令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第17話 オリーズ侯

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 コンコン、コンコンコン……コンコンコンコン……ダンダンダンッ、ダンダンダンッ、ダーーーンッ!
 一方その頃、令嬢フィリアは大きな二枚扉をぶち破って父親の私室へ乱入していた。

「お父様! お話があります!」

 背後でミーナが額を真っ青にしていたり、候爵つきのモアが脂汗をかいて立ち尽くしているのをよそに、酷く興奮して鼻息も荒い娘は、籐椅子に腰かけている父ウィズヴィオに鬼気迫る表情で詰め寄った。

 彼は就寝前だった為、ガウン姿で赤い果実酒の注がれたグラスを片手に、眉根を寄せてそちらへ顔を向けている。

「なんだい、フィリア、私はもう寝るんだがねぇ」
「何度お目通り願っても忙しいとおっしゃるからこの時間に来たんです」
「モアも、人は通すなと言っただろう。ちゃんと言い聞かせておいてくれないと困るよ」
「も、申し訳ございません。何分お嬢様が全速力で突破されまして……」

 モアが謝り終わるのも待たず、フィリアはズカズカと父に近付いて仁王立ちした。

「シドを、執事のシドを今すぐ釈放して下さい!」

 ウィズヴィオは果実酒を一口含むと「ふう」と一息ついてから面倒そうに話し始めた。

「何を言うんだいフィリア。サプラスの報告ではあの執事はお前をたぶらかして触れたそうじゃないか。書庫で見た時もベタベタ触っていただろう、前からあいつはおかしいと思っていたんだ」
「失礼なことおっしゃらないで! あの時は私が梯子から落ちそうになったのを助けてくれたのよ、御覧になっていたんでしょう? 路地裏の一件も、私の方から抱きついてしまったのをサプラスが勘違いしただけです」
「おいおい、サプラスが嘘を報告したとでも言うのかい。執事がお前の腰を抱き寄せて今にも唇を奪いそうな勢いだったと憤慨した様子で語っていたぞ。もしかしたらすでに奪われてしまったかもしれないと」
「違います! 私の方から抱きしめて欲しいとお願いしたのよ!」

 言った途端、侯爵の鼻の上に深い皺が刻まれた。フィリアがビクリとして口篭る。
 背後でミーナやモアも息を飲み、部屋中の空気が凍った。候爵令嬢ともあろう者が使用人に色目を使うなど、父の教育ではありえないことだ。

「なんだいお前は……やっぱりあの執事にご執心というわけか。もしや、すでに身を許してなどいないだろうね」
「酷いわ! お父様でもあんまりよ! シドはそんなことしません。バゼルと同じ、本当に立派で真面目な執事です。私を信じて早く釈放してあげて下さい!」
「できるものか。使用人の立場を悪用してかわいいお前に触れるなど誰が許せようか。三年は出られんようにしてくれる。聞き分けなさい」
「やめてください、お父様!」

 フィリアの声が大きかった為か、ノックが鳴って隣の続き部屋からフィリアの母が入室してきた。寝巻きにガウンを羽織った姿で随分眠そうだ。

「どうしたの。なんの騒ぎ?」
「おお、ソレシア、聞いてくれよ。フィリアが例の執事にたぶらかされて、釈放してやれと言ってくるんだ」
「まあ……なんてこと。フィリア、あなたは嫁入り前に危うく傷物にされるところだったんですよ。分かっているの?」
「違いますったら!」

 フィリアはフツフツと湧いて来る怒りを堪えて説得を続けた。シドを助け出すには正に今、ここで自分が冷静に二人を説得することが肝心なのだ。

「お母様も丁度いいわ、二人とも聞いて。シドが――シドこそが私の運命の人かもしれないの。彼は執事になる為に騎士団学校を中退してしまったけれど、本当は騎士になる予定だったの。『黒髪の騎士』になるはずの人だったのよ。だから『仮初めの使用人』になるはずだったし、『偽りの王子』ではなかったけれど、アイボット家の末裔だから世が世なら王子という血筋なのよ。こんなに私の結婚相手として相応しい人はいないと思うわ!」

 必死に訴えるフィリアに対し、両親はまるで子供の世迷言を聞くような、問題児を眺めるような神妙な顔をした。
 父がうろんそうに首を横に振る。

「全部外れてるんじゃないか。それでは占い通りとは全くいえないだろ。シドは何と言ってるんだ」
「まだ何も……そこまで深い関係じゃありませんから。でも、私にとってはもう大切な人なんです」
「だったら今すぐ諦めなさい。気持ちは分かるけどね、執事と結婚なんかできないってことくらい分かってちょうだい。約束通り私たちの選んだ貴族の男性と結婚するのがあなたにとって一番良い選択なのよ」

 母がそういう言うことは分かっていた。母の場合は一度『フィリアの為に一番良い選択』と思い込むともう決して折れなくなってしまう。だから可能性があるとすれば父をなんとか説得するしかないのだ――――けれど。

「そうだぞ、シドは騎士ではないのだから約束通り私たちの選んだ男と結婚するのが一番良い。可哀そうだけどね、フィリア、あの執事はお前が思っているような立派な男ではないんだよ。お前達が調べていたあの書簡、あれはあの男の物で、我らの先祖が滅ぼした亡国の文字で書かれていたそうじゃないか。ニ百年以上も前に途絶えたはずの文字が我々の与り知らぬ所で継承されていたのだ。それが何を意味するのか、お前にも想像できるだろう。今秘書官に解読させている所だが、いいかい、フィリア、内容によっては極刑も免れん。あれはそういう男なのだ。覚悟しておきなさい」

 父が何を言いたいのか悟り、フィリアは顔を真っ赤にして父に詰め寄った。

「シドが謀反を起こすとでも言うんですか。そんなはずないじゃありませんか。私は彼を信じているんです。どうか自由にしてあげてください!」

 涙ぐんで必死に訴える娘に、父は大きな溜息をつき、グラスをサイドテーブルにコトンと置いた。酷く面倒そうな、厄介なことだと言いたそうな乗り気のない顔でフィリアの前に立ち上がる。
 熊のように大きな体躯は、威圧的な壁のように思えた。
 後ろで見ていたミーナやモア、さらには母までもがゴクリと息を飲んだ。

「ならばフィリアよ、こうしよう――」

 普段フィリアの前で優しい顔をしている父が、その時だけは険しく歪み、敵将の首を打ち取るかのように娘の瞳を見据えた。

 直後に放たれた野太い声はとても冷たく、酷く悲しいものだった。

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