幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第一章 火の鍵の乙女

幕間:騎士キリエ

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「申し訳ございません、宰相閣下」
「熱のエレメントは奪われてしまったか」
「は……」

 片膝をついて報告する剣士に、腕組みの老宰相が唸った。

 もとより失敗は許されない命令だった。
 ことはこの国の、アスガールの命運を左右する。熱のエレメントを奪われたこの国は遠からず熱を失うだろう。農作物の不作、飢饉が予想される。
 それだけに、失敗した剣士――キリエを叱責してもよかった。だが宰相が声を荒げることはなかった。言っても詮ないことであったし、まだ挽回の方法はある。

「よい。この上は、その奪回に努めよ」
「は」
「これ以上のエレメントの損失は容認できぬ。鍵の乙女をこれ以上ひらかせてはならぬ。その前に……始末せよ」
「は」

 宰相はローブの裾をひるがえし、キリエは退出した。


 大きく息をつく。
 厳罰を覚悟していたが、なんの処罰もなかったことはむしろいたたまれなかった。使命をまっとうできず、国に大きな損害を与えてしまった。国に忠誠を尽くす騎士として、身の置き所がない。
 まして今回、名のある剛の者に敗れたとでもいうならまだしも、剣も持たない素人にしてやられたという事が、キリエの矜持をいたく傷つけていた。

 とは言え、失敗は失敗だ。言い訳のしようもない。
 とるべき道はいくつかある。
 ひらかれた火の鍵の乙女を殺すこと。このアスガールの地においてその生命を奪えば、再び熱のエレメントはこの地に戻る。
 残る鍵の乙女をひらかせないこと。それには鍵の乙女の生命を奪うか、または開錠の施術者を殺すか、だ。

 何度か戦った、異世界の黒髪の男。剣を交えた、とはとても言えない。戦士ですらない男。
 開錠の秘術を施す技量や技能があるようには見えなかった。
 だが、結果的に出し抜かれた。

 甘くみていたのだろうか。

「キリエ隊長……」

 振り向くと、二人の男がいた。片方は剣士、片方は魔術師だ。
 いずれもキリエの信頼する部下、キリエが率いる騎士団第一隊の剣士の長と魔術師の長だ。

「すまない。失敗した。火の鍵の乙女はひらかれてしまった」

 二人の男が息を呑む。

「赤の姫は敵の側にある。力は強大だ。対抗魔術が必要になる」

 キリエは魔術師のローブをまとった男に言った。魔術師はうなずく。

「ですが隊長、赤の姫の力は普通の魔法とは違います。周到に準備しませんと……」
「わかっているよ、フラム。身をもって味わったからな」

 キリエが食らった技は小規模なものだったが、苛烈さでは上級魔法にひけをとらなかった。万が一を考えて緊急避難用の転移魔法を仕込んでおかなかったら、骨も残さず焼き尽くされていたかも知れない。

 通常、魔法は魔術師・魔法使い個人が持つ魔法力によって威力が左右される。精霊魔法はどのくらいの格の精霊と契約できるかで威力が決定されるが、それも契約者の資質によるところがある。
 だが鍵の乙女の魔力の源は、エレメントそのもの。世界を覆う巨大な力そのものだ。魔法力はほぼ無尽蔵と言える。
 並の魔法使いがどれほど束になってかかろうと、かなう相手ではない。

「だが、やるしかない。できなければ、この国は滅ぶ」

 キリエが首を振った。兜の隙間から緑の髪がひと房こぼれる。
 だが魔術師フラムは深刻さのかけらもなく、にやりと笑って、

「承知しました。では数日のうちに準備を……」
「いや、今夜のうちだ」
「は?」
「まさかすぐに襲って来るとは思わないだろう。今のうちにもう一度だ。できるな?」
「また無茶なご注文ですねえ」

 フラムはにやにや笑いのままだ。「自分は国で三番目の魔術師」というのが売り文句の、人を食った魔術師は多分自分では三番目だとは思っていないし、腕の方も間違いない。何より技の幅が広いし、応用を効かせる柔軟性も持ち合わせている。キリエがもっとも信頼する人物のひとりだ。

「ご下命承りましたが、正直どの程度用意すれば対抗できるのかわかりかねます。それに名前のトレースだけでは、異世界に何十人も飛ばすことは困難かと」
「そうだな……」

 キリエも魔術師の言い分を認めた。さまざまな障害が自分たちの手足を縛っている。

「対抗魔法……とは言え、あの世界は魔法が効きにくい。水属性と、闇属性。あと私の補助として剣士を二名。それでやってみよう」
「また隊長がご自身で行かれるのですか?」

 剣士の長、ラガンが訊く。こちらは筋骨隆々の、いかにも武人といった風体だ。いている剣も常人の持つものよりふた回りは大きい。

「人をこき使っておいて、自分だけ安穏と休んでいるつもりはないよ」

 キリエは笑って答える。疲れているだろうに、そんなことは微塵も感させない。
 気丈な方だ、と、ラガンもフラムも思う。

「それに、トレースできるのは私だけだしな。私が行かなければ始まらない」


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