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第三章 風の鍵の乙女
08.真夜中にみだらな夢。
しおりを挟む窯を開けてみる。やっぱりこういうのは、わくわくするな。
出来上がった木炭を出してみる。おお、ちゃんと炭の色をしている。試しにぶつけてみる。澄んだ甲高い音、とはいかないが、そこそこ固そうな音はする。悪くない。
「やったな、サキ。大成功だ」
褒められてみんなの視線を浴びたサキは照れ臭そうだ。
「これは、一体何に使うのだ?」
アノルデ氏が訊いてくる。もちろん本来は燃料なので、その使い道はあとで教えるつもりだ。この世界では燃料は石炭が主流みたいだけど、木炭もなかなか使いでがあるはず。
だけど今必要なのは、別の使い道だ。
小さな樽に、砂、砕いた木炭、小石、木の枝と順番に敷き詰めていく。その上から水を注ぎ入れ、通ってきた水を下から受ける。
そう、これは、ろ過装置。それなりに本格的な装置だ。
上から順番に目の粗い物質から目の細かい物質を通していくことで、水の中の不純物を濾過していく。そして途中の木炭には消臭殺菌効果がある。これで汚れた水も、かなりきれいにできる。
この国は今、工業化の真っ最中。石炭を目いっぱい燃やし、粉塵煤煙排水は垂れ流しだ。風がないことを差し引いても、水も空気も人間の身体にはまことによろしくない。
少しでもいい水、いい空気、人にやさしい環境を。そのためのノウハウならいっぱい持ってる。日本人の底力を見せるいい機会だ。
「へえ。これすごいねえ」
クルルが目を丸くして感心している。
「においもなくなってる。ほんとの真水だ」
「どう? 驚いた?」
ぼくはちょっと自慢した。
「うんうん。すごいや。これできれいな水が飲めるんだね」
ぼくはうなずいて、汲んだ水をエルミアに差し出した。
「ミアさま。魔導士特製、身体にいい飲み水です。お試しください」
差し出された入れ物をまずロゼッタさんが受け取ってひと口飲む。毒味役だ。確かめるようにぺろっと唇を舐めた舌が、事務的だけど妙に色っぽい。
ロゼッタさんから入れ物を受け取って、エルミアはおそるおそる入れ物に口をつける。
「……ほんとだ。おいしいですわ。においも全然ないし。すごいですわ!」
「喜んでいただけて、なによりです」
ぼくはアノルデ氏とロゼッタさんに装置の仕組みと使い方を説明した。これで一家の料理をまかなえば、味もよくなるし、何より身体にとてもいいはず。とても地味だけど、じわじわと効いてくるはずだ。
和やかな空気が流れるなかで、ぼくは別のことを考えていた。
昨夜見た夢。その前の晩と同じような、生々しい夢だった。その感覚がまだ残っている。こんな感覚はあまり経験したことがなかった。
その不思議な感覚を思い出しながら、談笑しているエルミアとロゼッタ主従を見る。と、ロゼッタさんと目が合って、彼女はにっこりと微笑んだ。ぼくは気恥ずかしくなって目を逸らす。
夕食の給仕は、今日もロゼッタさんだった。
初日の本館での食事は儀礼だから、例外だ。通常は離れでの食事となる。本館の主家より遅い時間なのは、メイドさんの手が足りないから仕方ないだろう。むしろ手間を取らせて申し訳ない感じがする。
「あ、やっぱり水が違うと、味も違うね」
クルルほど、ぼくには違いがわからなかったけど、ちょっと美味しくなった感じはする。
「ええ、おかげさまで。これでミアお嬢さまにも、身体によいものを召し上がっていただけますわ」
ロゼッタさんは嬉しそうだ。忠誠心に篤い、というか、エルミアが心配なんだな。
ところで、なぜ『エルミア』と『ロゼッタさん』なのかと言えば、ロゼッタさんは年上だから。
ちゃんと聞いてはいないけど、多分二十代半ばくらい。それでも若いわりに充分有能だと思う。
エルミアは16歳だと聞いた。ちなみにその上のシンシアさんはやっぱり『シンシアさん』。ちょっと歳の離れた姉妹だ。
「今日は果実酒をご用意しました。お三方ともワインは召し上がらないので」
「お気遣い、恐縮です」
ロゼッタさんは、またも意味ありげに微笑んだ。
なんか、照れる。頭の奥がしびれるみたいだ。年上の魅力に当てられてしまったのかな。
ついでもらうままに、ひと口飲む。ふわふわした、不思議な感覚だ。かたわらで微笑むロゼッタさんをぼんやりと見つめる。いつもより妖艶な感じがする。
いつもなら目ざとくつついてくるサキやクルルも何故か今日はおとなしい。
ロゼッタさんはぼくを見返して微笑むばかりだった。
+ + + + +
夜半。またもぼくは目を覚ました。
(またあの夢だ……)
頭がぼうっとしている。まだ夢の中の感覚が続いている。とてつもない不安。そこから抜け出した時の安心感。充足感。あの感覚をもう一度感じたい……。
両側にサキとクルルがいるのは感じている。が、それすらふわふわと夢うつつのようで、現実感がない。その中でぼんやりと、ぼくはもうひとつの気配に気づいた。
ぼくの上に誰かいる。
そう思ったけれど、身体が動かない。両脇は二人の姫にがっちり固められ、上からも抑え込まれている。逃げ場がない。
だが不思議と、危機感はなかった。すべてが夢の続きみたいな感覚だった。
「ごめんなさい。驚かせてしまって」
ささやく声が届いた。暗闇からぐっと顔が近づいてくる。
ロゼッタさんだった。
「ずっとあなたと、こうしてお話ししたかったの。リョウタさま」
豊かな髪がぼくの顔や胸をくすぐる。こんなに長い髪だったんだ。ほのかな灯りしかないが、それがかえって、彼女の色香を感じさせる。
ロゼッタさんの手がぼくのほおをなでる。しっとりと暖かい手だ。なぜかすごく安心する。
そうか。夢の中の、ぼくの手を取ってくれた手。ロゼッタさんだったのか。ぼくを受け入れてくれたのは、きみだったのか。
「ずっとあなたを待っていたの。あなたは選ばれた方。あなたの力が必要ですわ、リョウタさま」
両の手でぼくの顔をなでながら、ぼくの目を見つめて熱っぽく語り掛けるロゼッタさん。唇が触れそうな位置だ。柔らかい胸が密着して暖かい。頭がしびれるようだ。もう何も考えられない。
「でもあなたは今、心配を抱えている。とても不安でしょう。
大丈夫。あなたなら、リョウタさまなら、きっとやり遂げられる。わたくしがお手伝いしますわ。何も心配はいりません。ほら……」
ロゼッタさんの唇が、ぼくの唇の端にごくごく軽く触れた瞬間。
暗闇の中で鴉が大きく三回、羽ばたいた。
続いてひと声鳴き、もう二回羽ばたく。
タイマー発動。
ぼくは身じろぎした。ロゼッタさんがびくっと身を引く。
「ロゼッタさん。やっぱり何か仕込んでいますね?」
固まったまま動かないロゼッタさん。さっきまでの熱っぽさは、すっかりどこかへ消えてしまっている。
(やっぱり。記録しといてよかった)
一昨日、ぼくは鴉に魔法を託した。その時自分が見た景色や自分が感じていた感情、それから夢の内容とその時の感情、そういった情報をダイジェスト映像みたいにパッケージにしておいたのだ。それを鴉の合図で自分のイメージにダウンロードし直す。
それと現在の感覚がどの位違うか、何が違うのかを測るモノサシにしたのだ。
「なぜ、ぼくの不安を知っているんですか? この不安はなんなんでしょう? もしかして、ロゼッタさんが関わっているものなの?」
ロゼッタさんは答えない。が、緊張しているのがわかった。
正直、なにか確証があるわけではなかった。なにがどうという事すら、わかっていなかった。
だけど、漠然とした違和感はあった。なにか自然ではないもの、人の手による改変が加えられているような気がしていた。
もし人の手によって何かがなされているなら、どこかを起点にしてその地点と何がどう変わったか、比較したらわかるんじゃないか。そう考えたのだ。
起動のトリガーをどう設定するか悩んだが、結局鴉まかせにしてしまった。だが結果的に正解だったようだ。鴉は的確に異変を察知してくれた。
ぼくは上半身を起こした。ロゼッタさんと、すぐ近くで向き合う形になる。
手を外されたサキとクルルは、深い眠りの中にあって、目覚めない。やっぱり不自然だ。普段なら、ぼくの異変を真っ先に感知するはず。
「最初からぼくらを利用するつもりだったんですね。これは……子爵さまの指示ですか? ぼくらに何をさせるつもりだったんですか?」
「………………」
「なら、いいです。聞きません」
「……拷問しないのですか?」
「は?」
「私を捕縛して訊問したいのではありませんか?」
「うーん、拷問されたいんですか?」
「………………」
「でもこのままではロゼッタさんも収まりませんよね。うーん、どうしよう?」
ロゼッタさんは腰のあたりをまさぐっていたが、そこからさっと手を前に出した。
ぼくは思わず、びくっと身をすくめた。暗闇の中でわずかに光るのは、刃物。うかつだった。この距離では防げない。
と、ロゼッタさんはその刃物を逆手に持った。自分の喉に向けて。
「わあ! ちょっと! ちょっと待って!」
その手にしがみついて、必死で止める。が、すごい力で振りほどかれた。刃が突き立てられる寸前、ぼくは必死でその先に手を伸ばした。
「なっ! 何してるんですか!?」
ロゼッタさんが驚いたのも無理はない。ぼくは彼女の喉もとに手を当てて、刃を防ごうとしたのだ。刃はもちろん急には止まらず、ぼくの手の甲を突いた。痛い。けど、突き抜かれなかっただけましだ。
「そんなにあわてないで。事情はよくわからないけれど、きっとうまく行く方法がありますよ。だから落ち着いて、まずは話し合いましょう。ね?」
なるべく落ち着いて聞こえるようにゆっくりと話したが、とにかく手が痛い。泣きそうだ。人の命がかかっていると思わなかったら、とっくにうずくまって悲鳴を上げているところだ。
ロゼッタさんは力なく手を降ろした。ぼくは用心深く、そっと凶器を取り上げた。
しばしうなだれていたロゼッタさん。やがてゆっくりと顔を上げ、ぼくの手を取った。
「大丈夫ですか? 痛くないですか?」
「大丈夫じゃないし、ものすごく痛いです」
今もじんじんと痛むんです、ほんとにつらいんですよ、と心の中で訴えるぼくの顔を見て、
「あなたは本当に不思議な方ですね。そのナイフで私を刺してしまえばよいのに」
「刺されたいんですか?」
「……やっぱり、変な人」
ロゼッタさんはくすくす笑う。
「降参です。あなたにはかないませんわ。おっしゃる通りにいたします」
「よかった」
ぼくは大きく息をついた。身動きがとれない状態で、どうなることかとずっと冷や汗をかき通しだったのだ。ずっとロゼッタさんが上に乗っていて押さえつけられていたのだから。
「なので、降りてもらっていいですか?」
「あら……」
ロゼッタさんの眼が急に輝き出した。あ、これはいたずらっ子の眼だ。
「あたくしはもう少し、楽しみたかったのですけれど……。
でも今は、怪我の手当てをしないといけませんね。姫さま方は当分目覚めませんから、こちらへおいで下さい」
ロゼッタさんはぼくの手を引いて起こしてくれた。
立ち上がったぼくは闇の中で、ふわりと暖かい感触に包まれた。ほほに当たる豊かな髪。そして吸い付くような頬。柔らかい胸が押し当てられているのは絶対わざとだ。わかっているけど、やっぱりどきどきは押さえることができない。いいように遊ばれているのが悔しい。
「今度ふたりきりで、お話ししましょう。ゆっくりと、ね」
耳もとでのささやき声に、やっぱりぞくぞくしてしまう。
……年上のお姉さまに、食われちゃうのかな。
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