書架の蜜、指先の熱

Sina

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九話

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 校門を一歩出れば、そこは饒舌な色彩に溢れた俗世である。
 制服を脱ぎ捨て、私服に身を包んだ織田准は、アスファルトの照り返しの中に立っていた。白いTシャツから覗く腕の筋肉は、図書室の暗がりにいた時よりも一層、野生のしなやかさを強調している。羽鳥圭は、自身の薄い麻のシャツの襟元を整え、その眩しさに目を細めた。

「待たせたな。……意外と、似合ってるじゃないか。その色」

 織田が羽鳥の紺色のシャツを指して笑う。
 羽鳥は、自分の心臓が不必要に騒ぎ立てるのを鎮めるように、眼鏡のフレームに触れた。

「君の色彩感覚は、運動場の赤土に最適化されているようだけれど。……今日はどこへ行くつもりだい」
「お前の好きそうな場所だよ。古本屋の奥に、美味い珈琲を出す店があるんだ」

 二人は、陽炎の立つ坂道を歩き出した。
 隣を歩く織田の肩が、時折、羽鳥の腕に触れる。学校という「枠組み」を失った外の世界では、その接触の一つ一つが、剥き出しの刃物のように羽鳥の皮膚を刺激した。
 辿り着いた喫茶店は、地下へと続く階段の先にあった。
 カビと焙煎の香りが混じり合うその空間は、まるで芥川が愛した西洋風の書斎を、そのまま沈めたような静寂を湛えている。

「羽鳥。お前、さっきから一言も喋らないな。俺と外にいるのが、そんなに不満か?」

 運ばれてきた黒い液体を見つめる羽鳥に、織田が低い声で問いかける。
 羽鳥は、カップから立ち昇る湯気の向こう側で、織田の瞳が射抜くように自分を捉えていることに気づいた。

「不満ではないよ。ただ、君の存在が、この静謐な空間にそぐわないほど……熱を帯びているだけだ」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。お前こそ、氷細工みたいに冷ややかなくせに、指先だけは火傷しそうなほど熱いじゃないか」

 テーブルの下で、織田の大きな掌が、羽鳥の指を包み込んだ。
 冷えた店内の空気の中で、そこだけが沸騰した湯のように熱を放つ。羽鳥は逃げようとはしなかった。むしろ、その熱が自分の血の中に溶け込み、冷徹な理性をじわじわと侵食していく快楽に、密かに身を委ねていた。

「……珈琲が、冷めてしまうよ」
「冷めたら、また新しいのを頼めばいい。時間はたっぷりあるんだ」

 織田の親指が、羽鳥の手の甲をゆっくりと撫でる。
 その規則的なリズムは、羽鳥の精神を絡め取る蜘蛛の糸のように、優しく、そして容赦なく自由を奪っていった。
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