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第16話 死と、新たな生
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シャーロットは私の願いをじっと聞いたまま、グラスを持つ手だけが震えていた。やがて唇がわずかに歪み、次いで、その端整な眉が激しくひそめられる。
一拍の沈黙の後――彼女はグラスを卓に叩きつけるように置いた。
「クロードを解き放つ? ふざけないで。そんなこと許せるはずないでしょう!」
彼女がそう言うだろうことは予想していた。ようやく手に入れたお気に入りの人形を、そう簡単に彼女が手放すわけはない。しかし、断ずるような口調とは裏腹に、その瞳は揺れ動いていた。
「それに、ソフィアの愛と引き換えに、なんて……どういうつもりなのかしら」
クロードだけではなく、ソフィアのこともまた、同様に寵愛する彼女が、この交換条件に興味を示さないわけがない。私はシャーロットの前に跪き、願う。
「ソフィアを、永遠にシャーロット様のものだけにして頂きたいのです」
敬虔な信徒のように顔の前で手を組み、目を閉じる。
胸の奥に澱のように残る呪いを、封じ込め……まるで無垢な想いを差し出すかのように、言葉を口にする。
「ソフィアを、シャーロット様の手で処刑してください。王女を恋い慕うあまり心中を企てた大罪人として。……あくまで表向きには、ですが」
シャーロットの、喉が鳴る。
重く張りつめた空気の中で、その音だけがやけに鮮明に響いた。
「ソフィアを、あなたの手で終わらせてください。あなたを愛しすぎた愚かな少女として……永遠に」
見開かれた紅い瞳の奥に、焦がれるような光が灯る。
「ソフィアの……永遠を……私に……」
相手を支配することでしか刹那の愛を確かめられない彼女にとって、私──ソフィアが激しく、深く彼女を想っていたという事実が公になることは、きっとどんな誘惑よりも甘美な報いに感じられるだろう。
彼女の執着の癖を、私はもう知り尽くしてしまっていた。
「もしあなたがソフィアを裁き、滅ぼして下さったのなら。ソフィア・ルミエールはシャーロット様に恋した愚か者として、語り継がれることでしょう」
私の計画。
それは、シャーロットを利用し、ソフィアを社会的に殺し、クロードとしての生を得ること。
リリィの居場所が分かった今、父の不興を恐れる必要はなくなった。ならば、もうソフィアとしての生にこだわる理由はない。むしろ、ソフィアが死ぬことで、あの男と縁が切れるのなら……願ってもないことだ。
ソフィアという存在を捨て、
クロードの仮面を被り、
リリィと共に暮らしながら──『富を再配分する仕組み』を、この手で実現する。
それが、私の望む未来。
リリィとまた、くだらないおしゃべりをして笑い合いたい。
それで、離れていた間に母さんやリリィを想って頑張ってきたこと、全部、全部話したい。
そして……レインたちと積み上げてきたものを、今度こそ諦めず、自分の手できちんと形にしたい。
顔を上げてシャーロットの様子をうかがうと、彼女は一部の隙もなく整えられた眉を、わずかにひそめていた。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ、自分の中の何かにまだ答えを見つけられずにいるような……迷いの滲む顔。
「……貴族令嬢としての身分を捨て、男として生きると。そう言っているのね」
「はい。私には、外に出て成し遂げたいことがあります」
シャーロットの白く細い指が、膝の上で強く握りしめられる。
激しく渦巻く逡巡を、抑え込むかのように。
「どうか……私に死と、新たな生をお与え下さい……」
再び、卓の上に沈黙が満ちる。
先ほどよりずっと、深く長い、静寂のとき。
私は瞑目し、ただ祈る。
心を尽くして舞台を整え、持てる全ての誠実さで想いを伝えた。
あとは、それがシャーロットの心を動かすのを信じて待つしかない。
ふと、シャーロットが短く息を吸う音が、沈黙を割った。
私は天啓を待つ信仰者のような心地で、祈りの手を握りしめる。
「……わかりました。ソフィアの永遠の愛を受けましょう」
そして――ついに、私にとって待ち望んだ福音が、降ってきた。
「それでは……」
見上げるように顔を上げる。
シャーロットは、感情のすべてを覆い隠しながらも、まるで聖女のような、澄みきった表情をしていた。
「クロードとして、生きなさい。……望むなら庇護も与えましょう」
「シャーロット様……」
自由を、勝ち取った――。
胸の奥が、あたたかな光に満たされていく。
長い夜が明けたように、思わず、息がこぼれた。
そのとき、シャーロットの表情がふいに陰る。
ほんのわずかな変化のはずなのに、なぜだろう。今にも泣き出しそうな少女の顔に、変わってしまった。
「けれど、クロードを完全に手放すことはできません。月に1度、必ず私の傍に侍ること……約束して」
為政者の顔をしたと思えば、すぐさま幼い顔をする。この人の揺れ動く性には相当悩まされたが……今このときだけは、そんな困った性分をほんの少しだけ可愛らしいと思えた。
私はその気持ちを覆い隠すように胸に手をあて、深く、頭を下げる。
「……ありがたき、幸せです」
衣擦れの音に続いて、ヒールが床に当たる音が聞こえる。シャーロットが立ち上がったのだろう。私も顔をあげ、身を起こす。
「あなたの思惑通りに踊らされて……虚構の愛のためにあなたを手放すなんて……。私は、愚かな女でしょうね」
シャーロットの目元がうっすらと赤みを帯び、滲んだ涙が今にも零れそうだった。
「いえ……この世で最も、目が離せないお方です」
「……今夜だけは、その言葉、素直に受け取ってあげるわ」
シャーロットは、表情を隠すように背を向けた。
肩先が、細かく揺れている。
私は胸ごと差し出すようにして腕を回し、その肩を温もりで包み込んだ。
「……ねえ、シャンパンはないの?」
「あんなもの……私たちにはもう、必要ないでしょう」
一拍の沈黙の後――彼女はグラスを卓に叩きつけるように置いた。
「クロードを解き放つ? ふざけないで。そんなこと許せるはずないでしょう!」
彼女がそう言うだろうことは予想していた。ようやく手に入れたお気に入りの人形を、そう簡単に彼女が手放すわけはない。しかし、断ずるような口調とは裏腹に、その瞳は揺れ動いていた。
「それに、ソフィアの愛と引き換えに、なんて……どういうつもりなのかしら」
クロードだけではなく、ソフィアのこともまた、同様に寵愛する彼女が、この交換条件に興味を示さないわけがない。私はシャーロットの前に跪き、願う。
「ソフィアを、永遠にシャーロット様のものだけにして頂きたいのです」
敬虔な信徒のように顔の前で手を組み、目を閉じる。
胸の奥に澱のように残る呪いを、封じ込め……まるで無垢な想いを差し出すかのように、言葉を口にする。
「ソフィアを、シャーロット様の手で処刑してください。王女を恋い慕うあまり心中を企てた大罪人として。……あくまで表向きには、ですが」
シャーロットの、喉が鳴る。
重く張りつめた空気の中で、その音だけがやけに鮮明に響いた。
「ソフィアを、あなたの手で終わらせてください。あなたを愛しすぎた愚かな少女として……永遠に」
見開かれた紅い瞳の奥に、焦がれるような光が灯る。
「ソフィアの……永遠を……私に……」
相手を支配することでしか刹那の愛を確かめられない彼女にとって、私──ソフィアが激しく、深く彼女を想っていたという事実が公になることは、きっとどんな誘惑よりも甘美な報いに感じられるだろう。
彼女の執着の癖を、私はもう知り尽くしてしまっていた。
「もしあなたがソフィアを裁き、滅ぼして下さったのなら。ソフィア・ルミエールはシャーロット様に恋した愚か者として、語り継がれることでしょう」
私の計画。
それは、シャーロットを利用し、ソフィアを社会的に殺し、クロードとしての生を得ること。
リリィの居場所が分かった今、父の不興を恐れる必要はなくなった。ならば、もうソフィアとしての生にこだわる理由はない。むしろ、ソフィアが死ぬことで、あの男と縁が切れるのなら……願ってもないことだ。
ソフィアという存在を捨て、
クロードの仮面を被り、
リリィと共に暮らしながら──『富を再配分する仕組み』を、この手で実現する。
それが、私の望む未来。
リリィとまた、くだらないおしゃべりをして笑い合いたい。
それで、離れていた間に母さんやリリィを想って頑張ってきたこと、全部、全部話したい。
そして……レインたちと積み上げてきたものを、今度こそ諦めず、自分の手できちんと形にしたい。
顔を上げてシャーロットの様子をうかがうと、彼女は一部の隙もなく整えられた眉を、わずかにひそめていた。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ、自分の中の何かにまだ答えを見つけられずにいるような……迷いの滲む顔。
「……貴族令嬢としての身分を捨て、男として生きると。そう言っているのね」
「はい。私には、外に出て成し遂げたいことがあります」
シャーロットの白く細い指が、膝の上で強く握りしめられる。
激しく渦巻く逡巡を、抑え込むかのように。
「どうか……私に死と、新たな生をお与え下さい……」
再び、卓の上に沈黙が満ちる。
先ほどよりずっと、深く長い、静寂のとき。
私は瞑目し、ただ祈る。
心を尽くして舞台を整え、持てる全ての誠実さで想いを伝えた。
あとは、それがシャーロットの心を動かすのを信じて待つしかない。
ふと、シャーロットが短く息を吸う音が、沈黙を割った。
私は天啓を待つ信仰者のような心地で、祈りの手を握りしめる。
「……わかりました。ソフィアの永遠の愛を受けましょう」
そして――ついに、私にとって待ち望んだ福音が、降ってきた。
「それでは……」
見上げるように顔を上げる。
シャーロットは、感情のすべてを覆い隠しながらも、まるで聖女のような、澄みきった表情をしていた。
「クロードとして、生きなさい。……望むなら庇護も与えましょう」
「シャーロット様……」
自由を、勝ち取った――。
胸の奥が、あたたかな光に満たされていく。
長い夜が明けたように、思わず、息がこぼれた。
そのとき、シャーロットの表情がふいに陰る。
ほんのわずかな変化のはずなのに、なぜだろう。今にも泣き出しそうな少女の顔に、変わってしまった。
「けれど、クロードを完全に手放すことはできません。月に1度、必ず私の傍に侍ること……約束して」
為政者の顔をしたと思えば、すぐさま幼い顔をする。この人の揺れ動く性には相当悩まされたが……今このときだけは、そんな困った性分をほんの少しだけ可愛らしいと思えた。
私はその気持ちを覆い隠すように胸に手をあて、深く、頭を下げる。
「……ありがたき、幸せです」
衣擦れの音に続いて、ヒールが床に当たる音が聞こえる。シャーロットが立ち上がったのだろう。私も顔をあげ、身を起こす。
「あなたの思惑通りに踊らされて……虚構の愛のためにあなたを手放すなんて……。私は、愚かな女でしょうね」
シャーロットの目元がうっすらと赤みを帯び、滲んだ涙が今にも零れそうだった。
「いえ……この世で最も、目が離せないお方です」
「……今夜だけは、その言葉、素直に受け取ってあげるわ」
シャーロットは、表情を隠すように背を向けた。
肩先が、細かく揺れている。
私は胸ごと差し出すようにして腕を回し、その肩を温もりで包み込んだ。
「……ねえ、シャンパンはないの?」
「あんなもの……私たちにはもう、必要ないでしょう」
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