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満月の夜に
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「ああ。待ってたよ、アンナ。その鞄見ても良い?」
「ええ、どうぞ。お金がそれで足りるか確認して」
臙脂色のブランド物の鞄は、唯一彼からプレゼントされたものだ。母親の形見だと言う。
でもそれ以上に、アンナはケニーにプレゼントしていた。
彼は金髪碧眼のくせっ毛で、色白で痩せた体躯はか弱く見え、庇護欲を煽った。
天使のような優しい微笑みと穏やかな声。僅かつり目で、とても美しい顔をしていた。
そんな彼に愛を囁かれ、彼女は信じた。
「君が必要なんだ、僕には」
そう言われれば、身の程を知り距離を置いていた彼女も折れた。
出会った時から、彼のことが好きだったのだ。
もう抗えなかった。
その日乞われるまま、彼女は彼との一線を越えた。
アンナは決して裕福ではなかった。
それでも、大好きなケニーの愛が欲しかった。
彼女が事務仕事で稼いだ殆どのお金を、給料日には彼に渡してしていた。
彼は病弱な為に働けないと言うから。
初めて出会った新月の夜、彼はベンチで泣いていた。
具合が悪いのかと思って声を掛けたが、彼は捨てられたので生きていけないと、彼女に縋って泣いたのだ。
彼女は運命だと思った。
こんなタイミングで逢うなんて、なんて奇跡だろう。
そんな彼に生活費を全て出し、その度に彼に抱かれた。
自分が彼を支えれば、彼は自分だけのもの。
女が働いたって可笑しくない世の中だ。
このまま結婚しても良いじゃないか。
否、結婚しなくても、ずっとこのままでも。
一緒に暮らして年を経れれば、それはそれで幸せではないかと。
そう思っていた会社の帰り道、彼に似ている人物が遠目に見えた。
思わず後を着けると、隣には華奢で美しいモデルのような女性が笑っていた。
彼も自分が見たこともない笑顔で、彼女の肩を抱いてホテル街に消えて行く。
自分は騙されていた。
そう思うと、涙が知らずと流れていた。
高い授業料。
そう思って諦めようと思った。
それから彼には連絡もしないし、会いにも行かなかった。
…………それなのにまた、彼が会社に会いに来た。
体調が悪くて辛いので、病院へ行くお金が欲しいと。
「数日前は、やけに顔色が良かったのにね」
呟く彼女からは、嘲笑が漏れていた。
◇◇◇
馬鹿な人ね。
あのまま終わりにすれば良かったのに。
翌日の夜、私は彼の部屋に訪れた。
いつもの鞄に違うものを詰めて。
私は彼に、いつも通り鞄を渡す。
彼は嘘臭く微笑みながら、鞄に手を入れた。
「? あれ、何だろう。中濡れてる? ええっ、うわあああっ」
彼が掴んだのは、あの時彼の隣にいた女の顔だ。
「な、なんで、これ、なにっ、嘘っ、か、楓、楓がっ!?」
驚愕の叫び声をあげ、鞄を投げ捨て後退りする彼。
こちらを向いた瞬間に、彼の首を鋭い爪で引き裂いた。
「うがあぁ、痛い!…………ば、化け物!? 嫌だ、助け、てぇ!!!」
辺り一面が、もの凄い勢いの血飛沫で真っ赤に染まる。シュシュシューと、まるで噴水みたいだ。
「があああっ!!!」
彼は首を押さえのたうつも、苦悶の表情で這いつくばり玄関に向かう。
「貴方は君が必要なんだ、僕にはと言うけど。
正確にはこうでしょう?
君が必要なんだ、僕には “君の金が”でしょ?」
「お前、なんな………の?」と呟きながら、絶望した顔で訳もわからぬままに後退っていく。
それを追って背中を “ドスン”と足で踏みつければ、「ひぐっ」と一声の悲鳴と共に、彼の体が脱力したのを感じた。
月明かりに照らされた、美しい彼の亡骸を見つめる私は、体長3メートル程の狼に変身していた。
『私は狼女だ』
◇◇◇
私の里には年齢の合う狼族の男がおらず、子種を得る為に町に降りて来ていた。
子を孕めば里へ帰るつもりだったのに。
私の身分証明書は、里の谷底で亡くなった者が持っていた物だ。
毎年数人が、里の橋から滑落していく。
故意か事故かどうかは不明だが。
既にこの世にいない者の名義で借りたアパートだ。捜査の進展は皆無だろう。
大事な人に捨てられたと泣く彼にならば、身元を打ち明けても共に里に来てくれるかもしれないと思ったのに………………
少なくとも、彼が再び現れなければ、殺すまではしなかった。
それでも一度は見逃した。
美しい彼を、好きになってしまったから。
それにお腹の子の “父親だった”から。
狼の番は、生涯同じなのだ。
共有など出来ない。
私には金など不要だった。
彼が欲しいなら、いくらでも働いたのに。
私が狼の姿に戻るのは、完全な満月の夜のみ。
彼に会った新月の夜は、運命を感じた。
やはり人間は信じるに値しない。
ずっと母に言われたのを忘れていた。
女の狼は子種を貰い育てるが、男の狼は年齢の合う狼がいなければ、人間の腹に精を放つと言う。
本来、狼の番は裏切りを許さない。
子が産まれた後に、女が裏切ればどうなるか?
残された子はどうなるのか?
自分の出自を知らぬのは不憫だ。
責めて生まれた子は、里に連れ帰って欲しいものだが。
いずれにしても、男の狼は里には戻ってこない。
番を決めるまでは、多くの女を物色する為に。
そして番が亡くなったらリセットし、再び番を見つけるために。
里長は男の狼だけに、それを許した。
人口が著しく減ったことで、存続を図る為には仕方ないとの判断から。
だからこそ、若い女のたくさんいる街にいたいのだろう。
狼の女は、
生涯一人だけを胸に生きるけれど……
今日もまた、犯人不明の死体が見つかったと騒ぎがあった。
傍らには狼の毛だけが残されていた。
「ええ、どうぞ。お金がそれで足りるか確認して」
臙脂色のブランド物の鞄は、唯一彼からプレゼントされたものだ。母親の形見だと言う。
でもそれ以上に、アンナはケニーにプレゼントしていた。
彼は金髪碧眼のくせっ毛で、色白で痩せた体躯はか弱く見え、庇護欲を煽った。
天使のような優しい微笑みと穏やかな声。僅かつり目で、とても美しい顔をしていた。
そんな彼に愛を囁かれ、彼女は信じた。
「君が必要なんだ、僕には」
そう言われれば、身の程を知り距離を置いていた彼女も折れた。
出会った時から、彼のことが好きだったのだ。
もう抗えなかった。
その日乞われるまま、彼女は彼との一線を越えた。
アンナは決して裕福ではなかった。
それでも、大好きなケニーの愛が欲しかった。
彼女が事務仕事で稼いだ殆どのお金を、給料日には彼に渡してしていた。
彼は病弱な為に働けないと言うから。
初めて出会った新月の夜、彼はベンチで泣いていた。
具合が悪いのかと思って声を掛けたが、彼は捨てられたので生きていけないと、彼女に縋って泣いたのだ。
彼女は運命だと思った。
こんなタイミングで逢うなんて、なんて奇跡だろう。
そんな彼に生活費を全て出し、その度に彼に抱かれた。
自分が彼を支えれば、彼は自分だけのもの。
女が働いたって可笑しくない世の中だ。
このまま結婚しても良いじゃないか。
否、結婚しなくても、ずっとこのままでも。
一緒に暮らして年を経れれば、それはそれで幸せではないかと。
そう思っていた会社の帰り道、彼に似ている人物が遠目に見えた。
思わず後を着けると、隣には華奢で美しいモデルのような女性が笑っていた。
彼も自分が見たこともない笑顔で、彼女の肩を抱いてホテル街に消えて行く。
自分は騙されていた。
そう思うと、涙が知らずと流れていた。
高い授業料。
そう思って諦めようと思った。
それから彼には連絡もしないし、会いにも行かなかった。
…………それなのにまた、彼が会社に会いに来た。
体調が悪くて辛いので、病院へ行くお金が欲しいと。
「数日前は、やけに顔色が良かったのにね」
呟く彼女からは、嘲笑が漏れていた。
◇◇◇
馬鹿な人ね。
あのまま終わりにすれば良かったのに。
翌日の夜、私は彼の部屋に訪れた。
いつもの鞄に違うものを詰めて。
私は彼に、いつも通り鞄を渡す。
彼は嘘臭く微笑みながら、鞄に手を入れた。
「? あれ、何だろう。中濡れてる? ええっ、うわあああっ」
彼が掴んだのは、あの時彼の隣にいた女の顔だ。
「な、なんで、これ、なにっ、嘘っ、か、楓、楓がっ!?」
驚愕の叫び声をあげ、鞄を投げ捨て後退りする彼。
こちらを向いた瞬間に、彼の首を鋭い爪で引き裂いた。
「うがあぁ、痛い!…………ば、化け物!? 嫌だ、助け、てぇ!!!」
辺り一面が、もの凄い勢いの血飛沫で真っ赤に染まる。シュシュシューと、まるで噴水みたいだ。
「があああっ!!!」
彼は首を押さえのたうつも、苦悶の表情で這いつくばり玄関に向かう。
「貴方は君が必要なんだ、僕にはと言うけど。
正確にはこうでしょう?
君が必要なんだ、僕には “君の金が”でしょ?」
「お前、なんな………の?」と呟きながら、絶望した顔で訳もわからぬままに後退っていく。
それを追って背中を “ドスン”と足で踏みつければ、「ひぐっ」と一声の悲鳴と共に、彼の体が脱力したのを感じた。
月明かりに照らされた、美しい彼の亡骸を見つめる私は、体長3メートル程の狼に変身していた。
『私は狼女だ』
◇◇◇
私の里には年齢の合う狼族の男がおらず、子種を得る為に町に降りて来ていた。
子を孕めば里へ帰るつもりだったのに。
私の身分証明書は、里の谷底で亡くなった者が持っていた物だ。
毎年数人が、里の橋から滑落していく。
故意か事故かどうかは不明だが。
既にこの世にいない者の名義で借りたアパートだ。捜査の進展は皆無だろう。
大事な人に捨てられたと泣く彼にならば、身元を打ち明けても共に里に来てくれるかもしれないと思ったのに………………
少なくとも、彼が再び現れなければ、殺すまではしなかった。
それでも一度は見逃した。
美しい彼を、好きになってしまったから。
それにお腹の子の “父親だった”から。
狼の番は、生涯同じなのだ。
共有など出来ない。
私には金など不要だった。
彼が欲しいなら、いくらでも働いたのに。
私が狼の姿に戻るのは、完全な満月の夜のみ。
彼に会った新月の夜は、運命を感じた。
やはり人間は信じるに値しない。
ずっと母に言われたのを忘れていた。
女の狼は子種を貰い育てるが、男の狼は年齢の合う狼がいなければ、人間の腹に精を放つと言う。
本来、狼の番は裏切りを許さない。
子が産まれた後に、女が裏切ればどうなるか?
残された子はどうなるのか?
自分の出自を知らぬのは不憫だ。
責めて生まれた子は、里に連れ帰って欲しいものだが。
いずれにしても、男の狼は里には戻ってこない。
番を決めるまでは、多くの女を物色する為に。
そして番が亡くなったらリセットし、再び番を見つけるために。
里長は男の狼だけに、それを許した。
人口が著しく減ったことで、存続を図る為には仕方ないとの判断から。
だからこそ、若い女のたくさんいる街にいたいのだろう。
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