幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也

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第四章 言の鍵の乙女

02.オペレータ・サーラの興味。

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「さっききみに訊いたが、リョウタくん、というのか? きみたちはこの世界でIDを持たず、固体として認識されていないんだ。よってこれからワタシがきみたちのIDを作成する。もうしばらく付き合ってもらうよ」

 先ほどの純真な少女みたいな表情はどこへやら、元のクールな仕事人の表情に戻ったサーラは、目の前の卓に視線を落とし、指を走らせ始めた。
 卓には手元とその左右に合計三種類のキーボード。時おり視線を上げては目の前の空間を指でなぞっている。どうやらバーチャルなタッチパネルみたいだ。
 サーラが耳に手をやる。そこにはヘッドセットがあった。目の焦点がときどき眼鏡の方に合っているから、ヘッドセットからの情報が眼鏡にも投影されているようだ。AR(拡張現実)の端末か。

 思ったとおり、技術はかなり進んでいる。

「まずは名前を聞こう」
「五十崎遼太」

 それだけでクールな仕事人の仮面はあっさりはがれ落ち、興味津々、無邪気な少女の顔が現れる。

「面白い! その表記法はなんと言うのだ!? しかも、表意文字!? 文字に意味があるのか!? すごい! すごいぞ!!」 

 卓をひらりと飛び越えてきて、ぼくの手をがしっと握る。美人の顔が間近に迫ってきて思わずどきっとするが、それを差し引いても引く。さすがのぼくも、引く。

「あの、サーラさん?」
「なんだ? リョウタくん?」

 きらきらおめめで見つめるサーラ。眼鏡の奥の目は左右の色合いが違う。

「金目銀目です」と、サキがそっと教えてくれた。右が金、左が青。

「それで……なんでそんなにノリノリなんですか?」
「あ、ああ、すまない。つい夢中になってしまった」

 サーラは恥ずかしそうにぼくの手を離し、眼鏡を直して取り繕った。

「ワタシはここのサーバ『ムニン』と、演算システム『フギン』のオペレータなんだ。おもに言語体系のデータの蓄積と分析を担当している。だからきみの操る言語は実におかしい、いや違う、あやしい、これも違うな、うーん……」
「もしや『興味深い』と言いたいのでは?」
「そう! それだ! きみの操る言語は実に興味深く、ぜひその体系を取り込みたい! さもなければ、我が国の言葉は……」

 サーラは急にしゅんとして肩を落とした。さっきまでの凛とした風情がうそのような、はかなげな姿だ。そしてつぶやくように言葉を続けた。

「我が国の言葉は、消滅してしまう……」



 + + + + +


 いきなりずいぶんと深刻な話に吹っ飛んだな。

「ええと、何か危機的状況と見受けますけど、一体どのような……?」
「うん、そうなんだ」

 サーラはしょんぼり した様子のまま、話を続ける。

「この国の言語は確実に衰退している。このままだと約二百年後に完全に消滅する」
「だって。わかる?」

 ぼくは後ろの少女たちに訊いてみた。

 クルルとディベリアが揃って首を振る。ミアは少し考えてから、

「ええと、言葉がなくなる……しゃべったり、書いたりできなくなるということなのですか?」

 うん、そう考えてよさそうだ。

「すると、エルファンティーネの人は言語を失って、最後は動物みたいになってしまうですか?」

 サキが補足する。
 そうだね。つまり、文明を失ってしまうと言えそうだ。

「きみたちは、すごいな」

 サーラは涙目を拭きながら、ちょっと笑った。

「ちゃんと自分の言葉を使って、自分で考えることができる。すごいよ。素晴らしい。
 残念だがこの国の文明はそこまで長生きできない。シミュレートではあと五十年で言語が文明を維持できなくなる地点を迎える」
「どうしてそんな事に?」

 ぼくは訊いた。もしかしたら、と思い当たる節もあった。
 だが彼女は、

「わからない。原因はわからないんだ」と言う。

「だけど、人々の言葉を使う能力がどんどんなくなっているんだ。
 言語自体はある。このサーバに、『ムニン』に、いっぱい蓄積されているんだ。だから検索も引用もできる。
 でも人はそれを使えなくなっている。『ムニン』と『フギン』に言葉を預けたきり、自分で使いこなせなくなっているんだ。文明が崩壊するのも時間の問題、というわけさ」

「なあ、ナユタ」
『なにかね?』

 サキの肩に止まった鴉に、ぼくは問いかける。

「エレメントには『言葉』とか、そういうものもあるのか?」
『ああ、あるね』

 やっぱり。

「じゃあこの世界、エルファンティーネはアスガールに言葉を奪われた、と考えていいのかな?」
『ああ、そうだろうね』
「なんだって!? 原因がわかるのか?」

 ぼくらの会話に色めき立って割り込んできたのは、サーラ。

「証明はできないんだけどね」

 ぼくは概要を話してきかせた。

「すると、この国は『言葉のエレメント』を失ってしまったがために、言葉自体が消滅しつつあるのか……」

 サーラの表情は複雑だった。
 理不尽な仕打ちに対する怒り。それを取り除けない無力感。あせり。

「ともかく、アタシは一介のオペレータに過ぎないからね。上にかけあってみるけど……」

 自信なさそうにサーラは言う。視線が泳いでいる。何か迷っているみたいだ。


 その時。

 神経を逆なでする音が響いた。
 これは……警報アラート

 サーラがヘッドセットに手をやって、宙に指を走らせる。後ろの壁面パネルに映像がいくつも浮かび上がった。

 一団の人影が進んでくるのが見える。

「うわ……」
「また来たです……」

 クルルとサキがなかば呆れたような声を上げる。

 人影は甲冑姿の騎士たちと、ローブを羽織った魔術師たち。
 アスガールの侵攻軍だった。



 + + + + +


 サーラが卓に飛びついて、操作を始めた。
 言語オペレータと言っていたのに、警備や軍事オペレーションにも関わるのか。何気に実はすごい実力者?

 映像と反対側のパネルに絵が浮かび上がる。線だけで描かれた簡単なマップの上に、いくつもの光点が見える。

「あいつらが何者か、知っているのかい?」

 サーラが訊いてきた。

「ぼくらとはまた別の世界の軍隊ですね。多分ぼくらを追ってきている」
「ふうん」

 サーラはパネルを見つめたまま答える。

「当行政区としては、背景もわからずどちらかに肩入れして、無用の損害をこうむるのは避けたいところだ」

 冷徹な表情だ。怜悧、という印象がぴったりだ。きっと彼女はその見た目に似合いの有能な女性なんだろう。
 と思いきや、いきなりいたずらっ子みたいな表情になり、

「だが不法侵入であることは確かだな。ちょっと痛い目を見てもらおうか」

 宙に指を走らせると、ディスプレイに文字が浮かぶ。

「警告オペレーションB、と。これで退散してくれるといいんだけど」



 + + + + +


 サーラの希望的観測に、しかし相手は乗ってこなかった。

 ドローンの群れが騎士団を取り囲み、足が止まる。音は聞こえないが、多分退去勧告がされているんだろう。
 見ていると、画面の中、一人の剣士がドローンに飛びかかった。

「あっ!」

 ディスプレイに大きく赤い文字が浮かんで明滅し、警報がなった。
 剣士の振り回した剣に、ドローンが倒される。

「あんにゃろっ! 壊したな! 低級ドローンだって安くないんだぞ!」

 (怒るとこ、そこか)

 などと思いつつ、部外者のぼくらにはすることがない。
 もっとも標的はぼくらだろうから、ぼくらが行って迎撃するのが筋かもしれないけど。

 ディスプレイのオペレーションの文字が変わる。実力行使モードに移行したみたいだ。

 背面パネルのマップに、光る点々がわらわらと湧き出した。今までの十倍は軽くいる。
 ディスプレイにまた新たな文字が浮かぶ。

「指示? えーとね、侵入者を拘束! ……てか、拘束するのめんどくさいから撃退しなさい!」
「おーい、サーラ」

 ぼくは思わず突っ込む。

「そんなアバウトな指示でいいのか?」
「だって拘束したってあんな大人数、ワタシじゃどうしていいかわかんないし、居座られても面倒でしょ」

 それもそうだ。
 というか、他に警察組織とかはないのだろうか。
 これだけ文明が進んでいるようなのに。

 そうこう言ううちに画面内では、ドローンがわらわらと押し寄せて銃撃戦になっていた。
 ドローンの武器は、致死性の銃弾などではないみたいだ。ゴム弾、ネット、放水、その他動きを阻害するようなものばかり。だがその数が半端ない。
 アスガールの軍も魔法で防御し、反撃していたが、相手が飛び道具では分が悪い。加えてその数に圧倒されているようだ。しばらく踏みとどまっていたものの、やがてしぶしぶといった態で後退していった。

「すごいじゃないか」

 ぼくは素直に賞讃した。異国の軍隊を撃退しちゃったよ。大したものだ。
 だがサーラの表情は浮かない。

「だいぶドローンに損害が出たなあ。ああ、レポート出さないと……」

 どうやら管理する部門に始末書を出さないとならないみたいだ。

「ごめんよ。ぼくらのせいで」
「うーん、その通りなんだけど、まあいいさ。悪いのは当局だから」

 ぼくはさっき感じた疑問をぶつけてみることにした。

「ねえサーラ、きみはオペレータなんだよね? 今みたいな、警備とか治安出動とか、きみの仕事じゃないように思うんだけど?」

 明らかに職務権限を越えていると思う。今回みたいな場合はそれ専門の、しかももっと偉い人が決定して命令しないとまずいんじゃないの?

 するとサーラは苦笑して答えた。

「きみの言うとおりだよ、リョウタくん。だけど、よほどの事がない限り、上位職の意思決定はなされない。その間はワタシが、あらかじめ設定されたプロトコルに従って処理を代行する……けど実態はほぼ丸投げさ」

 苦笑いというには彼女の表情は皮肉に過ぎた。

「もう誰も、考えられないんだ。想像できないんだよ、自分の言葉で。それほど人々の中から『言葉』が失われてしまっているんだ」


 どうやらこの世界の状況は、思いのほか深刻らしかった。



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