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長い森を抜けた先に、少し傾きかけた太陽に照らされた街の門が見えた。
領地へ続く道で、最後に立ち寄る領地外の街だ。
門前は旅人や荷車でごった返し、ざわざわとした声が空気を満たしていた。
(……やっと着いた)
思わず肩から力が抜け、背中に貼りついていた緊張が、少しずつほどけていく。
馬車は列の最後尾に並ぶ。前の荷車からは干草の匂いが漂い、商人たちの声が飛び交っていた。
門まであと数メートルというところで、御者が馬を止める。
門番が二人、槍を構えたまま近づいてきた。
「身分証の提示をお願いします」
御者が頷き、腰の袋から封蝋のついた書状を取り出す。
侯爵家の名を見られて何か言われるかと思ったが、門番は慣れた様子で受け取り、そのまま視線を隣へ滑らせた。
――セドに、だ。
「そちらの方は?」
門番の声が、わずかに揺れた。
立派な黒馬に跨り、長いマントを翻した男が、無言で身分証を差し出しながらこちらを見下ろしている。
蒼の瞳に射抜かれ、門番の喉仏がごくりと動いた。
(……分かる。俺もあの目で見られたら、正直ちょっと泣く)
「拝見いたします。あ、あな――」
門番が言い切る前に、セドはわずかに視線を落とし、静かに言った。
「もういいか?」
……その瞬間、空気がひやりとした。
気のせいか、足元の砂利がきしむ音とともに、白い霜がかすかに光ったように見えた。
低く落ち着いた声なのに、逆らう気になれない圧がある。
門番の顔色が変わり、言葉が喉で絡まる。
「は、はい……結構です。どうぞお通りください」
背筋を伸ばして道を開ける門番の手が、わずかに震えていた。
(……なんだ、今の)
『ほんまに。門番さん、膝ガクガクやで』
(静かにしろ……)
馬車が再び進み出す。
俺は内心ざわつきながら、ちらりと隣を見る。
セドは何事もなかったかのように、前を見据えていた。
――その時。
「うわっ! すまん!」
前方で声が上がり、荷車から大きな樽がいくつも落ちた。
水と魚が道にぶちまけられ、瞬く間にぬかるみが広がっていく。
行列は完全に足を止めた。
その中で、セドが小さく息を吐いた。
「動くな」
澄んだ声が、妙に耳に残る。
彼が片手をわずかに上げる。
次の瞬間――
道一面の水が、音もなく凍りついた。
陽の光を反射し、でこぼこした氷が宝石のように輝いている。
ほんの一瞬の出来事だった。マントの裾さえ揺れていない。
まるで、風そのものが彼を避けているみたいだった。
(……は?)
俺の脳が、現実を処理できていない。
周囲も同じだ。どよめきとざわめきが広がる。
「今の……氷?」「魔法だ……」「あんな一瞬で……」
セドは何も言わず、馬の腹を軽く蹴った。
黒馬の蹄が氷を踏み、澄んだ音を響かせる。
「行くぞ」
それだけ言って、前を行く。
俺は慌てて御者に合図し、馬車は氷の上を進み出した。
(……何者だよ、あの人)
胸の奥で、ざわめきが大きく広がっていく。
『ふふ、恋、始めとく?』
(始めるか!)
――街の門を抜ける頃、俺は気付いてしまった。
セドの瞳が、一瞬だけ街の奥を睨んでいたことに。
何かを探し、決して見逃さない獣の目。
背筋が、ぞくりとした。
(……やっぱり、ただの人じゃない)
夕暮れの光が、石造りの屋敷の壁を朱に染めていた。
最後の街からさらに一日。
ようやく辿り着いた領地の本邸の門をくぐった瞬間、胸の奥がずしりと沈む。
(……これからだ)
謹慎。
それは単なる反省じゃない。貴族社会からの隔離であり、最後の猶予だ。
ここで変われなければ――
『肩、こってへん?』
(今は黙っとけ)
馬車を降りると、執事が恭しく頭を下げた。
「レオン様、長旅お疲れ様でございます。……ご案内いたします」
その声は柔らかいが、屋敷全体に淡い緊張が漂っている。
ここでは俺は“問題児”だ。
(自業自得だな……)
通されたのは、広いがどこか冷たい部屋。
重い扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。
無意識に矢筒に触れる。
森での感覚が、まだ手に残っている。
氷の結晶が舞った光景。
そして――あの男。
「セド……」
小さく名前を呟く。
街を抜けるとき、彼は言った。
『ここから先は、自分たちで行け』
それだけ。
理由も告げず、黒馬で去っていった。
(……何者なんだ)
魔法も、剣も、俺の知る常識じゃ説明できない。
それでも、不思議と怖くはなかった。
『安心したやろ』
(……うるさい)
枕を掴んで投げつける。
それでも胸の奥のざわめきは消えない。
セドという男が、偶然そこにいたとは思えなかった。
窓の外で、森の影が夜に沈んでいく。
胸騒ぎと、正体の分からない期待。
その両方を抱えながら、俺は静かに息を吐いた。
(ここからだ。レオン・セラフ・アルヴェリック)
――謹慎生活の幕が、静かに下りた。
領地へ続く道で、最後に立ち寄る領地外の街だ。
門前は旅人や荷車でごった返し、ざわざわとした声が空気を満たしていた。
(……やっと着いた)
思わず肩から力が抜け、背中に貼りついていた緊張が、少しずつほどけていく。
馬車は列の最後尾に並ぶ。前の荷車からは干草の匂いが漂い、商人たちの声が飛び交っていた。
門まであと数メートルというところで、御者が馬を止める。
門番が二人、槍を構えたまま近づいてきた。
「身分証の提示をお願いします」
御者が頷き、腰の袋から封蝋のついた書状を取り出す。
侯爵家の名を見られて何か言われるかと思ったが、門番は慣れた様子で受け取り、そのまま視線を隣へ滑らせた。
――セドに、だ。
「そちらの方は?」
門番の声が、わずかに揺れた。
立派な黒馬に跨り、長いマントを翻した男が、無言で身分証を差し出しながらこちらを見下ろしている。
蒼の瞳に射抜かれ、門番の喉仏がごくりと動いた。
(……分かる。俺もあの目で見られたら、正直ちょっと泣く)
「拝見いたします。あ、あな――」
門番が言い切る前に、セドはわずかに視線を落とし、静かに言った。
「もういいか?」
……その瞬間、空気がひやりとした。
気のせいか、足元の砂利がきしむ音とともに、白い霜がかすかに光ったように見えた。
低く落ち着いた声なのに、逆らう気になれない圧がある。
門番の顔色が変わり、言葉が喉で絡まる。
「は、はい……結構です。どうぞお通りください」
背筋を伸ばして道を開ける門番の手が、わずかに震えていた。
(……なんだ、今の)
『ほんまに。門番さん、膝ガクガクやで』
(静かにしろ……)
馬車が再び進み出す。
俺は内心ざわつきながら、ちらりと隣を見る。
セドは何事もなかったかのように、前を見据えていた。
――その時。
「うわっ! すまん!」
前方で声が上がり、荷車から大きな樽がいくつも落ちた。
水と魚が道にぶちまけられ、瞬く間にぬかるみが広がっていく。
行列は完全に足を止めた。
その中で、セドが小さく息を吐いた。
「動くな」
澄んだ声が、妙に耳に残る。
彼が片手をわずかに上げる。
次の瞬間――
道一面の水が、音もなく凍りついた。
陽の光を反射し、でこぼこした氷が宝石のように輝いている。
ほんの一瞬の出来事だった。マントの裾さえ揺れていない。
まるで、風そのものが彼を避けているみたいだった。
(……は?)
俺の脳が、現実を処理できていない。
周囲も同じだ。どよめきとざわめきが広がる。
「今の……氷?」「魔法だ……」「あんな一瞬で……」
セドは何も言わず、馬の腹を軽く蹴った。
黒馬の蹄が氷を踏み、澄んだ音を響かせる。
「行くぞ」
それだけ言って、前を行く。
俺は慌てて御者に合図し、馬車は氷の上を進み出した。
(……何者だよ、あの人)
胸の奥で、ざわめきが大きく広がっていく。
『ふふ、恋、始めとく?』
(始めるか!)
――街の門を抜ける頃、俺は気付いてしまった。
セドの瞳が、一瞬だけ街の奥を睨んでいたことに。
何かを探し、決して見逃さない獣の目。
背筋が、ぞくりとした。
(……やっぱり、ただの人じゃない)
夕暮れの光が、石造りの屋敷の壁を朱に染めていた。
最後の街からさらに一日。
ようやく辿り着いた領地の本邸の門をくぐった瞬間、胸の奥がずしりと沈む。
(……これからだ)
謹慎。
それは単なる反省じゃない。貴族社会からの隔離であり、最後の猶予だ。
ここで変われなければ――
『肩、こってへん?』
(今は黙っとけ)
馬車を降りると、執事が恭しく頭を下げた。
「レオン様、長旅お疲れ様でございます。……ご案内いたします」
その声は柔らかいが、屋敷全体に淡い緊張が漂っている。
ここでは俺は“問題児”だ。
(自業自得だな……)
通されたのは、広いがどこか冷たい部屋。
重い扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。
無意識に矢筒に触れる。
森での感覚が、まだ手に残っている。
氷の結晶が舞った光景。
そして――あの男。
「セド……」
小さく名前を呟く。
街を抜けるとき、彼は言った。
『ここから先は、自分たちで行け』
それだけ。
理由も告げず、黒馬で去っていった。
(……何者なんだ)
魔法も、剣も、俺の知る常識じゃ説明できない。
それでも、不思議と怖くはなかった。
『安心したやろ』
(……うるさい)
枕を掴んで投げつける。
それでも胸の奥のざわめきは消えない。
セドという男が、偶然そこにいたとは思えなかった。
窓の外で、森の影が夜に沈んでいく。
胸騒ぎと、正体の分からない期待。
その両方を抱えながら、俺は静かに息を吐いた。
(ここからだ。レオン・セラフ・アルヴェリック)
――謹慎生活の幕が、静かに下りた。
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