流刑島、運命の番

真田晃

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ただ、滅菌ガーゼを取りに来ただけだったのに。
気付けば辺りは仄暗く、壁に掛かった古いポスターの文字が読み難くなっていた。

………もう、帰らなくちゃ。

掃除する手を止め、大きな窓から暮れなずむ空と海を眺める。


ここは昔、横峯と今は亡き医師の匠海と僕の三人で過ごした、港通りの診療所だ。
監獄ができ、その中に移ってからは殆ど使われなくなったけれど、島民の古いカルテや最低限の医療品等はここに残してある。

掃除道具を仕舞い、引っ張り出した書類や本の整理を終える頃には、もうすっかり暗くなっていた。



穏やかな、藍色の海に寄り添う白金の月。


診療所を出て、港通りから商店街へと足を向ける。

閑散としたシャッター通り。
切れた外灯ばかりが立ち並び、真っ暗闇の中を一人で通るには、何とも心許ない。
頬を撫でる風。ゾクッと身体が震え、恐怖で足が竦む。まるであの世に迷い込んでしまったかの様な錯覚さえした。

やっと、飲食店が建ち並ぶ通りに差し掛かる。
煌々とする外灯や店の灯りに、ホッと胸を撫で下ろした──その時だった。



──ガタンッ


突然の物音に、心臓が大きく跳ね上がる。

肩を竦め、警戒しながら辺りを覗えば、建物と建物の間に潜み、何やら蠢く黒い影が見えた。


……え……


乱れた髪、破れた服、裸足……

生ごみを漁るそれは、紛れもなく人だった。
めぼしい物が無かったのだろう。ゴミ箱に蓋をすると、両手を地面に付き、四つん這いの格好で此方に向かってきた。


「……」

息を飲んでじっと見る。
すると彼は、僕に気付いて顔を上げた。
その長い前髪がサラリと揺れ、奥に潜んでいた二つの瞳が光る。


水色と琥珀色の、宝石を嵌め込んだ様なオッドアイ。

淡い月の光を取り込み、海面に煌めく光の如く、静かに揺らめいている。


………綺麗


その汚れた容姿とは対照的な美しい瞳に囚われれば、一瞬のうちに下腹部の奥がズクンッ……と疼いた。


………え、なに……これ……


矢が突き上がる様な、痛さと熱さ。
指先の痺れ。


僕を静かに捉え、足元に近づいた彼がゆっくりと立ち上がる。

伸ばされた手。
緩く持ち上げる口角。
僕を見下ろす、澄んだ双眸。

その指が僕の頬に触れれば、近付いた唇が小さく割られ、チラリと鋭い牙が覗く。


「──!」

だけど僕は、気付かなかった。
彼の瞳に吸い寄せられて──唇を重ねられている事にも。
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