幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第一章 火の鍵の乙女

宵闇とともに来たる者。それは……。

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「その、ナユタさん? その人とは会えそうなの?」
「はい。わたしの名前をトレースして追いつくって言ってました」

 また不思議な表現が出てきた。ということは、魔法かなにかなのだろうか。異世界人だけに。確か魔術師だって言ってたよね。

「名前だけで、きみの居場所がわかるの?」
「なにか印をつけるみたいなことを言ってました。そうすると、居場所を教えてくれるとか。
 わたしが遼太さんに会えたのも、名前をリンクしたからきっと会える、と言ってました」

 そうだよね。なんの手かがりもなしに、ぼくを探し当てたんだから。

 でも、そうすると。

 考えたくない。でも考えないとならない。

「あの追っ手……キリエと言うんだっけ? どうやってきみを追っているんだ?」

 ぼくの声は自分で思ったより深刻に響いたのかもしれない。サキはうつむいた。

「詳しくは分かりません。ですが……多分、何かの目印がついているんだと思います。わたしに」

 ぼくは答えなかった。
 なんとなく、そうじゃないかとは思っていた。でなければ、振り切ったのにまた追いつかれるなんて考えられない。
 そしてそうであれば、ここも知られている可能性がある。

「ごめんなさい」

 サキが謝るのは何度目だろう。
 ほんとはそんな心配をさせたくなかった。ぼくに任せておけ、と言いたかった。
 でも現実には、ぼくはなんにもできない非力な凡人で、追っ手は見たところ手練れの剣士で、
このままでは二人とも殺されるか、捕らえられるか。

 それは、いやだ。

 自分が殺されるのはもちろんいやだが、サキのそんな姿も見たくない。
 目の前でそんなことになるのは真っ平だ。

 ではどうしたらいい?

(やっぱり、あの本……)

 本の通りにサキを「ひらく」しかない。そうすれば、サキの力で追っ手を撃退できる。多分。
 女の子頼みなのが情けない限りだが、今はそれしかない。

「早く、ナユタという人と会わないと……どうすれば会える?」

 会って、もっと詳しい話を聞いてみないと。

「ごめんなさい。わたしはどこにいるか知らないんです。必ず追いついてくると思うんですけど」
「そうなんだ……」

 ちょっとがっかりしたけど、でもあきらめたら終わりだ。
 とにかく、ナユタに会うまで、追っ手をまいて逃げるしかない。となれば、この部屋に留まっているのは危険かも知れない。動いていた方がいいのか。それともナユタと合流できるまで、向こうが探し当ててくれるまでじっとしていた方がいいのか。普通に考えれば後者なのだが。

「とにかく、用心に越したことはないよね」

 食べ終わったぼくは、ドアの鍵をあらためようと思って立った。今は自分に出来る限りのことをしておくしかない。ぼくが思いつくことなんてたかが知れているけど、何もしないよりましだ。

 ドアを見やる。鍵はかかっている。今まで使ったことなんてないけど、チェーンもかけておこうか。
 ストーカーに追われる女の人の気持ちが分かった気がする。やっぱり不安になるんだろうな。違いがあるとすれば、ぼくには守らなきゃならない人がいる、ってことだろうか。


 と、そのとき。

 ドアノブががちゃりと動く。

 全身が総毛だった。

 ついにここまで嗅ぎつけたのか? だけど、大丈夫。鍵はしっかりかかっている。いくらすごい剣士だって、鉄の扉を斬り破って入って来るなんて漫画みたいな真似ができるわけが――。

 鍵がかちゃりと外された。

 なんで? なんで!?

 どうやって? 合鍵? そんなばかな。だとしたら、魔法?

 固まったまま動けないでいるぼくの目の前でドアが開いた。全身の皮膚が突き刺されるような寒気が走る。どうしよう? どうしよう!

 そこでドアが止まる。チェーンに引っかかったのだ。よかった。シンプルゆえに効果は絶大だ。だけど安心はできない。逃げないと。

 止まったドアの隙間から、誰かがのぞき込んでくる。帽子と、コーラで汚れたフード。間違いない。今日三度目の遭遇だ。その人物と、今初めて目が合った。

 ぼくはへたり込んだ。腰が抜けた。燃えるような紅の眼がぼくをにらみつけていた。
 その眼に宿る光。ぼくは今まで見たことがない。でもはっきりとわかった。

 あれは、殺意。

 ぼくは必死で、自分の靴とサキのブーツを掻き集め、奥に走った。
 キッチンにいたサキにブーツを押し付ける。

「きゃっ!」

 手加減する余裕がなくて、サキは軽くよろめく。

「逃げるぞ。急いで!」

 ぼくの剣幕に、サキは一瞬で事態を悟った。二人で部屋に移る。

 ぼくはウエストポーチを引っ掴んで、件の本を押し込んだ。靴をはき、サキを伴って、ベランダに出る。
 ここは二階。普段なら絶対にやらないことだけど。
 手すりを乗り越えて、ぼくはベランダの外側に出た。
 柵に手足を絡めて身体を固定し、サキが乗り越えるのを手伝う。
 アパートだからそんなに高くないはずだ。下は駐車場。足場は悪くない。大丈夫。きっと大丈夫。手を目いっぱい伸ばしてなるべく身体を下に持って行って、

「やっ!」

 着地して前に転がる。

 うー、足が痛い。手をついたから手も痛い。でもけがはしていないようだ。思いのほか上手く行って、小さくガッツポーズ。でも喜んでばかりもいられない。立ち上がって後ろを振り返る。

「サキ! おいで!」

 サキに向かって両手を広げた。
 サキは小さくうなずくと、一瞬ためらったあと――ぼくに向かってダイブした。

(うわっ!)

 と思う間もない。必死で受け止め、後ろに転がって勢いを殺す。
 あちこちぶつけた気がする。痛みも感じたが、どこと確認している暇がない。夢中だった。

「サキ! 大丈夫? けがはない?」

 急いで半身を起こして、ぼくは訊いた。ぼくの上側になっているサキが、小さくうなずく。よかった。助け起こして軽くほこりを払ってあげる。
 ソックスのひざが破れていた。幸い血は出ていないようだが。

「ごめん。ソックスが……」
「大丈夫です。それより、行きましょう」

 うなずいてぼくも一緒に走り出した。


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