彼女が来たら

弓月 夜羽

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第2話 運命の出会い

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 シリルが馬車に揺られながら過去のことをぼんやり考えていると、馬車が急に止まり座っていたシリルとエルマーが前のめりになる。
「一体どうしたんだ?」

 エルマーが御者に向かって叫ぶ。彼はシリルの友人の中で唯一、今も変わらず友達付き合いしてくれていた。幼馴染みでもあり、シリルが幾ら放蕩者でも殺人までするような男ではないと信じているからである。

「すみません、急に人がっ……」

 御者が焦りながら答える。エルマーとシリルは顔を見合わせ、車から降りると確かに馬車の前に一人の少女がうつ伏せに倒れている。
 まさか、轢いてしまったか、と2人は顔が青くなったが、御者が轢いてはいない、と言ったので、その娘は馬に驚いて転んでしまったと思われる。

「ララ!」

 どうしようかと2人が考えている脇を、叫びながら通り抜けてその倒れている少女を庇うように、若い女性が覆いかぶさる。
 その女性を見てシリルははっとした。妻と同じ見事な赤毛だったからだ。

 ロスリン……!

 シリルは危うく、そう叫びそうになった。

「大丈夫かい、君達? 危ないだろう。いきなり馬車の前に飛び出しちゃ駄目だよ」

 エルマーは2人の方に声を掛け近寄ろうとしたとき、また1人、近くの茂みから今度は人相の悪い年嵩の男が現れた。その男の手にはおそらく乗馬用と思われる鞭が握られていた。
 シリルとエルマーはそれだけで何となく事情を察することが出来た。

「エルマー、その娘達を頼む」

 シリルの言葉にエルマーは頷き、女性達の側に屈み声を掛け、立たせると車の中へ連れていく。

「大丈夫か?」
「心配ない。もうすぐ警察が来るからな」

 エルマーの懸念にシリルは淡々と答える。自分が出掛けたと知れば、ディクソン警部の部下がほどなく追いかけてくることを、シリルは身を以って知っていた。警部達がこの4年間1日たりとも、シリルの足取りを掴んでいない日はなかった。

「頼もしいね。やっぱり持つべきは友達だよ」

 エルマーは皮肉っぽく笑い、女性達を中へ押し込む。シリルはほんの一瞬、乗り込んでいく赤毛の女性を見た後、こちらへやってくる鞭を持った男を見た。

「困りますよ、貴族の旦那。その2人はうちの大切な従業員なんです。返して下さいよ」

 その男はへつらい笑いをしながら、シリルに話し掛けてくる。

「従業員? それなら、何故鞭を持って追いかけ回す?」
「若い女はすぐ仕事をさぼるんで、これはほんの教育の為、ですよ」

 シリルは男の下卑た顔に何とも嫌なものを感じ、眉間に皺を寄せる。

「体罰は違法だぞ」
「まぁまぁ。貴族のお坊ちゃんには関わり合いのないのねぇことですから」
「いいや。きちんと警察に捜査してもらうことにしよう。彼女ら身柄はこちらで預からせてもらう」

 その言葉に男の顔が険しくなり、怒鳴り声を上げ始めた。

「何だとっ、下手に出りゃぁつけ上がりやがって! いいから女達を渡せ。痛い目を見るのはそっちだぞ!」
「どうあっても返すつもりはない。お前こそ大人しく警察に捕まることだな」
「なんだと、この野郎! 貴族だか何だか知らんが偉そうにっ」

 男が持っていた鞭を思い切り振り上げそして勢いよく振り下ろす。それがシリルの腕を掠め、服を裂き、血を滲ませた。

「分かっただろう! 女達を渡せっ!」

 男の怒号を聞いて、車内で2人の女性は抱き合って震える。
 そのときだった。馬に乗った警察官達が3人シリルを追って現れたのだ。怒りを露わにしていた男は警察が来たことに驚き、固まる。その隙に警官達はシリルと男を取り囲んだ。

「何があったんです?」

 警官の1人がシリルに視線を向けて、説明を求める。

「この男は私に暴力を振るいましてね」

 そう言って、シリルは警官に先ほど鞭を振るわれた左腕を見せた。彼らが来るのを分かっていたから、わざと当てさせたのだ。

「なるほど」

 警官達は馬から降りて、年嵩の男に近づく。

「詳しい話は署で伺いましょう」
「何だってっ、俺は悪くねぇ! こいつがっ……」

 男は抵抗を見せたが、警官は構わず縛り上げる。

「ブライトン子爵、貴方からもお話を」
「私達は屋敷に戻るよ。何かあれば呼んでくれ。では、警部によろしく」
 
喚く男と警官達を残し、シリル達を乗せた馬車は彼の屋敷へと戻っていく。

「さて、これで君達はもう安全だ。一体何があったんだい?」

 エルマーが怯えて抱き合う女性達に優しく声を掛けるが、2人は警戒しているのか何も喋らない。2人は擦り切れて汚れた同じような服を着ていて貧しい生活をしているのが手に取るように分かる。

「あ、僕達別に怪しい者じゃないよ。なぁ?」

 困った顔のエルマーは助け船を求めて隣のシリルを見る。

「まぁ、そうだな。それに、あの男を捕まえた警官達の上司は犯罪は見逃さない人だから、奴も罪をすぐに暴かれて逮捕されるだろうから、心配いらない」

 罪を見逃さない、その点についてはシリルはディクソン警部を信頼していた。
 新聞やゴシップ誌がシリルのことを面白おかしく書き立てていたとき、取材と称して彼の屋敷へ不法侵入した者や、記事を真に受けて義憤に駆られた人々が、屋敷に石やら塵やらを投げつけたり落書きしていた者達をディクソン警部は片っ端から捕まえていった。
 シリルが幾ら限りなく黒に近い人物だったとしても、越えてはならない一線を越えた者をディクソン警部は許さないのだ。

 少女を守るように抱きしめていた赤毛の女性がゆっくりと顔を上げる。シリルはその姿をつぶさに見つめた。別人だと分かっているが目が離せない。

 妻に似ている気がするが、彼女がこんなところでみすぼらしい格好をし働いているわけはない。資産家の令嬢だぞ。それに、ロスリンの顔など碌に見ていなかったからな。あの頃見ていたのは彼女の背後にある金だけ。彼女の顔がどんなだろうが興味がなかった。

 シリルはまた一つ自己嫌悪のため息を吐いた。

「まだ捕まっている人が……」

 赤毛の女性は弱弱しく、そう呟いた。つまり、あの男の許で働かされている女性がまだ居るということだ。

「なんだって。詳しく事情を聞かせてくれる?」

 何でも男はこの近くで縫製工場を営んでおり、そこで身寄りのない女性や田舎から出稼ぎに来た女性達に休みも碌に取らせないような劣悪な環境で働かせているのだという。
 住み込みで働かせてやってるんだから、部屋代や食事代を取るのは当たり前という立て前で、給料もほとんど残らない。
 それで少しでも休んだり、ミスをしたら鞭で叩かれるのだ。

「お前達みたいな何の能力もない奴はうちくらいしか雇わないぞ。衣食住があるだけマシだと思えって……」
「それをことある毎に言って、逃げる気力すら萎えさせるわけか」
「酷いなまったく。それじゃまるで奴隷じゃないかっ」
 
シリルとエルマーは揃って渋面になった。国は昨今労働環境の改善に力を入れている。だが、未だにこういうことをしている連中は少なくないのだ。

「でも、あまりに辛くて……」
「2人で逃げて来たってこと?」

 エルマーの言葉に赤毛の女性が小さく頷く。

「捕まっている女性達も警察と我々で保護しよう。安心しなさい」

 赤毛の女性はほっとしたように、シリルに少し微笑んで見せた。彼女の瞳は澄んだエメラルドグリーンの色をしている。

 そう言えば、ロスリンも確か緑色の瞳、だったか……。私自身はあまりよく覚えていないが、彼女を知る人々は皆そう言っていたから間違いない。

「君の眼は……いや、何でもない。気にしないでくれ」

 話している間に馬車は屋敷へ戻った。見ず知らずの貧しい身なりの女性を2人を見て驚くメイド達に事情を話し、世話を任せると、シリルとエルマーは再びすぐに行動を起こした。

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