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キング編
360.
しおりを挟む部屋の隅にある、二人掛けのソファ。そこに、ケットを掛け身体を丸めた蕾が静かに眠っている。
その前にある長テーブルに、一枚の紙切れがある事に気付く。
“れいぞうこ ごはん”
拾い上げてみれば、まるで園児が書いたような、たどたどしい文字。
「……」
部屋の入り口から遠い場所──箱型の取って付けたようなバスルームの隣にある、小さな対面キッチン。
それはとても簡易的で。洒落たカウンター、壁際に並んだお酒、ムーディな雰囲気のある照明がある事から、それ目的の為に作られたスペースなんだろうと察した。
カウンター横に置かれた、背の低い冷蔵庫。くすんだ色をしたそれは、もう余り使われていないんだろう。
しゃがんで中を覗いて見れば、そこにはコンビニ袋に入った冷製パスタがあった。
お茶のペットボトルもついでに取り出し、三人掛けのカウンターにつく。
プラスチックの蓋を開け、割り箸を取り出す。バジルソースがトマトや麺に絡み、ハーブ特有のいい香りがする。
美味しそうとか、食べてみたいとか思ったのは……何時ぶりだろう。
カットされたトマトを箸で摘まみ、口に含む。酸味が口に広がって……身体の細胞ひとつひとつに染み渡っていくのを感じる。
「………」
そういえば。
蕾は『黒くて長いもの』を避けないと、まともな生活ができないと言っていた。
だから、蕾にとってのこの空間は、とても安全で快適で、自分らしくいられる唯一の場所なんだろう。
それは、僕も同じ。
人間社会から遮断されたここは……屋久の言う通り、僕が望んでいた空間でもある。
──安全で、快適……
そう思えば、蕾と僕は、何処か似ているのかもしれない。
加害者と被害者、という立場の違いはあるけれど。
「……」
バジルソースの絡んだサイコロ状のチーズを箸で摘まみ、口に入れる。
ハーブ独特の香りと、特徴的なチーズの臭いと食感が、口の中で混ざり合う。
思い返せば、まだ僕の腕に管が繋がっていた頃──蕾は動けない僕に、おにぎりを押し付けてきた。
それはとても不器用で、一方的なやり方だったけど……食べさせてあげようと、蕾なりに気遣ってくれたんだと今になって思う。
根は優しくて、良い子なんだろう。
でも、蕾が近付くだけで、あの忌まわしい夜の記憶が蘇り、怖くて勝手に身体が震えてしまう。
あれは病気のせいで、蕾自身は何も悪くないんだと、頭では解っていても───
「……」
今まで、どうやって生きてきたんだろう。
加害者でありながら、被害者でもある蕾の心に……まだ壊れていない部分はあるのだろうか。
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