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愛しい娘
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「どうやら小屋の中に誰かいるようですね」
コルアーレが小さな声でそう囁くと、ノーモル公は不機嫌な表情で彼を睨みつけた。何か落ち度があったわけでもないが、長時間の移動と、そしてキシュクシュの事が気になってイラついているのだろう。
コルアーレは八つ当たりをされているというわけだ。
今更ではあるが、ノーモル公のこういった態度にコルアーレの心はどんどん離れていく。「こんな男に義理を果たす必要はない」と。
「オーガン卿、小屋へは一人で行ってください。私は外で、何かあった時の対応のために警戒しています」
ノーモル公は「むう」と唸り声をあげた。
彼の言う事も分からないでもない。というよりはかなり正当性がある。こちらが何の関係もない騎士団総長を連れて行けば向こうは警戒するであろうし、父親が一人で迎えに来たのとはだいぶ印象が変わってくる。
説得して連れ戻す気があるのなら「父親の必死さ」が伝わった方が都合がいいのだ。どちらにしろ向こうには用心棒を雇う金の余裕などない。暴力の手段に出るとしてもせいぜいヒルシェンが切りかかってくるくらい。それくらいならコルアーレなど居なくとも独力で何とかなる。
「……わかった。もし外に逃げられるようなことがあったらその時は頼むぞ」
正直に言うとついてきて欲しい。
本当のことを言うと怖いのだ。ヒルシェンに切りかかられることが、ではない。娘に拒絶されることが、だ。
気付かれないように大きく呼吸をして心を落ち着けながらゆっくりと小屋に歩いていく。小屋の方にも小さな明かりがついており、どうやら誰かが中にいるようだ。
その様子を背後から見ていて、コルアーレはその場を立ち去っていった。ここで彼の仕事は終わりだ。あとはもうどうとでもなれ。あの王子に目をつけられたのだ、どちらにしろ奴はここでお終いだ。
コルアーレのイェレミアス王子に対する感情は最初はとるに足らないひ弱なガキ、といった有様であったが、あの森の中の惨劇によって百八十度反転した。恐怖と崇拝によって、もはや彼の目には全能の存在として映っている。
もしここでノーモル公が戻ってくればまた面倒なことになるのだが、そんなことは考えもしないようだ。
そのまま、コルアーレは自分とノーモル公の馬を連れて、王都に帰ってしまった。
ノーモル公は家の事を息子に申し付ける際に、何の用で家を空けるのかについては明言せず、「野暮用だ」としか言わなかったし、コルアーレと共に行くことも言わなかった。
おそらくは娘の身を案じているという「女々しい」態度を人に見せたくなかったのであろう。その小さなプライドが悲劇を招くことになるし、全てイェレミアスの掌の上であった。
「小さな足跡が一人分か……女かどうかまでは分からんな」
カンテラを少し低くして、ノーモル公は小屋の周りの地面を確認する。確認できたのは一人分の木靴の足跡。成人男性のサイズには見えない。ヒルシェンや別の用心棒などはいないと分かってほんの少しだけ心が落ち着いてきた。
小さな明かりの洩れる小屋の扉の前、大きく深呼吸をして、逡巡したのち静かにノックをした。襲撃に来たのではない。説得に来たのだ。先ずは穏便に。
冷静に考えて行動したのだが、しかし小屋の中から返事はない。
「妙だな……明かりが漏れているのに、誰もいないのか」
貴族ではあるが庶民感覚も理解している。誰もいないのにランプの灯火をつけたままにするなどという無駄はあり得ないと考える。キシュクシュは貴族の娘ではあるが、持っていった金は少ない。無駄遣いの余裕は無いはずである。
ぎぃ、とドアをきしませながら開ける。無為な時間は過ごすまい。早く屋敷に帰りたいし、キシュクシュがいないならいないで他の場所も探さなければならないからだ。
「本当に誰もいないな……小用で外に出ているのか……?」
小屋の中はがらんとしてはいたが、人の生活の気配はある。打ち捨てられたものには思えなかった。ノーモル公は何か手掛かりがないかと部屋の中をうろうろと歩き回った。
「この髪留めは……たしかにあいつの持ち物だ」
テーブルの上に見覚えのある髪留めを見つける。間違いなく彼が娘に昔買ってやったものだった。ノーモル公は目を閉じ、頬ずりするように髪留めを顔の近くにまで持ってきた。
二か月以上も音沙汰がなく、もしかしたらもう生きてはいないのかもしれない、と諦めかけていた家族。恋しくないわけがない。他者に対して冷酷な男ではあるが、当然ながら彼にも人の情というものはある。
同時に、この事態を招いたであろう、もしくは主導して娘に協力したのであろう騎士ヒルシェンに対しては怒りが込み上げてきた。
「あの阿呆さえいなければ、今も屋敷で穏やかに暮らせていたであろうに……」
それだけではない。イェレミアス王子との婚姻も。
こんなに回り道をすることなく王子との縁を強く結ぶこともできたであろうし、それよりなにより王族との姻戚関係になるというのは大きい。彼の政治的発言力も今よりずっと強くなっていたはずなのだ。
それがなくとも娘を奪っていったあの騎士は許せない。
そんなことを考えていると、テーブルの下にもう一つ小物を見つけた。しゃがみこんでそれを確認する。
「これは確か、あいつが大切にしていた押し花のしおりか……」
テーブルの下にしゃがみこんでそれを確認するノーモル公。それを木窓のほんの少しの隙間から覗いている顔があった。
きい、と少し窓が開く音がする。まさか、と思ってノーモル公はしゃがんだ姿勢のままそちらを見上げる。
窓からは、美しい少女が生気のない顔でこちらを見下ろしていた。
「キシュクシュ!!」
距離にしてほんの三メートルほど。見間違うはずもない。確かに、その隙間から顔を覗かせているのは、彼の愛しい娘の姿であった。
コルアーレが小さな声でそう囁くと、ノーモル公は不機嫌な表情で彼を睨みつけた。何か落ち度があったわけでもないが、長時間の移動と、そしてキシュクシュの事が気になってイラついているのだろう。
コルアーレは八つ当たりをされているというわけだ。
今更ではあるが、ノーモル公のこういった態度にコルアーレの心はどんどん離れていく。「こんな男に義理を果たす必要はない」と。
「オーガン卿、小屋へは一人で行ってください。私は外で、何かあった時の対応のために警戒しています」
ノーモル公は「むう」と唸り声をあげた。
彼の言う事も分からないでもない。というよりはかなり正当性がある。こちらが何の関係もない騎士団総長を連れて行けば向こうは警戒するであろうし、父親が一人で迎えに来たのとはだいぶ印象が変わってくる。
説得して連れ戻す気があるのなら「父親の必死さ」が伝わった方が都合がいいのだ。どちらにしろ向こうには用心棒を雇う金の余裕などない。暴力の手段に出るとしてもせいぜいヒルシェンが切りかかってくるくらい。それくらいならコルアーレなど居なくとも独力で何とかなる。
「……わかった。もし外に逃げられるようなことがあったらその時は頼むぞ」
正直に言うとついてきて欲しい。
本当のことを言うと怖いのだ。ヒルシェンに切りかかられることが、ではない。娘に拒絶されることが、だ。
気付かれないように大きく呼吸をして心を落ち着けながらゆっくりと小屋に歩いていく。小屋の方にも小さな明かりがついており、どうやら誰かが中にいるようだ。
その様子を背後から見ていて、コルアーレはその場を立ち去っていった。ここで彼の仕事は終わりだ。あとはもうどうとでもなれ。あの王子に目をつけられたのだ、どちらにしろ奴はここでお終いだ。
コルアーレのイェレミアス王子に対する感情は最初はとるに足らないひ弱なガキ、といった有様であったが、あの森の中の惨劇によって百八十度反転した。恐怖と崇拝によって、もはや彼の目には全能の存在として映っている。
もしここでノーモル公が戻ってくればまた面倒なことになるのだが、そんなことは考えもしないようだ。
そのまま、コルアーレは自分とノーモル公の馬を連れて、王都に帰ってしまった。
ノーモル公は家の事を息子に申し付ける際に、何の用で家を空けるのかについては明言せず、「野暮用だ」としか言わなかったし、コルアーレと共に行くことも言わなかった。
おそらくは娘の身を案じているという「女々しい」態度を人に見せたくなかったのであろう。その小さなプライドが悲劇を招くことになるし、全てイェレミアスの掌の上であった。
「小さな足跡が一人分か……女かどうかまでは分からんな」
カンテラを少し低くして、ノーモル公は小屋の周りの地面を確認する。確認できたのは一人分の木靴の足跡。成人男性のサイズには見えない。ヒルシェンや別の用心棒などはいないと分かってほんの少しだけ心が落ち着いてきた。
小さな明かりの洩れる小屋の扉の前、大きく深呼吸をして、逡巡したのち静かにノックをした。襲撃に来たのではない。説得に来たのだ。先ずは穏便に。
冷静に考えて行動したのだが、しかし小屋の中から返事はない。
「妙だな……明かりが漏れているのに、誰もいないのか」
貴族ではあるが庶民感覚も理解している。誰もいないのにランプの灯火をつけたままにするなどという無駄はあり得ないと考える。キシュクシュは貴族の娘ではあるが、持っていった金は少ない。無駄遣いの余裕は無いはずである。
ぎぃ、とドアをきしませながら開ける。無為な時間は過ごすまい。早く屋敷に帰りたいし、キシュクシュがいないならいないで他の場所も探さなければならないからだ。
「本当に誰もいないな……小用で外に出ているのか……?」
小屋の中はがらんとしてはいたが、人の生活の気配はある。打ち捨てられたものには思えなかった。ノーモル公は何か手掛かりがないかと部屋の中をうろうろと歩き回った。
「この髪留めは……たしかにあいつの持ち物だ」
テーブルの上に見覚えのある髪留めを見つける。間違いなく彼が娘に昔買ってやったものだった。ノーモル公は目を閉じ、頬ずりするように髪留めを顔の近くにまで持ってきた。
二か月以上も音沙汰がなく、もしかしたらもう生きてはいないのかもしれない、と諦めかけていた家族。恋しくないわけがない。他者に対して冷酷な男ではあるが、当然ながら彼にも人の情というものはある。
同時に、この事態を招いたであろう、もしくは主導して娘に協力したのであろう騎士ヒルシェンに対しては怒りが込み上げてきた。
「あの阿呆さえいなければ、今も屋敷で穏やかに暮らせていたであろうに……」
それだけではない。イェレミアス王子との婚姻も。
こんなに回り道をすることなく王子との縁を強く結ぶこともできたであろうし、それよりなにより王族との姻戚関係になるというのは大きい。彼の政治的発言力も今よりずっと強くなっていたはずなのだ。
それがなくとも娘を奪っていったあの騎士は許せない。
そんなことを考えていると、テーブルの下にもう一つ小物を見つけた。しゃがみこんでそれを確認する。
「これは確か、あいつが大切にしていた押し花のしおりか……」
テーブルの下にしゃがみこんでそれを確認するノーモル公。それを木窓のほんの少しの隙間から覗いている顔があった。
きい、と少し窓が開く音がする。まさか、と思ってノーモル公はしゃがんだ姿勢のままそちらを見上げる。
窓からは、美しい少女が生気のない顔でこちらを見下ろしていた。
「キシュクシュ!!」
距離にしてほんの三メートルほど。見間違うはずもない。確かに、その隙間から顔を覗かせているのは、彼の愛しい娘の姿であった。
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