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私のお父ちゃん
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「お父ちゃんたらもう、金もないのに遊び歩いて! 清次郎さんに申し訳ないと思わないのかい?」
「遊んでる訳じゃねえって。護衛だ、護衛。寝ずに用心棒をしていたんだよ、俺は!」
「じゃあなんで、そんなに酒臭いのよ。お香の良い匂いまで付けてさ。最低よ」
「お香? そんなの知らねえよ。まったくよぉ、しつこい女はモテないぞ!」
「うっ、酷いこと言わないでよぉ。お父ちゃんの癖に!」
源を叱りつけるのは、彼の養女であるお菊だ。
やがすりの黄色の着物を着たまま、寝ずに朝まで待った源の姿を見つけ、安堵の表情を浮かべるのを隠せずにいる。
ずいぶんと威勢が良いがまだ15才。
源に育てられたお菊は、昔とは逆に母親のように彼の世話をしている。
当然の如く勝手にやっているが、源が不満を言うことはあまりない。ままごとの延長とでも思っているようだ。
「お菊、煩いぞ。こちとら清さんの酒に付き合わされて、酷い二日酔いなんだよ。まずは寝かせろよ」
そう言った後布団に入り込んだ源は、幸せそうな顔をして寝息をたて始めた。
それを見た清次郎とお菊は、毒気が抜かれ微笑んでしまう。
「すまんね、お菊ちゃん。きっと心配していたのだろう。でも彼がいないと、父が僕の外出を許してくれなくてね。もう少し彼を貸して貰えないかい?」
源の上司で同心の清次郎に言われては、折れぬ訳にはいかなかった。それでなくとも源は、普通よりも多い賃金を彼から与えられていたからだ。
「そ、そんな、頭をあげて下さい。私が勝手に怒っているだけですから。……仕事ならしょうがないのに、すみません……」
しょんぼりするお菊に、清次郎はさらに慌てた。
「まあ、半分はそうなんだけど、半分は友人だから話をしたくてさ。お菊ちゃんも一緒に一杯出来れば良いのだけど、源さんが駄目だとごねるから。本当に子煩悩だよね」
それを聞いた彼女は、驚きで瞬いた。
「お父ちゃんは、私が大事? 本当に?」
平民では15才は立派な大人だ。
下手をすれば13や14才で嫁ぎ、子を産む者もいる。
とっくに酒が呑める年齢だが、源は彼女に飲酒を許していない。酒の勢いで間違いが起こったら困るからだそうだ。
彼自身、過去に何かあったのかもしれない。
今日は非番の源を置いて、清次郎は源の住む長屋を後にする。
去り際、「じゃあ、今日はゆっくり休ませてあげてよ。お菊ちゃんにはこれを。それではまたね」と笑顔で軽い会釈をして。
お礼を言ってから彼を見送り、手渡された紙包みを開けば、そこには栗の入ったお饅頭が3つ入っていた。
「やったぁ、お饅頭だ。お父ちゃんが起きたら食べよう。嬉しいな。清次郎さん、大好き」
満面の笑顔のお菊を薄く横目を開けて確認する、寝ていた筈の源は気づかれぬように嘆息した。
(清次郎さんはお菊をどう思っているんだか。幼い頃から知る童に対する兄的視点ならば良いが、間違っても結婚なんて言い出さないで欲しいよ。身分違いの恋はお互いに不幸になるからな)
適齢期の娘を持つ父親は、不器用ながらに心配をしていた。家に清次郎を呼ばないのもそのせいなのだ。
江戸の治安維持(ここでは町奉行を説明)には、トップに老中が位置し。
その下に町奉行が位置する。
そしてその下に並ぶ3つが、町年寄、与力、牢屋奉行である。
※与力は、町奉行や諸奉行の事務を補助したり、同心を指揮したりする役職を指す。
同心は、侍大将や諸奉行の下に属し、与力の下で庶務や警備に従った下級の役人を指す。
岡っ引き(または小者)は、同心が私的に雇った、探偵や捕り物を手伝う者。平民と呼ばれる町民で、武士の身分ではない。
給料としては、町奉行の年収1億円以上に対し、岡っ引きは年収7万5000円ほど。 源はいろいろと多くの仕事が任されていた為、年収は20万近くあった。
清次郎は同心として優秀で、誰の話も聞く人格者であった。慕われる分仕事が多く、岡っ引きの仕事も多かった。その中でも源は特に重用されていたのだ。
「やはり信用出来るのは、源の他には居ないね。何せ彼は元盗賊だから。あらゆることに精通しているし、腕っぷしも強い。まだまだ、逃がしてあげられないな。ふふっ」
人の前でする顔とは違う悪い顔を浮かべ、屋敷の縁側で酒を煽る清次郎は夜月を見て微笑んだ。傍で酌をする芸子姿の女性は、呆れた顔で彼を見上げた。
「……清次郎さん、貴方はお兄様に良いように使われてばかり。手柄はみんな差し上げて、無欲にも程がありますわ。まあその分、貴方も源さんを酷使しているようですが」
無欲の部分に嘲りを込めていたのだが、清次郎は受け流して笑っていた。
「酷いね、霧子は。まあ好きなように動けているから、僕には不満はないんだ。源は良い奴だし、兄では見て回れない町の膿も綺麗に出来るしね。……それにお菊も綺麗になった」
どことなく優しい目をした清次郎は、おちょこに注がれた酒を一気に飲み干す。
「お菊さんね……。彼女は不幸にしないで下さいよ。ただでさえその身の上に悲哀しか感じない子。やっと落ち着いて笑えるようになったのに」
一瞬悲しそうに身を竦めた霧子は清次郎から目を逸らし、流れる星を目で追った。
「僕はね、権力はそれに相応しい者が持てば良いと思っているんだ。力を分散すれば、派閥ごとに癒着する者も多くなる。権力者はそれを欲する者から標的にもされるが、味方を増やせば守りも強固となり、支持も維持できるだろう。
武士よりも多い平民を味方に付けることが、一番手っ取り早い。
悪政を振るう者より、いくぶん兄の方がマシでもあるし」
言い訳のように言葉を重ねた彼の言葉は、真実を覆い隠していた。
南町奉行、片切進之介は彼の異母兄。
彼の本名は片切清次郎。役職は町奉行である兄に仕える与力だ。
源とお菊には、浅賀清次郎と名乗っていた。
兄公認の、もう一つの身分であった。
何れ彼らにも正体を明かすつもりだが、それはもう戻れないことを意味する。生涯、清次郎の傍から離れられなくなる。離れる時は死ぬ時だけに。
だから清次郎には決意がつかない。
お菊には普通の家庭を持つ方が良いと、考えることもあるからだ。
合理的に育てられた、彼らしくない思考であった。
「遊んでる訳じゃねえって。護衛だ、護衛。寝ずに用心棒をしていたんだよ、俺は!」
「じゃあなんで、そんなに酒臭いのよ。お香の良い匂いまで付けてさ。最低よ」
「お香? そんなの知らねえよ。まったくよぉ、しつこい女はモテないぞ!」
「うっ、酷いこと言わないでよぉ。お父ちゃんの癖に!」
源を叱りつけるのは、彼の養女であるお菊だ。
やがすりの黄色の着物を着たまま、寝ずに朝まで待った源の姿を見つけ、安堵の表情を浮かべるのを隠せずにいる。
ずいぶんと威勢が良いがまだ15才。
源に育てられたお菊は、昔とは逆に母親のように彼の世話をしている。
当然の如く勝手にやっているが、源が不満を言うことはあまりない。ままごとの延長とでも思っているようだ。
「お菊、煩いぞ。こちとら清さんの酒に付き合わされて、酷い二日酔いなんだよ。まずは寝かせろよ」
そう言った後布団に入り込んだ源は、幸せそうな顔をして寝息をたて始めた。
それを見た清次郎とお菊は、毒気が抜かれ微笑んでしまう。
「すまんね、お菊ちゃん。きっと心配していたのだろう。でも彼がいないと、父が僕の外出を許してくれなくてね。もう少し彼を貸して貰えないかい?」
源の上司で同心の清次郎に言われては、折れぬ訳にはいかなかった。それでなくとも源は、普通よりも多い賃金を彼から与えられていたからだ。
「そ、そんな、頭をあげて下さい。私が勝手に怒っているだけですから。……仕事ならしょうがないのに、すみません……」
しょんぼりするお菊に、清次郎はさらに慌てた。
「まあ、半分はそうなんだけど、半分は友人だから話をしたくてさ。お菊ちゃんも一緒に一杯出来れば良いのだけど、源さんが駄目だとごねるから。本当に子煩悩だよね」
それを聞いた彼女は、驚きで瞬いた。
「お父ちゃんは、私が大事? 本当に?」
平民では15才は立派な大人だ。
下手をすれば13や14才で嫁ぎ、子を産む者もいる。
とっくに酒が呑める年齢だが、源は彼女に飲酒を許していない。酒の勢いで間違いが起こったら困るからだそうだ。
彼自身、過去に何かあったのかもしれない。
今日は非番の源を置いて、清次郎は源の住む長屋を後にする。
去り際、「じゃあ、今日はゆっくり休ませてあげてよ。お菊ちゃんにはこれを。それではまたね」と笑顔で軽い会釈をして。
お礼を言ってから彼を見送り、手渡された紙包みを開けば、そこには栗の入ったお饅頭が3つ入っていた。
「やったぁ、お饅頭だ。お父ちゃんが起きたら食べよう。嬉しいな。清次郎さん、大好き」
満面の笑顔のお菊を薄く横目を開けて確認する、寝ていた筈の源は気づかれぬように嘆息した。
(清次郎さんはお菊をどう思っているんだか。幼い頃から知る童に対する兄的視点ならば良いが、間違っても結婚なんて言い出さないで欲しいよ。身分違いの恋はお互いに不幸になるからな)
適齢期の娘を持つ父親は、不器用ながらに心配をしていた。家に清次郎を呼ばないのもそのせいなのだ。
江戸の治安維持(ここでは町奉行を説明)には、トップに老中が位置し。
その下に町奉行が位置する。
そしてその下に並ぶ3つが、町年寄、与力、牢屋奉行である。
※与力は、町奉行や諸奉行の事務を補助したり、同心を指揮したりする役職を指す。
同心は、侍大将や諸奉行の下に属し、与力の下で庶務や警備に従った下級の役人を指す。
岡っ引き(または小者)は、同心が私的に雇った、探偵や捕り物を手伝う者。平民と呼ばれる町民で、武士の身分ではない。
給料としては、町奉行の年収1億円以上に対し、岡っ引きは年収7万5000円ほど。 源はいろいろと多くの仕事が任されていた為、年収は20万近くあった。
清次郎は同心として優秀で、誰の話も聞く人格者であった。慕われる分仕事が多く、岡っ引きの仕事も多かった。その中でも源は特に重用されていたのだ。
「やはり信用出来るのは、源の他には居ないね。何せ彼は元盗賊だから。あらゆることに精通しているし、腕っぷしも強い。まだまだ、逃がしてあげられないな。ふふっ」
人の前でする顔とは違う悪い顔を浮かべ、屋敷の縁側で酒を煽る清次郎は夜月を見て微笑んだ。傍で酌をする芸子姿の女性は、呆れた顔で彼を見上げた。
「……清次郎さん、貴方はお兄様に良いように使われてばかり。手柄はみんな差し上げて、無欲にも程がありますわ。まあその分、貴方も源さんを酷使しているようですが」
無欲の部分に嘲りを込めていたのだが、清次郎は受け流して笑っていた。
「酷いね、霧子は。まあ好きなように動けているから、僕には不満はないんだ。源は良い奴だし、兄では見て回れない町の膿も綺麗に出来るしね。……それにお菊も綺麗になった」
どことなく優しい目をした清次郎は、おちょこに注がれた酒を一気に飲み干す。
「お菊さんね……。彼女は不幸にしないで下さいよ。ただでさえその身の上に悲哀しか感じない子。やっと落ち着いて笑えるようになったのに」
一瞬悲しそうに身を竦めた霧子は清次郎から目を逸らし、流れる星を目で追った。
「僕はね、権力はそれに相応しい者が持てば良いと思っているんだ。力を分散すれば、派閥ごとに癒着する者も多くなる。権力者はそれを欲する者から標的にもされるが、味方を増やせば守りも強固となり、支持も維持できるだろう。
武士よりも多い平民を味方に付けることが、一番手っ取り早い。
悪政を振るう者より、いくぶん兄の方がマシでもあるし」
言い訳のように言葉を重ねた彼の言葉は、真実を覆い隠していた。
南町奉行、片切進之介は彼の異母兄。
彼の本名は片切清次郎。役職は町奉行である兄に仕える与力だ。
源とお菊には、浅賀清次郎と名乗っていた。
兄公認の、もう一つの身分であった。
何れ彼らにも正体を明かすつもりだが、それはもう戻れないことを意味する。生涯、清次郎の傍から離れられなくなる。離れる時は死ぬ時だけに。
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