幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第一章 火の鍵の乙女

ぼくと少女とふたりで迎える夜明け。

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 目を開けた。
 ここはどこだ? これがあの世?

 身体が重い。手を伸ばそうとするが動かない。
 そしてそれが、誰かに押さえられているせいだと気づく。
 横を向き……驚きのあまり5メートルくらい飛びすさった。

 いや、そのつもりだったんだけど、何しろ身体が動かない。左手にサキがしがみついて、ぼくにぴったり寄り添っている。そのせいで、サキの顔が目の前、息がかかるほどの距離にある。

(こ、これは一体、どういう状況?)

 パニックになりかけたぼくは、目を閉じたサキの顔が涙でくしゃくしゃなのに気がついた。
 泣いていたのか。泣き疲れて寝てしまったのか。
 なんのために? 誰のために? まさか、ぼくのために?

「サキ……せっかくの美人が、だいなしじゃないか」

 空いた手で涙を拭いてやる。

「ん、んん……」

 サキが身じろぎして、ぼくはびくっと身を硬くする。
 そしてサキが目を開けた。

「……お、おはよ」

 何と言っていいかわからず、取り敢えずそう言ってみる。

「…………遼太さん?」
「や、やあ」
「遼太さん!」

 サキが、がばと跳ね起きる。ぼくもびっくりしたが、前述の理由で身体が動かない。
 今度はサキがぎゅっとしがみついてきた。絞め技をくらったようになり、ますます動けない。

「遼太さん! 遼太さん! 遼太さん!!」
「サキ、苦しい……」
「だって、だって……」

 再びサキの顔が涙でくしゃくしゃになる。

「遼太さん、身体がどんどん冷たくなって、もう死んじゃうんじゃないかって……」

 ああ、そうか。思い出した。
 身体がどんどん冷えていって意識を保っていられなかった。まるで何かに身体の熱を吸い取られるみたいだった。
 それが火の鍵の乙女、サキをひらいた代償なのだと思い当たった。

 本に書いてあったとおりだ。

 ヒロインの力を解放する主人公は、そのたび何かを失う。
 確か、最初は片目だった。

 そしてぼくは、火の鍵の乙女、サキの力を解放した。
 代わりに、どうやら体温を失ったらしい。

 サキの得た力を思えば、それもそうだと思う。あんなすごい力を、なんの代償もなしに手に入れることが出来るわけない。

「わたし、どうしていいかわからなくて。とにかく暖めなくちゃって、遼太さんに熱を送り込んで……」

 そしてやっと気がついた、ということらしい。
 つないだサキの手はとても熱い。ぼくの腕の上くらいまで、お湯に浸かったように暖かい。
 サキが自分の得た能力で、ぼくにずっと体温を与え続けてくれていたのだ。

 ぼくはサキの頭に手を置いた。

「ありがとな、サキ。きみのおかげで助かった」

 サキは再びぼくにぎゅっとしがみついた。

 結局この娘に助けられっぱなしだったわけだ。敵を追い払ったのもサキの能力。生命を救ってもらったのも同じ。ぼくは何にもできなかった。満足に守ってやることすらできなかった。危ない目に遭わせて、逃げ回るだけだった。

「結局ぼくは何にもしてあげられなかったな……」
「そんなことないです!」

 サキが叫んだ。

「そんなことないです。遼太さんが一所懸命守ってくれたから、わたし頑張れました。大丈夫だよって何度も言ってくれたから、わたし心細くありませんでした。わたしの力を引き出してくれたのも遼太さんです。遼太さんがいなかったら……」
「……そうか」

 お互いさま。そういうことにしておこうか。
 ぼくはサキの頭をなでた。
 今はなにより、健気に頑張ってくれたこの娘が愛おしくてならなかった。


「起きられますか、遼太さん?」

 サキに助けられながら、ぼくは身を起こす。

「ん。なんとか」
「よかった」

 サキが笑う。ほがらかな笑顔。
 ああ、そうだ。この笑顔を見たかったんだ。

「じゃあ、最後の儀式、やりますね」
「最後の儀式?」
「はい。鍵の乙女の本に書かれているんです」

 サキは両ひざをついて、左手を自分の胸に、右手をぼくの胸に当てた。

「我が名は赤の姫、火浦サキ。今、火の鍵の乙女であるわたしはここにひらかれました。わたしをひらきし者、五十崎遼太に、我が身、我が心、我が力のすべてを捧げることを誓います。
 五十崎遼太、願わくばわたしを受け入れ、火の盟約のあるじとなりてそのほまれを掲げたまえ」

 サキはうつむいている。何と答えるのか、ぼくは文言を知らなかった。だけど、何の迷いも感じなかった。言葉は自然に口をついて出た。

なれが願い、受け入れよう」

 サキはゆっくりとぼくを見上げた。

「ありがとう。我があるじ、五十崎遼太。わたしはわたしの生あるかぎり、わたしの全てを以てあなたを守ります。火の盟約の永遠とわなる忠実があなたとともにあり続けますよう」


 詠唱を終えて、サキは黙ってぼくを見た。
 敵を焼き尽くす炎の激しさと、人を暖める火の柔らかさが、その目には宿っていた。

 予言の書なんか、もうぼくらには関係なかった。
 ぼくはサキを抱き寄せた。

「大丈夫ですよ、遼太さん」

 サキがぼくの耳もとでささやいた。

「遼太さんをいじめる人は、このわたしが許しません」

 ぼくは答えず、きゅっと手に力をこめた。



 ここに火の盟約は結ばれた。



+ + + + +


 部屋は薄明るくなっていた。夜が明けていたらしい。
 来た道をたどって、ビルを降りていく。

「これで世界を救えたのかな?」

 この世界の熱のエレメントは取り戻せたはず。なのだけれど、自分にはまったくピンとこない。

「はい。大丈夫です」

 代わりにサキが自信を持って答えてくれる。

「今、ものすごい力を身体に感じます。エレメントがこの世界に戻ってきています」

 サキが言うのなら間違いないだろう。
 命がけで世界を救った英雄ふたり。だけどその事実は誰も知らない。

(それもヒーローの宿命かね)

 ぼくらはビルの外に出た。
 廃ビルの中で飛んだり跳ねたり転げまわったりで、二人とも埃まみれだ。

「あーあ。綺麗な黒髪が。服も汚れちゃったなあ」

 ぼくはサキの服のほこりを軽く払ってあげる。

「ふふ、遼太さんだって、ずいぶんひどい格好ですよ」

 サキは笑ってぼくの背中をはたいた。

「あいたっ!」
「あっ、ごめんなさい」

 背中の傷がしみた。
 でも、不安も恐怖ももうなかった。

 左手にはやわらかな感触。その暖かさが、大きな安心でぼくを包んでくれる。
 しっかりつないだサキの手から伝わって来るあたたかさ。
 命がけで守った、世界よりも何よりも大事な宝物。それが今、ぼくの手の中にある。


 悪くない。


 ぼくは初めて、安堵のため息をついた。


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