邪神さま・・・あなた本当に邪神さま?

桐坂数也

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邪神さま、呪いを執り行う。

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 謁見の時が、またしてもやってきた。

 今度も女性信者だった。

「『そなたの功徳は聞き知っている。そなたの望みを申せ』と、邪神さまはおっしゃっておられます」
 ソウタが伝えると、信者はくらい眼を御簾みすの向こうに向けた。その目つきに、ソウタはぞっとした。


「ある人物を呪ってください」

 憑りつかれたような顔つきもぶっそうだったが、言う事もぶっそうだ。
 聞けば彼女、朽木希海くちきのぞみは恋人に手ひどく振られたばかりか、その恋人は彼女の友人と結ばれ、幸せに暮らしているという。

 自分を不幸のどん底に叩き落としておいて、自分たちはのうのうと幸せを謳歌しているのだ。これがゆるしておかれようか、と。

 ソウタは小声で、咲に伝え続けた。もちろん咲にも直接聞こえている。

 だが言葉そのものより、信者が放つ暗いオーラが咲を捕らえ、苦しめていた。
 おっとりした表情をわずかにゆがめて、咲は耐えていた。この頃はソウタも、そういった気配のようなものがなんとなくわかるようになり、咲の辛さを思って胸を痛めた。

 できることなら、こんな暗く澱んだ氣は、一刻も早く咲から遠ざけたい、そう願った。

 しかし信者の、それも功徳を積んだ信者の願を無碍むげには出来ない。


(教祖さまのたくらみだ)
 ソウタはそう思った。

「人を呪わば穴二つ」というように、呪いは必ず自分に返る。それはソウタも知っていた。それを咲にやらせようとしているのだ。

(咲さまを試している?)
 こっそりと教祖ミヅチを盗み見ると、表情にこそ出していないが、楽しんでいる気配を感じる。


 咲は、と見ると、ぎゅっと手を握り合わせて、辛抱強く信者の繰り言を聞いている。ソウタは駆け寄って咲を支えたい衝動にかられたが、咲は目でそれを制し、小声でソウタに語り掛けた。

「この者に伝えよ。『あいわかった』と」
「咲さま……」
「ソウタ。心配してくれて嬉しいぞ。じゃが、大丈夫じゃ。伝えてたもれ」

「『あいわかった』と、邪神さまはおっしゃっておられます」
 ソウタを通じて、咲が語り出した。

「まじないを成してしんぜよう」
 そう言って咲は、祝詞のりとの詠唱を始めた。

 唱えることしばし。

「これでよし。そなたの呪いは成就する。これからそなたは、そなたが望むとおりの事どもを聞くことになろう」
「本当ですか?」
「かの者どもが、いと悩みて世をぬるがそなたの望みであろう。かように致すゆえ、そのしょうそこ(消息)をこれなるソウタに申し伝えるがよい。わらわも気にかけておるゆえな」
「ありがとうございます。ありがとうございます」

 希海のぞみは平伏し、くらい喜びに満たされて出ていった。
 彼女は自分の世界にとらわれていて気付かなかった。今回、咲からは何の感情も彼女には伝えられていない。つまり、本当の意味で咲の福音を授かっていなかった。



「あなたが呪い、ですか。しかもアフターフォローつきとは。珍しいことだ」
 ミヅチにとっても意外だったようだ。

 呪いとは結局自分に返るもの。そして術者にも返るものだ。
 だからミヅチ自身もやらないし、やるとしたら身代わりなどを用意し、周到に準備して事に臨む。

 それほどの大事であるから、たかが一信者のためにその技を使うつもりはまったくなかった。
 なので、咲の邪神としての技量を見定めるつもりで、やっかいな信者を体よく押し付けたわけだ。が、今回の咲の振る舞いはミヅチの目的にもかなったもので、けちのつけようがなかった。

 不承不承ながら、彼も退出した。



「咲さま。いいんですか?」
 ソウタの問いは、疑問半分、心配半分だった。

 先ほどの呪いと称するものは、聞いた限りごく普通の祝詞のようだ。あれでまじないの効果があるのだろうか。いや仮に効果があったとしても、そんな後ろ暗いことを咲にはしてほしくなかった。

「大丈夫じゃ。あの者は今後、恨みに思う者らの痛き、ええと、暗いにうす、しか耳に入らぬ」
 自分でそのように情報を選んでしまうのだと言う。

「この世はあやなきもの。よきもわろきも、常に共にある。
 だがひとたび人のいたきを願えば、それしか目に留まらぬ。耳に入らぬ。わらわが何もせずとも、かの者はおのれの信じる結果を見続けるであろう」
「でもそれって、騙していることになりませんか?」
「あるいはな。それゆえ、そなたにしょうそこを託すよう申したのじゃ。されば暫し、様子を見てみようかの」


 咲の言うとおりだった。希海のぞみは事あるごとに、嬉々としてソウタに経過を報告してきた。彼らの子供が熱を出した、土地を巡って親族とトラブルになった、本人が病気になって入院した、などなど、暗い目で熱心に語ったものだ。

 だがそのうち、彼女の声にだんだんと戸惑いが混じるのをソウタは感じ取った。

 彼女を手ひどく傷つけた二人は、次々と不幸に見舞われている。報いを受けている。
 それなのに彼らは、漏れ聞くところによると悲嘆にくれるどころか、さらに幸せそうに暮らしているらしい。

 ついに彼女は我慢できず直に見に行った。
 そして、そのさまを目の当たりにして我慢ができなくなり、とうとう旧友本人に会ったという。

「友だちは唯々、あたしとの再会を喜んでいました。あたしに対して恨むでもなく勝ち誇るでもなく、今の境遇を恨むでもなく悲しむでもなく、ただ喜んでいたんです」

 希海は理解できなかった。なぜそんなに幸せそうなのか。
 そして自分はなぜこんなに不幸せなのか。

 怒りにとらわれ、彼女は呪いの事を旧友にぶちまけた。今までの恨みつらみを、しゃべってしゃべって、しゃべりまくった。涙が流れるのもかまわず、一方的に話し続け、友はずっと黙って聞いていたという。


「ごめんね。あなたがそんな辛い思いをしているなんて、知らなかった。わかってあげられなくて、ごめんね」
 やがて希海が話し疲れた頃、友は静かに言った。

「確かにいろいろ、大変な事があったわ。あたしの今の病気も、報いなのかも知れないわね。

 でもね、あたしは信じているの。神さまはその人が乗り越えられない試練はお与えにならないって。そのための力を与えてくれたんだって。

 あたしの大事な家族。大事な友だち。病気にならなければ、みんながどれほどあたしのことを思ってくれているか、気づかなかった。みんながあたしを愛してくれる。あたしは愛されるに値する存在なんだって、今は素直にそう思えるの。

 あたしもみんなを愛したい。いっぱいいっぱい愛したい。毎日が嬉しくてしょうがないの。
 だからね、あなたにも幸せになってほしい。あなたのことも大好きだから。辛かったら一緒に分け合おう? 悲しかったら一緒に泣こう? そうやって少しでも心が軽くなったら、あたしは嬉しい」

 穏やかに笑って言う友人に、彼女はいたたまれなくなって席を立った。

「あたし、もうわからなくなりました。あたしが不幸なのは彼女のせい、と信じていたのに。彼女が不幸になれば、あたしは幸せになれると信じていたのに。

 彼女はどれだけ不幸でも、幸せそうに笑うんです。
 これじゃあたしは、幸せになれない。幸せに笑えない」



 ソウタはこっそり、希海のぞみを再び咲に会わせた。

 館の中壁の、いつもの狭い廊下を通り、ソウタは奥座敷へ希海を案内した。いつも咲が寝起きしている控えの間で、希海は咲と直接対面したのである。

 あまりのことに――いち信者が直接現人神あらひとがみに拝謁するなど、畏れ多いにもほどがある――希海はおののいていた。


「どうじゃ。わらわのまじないは、あらたかであったかの」
 咲の声には若干からかうような響きがあった。ちらりとソウタを見やる。妾の申したとおりであったじゃろう、と。

「はい。でも、わたくしはもう、何が何だかわからなくなりました。わたくしは何を願えばよかったのでしょうか?」

「そなたの思うがままを願えばよい」
 咲のいたわりの心が、ふわりと広がって希海を包み込んだ。暖かな波動に、彼女は安らぎをおぼえた。そしてなぜか、泣きたくなった。泣いた。ひとたび泣き出すと、もう止まらなかった。

 希海は泣き続けた。その間じゅう、咲は彼女の背中をぽんぽんと叩いたり、そっと抱きとめたりしていた。黙して語らず、しかし穏やかな慈しみの感情が絶えずあふれでて彼女を包んでいた。

(ああ、この暖かい心……これこそが、咲さまだ)
 どのくらいそうしていただろうか。いつしか彼女は子供のように咲に抱かれていた。
「ああ、暖かい……。穏やかとは、こんな気持ちなのですね」

 彼女は咲の膝の上からゆっくりと起き上がって、言った。
「わたくしもこんな風になれる日が来るでしょうか?」
 咲はにっこり笑ってうなずいた。

「わたくしはずっとずっと、人を妬んでいました。いつも他人と自分を較べて呪っていました。なぜ自分はこうなれないんだろうって。
 でも少し、分かった気がします。自分は自分なんですね。

 わたくしも幸せになっていいんですね? 愛されるに値する存在だと、信じていいんですね?」

 咲は黙ってうなずくだけだ。だがそれで希海には充分だった。彼女は自分の答えを自分で見つけていたのだから。




「咲さま。咲さまには分かっていらしたのですか?」

 希海を送り届けて、戻ってきてからソウタが訊いた。
 咲は首を横に振る。

わらわが大人に人の道を説くなど、千年早い」
 冗談なのだろうか。ソウタは考えて笑いそこねた。

「ひとに災いあれと願うも人、われに幸あれと願うも人じゃ。じゃが、どれほど人に災いあれど、おのれは幸せにならぬ。しょせん、人は人じゃ」
「そうですね。おっしゃる通りです」
「だがたとえ神の託宣であろうと、当人が心からそう思えなければ、なんの霊験もない。妾はみなに幸せになってほしいだけじゃ」

「……咲さまは、お優しいのですね」
 ソウタはぽつりと言った。
「ご自分は、みんなに怖がられて、避けられて、千年もの間閉じ込められて……恨んでも不思議じゃないのに、それでもみんなの幸せを願っていらっしゃる。とてもご立派です」
 照れているのか、咲は目をそらして答えない。
 
「おれは自分のことで精いっぱいだ。咲さまみたいに、人に優しくなんてできないなあ」
「なにを言う」
 咲がむきになって反論する。

「ソウタは、そなたは長いことずっと、いたき(つらい)思いをして参ったはず。それなのに妾によくしてくれる。そなたの心根こそ、妾よりずっと気高き心根じゃ」
「そうなんですか? おれには、よくわからないや」
「おのれの事よりも、妾のことを思うて立ち働いてくれている。妾がどれほど心強く思うておることか」
「それはやっぱり、なんと言っても神さまですし。教団の大事な現人神さまですから、大事にするのは当然です」
「……それだけか?」
「はい?」
「妾が邪神であるから、大事にしておるのかや?」
「もちろんですよ。
 ……咲さま? なにを怒っていらっしゃるのですか?」
「怒ってなどおらぬ」
「やっぱり不機嫌だ。どうなさったのですか?」
「どうもせぬ! ソウタなど、知らぬ。呪われてしまうがよい」

 咲がすねている理由が今ひとつよく飲み込めず、「今日は漫画を持ってこなかったからかな」などと考えているソウタの心を読んで、咲はますますむくれる。
 おろおろしながらもソウタは、そんな咲の仕草がいじらしくて、つい顔がほころんでしまう。
 それと知って咲は耳まで真っ赤になりながらも子供扱いされていることにいら立ち、どうしてやろうかと考えるのだが、相変わらずソウタがにこにこしているので、恥ずかしいやら腹立たしいやら、どうしていいのかわからず、
「ソウタなど知らぬ!」
 と言い捨てると、ぷいと席を立って布団に頭を突っ込んでしまった。

 そのあられもない姿にソウタは笑いをこらえ切れず声を押し殺し、咲はますますどうしていいかわからず、かと言って火照った顔を見られるのはそれ以上に恥ずかしく、そのまま硬直してしまったのだった。

 

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