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第一章 火の鍵の乙女
ひらかれし乙女。その名は……。
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ぼくは本を取り出した。白い表紙にタイトルが印字されているだけの本。ライトを点けてページをめくる。
なぜだろう。不思議なくらい落ち着いていた。
目指すページを開いて、深呼吸した。緊張ではない、と思う。
失敗するとは思わなかった。根拠はないけど、手応えを感じていた。きっとうまく行く。
だから、心を込めて詠唱したかった。
落ち着いて、ゆっくりと読み上げる。
「火の鍵の乙女よ。赤の姫よ。汝を今ここに開き、世の理をここに導かん。汝の身は炎の身、汝の操るは炎の技、しかして汝の業は世界を滅す。願わくば汝に捧ぐる贄によりて、身を修め、心を鎮め、汝が業をもちて世界を救わんことを」
サキはひざまずき、目を閉じて、組んだ手を口もとに当てている。
「その名は畏きものなれば、あだなす敵に知らしめよ。その名は尊きものなれば、字名は秘して守りおき、汝が主にたてまつれ。汝は赤の姫、火の鍵の乙女」
ぼくは見た。
半目に開いたサキの眼の奥に光が煌めくのを。
その光は徐々に強くなっている。
「鍵の乙女をして、世の理をここに開かしめよ」
半目のままサキが顎を上げた。
サキの身体に力が集まるのを感じる。
その力が、サキの黒髪をふわりと広げる。
「鍵の乙女の力をもちて、仇なす者どもを打ち払わしめよ」
サキが両手を開く。
「その身に捧げられたる名に命じよ。されば世界は汝に開かれん!」
力が爆発した。
+ + + + +
暴風に吹き飛ばされる錯覚をおぼえて、ぼくはよろめいた。
サキの身体から力が湧き出ているのがわかる。いや、爆発している。
その力は風でもない。光でもない。でも何か圧倒的な力。強いていうなら……。
(熱……?)
サキはゆっくりと立ち上がった。
両目に宿る光は瞳を染め上げ、燃えるような紅。
長い黒髪は一瞬にして同じく紅に染まり、力を受けて緩やかにたゆたっている。
(これが……火の鍵の乙女?)
火の化身、という言葉が浮かんだ。
今まで見たことがない、大人びた表情のサキ。酷薄に見えたのは気のせいだろうか。だが今のサキなら、触れるものすべてを焼き尽くしてしまいそうな気がする。
ただただ呆然とサキに見とれるぼくの耳に、鍵を回す金属音が聞こえた。
おそるおそる首だけ回すと、開錠の魔法なのだろうか。またも鍵が外から開けられ、ドアが開いて剣士が現れる。
ここは袋小路、逃げ場はない。ドアの側にいたぼくに剣士は即座に剣を振り上げた。
その剣を弾いたのは、サキが発した火の玉だった。
「遼太さんをいじめる人は、このわたしが許しません」
片手を上げたまま、サキが傲然と言い放った。
その手の前に火の玉がいくつも飛び出し、剣士に向けて飛びかかる。
剣士は腰だめに剣を構えると、連撃。目にも止まらぬ速さで、火の玉を切り捨てた。
(形のないものまで斬れるのか?)
剣に魔法が宿っているのか。普通では考えられない反撃だ。
剣士が斬りかかる。サキが手を上げると、今度は細く絞られた青白い炎が剣士に襲い掛かった。ぼくの方まで熱が伝わるほどの熱さだ。
だが剣士はそれも真っ二つに切り捨てた。
剣士の勢いは止まらない。
「はっ!」
サキはひらりと後ろに跳んでかわす。さらに剣士が踏み込んで、剣を横一文字に払った。サキが身を沈める。そこに上から斬撃。
サキは大きく飛びすさり、そこから跳び上がって身をひねり、剣士の頭上を軽々と越えた。
あり得ないほどの跳躍。いまやサキは炎を自在に操るばかりか、身体能力まで人間離れしている。
軽やかに着地して半回転、剣士と向き合うサキ。
だが剣士にも迷いがない。すかさず剣を振り上げてまた突きかかる。
サキが手をかざす。今度は炎は出ない。
失敗か、と思ったとたん、剣士の足もとから炎が膨れ上がり、一瞬で全身を包み込んだ。
床から天井まで届くほどの巨大な火の玉。剣士は完全に飲み込まれ、姿はもう見えない。
そして炎は見る見る収束していく。どんどん小さくなっていき、やがて一点に吸い込まれるように消えた。
「すごい……」
剣士の姿は欠片も残っていない。完全に燃え尽きてしまったようだ。
「……ごめんなさい。逃げられました」
「えっ? そうなの?」
ぼくの問いは間抜けなものだったかも知れない。
「異世界に逃れたみたいです。追い切れませんでした」
すべての炎が消え、あふれ出る力にたゆたっていたサキの紅い髪は元の落ち着いた綺麗な黒髪に戻った。敵を射殺さんばかりに燃え上がっていた眼も、おだやかな優しさを取り戻す。
明かりはなくなり、元の真っ暗な、物音ひとつない淋しい部屋に戻った。
同時にサキが、がっくりと膝をついた。
「サキ!」
「……大丈夫です。ちょっと感覚が慣れなくて」
駆け寄って助け起こすぼくに、サキが弱々しく微笑んだ。
「でも、追い払ったんですよね。わたし、役に立てたんですよね?」
「ああ。すごかったよ」
すごかった。本当に。身震いするくらいに。
震えが止まらない。これがサキの開放された力。赤の姫の、火の力。
この力があれば、どんな敵も恐れるに足りない。すごいよ、サキ。
ぼくは立っていられなくて、膝をついた。身体が支えられなくて手もついてしまう。
ぶるぶると身体が震える。寒気が収まらない。意識が薄れていく。
なんだ? ぼくはどうなった? なにがどうなっている?
「遼太さん……?」
サキが異変に気がついた。
「遼太さん? どうしたんですか? 遼太さん!」
「……寒い」
かろうじてそれだけ口にできた。もう身体が言うことを聞かない。支えていられなくて、突っ伏してしまう。
「遼太さん! しっかりして下さい! 遼太さん!!」
サキの声が遠のいていく。何が何だか、よく分からない。けど、このまま命が失われそうだ、ということは何となく分かった。
(サキ……)
不思議と死ぬのは怖くなかった。ただサキを独りぼっちで残していくのが残念でならなかった。またきみに心細い思いをさせてしまうのか。
サキが必死でぼくの名前を呼んでいる。いつしかそれも闇に溶けていった。
なぜだろう。不思議なくらい落ち着いていた。
目指すページを開いて、深呼吸した。緊張ではない、と思う。
失敗するとは思わなかった。根拠はないけど、手応えを感じていた。きっとうまく行く。
だから、心を込めて詠唱したかった。
落ち着いて、ゆっくりと読み上げる。
「火の鍵の乙女よ。赤の姫よ。汝を今ここに開き、世の理をここに導かん。汝の身は炎の身、汝の操るは炎の技、しかして汝の業は世界を滅す。願わくば汝に捧ぐる贄によりて、身を修め、心を鎮め、汝が業をもちて世界を救わんことを」
サキはひざまずき、目を閉じて、組んだ手を口もとに当てている。
「その名は畏きものなれば、あだなす敵に知らしめよ。その名は尊きものなれば、字名は秘して守りおき、汝が主にたてまつれ。汝は赤の姫、火の鍵の乙女」
ぼくは見た。
半目に開いたサキの眼の奥に光が煌めくのを。
その光は徐々に強くなっている。
「鍵の乙女をして、世の理をここに開かしめよ」
半目のままサキが顎を上げた。
サキの身体に力が集まるのを感じる。
その力が、サキの黒髪をふわりと広げる。
「鍵の乙女の力をもちて、仇なす者どもを打ち払わしめよ」
サキが両手を開く。
「その身に捧げられたる名に命じよ。されば世界は汝に開かれん!」
力が爆発した。
+ + + + +
暴風に吹き飛ばされる錯覚をおぼえて、ぼくはよろめいた。
サキの身体から力が湧き出ているのがわかる。いや、爆発している。
その力は風でもない。光でもない。でも何か圧倒的な力。強いていうなら……。
(熱……?)
サキはゆっくりと立ち上がった。
両目に宿る光は瞳を染め上げ、燃えるような紅。
長い黒髪は一瞬にして同じく紅に染まり、力を受けて緩やかにたゆたっている。
(これが……火の鍵の乙女?)
火の化身、という言葉が浮かんだ。
今まで見たことがない、大人びた表情のサキ。酷薄に見えたのは気のせいだろうか。だが今のサキなら、触れるものすべてを焼き尽くしてしまいそうな気がする。
ただただ呆然とサキに見とれるぼくの耳に、鍵を回す金属音が聞こえた。
おそるおそる首だけ回すと、開錠の魔法なのだろうか。またも鍵が外から開けられ、ドアが開いて剣士が現れる。
ここは袋小路、逃げ場はない。ドアの側にいたぼくに剣士は即座に剣を振り上げた。
その剣を弾いたのは、サキが発した火の玉だった。
「遼太さんをいじめる人は、このわたしが許しません」
片手を上げたまま、サキが傲然と言い放った。
その手の前に火の玉がいくつも飛び出し、剣士に向けて飛びかかる。
剣士は腰だめに剣を構えると、連撃。目にも止まらぬ速さで、火の玉を切り捨てた。
(形のないものまで斬れるのか?)
剣に魔法が宿っているのか。普通では考えられない反撃だ。
剣士が斬りかかる。サキが手を上げると、今度は細く絞られた青白い炎が剣士に襲い掛かった。ぼくの方まで熱が伝わるほどの熱さだ。
だが剣士はそれも真っ二つに切り捨てた。
剣士の勢いは止まらない。
「はっ!」
サキはひらりと後ろに跳んでかわす。さらに剣士が踏み込んで、剣を横一文字に払った。サキが身を沈める。そこに上から斬撃。
サキは大きく飛びすさり、そこから跳び上がって身をひねり、剣士の頭上を軽々と越えた。
あり得ないほどの跳躍。いまやサキは炎を自在に操るばかりか、身体能力まで人間離れしている。
軽やかに着地して半回転、剣士と向き合うサキ。
だが剣士にも迷いがない。すかさず剣を振り上げてまた突きかかる。
サキが手をかざす。今度は炎は出ない。
失敗か、と思ったとたん、剣士の足もとから炎が膨れ上がり、一瞬で全身を包み込んだ。
床から天井まで届くほどの巨大な火の玉。剣士は完全に飲み込まれ、姿はもう見えない。
そして炎は見る見る収束していく。どんどん小さくなっていき、やがて一点に吸い込まれるように消えた。
「すごい……」
剣士の姿は欠片も残っていない。完全に燃え尽きてしまったようだ。
「……ごめんなさい。逃げられました」
「えっ? そうなの?」
ぼくの問いは間抜けなものだったかも知れない。
「異世界に逃れたみたいです。追い切れませんでした」
すべての炎が消え、あふれ出る力にたゆたっていたサキの紅い髪は元の落ち着いた綺麗な黒髪に戻った。敵を射殺さんばかりに燃え上がっていた眼も、おだやかな優しさを取り戻す。
明かりはなくなり、元の真っ暗な、物音ひとつない淋しい部屋に戻った。
同時にサキが、がっくりと膝をついた。
「サキ!」
「……大丈夫です。ちょっと感覚が慣れなくて」
駆け寄って助け起こすぼくに、サキが弱々しく微笑んだ。
「でも、追い払ったんですよね。わたし、役に立てたんですよね?」
「ああ。すごかったよ」
すごかった。本当に。身震いするくらいに。
震えが止まらない。これがサキの開放された力。赤の姫の、火の力。
この力があれば、どんな敵も恐れるに足りない。すごいよ、サキ。
ぼくは立っていられなくて、膝をついた。身体が支えられなくて手もついてしまう。
ぶるぶると身体が震える。寒気が収まらない。意識が薄れていく。
なんだ? ぼくはどうなった? なにがどうなっている?
「遼太さん……?」
サキが異変に気がついた。
「遼太さん? どうしたんですか? 遼太さん!」
「……寒い」
かろうじてそれだけ口にできた。もう身体が言うことを聞かない。支えていられなくて、突っ伏してしまう。
「遼太さん! しっかりして下さい! 遼太さん!!」
サキの声が遠のいていく。何が何だか、よく分からない。けど、このまま命が失われそうだ、ということは何となく分かった。
(サキ……)
不思議と死ぬのは怖くなかった。ただサキを独りぼっちで残していくのが残念でならなかった。またきみに心細い思いをさせてしまうのか。
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