偏屈先生、書生の愛に剥かれる

Sina

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五話

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 天が、底の抜けた桶のように水をぶちまけていた。
 瓦を叩く雨音は、数千の鉛の針が、この古い家を突き刺しているかのような錯覚を起こさせる。書斎の灯(ともしび)は、湿った大気に押されて、今にも消え入りそうに揺れていた。

「……降り止まんな」

 誠一郎は、窓の隙間から這い込んできた冷気に、羽織の襟をきつく合わせた。
 目の前には、玄関先で立ち往生している佐伯蓮次の背中がある。降り頻る雨は、彼の帰り道を完全に断絶していた。

「この雨では、橋も落ちかねませんね。誠一郎さん、今夜はあなたの布団の片隅を、僕に貸してくださるのでしょう?」

「……正気か。この家には、客用の布団など、十年前から存在しない。貴様のような大男が横たわる場所など、どこにも……」

「床の上でも構いませんよ。ただ、あなたの隣であれば、氷の上でも極楽です」

 蓮次が振り返る。その瞳には、雨に打たれたわけでもないのに、奇怪なほどに潤んだ、そして確信犯的な熱が宿っていた。
 誠一郎は、自らの喉が、警告を発するかのように鳴るのを聞いた。

 結局、二人は一組の布団を分け合うことになった。
 いや、「分け合う」という表現は、余りに語弊がある。
 誠一郎が布団の端に、まるで崖っぷちに追い詰められた落人のように身を固くして横たわると、蓮次は当然の権利を行使するように、そのすぐ背後へ滑り込んできたのだ。

「……近い。蓮次、貴様の吐息が、私の首筋に突き刺さる」

「それは、誠一郎さんがそんなに隅っこで震えているからです。真ん中に来てください。僕の体温を、半分差し上げますから」

「不要だ。私は、この寒さの中で孤独を研ぎ澄ますのが……」

 言い終える前に、背後から逞しい腕が伸びてきた。
 その腕は、誠一郎の細い腰を、まるで獲物を捕らえた大蛇の如く、容易く、そして情熱的に抱き寄せた。

「離せ! この、野蛮人め……!」

「野蛮でも何でも構いません。あなたの体が、こんなに冷え切っている。これは執筆による疲弊というより、僕の愛が足りないせいですね」

 蓮次の胸板が、誠一郎の背中に密着する。
 厚い着物越しでも分かる、その圧倒的な生命の鼓動。誠一郎の心臓は、自らの意志を裏切り、蓮次の鼓動と共鳴するように、激しく、且つ不格好なリズムを刻み始めた。

「……貴様は、怖くないのか。私のような、言葉しか持たぬ空虚な男の隣で、こうして夜を明かすことが」

「空虚? とんでもない。あなたの内側には、誰にも見せていない、沸騰するような情熱が隠れている。僕はそれを、指先で、唇で、一つずつ暴いていくつもりですよ」

 蓮次の指が、誠一郎の手の甲をなぞり、指を絡ませる。
 それは、芥川が描く『蜘蛛の糸』の地獄から、自分だけを救い上げようとする、悪魔の誘惑に似ていた。
 誠一郎は、絡められた指を振り解くことができない。いや、むしろ、その指から伝わる、灼熱のような安らぎに、己の魂が弛緩していくのを、羞恥と共に自覚していた。

「……誠一郎さん、あなたの耳が、また雨の雫のように赤く透き通っています」

「……雨音のせいだ。この、喧騒のせいで……気が立っているだけだ」

「嘘ですね。あなたの呼吸は、僕に触れられてから、一度も規則正しさを取り戻していない」

 蓮次は、誠一郎の耳朶に、触れるか触れないかの距離で唇を寄せた。
 外の雨音は、今や二人を外界から隔絶する、慈悲深き壁となっていた。この密室の中では、誠一郎が長年築き上げてきた「文士」としての虚飾は、蓮次の放つ熱情によって、蜜柑の皮よりも容易く、溶けて消えていく。

「……蓮次。明日、雨が上がったら……貴様は、帰るのだろうな」

「帰りませんよ。あなたが『行くな』と、その誇り高き唇で仰るまでは。あるいは、僕があなたの全てを、言葉ではなく、この腕で独占し終えるまでは」

 誠一郎は、閉じた瞼の裏に、眩いばかりの光を見た。
 それは、暗闇に沈んでいた彼の人生に、蓮次という名の嵐が、強引に持ち込んだ、暴力的なまでの幸福であった。
 誠一郎は、絡まった指に、自分からも微かな力を込めた。
 雨は、まだ降り止む気配を見せない。
 二人の影は、揺れる行灯の光に引き延ばされ、畳の上で一つに重なり合っていた。
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