聖女の水鏡

七川湖穂 / 掛園湖冬

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「水鏡の儀式の時は、映ったそのままの姿を言って欲しい」

 昨年町に帰ってきた時、請求書を確認していたティエサの左耳に、キアレンは突然告げた。父は接客、兄は配達中、母はキッチンで軽食を作っていた。

「儀式が形骸化しているのは、ティエサも知っているよね」
「……『聖女候補予想』の絵姿は今年も出回ってたよ」

 教会の聖水を銀の盆に張り、十六歳の少女たちが水鏡を覗いて見た姿で聖女候補を占うという国教の儀式。水鏡を見た本人以外に映った像を確認する術はなく、大抵は有力貴族の令嬢の絵姿が「予想」として市井に流れ、特に貴族の間では、水鏡の像をどのように報告しろ、という指示がまかり通っているという噂だ。

 ティエサが十五の時の儀式前も、平民ばかりの町では下馬評騒ぎのかたちで出回っていた。

 何をどうしてか、キアレンは腐敗して久しいその慣習に、年嵩も権力もないのに一石を投じたいらしい。キアレンにあるものといえば頭脳だから、万に一つあるとすれば、大教会で何か掴んだというのか。

「ティエサに聖女の素養があるかは分からない。ただ古い付き合いで信頼出来るから頼んでる。でも、もしもティエサが今の生活を守りたいなら、何も見えなかったと言ってくれても構わない」

 そう、聖女になりたくないからと「よく見えなかった」と言ったり、適当な少女の姿をでっち上げて報告する者もいる。水鏡の像が鮮明なほど、それを見た少女自身にも聖女の素養があると見なされるから。

「……キアレン」

 とうに日付とサインを書き入れなくなっていたペンを置いて、ティエサは机のへりをなぞる。

「自分ばっかり先に言っちゃってさ、人がよすぎだよ。私が今の話を教会に垂れ込んだらどうするの。これでも商人の端くれだから、損得勘定してるんだけど」

 教会が地域の子供向けに公に行っている以外のことも、ティエサに教えてくれた七歳上の幼馴染。歴史書や教典の話、教会と貴族の政治の話。花屋の娘には要らない教養には脳を鍛えられた。おかげで帳簿類を見るのが速くなったり、お客さんの顔色が見えやすくなったりしたのは大いに助かったが、魂胆はここにあったというのか。

「私の得になることが分からない。聖女になりたい訳でもないし、本当に何も見えなくて終わるかもしれない。いっそ、今までの借りを返せ、嘘でもいいから自分が映ったと言って聖女候補に潜り込めとでも言われた方がよっぽど分かる」

 机を向くティエサの左側に立ち、ティエサを正視していたキアレンが、机側に爪先を向けて、右手を机に添える。

「取引を持ちかけてるつもりはないよ。ただ、試せる人に試してみて欲しいだけ。興味本位」
「……ああ、そういうこと」

 いつもの穏やかな声色を微塵も変えず冷淡なことを言うな、とキアレンと隣り合って同じ壁を眺めたティエサは、少し喉に棘が生えた。

 知識は強さになるが、知的好奇心は諸刃の剣だ。

 ティエサで上手くいかなかったら、来年、キアレンは自分の末の妹にも同じことを言うのだろう。





 馬車疲れですっかり静まっていた車内が、俄かに騒がしくなる。微睡んでいたティエサの向かいでカーテンを引く音がした。

「見えた!」

 領主の膝元、城郭都市。領主を始め貴族や大教会の関係者、それに商人の中でも武器や宝石やドレスなどを扱う金持ちたちが集まる街だ。教会の一般教養では城郭都市と教わるが、ティエサたちのような平民はもっぱら城下町と呼んでいる。

「やば、腰痛すぎて動けない」
「私も首が……」

 少しずつ城郭に近付く中、目が覚めると体の痛みがはっきりしてくる。木張りの座席に申し訳程度のクッションがあるだけの箱馬車で、全員が壁や窓にもたれるか、俯くかして寝ていたので体は凝り固まっていた。ティエサも傾いていた右肩の後ろを揉みながら、これまたキアレンに聞いた話を皆に広める。

「教会のお昼ご飯に、聖女様の癒しの祝福がかかってるらしいけど」

 そうでなければ、朝からガタガタの箱馬車で体を痛め午後には教会に並んで儀式など、町や村から来る平民には不可能だ。ちなみに城郭内に住む貴族方は自分のお屋敷で昼食を済ませ、ソファを運び入れたような高級馬車で大教会前に乗り入れるという。もしも水鏡の像の見え具合がその時の体調に左右されるのなら平民は圧倒的に不利ということになるが、癒しの昼食のおかげか、遠方の平民でも大教会に留め置かれた例はきちんとあった。

「本当!?」
「流石聖女様~!」

 馬車内には一気に活気が戻り、城門をくぐっていく。窓の外も段々と華やかになっていった。
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