幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

文字の大きさ
10 / 59
第一章 火の鍵の乙女

廃ビルの激闘。ぼくにも意地がある。

しおりを挟む
 鍛え抜かれた戦士は、足音さえ自在にコントロールできるものらしい。

 建物内に侵入した者の気配を感じて、ぼくはそう思い、感心した。
 かくいうぼくも「気配」などという曖昧なものを頼りにしているわけだが、今日一日さんざん生命の危機に直面したおかげか、神経が過敏になっていて、ちょっとした変化も感じられるようになっていた。これで戦闘力も上がっていたなら、言うことなしだったんだけど。

 ビル内は暗い。明かりも持たず、窓からわずかに入る街の灯りだけでは、歴戦の勇者もそろそろと歩くしかないようだ。廊下を進んで、ぼくが潜んでいる部屋を通りすぎようとしている。

 廊下の端で、サキがライトを点けた。
 眩しいのか、剣士が立ち止まって手を掲げ、そして光に向かって駆けだそうとする刹那。

 手にしたブラシを振り上げて、ぼくは後ろから殴りかかった。決まった。必殺のタイミングだ。
 だが剣士の頭を直撃する寸前、後ろも見ずに剣が斜めに振り上げられ、ステンレス棒の先のブラシの頭はすっぱりと斬り落とされてしまった。

「うげ!?」

 細いとはいえ金属を斬れるのかよ?
 空振ってバランスを崩したぼくに、斬り返した剣が殺到する。あわてて身を伏せ、後ろに下がる。
 だが剣士はなおも斬り込んでくる。ぼくは跳ね起きて廊下をダッシュした。
 小さいながらライトがあるぼくに対し、剣士は明かりを持っていない。そう簡単には追いつけないはず。そう思いながら斬られたブラシを投げ捨て、腰に差していた別のブラシに持ち換える。二本用意しといてよかった。けど、こいつでかなうだろうか。

 ぼくは階段を上がった。剣士が追って来る。
 途中の踊り場で、ぼくはサラダ油のボトルを蹴とばした。その上で剣士を待つ。ブラシの頭を自分の方に向けて持ち、構えた。重心が手元に来るから、振り回しやすくなるはずだ。

 追いついてきた剣士は階段を上がり――踊り場で足を滑らせてバランスを崩した。

(よし!)

 狙い通りだ。ステンレス棒を思い切り振り下ろす。剣士はバランスを崩しながらも、片手の剣で受け切った。

(マジかよ?)

 こいつ、戦闘能力どれだけだよ? ぼくも片手でブラシを振り回して牽制しながら階段を上がる。伸ばされた剣がふくらはぎを掠める。

(!)

 かすり傷くらいで立ち止まっている暇はない。昇り切ってまた廊下を走る。次の仕掛けだ。
 剣士が追って来る。振り返って加減を確認する。
 ぼくが走りすぎた後を、剣士が確実に追いつめて来る。そして廊下に置いたロープをまたぐ寸前、隠れていたサキがロープを引いた。

(よし。かかった!)

 絶妙のタイミングだ。これで足を引っかけた、と思ったら、ひらりと飛び越えてかわされた。

「うげ!?」

 なんという勘の良さ。飛び越える体さばきも華麗で、不覚にも一瞬見とれてしまった。
 と感心している場合じゃない。殺到してくる剣をかろうじてかわし、棒で受け、走る。防火扉を開けて非常階段に飛び込む。
 窓がない非常階段は、本当に真っ暗。走るなんて到底無理だ。モバイルのライトを頼りに、また階段を昇る。
 剣士が着実に追って来る。足取りに迷いがまったくない。一体こいつ、ぼくなんかに倒せるのだろうか。

(いや、倒さなきゃならない)

 折れそうになる心を無理やり焚きつけた。やるしかない。できなければぼくもサキも、屍となり果てるだけだ。

 サラダ油攻撃をもう一回。転ぶことはなかったものの、暗がりでかなり動きが制限されている。
 そのはずなのに。
 的確に振られた剣に、あやうく首を掻き切られそうになる。切り返された剣を、とっさに棒を持ち換えてがっちりと受け、つばぜり合いのような態勢になる。だが無造作に弾き飛ばされた。

(こいつ、ほんとうに強い)

 鍛えに鍛え抜かれた、本物の戦士。その手にする剣は寸分の狂いもなく獲物をとらえ、それを操る精神には微塵の迷いもない。
 こんな勇者の手にかかるのは、ある意味名誉なことなのかもしれない……。

(だめだ)

 立ち上がる。

(だめだだめだだめだ)

 再び立ち上がって走りだす。
 守る者がいる限り、諦めるわけにはいかない。どれほど絶望していようと、だ。

 防火扉を出て、待ち伏せる。
 続いて扉が開き、慎重な足取りで剣士が現れる。周りをうかがい、こっちを見た瞬間。

(これでどうだっ!)

 防犯スプレー、噴霧一閃。

 唐辛子などを主成分とした防犯スプレー。まともに浴びれば目はしみるし咳込むしで、とても戦える状態じゃなくなるはずだ。

 なのに。

 剣士は平然と斬りかかってきた。

(まさか。効いてないのか?)

 防犯スプレーなんかものともしないほど強靭な肉体なのか。
 いや、そんな馬鹿なことがあるわけがない。どれほど凄くたって同じ人間のはずだ。
 とすると、どうにかして防いだ、ということか。防御魔法というやつかも知れない。さっき鍵を開けたのも、魔法を使ったと考えれば納得がいく。

 正確無比の剣に、安定確実な魔法。もう絶望的なまでにスペックが違いすぎる。

 剣をかろうじてステンの棒で受け、さらに走る。何度目かわからないくらい、また追いつかれて斬り合い、もみ合う。
 また突き飛ばされた。転んだところを突き出す剣が刺し貫く。

(やられる!)

 と思った瞬間、剣士がよろめいた。サキが後ろから体当たりしたのだ。その隙に棒で剣を跳ねのけ、サキの手を取って走る。近くの部屋に飛び込んで鍵をかけ、剣士を締め出した。

 両膝をつき、壁に手を当てて、肩で息をする。必死で空気を吸い込んで呼吸を整える。
 鉄の扉だから、剣で突破はできないはずだ。
 しかし、ここは袋小路。


 もう手がなかった。仕掛けは全て使いつくした。
 ここは三階、飛び降りて脱出するのも難しい。

(万策尽きたか……)

 喉が痛い。
 心臓が暴れる。
 手足が痛い。
 傷がうずく。

 休みたい。

 なにもかも忘れて寝そべりたかった。そう出来たらどんなに楽なことだろう。

 甘美な誘惑に浸る寸前、サキの顔が目に入った。

 さっき大見得を切っておいて、このざまだ。すまないと思うと同時に、この娘を守らなければ、と思い直す。だがどうやって。

「サキ……」

 手を伸ばして、サキをそっと抱き寄せる。サキは逆らわなかった。
 サキの身体が触れて、あたたかい体温を感じる。
 その瞬間、ぼくは胸を締め付けられるような、激しい感情にとらわれた。

 サキ。
 出会ってたった数時間。可愛い娘だと思った。仲良くなりたいと思った。
 いろんな事情を背負っていると知った。健気に一人で戦い抜いてきたと知った。
 だから、守りたかった。一緒にいたかった。ぼくがついているから大丈夫だよと、言ってあげたかった。
 そして心から安らいだ笑顔を見たかった。

 とても愛おしい、それは火の鍵の乙女。

 あり得ないような怖い目にも遭ったけど、今も生命の危機だけど、でもとっても楽しかったんだ。
 この切ない気持ちを、どう伝えたらいいのだろう?


 サキが顔を上げて、ぼくを見た。瞳の奥に閃く光。

 ぼくはぐっと奥歯をかみしめた。

 まだやることがある。そのためにこそ、サキはぼくのところへ命がけで来たはず。
 一度は失敗している。今度も失敗したら、もう本当におしまいだ。

 だけど、終わらせない。絶対に。

「サキ」

 ぼくはサキを真っ直ぐ見た。声が震えそうになるのを、大きく息を吐いて抑え込む。

「絶対に、きみを助ける。ぼくを信じろ」

 ぼくは両手でサキの肩を包み込んだ。思わず手に力がはいる。
 ぼくに負けないくらい、サキもひたむきにぼくを見返している。息を飲むように両手で口もとをおさえ、真っすぐな目を向けているサキに、ぼくは告げた。

「きみを、ひらく。だからきみの命、ぼくに預けろ」


 サキは迷わず、きっぱりとうなずいた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

生まれ変わったら飛べない鳥でした。~ドラゴンのはずなのに~

イチイ アキラ
ファンタジー
生まれ変わったら飛べない鳥――ペンギンでした。 ドラゴンとして生まれ変わったらしいのにどうみてもペンギンな、ドラゴン名ジュヌヴィエーヴ。 兄姉たちが巣立っても、自分はまだ巣に残っていた。 (だって飛べないから) そんなある日、気がつけば巣の外にいた。 …人間に攫われました(?)

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...