私はポケットからある物を取り出して、それを彼女に投げ返した。
「その指輪は貴女に返すわ」
あのとき、私が脱衣所で拾ったもの。
あれで、彼女は盗聴し、私の居場所を把握していたのだ。
「どこから気づいていたの?」
ナタリは指輪を受け取ると、ゴミのようにそれを床に捨て、踏み潰した。
「そうね。ヴィルと裏庭で話してたあたりかしら」
ヴィルが鍵のことを聞いたとき、彼の視線はずっと私の後ろにあり、それが合図であった。
彼女を不審に思った私は、指輪を持って、あえて彼女を泳がせることにした。
その彼女が、まんまとここに現れ、今、彼女がただのメイド長ではないと確信した。
「私はつまらない茶番劇を見せられてた訳ね。この茶番劇の目的は、これ、でしょう?」
ナタリが、銀色の鍵を取り出す。
「ただでくれる気は、ないのよね?」
私はナタリを警戒して見た。
「これは、私がロマノフを眠らせて、ようやく盗ってきたもの。欲しいのなら、力づくで盗りに来なさい」
ナタリが天井に向かって、一発の銃を撃つ。
部屋で銃撃戦が始まる。
「貴女はこのまま、防犯カメラのモニターの後ろに隠れていてくれ」
銃を構えたヴィルが言う。
それを私は鼻で笑った。
「冗談。あの言葉は私に向けた挑戦よ」
私は銃を持って、先にナタリの前に飛び出した。
ナタリの撃った銃弾が横を掠め、後ろの窓ガラスを割り、私の弾が彼女の後ろの扉に穴を開ける。
「そうよ。私は力づくで、と言ったの。ヴィル・カーティ」
ナタリが、今度はヴィルを挑発する。
そして、彼女が身を低くすると、銃を撃ちながら、私たちの方に突進してくる。
弾を避けようも後退する範囲は限られている。
私は彼女と掴み合うような形になりながら、引き金を引き続けた。
天井や壁に穴が開き、床に薬莢が乱雑に転がる。
「避けろ」
ヴィルがナタリを体当たりで突き飛ばし、私からナタリを引き剥がす。
ナタリは体勢を崩し、床に倒れると思ったが、彼女は倒れながらヴィルの脳天を目がけて銃を撃った。
それをヴィルは、ギリギリでかわす。
「お前……」
ヴィルが呟く。
「さて、貴方は私を撃てるかしら?」
ナタリがヴィルを見て、笑う。
動きを止めるヴィルに代わって、私が彼の前に出る。
「ちょっと!ボーッとしてたら撃たれるわよ?!」
だが、ヴィルはナタリを見ているだけであった。
ナタリが再び態勢を整えて、こちらに向かってくる。攻める攻撃が彼女の十八番のようだ。
威嚇に数発、彼女の足元を狙って撃つが、弾道が見えているらしく、足止めにすらならない。
ならば、と私は横に飛び、机からペン立てを掴み、彼女に向かって投げた。
彼女が、素早く飛んでくるペンを振り払う。
「……?!」
ナタリの視界の先から消えた私は、一瞬の隙きをついて彼女の背後に回り、狙いを定めた。
銃弾が彼女の腹部に当った、と思った。
しかし、撃たれたはずの彼女は後ろに、わずかによろめいただけであった。
「防弾対策済みって訳ね」
私は唇を噛んで、ナタリを睨みつけた。
突っ込んでくるナタリの攻撃をかわしながら、私はヴィルを見た。
ヴィルは何かに迷っているように、苦し気な表情をしている。
ヴィル?
「戦いの中で、余所見はいけないわね」
ナタリが私の目の動きを見て言う。
腹部に鈍い痛みを感じる。
彼女の拳が腹部の中央に入っていた。
咳き込んで、後ろに下がろうとすると、落ちている薬莢に足を滑らせ、床に転んでしまう。
銃口が向けられる。
撃たれると覚悟をしたとき、誰かが扉を開けて、悲鳴を上げた。
悲鳴を上げた人物。それは、アリータであった。
「何?!どうしたの?コナ?」
アリータは、混乱する頭を抱えて、私に説明を求めようとする。
「アリータ。ここは危ないから、屋敷から離れて」
私は冷静にアリータに言ったが、彼女は首を振った。
「ヴィル様、これは?」
アリータはヴィルにも聞いた。
アリータが、彼の口元をじっと見て、言葉を待つ。
ヴィルは一度、目を伏せると、
「あのとき、俺を庇ってくれてありがとう。だけど、俺たちがスパイなんだ」
と彼女に頭を下げた。
「スパイ……?」
「つまり、彼らは貴女を騙してたのよ」
ナタリがアリータに、はっきりと教える。
「そんな……。ヴィル様が」
アリータは両手で顔を覆い、肩を震わせる。
彼女を騙していたことは申し訳なかったが、これが私たちの仕事なのだ。仕方がない。
私は、近くに転がってあったペンを掴むと、それをナタリが持つ銃口に刺し、足払いをする。
完全に油断をしていたナタリが、今度こそ床に倒れ、形勢逆転となる。
「さあ、鍵を渡してもらうわよ」
ナタリは負けを認めたらしく、嘆息して鍵を突き出した。
ヴィルがアリータの前に立つ。そして、慰めるように、彼女の肩に手を添えた。
私も彼女はきっと、傷つき泣いていると思っていた。
彼女がゆっくりと顔を上げる。
その顔は、……泣いていなかった。あの肩の震えは、“興奮”だった。
「スパイのヴィル様も素敵!!」
「……」
ヴィルが彼女から手を外し、ゆっくりと後ろに下がる。
彼も危険を感じたらしい。
そのとき、窓ガラスが割れる音がした。
音の方を見ると、ちょうどナタリが部屋を出ていくところであった。
「あーーっ!?」
私は叫んだ。
外から部屋の中のロマノフの姿を覗く為に、綺麗に磨いた窓ガラスが、全て木っ端微塵にされ、気分が落ち込む。
ナタリはそのまま振り返らず、夜の闇に姿を消して行った。
♢♢♢
屋敷から離れた場所で、ナタリは足を止めた。
「無事に鍵は渡せたか?」
再び聞こえる、通信機からの彼の声に、彼女が頷く。
「それが貴方の指示でしょ。リス」
彼女は顔の面を外し、束ねた髪を解く。
「よくやってくれた。クレイス」
クレイスがリスの言葉に顔をしかめた。
「貴方がさらった、本物のマーヤ・ナタリを帰してあげて」
「明日の朝までに屋敷に送り届けよう。もちろん、約束通り、生きた状態でね」
クレイスは通信機を外し、それを川に投げ捨てた。
♢♢♢
ようやく自分の屋敷に帰れたときには、私もヴィルもくたくたに疲れていた。
何とか鍵は手に入ったが、最後、アリータから逃げ出すのに、ひどく労力を使ってしまった。
ヴィルは、いつにも増して、口数が少なくなっている。
今すぐこの場で、倒れるように眠りたい、と思いながら、屋敷の扉を開けたときであった。
「もぉ~。遅かったじゃないの」
扉を開けた途端、馬鹿力のような怪力で抱きつかれた私は、そのまま後ろに倒れそうになり、ヴィルに支えられる。
突然抱きついてきたのは、女性の服装をしている、筋骨隆々な男であった。
「エミル・クイーン?!」
私は彼を指差して驚いた。
そう言えば、ヴィルがネアの代わりに、クイーンを呼んだのだった。
「ん?なんかもう一つ忘れてるような……?」
私は首をひねったが、ひどい疲れで思い出すことができなかった。
その頃、ロマノフの地下の物置には、取り残されたゴーリの姿があった。
「はっくしょい!」
ゴーリはくしゃみをし、
「俺は、いつまでここでこんな格好をしなくてはならないんだ?」
と、自身のメイド姿を見下ろして呟いていた。
(「秘密の部屋の鍵を手に入れろ 後編」終)
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