令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第18話 寂寥の夜

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 シドが釈放されたのはそれから数日後のことだ。

 言い渡された懲罰は、執事補佐への降格。
 執事にはノイグが就くことになり、なんと、シドは追い出されることもなく翌日からこれまで通りに働くことを許された。
 ――とはいえ、灰色の従僕服を着用し、執事室に篭り、フィリアはおろか、誰ともほとんど顔を合わせることなく事務に徹する役職であるが。

 元々シドの仕事ぶりや人当たりは評判が良かった。その反動は大きく、規範を犯して令嬢に触れた元執事に対する周囲の態度は非常によそよそしいものになり、使用人連中からかなり居たたまれない視線を浴びることになってしまった。
 しかし、たったそれだけのペナルティを負ったのみで仕事を続けられることが彼にとっては甚だ理解し難かった。

 フィリアが手を回してくれたのか、侯爵の温情なのか――それさえ分からない。誰に礼を言えば良いのかも。

 夜も深けた頃――今日の仕事もあと一息で終わろうという時間。
 シドは執事室の机に向かったまま、両腕を上げ、上半身を反らして伸びをした。

 机上には、この日候爵家へ届いた大量の書簡がいくつも開いた状態で並べられている。
 すでにノイグが検閲済みだが、この中で、重要ではないが返事を要するという面倒な物を抜き出して対応してくのが彼の仕事である。

 今日だけでも嘆願や訴状や令嬢への求婚まで多種多様な書簡がひしめいていた。
 ひたすら作業を進めていくと、最後に一通、いかにも貴族家からといった封蝋付きの白い封書が出てきた。宛て先はフィリアの母、差出人はブリュリーズ・オランヴィス付き従者とある。

 すでに開封されていたからざっと目を通してみると、ひたすらブリュリーズの美貌と勇姿を誉めそやし、フィリアの結婚相手として相応しい趣旨の言葉が大げさに並べられていた。

 規定に沿い、これの返事は不要と判断して寄り分けた。
 革張りの椅子に深く腰掛け、肘当てに片腕をついて拳で頭を支え、全身の力を抜けば自然と溜息が漏れた。

 ブリュリーズ――その男だけは……とシドは思う。
 あれは人としてもあまり尊敬できないが、そもそも騎士として才覚のある男ではない。
 騎士団学校の平民クラスの教官として騎乗し、騎馬部隊の訓練を指揮した彼の采配は余りにも稚拙であり、同盟国同士の模擬戦において、敵陣に一方向から突撃しただけのシンプルな敗戦は騎士団学校でも歴史に残る失策として教科書に載るレベルであった。

 屋敷守をした経験から、ブリュリーズの部下を統率する能力が著しく低いことをシドは簡単に見抜くことができた。それを訓練生の立場で指摘したことを未だに根に持たれていたらしく、先日フィリアとの面会で案内した際には随分と嫌味を言われたものだ。騎士団学校の教官などというものは、所詮貴族家の出身だからという理由でその地位にいられるに過ぎないのである。

 せめて英雄のサプラスを――とも思うが、先日のフィリアの怯え方が気になった。あちらの方が武功も気概も名声も十分に備わっているのに、候爵から推されているといった噂は聞いたこともない。

 シドは我知らずもう一度嘆息した。

 ――彼女はどうしているだろうか。
 今でも自分の占いを信じて親に抗っているのか、それとももう諦めたのか。どちらにせよ、運命と信じていた黒髪の騎士が身分を持たないただの使用人だったからには、最終的に親の決めた男を選ぶことになるのだろう。

 未だ収まらない焦燥感は、ことあるごとにあの日のことを思い出させた。
 触れてしまった彼女の温もり、花の香り、自分を運命の相手だと言ってくれた、あの決して幼くはない口元、そしていつも前を向くことを教えてくれる真っ直ぐで純粋で少し我が侭なあの……。

 フィリアは中庭での出来事を覚えていた。それを考えるとひとしおに落ち着かない。せめてもっと詳しく話をしたかった……。

 ふいに、ノックが鳴った。
 上体を起こして返事をすると、扉を開けて入ってきたのは、随分冷ややかな目をしたミーナだった。手に白い紙を持っている。

「シド様……、お疲れ様です。お嬢様からの預かり物をお持ちしました」
「…………預かり物? なんだい」
「あ、手紙の類じゃありませんよ。再来週のスケジュールです」
「……、そうか。ありがとう」

 試すような言い方に戸惑いながらシドはそれを受け取って開いた。

 一通り目を通して、シドは息を飲んだ。またブリュリーズの来訪の予定が入っていたのだ。前回と同じくアフタヌーンティーの準備をしておくよう指示が出されている。
 婚約発表が近いこの時期に、この男の目通りが許さるということは、つまり……。

 ミーナは手を後ろに組みながらジロジロとシドの様子を観察した。

「それから……、例の羊皮紙の書簡ですが、オリーズ候に取り上げられてしまったみたいです。今秘書官が解読しているとか。あれはシド様の物ですよね。何が書かれていたんですか?」
「分からないんだ……私はあの文字を確かに知ってはいるが、じっくり見なければ読むこともできない。祖父が死に際に渡そうとしたようだが、私は気付かずに落として行ってしまったんだ」
「そうですか、バゼル様の物だったなら内容はそれほど怪しいものではないと信じたいですが、亡国の文字を使っている点でオリーズ候はアイボット家を疑っておられるようです。因みにお嬢様は、もう内容を知る必要がないとおっしゃっていました。黒髪の騎士を探す必要もなくなりましたしね……」

 最後の方には声色に苛立ちが混じっていた。
 シドはちくりと痛みを感じながら小さく頷いた。

「すまないが、お嬢様には重ね重ね申し訳なかったと伝えておいてくれないか」
「お嬢様を謀ったことをですか。それとも触れたことをですか」
「……、両方だ」
「だったら始めから……っ」

 ミーナは急に感情的な声を荒げた。驚いて見上げると、その目には薄っすらと涙が浮かんでいる。

「始めから名乗り出ていれば良かったのです。貴方がもっと早く名乗り出ていれば、お嬢様に余計な期待をさせずにすんだのです。もっと早く諦めることができたはずなんです」
「…………」
「まるで何も知らなかったみたいな顔ですね。本当は随分前から貴方に対するお嬢様の気持ちに気付いていたんじゃないですか? 貴方は自分が名乗り出なければお嬢様の結婚が遠のくことを知っていて、わざと引き伸ばしていたのでは? もしそうなら、お嬢様は更に深く悲しまれるでしょうね。シド様はなぜ大した罰も受けずに現在この城で仕事を続けていられるのか、考えたことはないのですか」
「……何か、お嬢様がお力添えして下さったのか」
「お嬢様は、貴方に科せられるはずだった重罰の代わりに、ご両親の選択された男性とのご結婚を受け入れられたのですよ。半ば投げやりに」
「なに……?」

 驚き振り向いたシドへ、ミーナは容赦なく続ける。

「どうせ始めから結婚相手が選べないことは分かっていたのですから、シド様は気にされる必要もないとは思いますけどね。ただ……これだけは言っておきますよ。貴方が今ここでこうしていられるのはお嬢様の苦渋の決断があったからなのです。オリーズ候はそれをお嬢様に対する罰だと言って笑っておられました。私は、お嬢様がしかるべき殿方とご結婚された後、貴方がこの城にい続けることはご夫婦にとって良いことだとは全く思えません。あの方の幸せを願われるなら、どうぞ速やかにご自身の身の振りをお決めになって下さいませ」

 最後には怒りに声を震わせ、ミーナはポケットから小さな白い紙きれを取り出して机の上へ叩き付けた。

「メッセンジャーは一度切りです。私も実家には養わなくてはならない親兄弟がおりますから、ご容赦くださいませ」

 ミーナはシドをひと睨みして宣言するとすぐに踵を返して部屋を出て行った。
 シドが慌てて紙を開くと、それはもちろん、フィリアからの手紙だった。



『親愛なるシドへ。

 お元気ですか。体調に変わりはないですか。
 この間は私のせいでごめんなさい。
 もうすぐ私の婚約者の発表があります。相手はまだ分からないけれど、貴族の誰かになるでしょう。

 実は、私の運命の相手というのは、子供の頃から占いで三人の男性が示唆されていました。一人目は『黒髪の騎士』二人目は『仮初めの使用人』三人目は『偽りの王子』です。
 残念ながらその人達は誰も迎えに来ては下さらなかったけれど、代わりにシドが少しの間だけ、夢を叶えてくれました。ありがとう。

 でも、考えてみたら、大事なことを聞いていないことに気付いたの。
 結婚したら会えなくなるかもしれません。
 だから、もし良かったら、その前に貴方が私のことを本当はどう思っていたのかを教えてください。私が後悔しないように。

 もし返事ができない状況なら、月を見上げてくれるだけでもいいわ。
 迷惑だったらごめんなさい。
 待ってます。ずっと。
                              フィリア 』



 焦燥感が、体が震えるほどの焦燥感がシドの全身を襲った。
 いても立ってもいられず立ち上がるが、牢にいた時と同様に、何もできないことに気付いて無意味に部屋中を歩き回る。

 あの時もそうだった。初めてフィリアを見て、いてもたってもいられず従僕を辞めたあの時も。ただ一つ違うのは、今のシドは彼女の気持ちを知っているということだ。

 しばらくひと通り歩き回り、やはり何一つフィリアにしてやれないことに思い至って机へ戻る。引き出しから便箋を一枚取り出して、何を書くか必死に考えるが、どうしても書くことができない。

 文字で伝えるなど――――。
 会って話がしたい。

 それは当然、今のシドには許されないことである。行けばまた候爵への忠誠を裏切ることになる。しかし。
 引き出しから暦を取り出して月齢を確かめてみれば、狙い定めたように今宵が満月だった。前回と同じなら、フィリアはミーナが戻った後、塔へ星見をしに行くのだろう。

 今日の仕事は全て終わっている。そこに迷いはなかった。シドは椅子から立ち上がり、急ぎ足で出入り口へ向かった。

 ドアを開けた途端、突然執事服のノイグが眼前に現れ、思わずおののく。

「おっと、シド殿、お出かけですか」
「え、ええ……ちょっと、オリーズ候の所へ……」

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