書架の蜜、指先の熱

Sina

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十話

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 季節は巡り、図書室の窓の外には、冬の枯れ木が鋭い銀細工のように突き立っていた。
 卒業を間近に控えた放課後、羽鳥圭は最後の蔵書点検を終えた。誰もいない書架の間に、自身の足音だけが空虚に響く。この場所は、かつて彼の唯一の聖域であり、孤独という名の城壁だった。

「……終わったのか、司書様」

 書架の陰から、織田准が現れる。
 彼はもう、あの泥にまみれたユニフォームを着ることはない。進学が決まり、以前よりもどこか大人びた表情の彼が、羽鳥の目の前に立った。

「ああ、全て終わったよ。……明日からは、もうこの鍵を開ける必要もない」
「寂しいか?」
「いや。不思議と、清々しい気分だ。……君が、僕の城壁を壊してくれたからだろうね」

 羽鳥は、自分でも驚くほど穏やかな微笑を浮かべた。
 織田は一歩近づき、羽鳥の頬に手を添える。その掌の厚みは、出会った頃のあの「蜜柑」の温もりと同じ、確かな生命の証だった。

「外の世界は、図書室よりもずっと騒がしくて、薄汚れている。お前、耐えられるか?」
「君がいれば、どんな騒音も、美しい旋律に聞こえるかもしれない」

 羽鳥の言葉に、織田は感極まったように瞳を潤ませた。
 彼は羽鳥を引き寄せ、その額に、誓いを立てるような深い口づけを落とした。
 それは、芥川が描いた『羅生門』の暗闇さえも照らし出すような、純潔で、かつ激情を孕んだ接触だった。

「羽鳥。俺は、お前を連れて行く。どこまでも、お前の言葉が届く場所まで」
「……ああ。君の背中を、僕は一生、本の中からではなく、この目で見つめ続けるよ」

 二人は、夕暮れに染まる図書室を後にした。
 閉められた扉の奥には、数多の物語が眠っている。しかし、これから二人が歩む道のりには、どの作家も記したことのない、新緑のような鮮烈な物語が待っているはずだ。

 校門を出る時、羽鳥のポケットの中で、一枚の押し花がカサリと音を立てた。
 それは、あの夏の日に織田から受け取った、薄紅色の栞。
 二人の愛は、その栞のように、いつまでも色褪せることなく、人生という名の重厚な書物の間に挟まれ、永遠に息づいていくのである。
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