43 / 59
第三章 風の鍵の乙女
08.真夜中にみだらな夢。
しおりを挟む窯を開けてみる。やっぱりこういうのは、わくわくするな。
出来上がった木炭を出してみる。おお、ちゃんと炭の色をしている。試しにぶつけてみる。澄んだ甲高い音、とはいかないが、そこそこ固そうな音はする。悪くない。
「やったな、サキ。大成功だ」
褒められてみんなの視線を浴びたサキは照れ臭そうだ。
「これは、一体何に使うのだ?」
アノルデ氏が訊いてくる。もちろん本来は燃料なので、その使い道はあとで教えるつもりだ。この世界では燃料は石炭が主流みたいだけど、木炭もなかなか使いでがあるはず。
だけど今必要なのは、別の使い道だ。
小さな樽に、砂、砕いた木炭、小石、木の枝と順番に敷き詰めていく。その上から水を注ぎ入れ、通ってきた水を下から受ける。
そう、これは、ろ過装置。それなりに本格的な装置だ。
上から順番に目の粗い物質から目の細かい物質を通していくことで、水の中の不純物を濾過していく。そして途中の木炭には消臭殺菌効果がある。これで汚れた水も、かなりきれいにできる。
この国は今、工業化の真っ最中。石炭を目いっぱい燃やし、粉塵煤煙排水は垂れ流しだ。風がないことを差し引いても、水も空気も人間の身体にはまことによろしくない。
少しでもいい水、いい空気、人にやさしい環境を。そのためのノウハウならいっぱい持ってる。日本人の底力を見せるいい機会だ。
「へえ。これすごいねえ」
クルルが目を丸くして感心している。
「においもなくなってる。ほんとの真水だ」
「どう? 驚いた?」
ぼくはちょっと自慢した。
「うんうん。すごいや。これできれいな水が飲めるんだね」
ぼくはうなずいて、汲んだ水をエルミアに差し出した。
「ミアさま。魔導士特製、身体にいい飲み水です。お試しください」
差し出された入れ物をまずロゼッタさんが受け取ってひと口飲む。毒味役だ。確かめるようにぺろっと唇を舐めた舌が、事務的だけど妙に色っぽい。
ロゼッタさんから入れ物を受け取って、エルミアはおそるおそる入れ物に口をつける。
「……ほんとだ。おいしいですわ。においも全然ないし。すごいですわ!」
「喜んでいただけて、なによりです」
ぼくはアノルデ氏とロゼッタさんに装置の仕組みと使い方を説明した。これで一家の料理をまかなえば、味もよくなるし、何より身体にとてもいいはず。とても地味だけど、じわじわと効いてくるはずだ。
和やかな空気が流れるなかで、ぼくは別のことを考えていた。
昨夜見た夢。その前の晩と同じような、生々しい夢だった。その感覚がまだ残っている。こんな感覚はあまり経験したことがなかった。
その不思議な感覚を思い出しながら、談笑しているエルミアとロゼッタ主従を見る。と、ロゼッタさんと目が合って、彼女はにっこりと微笑んだ。ぼくは気恥ずかしくなって目を逸らす。
夕食の給仕は、今日もロゼッタさんだった。
初日の本館での食事は儀礼だから、例外だ。通常は離れでの食事となる。本館の主家より遅い時間なのは、メイドさんの手が足りないから仕方ないだろう。むしろ手間を取らせて申し訳ない感じがする。
「あ、やっぱり水が違うと、味も違うね」
クルルほど、ぼくには違いがわからなかったけど、ちょっと美味しくなった感じはする。
「ええ、おかげさまで。これでミアお嬢さまにも、身体によいものを召し上がっていただけますわ」
ロゼッタさんは嬉しそうだ。忠誠心に篤い、というか、エルミアが心配なんだな。
ところで、なぜ『エルミア』と『ロゼッタさん』なのかと言えば、ロゼッタさんは年上だから。
ちゃんと聞いてはいないけど、多分二十代半ばくらい。それでも若いわりに充分有能だと思う。
エルミアは16歳だと聞いた。ちなみにその上のシンシアさんはやっぱり『シンシアさん』。ちょっと歳の離れた姉妹だ。
「今日は果実酒をご用意しました。お三方ともワインは召し上がらないので」
「お気遣い、恐縮です」
ロゼッタさんは、またも意味ありげに微笑んだ。
なんか、照れる。頭の奥がしびれるみたいだ。年上の魅力に当てられてしまったのかな。
ついでもらうままに、ひと口飲む。ふわふわした、不思議な感覚だ。かたわらで微笑むロゼッタさんをぼんやりと見つめる。いつもより妖艶な感じがする。
いつもなら目ざとくつついてくるサキやクルルも何故か今日はおとなしい。
ロゼッタさんはぼくを見返して微笑むばかりだった。
+ + + + +
夜半。またもぼくは目を覚ました。
(またあの夢だ……)
頭がぼうっとしている。まだ夢の中の感覚が続いている。とてつもない不安。そこから抜け出した時の安心感。充足感。あの感覚をもう一度感じたい……。
両側にサキとクルルがいるのは感じている。が、それすらふわふわと夢うつつのようで、現実感がない。その中でぼんやりと、ぼくはもうひとつの気配に気づいた。
ぼくの上に誰かいる。
そう思ったけれど、身体が動かない。両脇は二人の姫にがっちり固められ、上からも抑え込まれている。逃げ場がない。
だが不思議と、危機感はなかった。すべてが夢の続きみたいな感覚だった。
「ごめんなさい。驚かせてしまって」
ささやく声が届いた。暗闇からぐっと顔が近づいてくる。
ロゼッタさんだった。
「ずっとあなたと、こうしてお話ししたかったの。リョウタさま」
豊かな髪がぼくの顔や胸をくすぐる。こんなに長い髪だったんだ。ほのかな灯りしかないが、それがかえって、彼女の色香を感じさせる。
ロゼッタさんの手がぼくのほおをなでる。しっとりと暖かい手だ。なぜかすごく安心する。
そうか。夢の中の、ぼくの手を取ってくれた手。ロゼッタさんだったのか。ぼくを受け入れてくれたのは、きみだったのか。
「ずっとあなたを待っていたの。あなたは選ばれた方。あなたの力が必要ですわ、リョウタさま」
両の手でぼくの顔をなでながら、ぼくの目を見つめて熱っぽく語り掛けるロゼッタさん。唇が触れそうな位置だ。柔らかい胸が密着して暖かい。頭がしびれるようだ。もう何も考えられない。
「でもあなたは今、心配を抱えている。とても不安でしょう。
大丈夫。あなたなら、リョウタさまなら、きっとやり遂げられる。わたくしがお手伝いしますわ。何も心配はいりません。ほら……」
ロゼッタさんの唇が、ぼくの唇の端にごくごく軽く触れた瞬間。
暗闇の中で鴉が大きく三回、羽ばたいた。
続いてひと声鳴き、もう二回羽ばたく。
タイマー発動。
ぼくは身じろぎした。ロゼッタさんがびくっと身を引く。
「ロゼッタさん。やっぱり何か仕込んでいますね?」
固まったまま動かないロゼッタさん。さっきまでの熱っぽさは、すっかりどこかへ消えてしまっている。
(やっぱり。記録しといてよかった)
一昨日、ぼくは鴉に魔法を託した。その時自分が見た景色や自分が感じていた感情、それから夢の内容とその時の感情、そういった情報をダイジェスト映像みたいにパッケージにしておいたのだ。それを鴉の合図で自分のイメージにダウンロードし直す。
それと現在の感覚がどの位違うか、何が違うのかを測るモノサシにしたのだ。
「なぜ、ぼくの不安を知っているんですか? この不安はなんなんでしょう? もしかして、ロゼッタさんが関わっているものなの?」
ロゼッタさんは答えない。が、緊張しているのがわかった。
正直、なにか確証があるわけではなかった。なにがどうという事すら、わかっていなかった。
だけど、漠然とした違和感はあった。なにか自然ではないもの、人の手による改変が加えられているような気がしていた。
もし人の手によって何かがなされているなら、どこかを起点にしてその地点と何がどう変わったか、比較したらわかるんじゃないか。そう考えたのだ。
起動のトリガーをどう設定するか悩んだが、結局鴉まかせにしてしまった。だが結果的に正解だったようだ。鴉は的確に異変を察知してくれた。
ぼくは上半身を起こした。ロゼッタさんと、すぐ近くで向き合う形になる。
手を外されたサキとクルルは、深い眠りの中にあって、目覚めない。やっぱり不自然だ。普段なら、ぼくの異変を真っ先に感知するはず。
「最初からぼくらを利用するつもりだったんですね。これは……子爵さまの指示ですか? ぼくらに何をさせるつもりだったんですか?」
「………………」
「なら、いいです。聞きません」
「……拷問しないのですか?」
「は?」
「私を捕縛して訊問したいのではありませんか?」
「うーん、拷問されたいんですか?」
「………………」
「でもこのままではロゼッタさんも収まりませんよね。うーん、どうしよう?」
ロゼッタさんは腰のあたりをまさぐっていたが、そこからさっと手を前に出した。
ぼくは思わず、びくっと身をすくめた。暗闇の中でわずかに光るのは、刃物。うかつだった。この距離では防げない。
と、ロゼッタさんはその刃物を逆手に持った。自分の喉に向けて。
「わあ! ちょっと! ちょっと待って!」
その手にしがみついて、必死で止める。が、すごい力で振りほどかれた。刃が突き立てられる寸前、ぼくは必死でその先に手を伸ばした。
「なっ! 何してるんですか!?」
ロゼッタさんが驚いたのも無理はない。ぼくは彼女の喉もとに手を当てて、刃を防ごうとしたのだ。刃はもちろん急には止まらず、ぼくの手の甲を突いた。痛い。けど、突き抜かれなかっただけましだ。
「そんなにあわてないで。事情はよくわからないけれど、きっとうまく行く方法がありますよ。だから落ち着いて、まずは話し合いましょう。ね?」
なるべく落ち着いて聞こえるようにゆっくりと話したが、とにかく手が痛い。泣きそうだ。人の命がかかっていると思わなかったら、とっくにうずくまって悲鳴を上げているところだ。
ロゼッタさんは力なく手を降ろした。ぼくは用心深く、そっと凶器を取り上げた。
しばしうなだれていたロゼッタさん。やがてゆっくりと顔を上げ、ぼくの手を取った。
「大丈夫ですか? 痛くないですか?」
「大丈夫じゃないし、ものすごく痛いです」
今もじんじんと痛むんです、ほんとにつらいんですよ、と心の中で訴えるぼくの顔を見て、
「あなたは本当に不思議な方ですね。そのナイフで私を刺してしまえばよいのに」
「刺されたいんですか?」
「……やっぱり、変な人」
ロゼッタさんはくすくす笑う。
「降参です。あなたにはかないませんわ。おっしゃる通りにいたします」
「よかった」
ぼくは大きく息をついた。身動きがとれない状態で、どうなることかとずっと冷や汗をかき通しだったのだ。ずっとロゼッタさんが上に乗っていて押さえつけられていたのだから。
「なので、降りてもらっていいですか?」
「あら……」
ロゼッタさんの眼が急に輝き出した。あ、これはいたずらっ子の眼だ。
「あたくしはもう少し、楽しみたかったのですけれど……。
でも今は、怪我の手当てをしないといけませんね。姫さま方は当分目覚めませんから、こちらへおいで下さい」
ロゼッタさんはぼくの手を引いて起こしてくれた。
立ち上がったぼくは闇の中で、ふわりと暖かい感触に包まれた。ほほに当たる豊かな髪。そして吸い付くような頬。柔らかい胸が押し当てられているのは絶対わざとだ。わかっているけど、やっぱりどきどきは押さえることができない。いいように遊ばれているのが悔しい。
「今度ふたりきりで、お話ししましょう。ゆっくりと、ね」
耳もとでのささやき声に、やっぱりぞくぞくしてしまう。
……年上のお姉さまに、食われちゃうのかな。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
生まれ変わったら飛べない鳥でした。~ドラゴンのはずなのに~
イチイ アキラ
ファンタジー
生まれ変わったら飛べない鳥――ペンギンでした。
ドラゴンとして生まれ変わったらしいのにどうみてもペンギンな、ドラゴン名ジュヌヴィエーヴ。
兄姉たちが巣立っても、自分はまだ巣に残っていた。
(だって飛べないから)
そんなある日、気がつけば巣の外にいた。
…人間に攫われました(?)
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる