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第一章

この人、○○なんです!!!

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 「さっきはありがとうね、お陰で助かったわ」

 商店街を少し入った辺りで後ろ振り返り、警察官の姿がいなくなったことを確認すると、沙苗は感謝の眼差しを幸村に向けた。
 平日の昼間ということもあって商店街には人通りは少なかった。すぐそばの八百屋の前には、鈴をつけた縞模様のネコが、のんびりと毛づくろいにいそしんでいる。

 「説明はあるんだろうね?」

 慎重に自らの目でもう一度改札口の方を見ると、幸村は質問する。

 「説明?」
 「成り行きとはいえ、警察官に嘘をつくことになってしまったんだ。偽証罪を犯してまでお前を助けた理由くらい、知る権利あるよね?」

 腕を組みながら答えを待つ幸村に、少女は一片の曇りもない口調で言った。

 「私、家出してきたの」
 「家出?」
 「そう、こんな海しか取り柄の無い田舎町を捨てて、東京にでも行こうかな……なんてね」

 おうむ返しに問う幸村に、少女は希望に満ちた瞳を輝かせる。

 「さっきは、家出なんか時代遅れだって言ってなかったっけ?」
 「時代遅れだからって、家出しちゃいけないっていう理由はないでしょ?」
 「まあ、ね」
 「私はこんな小さな町を出て、もっと大きな世界で生きていくの」
 「大きな世界って?」
 「東京にでも行って、渋谷でも歩いてたらアイドルのスカウトでもされるかなって。ほら、私結構可愛いじゃない?」

 満面の笑みを浮かべると幸村に同意を求める。
 その点について幸村はおおむね合意だった。確かに沙苗は魅力的な少女であったし、その笑顔はどことなく人の心を惹きつける何かがあるように思えた。
 でも、例えそうであっても、彼女の意見に賛同するつもりは微塵も無かった。
 どこまでもポジティブな想像力を絶やさない少女に、幸村は溜息混じりに首を振る。

 「お好きに……君がテレビで歌っている姿を見られる日を楽しみにしてるよ。俺、もう次の電車に乗らなければいけないから……」

 幸村は早めに話を切り上げて、さっさと面倒ごとから解放されようとした。
 が、少女はそれを敏感に察し幸村を睨みつける。

 「何よー、その馬鹿にしたような眼差しは。私のこと、痛い子だと思ってるんでしょ?」
 「ご想像に任せる。じゃあな」

 その的確な分析力をどうして自分自身に向けられないのか――と思ったが、口には出さなかった。 幸村は少女に背中を向けると、失った時間を取り戻すべく改札口の方へと歩き出した。

 「ちょっと、待ちなさいよ!」

 背中越しに少女の声が聞こえたが、幸村はそれに答える代わりに、右手を上げ何度か振ってみせると明確なる意思表示をした。
 腕時計に目を落とすと、列車の出発時間はとうに過ぎていた。

 「一本乗り遅れてしまった……まったく」

 次の列車までの時間があるので、駅のすぐそばにあるコンビニにと向かう。
 沙苗ことは気になったが、できるだけ関わらない方がいいと、心のどこかで警鐘が鳴っていたので、あえて一度も後ろを振り返らなかった。
 駅の改札を通り過ぎ、線路を右手に見ながらコンビニの入り口付近に達した時、不意に背後で声がした。

 「待ちなさいって言ってるでしょ!」

 半ば予感していた、ありがたくない呼びかけに、幸村は面倒くさそうに振り返る。
 幸村の目に飛び込んできたのは予想通り沙苗であったが、想定外のファクターがひとつ加わっていた。

 「その自転車は?」

 少女が押している自転車は、明らかに彼女のものとは言い難い代物であった。
 真っ白なボディはどこにでもあるもののように見えたが、フレームに張られているステッカーには『静岡県警』と書かれていた。

 「東京行きはやめ! 今からあなたとサイクリングするって決めたの」
 「サイクリングって、お前その自転車……」
 「ちょっと借りてきたの。レンタサイクルよ」
 「嘘つけッ! それ、さっきのお巡りさんの自転車だろ?」
 「だから、黙って借りてきたの」

 少女はぺろっと舌を出すと、悪戯っぽくウインクしてみせた。

 「それって立派な窃盗じぇねーのか……」
 「細かいことはいいじゃない! さっさと行くわよ」

 バンバンとサドルを叩くと幸村を促す。

 「どうして俺が? 行くなら一人で行けばいいだろ」
 「せっかく誘ってあげてるのに……断るつもり?」
 「断るも何も、俺は次の電車に乗って帰らなきゃいけないんだ!」

 幸村は声を荒げてぴしゃりと拒絶する。
 これ以上、この電波な女の子に付き合ってると、自分の人生をも崩壊させかねない事態に陥ってしまいそうな気がしたのだ。

 「本当に行く気が無いのね?」
 「悪いが他のパートナーを探してくれ。俺以上に良い男は掃いて捨てるほどいる」
 「わかったわ……」

 少女が納得したように頷く。

 ――やれやれ……

 ようやく災いから解放されたというように、幸村がほっと胸を撫で下ろそうとした、次の瞬間――

 「この人痴漢なんですッ! さっき電車の中で私のお尻を触ったの!」

 四方、何十メートルにも轟く大声を張り上げ、幸村を指差していた。
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