カナリア

至里

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002:アンスリーピング・ビューティー

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 ――そろそろ、限界が来ていた。


「縺昴l縺ァ縺ッ縲∫岼讓吝?、縺ッ縺昴?繧医≧縺ォ縲ゅ≠縺ィ縺ッ蜷?Κ鄂イ縺ァ逋コ逕溘@縺ヲ縺?k莠コ蜩。荳崎カウ縺ョ莉カ縺ァ縺吶′窶補?」

 耳障りな音が頭痛を悪化させる。聴覚補助のためのアイグラスが、部下の報告を微妙に間違った字幕で映している。

「……ああ、人員補充の件だが人事をつついて早急に進めてくれ。バイトでもいいレベルならそれでも構わない。学生のインターンを募集するのもいいだろうな」
「縺ゅ≠縲√◎繧後〒縺励◆繧牙勧縺九j縺セ縺吶?ゆクュ騾泌供髮?b縺?>繧薙〒縺吶′縲∵怙霑代?諠?兇繧定ヲ九k縺ィ縺ゥ縺?@縺ヲ繧や?ヲ窶ヲ縺ュ縺?シ」
「――ただし第2タイプの診断はこれまで以上に厳密に行ってくれ。海外企業との取引も控えている。こんなときにでかいニュースをうちで起こすわけにはいかないからな」
「繧上°繧翫∪縺励◆」

 頭を下げて、自分よりも年上の部下が部屋を出て行く。
 ようやく静かになった。と思ったのもつかの間、すぐにノックの音が響いた。

「なんだ」
「失礼します社長。先日の件ですが」
「誰もいない。いつも通りで頼む、あゆむ
「あ、そう? じゃあお言葉に甘えて」

 入ってきた男は旧友――悪友と言ったほうが正しいかもしれない。同じようにアイグラスをかけた『ケージ』でもある。
 こいつも同じようなタイプだからか、お互いの声のノイズはとても少ない。たまに聞き取りづらいことがある程度で、ごく普通に会話が行える。かけっぱなしだったアイグラスを外しても、相手の言いたいことが理解できる。それがなんと得難いことなのか、この世の中の大半の『一般人』は理解しようとすらしていないだろう。

「てわけで、部署で対処するように言って……て、おーい、維孝イタカ? 聞いてる?」
「聞いてる」
「ホントかよ~?」

 ソファに横になって普通に聞き取れる会話に耳を傾ける。どんなクラシック音楽やヒーリングミュージックでさえノイズだらけになってしまう俺たちにとって、普通ほど有り難いものはない。

「あ、維孝。これ頼まれてた薬な。相変わらずお前に効くかはわかんねーけど」
「ああ、助かるよ歩」

 起き上がり、渡された小さな箱を開けて中の薬を取り出す。視界がぶれる。少し起き上がっただけで目眩とはまったく情けない。錠剤を押し込む指先も心なしか震えている気さえしてきた。

「大人は1回2錠な。お前説明くらい読めよ」

 言われる頃にはもう4錠テーブルに転がっていた。

「俺の代わりにお前が確認してくれてるだろ」

 こうやって口の中に錠剤を放り込んだタイミングで、ちゃんと水を用意して出してくれる。そういう男だよ、お前は。

「お前~自分は薬が効きづらいからって勝手に倍量飲むなよ! なんかあったらどうすんだよ社長」

 何もなくたって、いずれどうにかなるじゃないか。
 口に出してしまいそうになったが、それは俺だけじゃない。歩も同じような道を歩んでいる。

「まともに効く薬をさっさとうちで開発すれば済む話だ」

 投げやりに言って俺はまたソファに横になる。

「それは……俺だってそうなりゃいいと思ってるけど……」

 歩も向かいのソファに同じように寝転がる気配がした。

「なあ維孝。お前全然眠れてないだろ」
「……いつものことだ。何をいまさら」
「いまさらだけど、いまさらだからだろ」

 歩の声に少しだけノイズがのった。

「こんな生活、もつわけない。学生してるときは体力もあったけど、それでも昔はもうちょっとちゃんと休めてたはずだ」

 歩の言うとおりだ。若い頃は『ケージ』が感じる特有のノイズも今ほど強くはなかった。アイグラスに頼ることだってなかったし、こんなにあちこち不調はなかった。

「俺たち『ケージ』には『カナリア』が必要だろ」

 栄養ではないが『カナリア』からしか得られないものが必要なのだ。俺たちには。

「別に、『カナリア』がいなくてもどうにかなってきてたじゃないか」
「今まではな」
「お前だって平気そうじゃないか」
「俺は……お前と違ってちゃんと『鳥籠』に行ってる。そんな頻繁じゃねーけど」

 鳥籠か。目を瞑りながら思う。
 『カナリア』が安全に働けるよう、セキュリティも厳重。出入りする『ケージ』が好き勝手して危害を加えたりすることができないよう、あちこち監視の目が行き届いている。俺たち『ケージ』に安らぎを与える場所だなんだのと謳ってはいるが、現代の形に変え適応しただけの娼館のようなものではないか。
 安全だなんだと言っておきながら『カナリア』を集めて手放さない。あれの運営に国も関わっているのだというのだから、本当にどうかしている。

「お前が『鳥籠』のこと好きじゃねーのはわかってるよ。でも、俺だってしんどい時はちゃんと休みたいし」
「……わかってるよ」

 俺が個人的に好きではないことと、だからといって歩にそれを強要するのは違う。歩がきちんと生きるためには通うことも必要だと理解はしている。
 でも、あの場所と、そこで働く彼らのが俺はどうにも好きになれずにいた。

「それに、俺が倒れたら誰が維孝の相手すんだよ」
「別に構ってくれと言った覚えはないぞ。お前は仕事ができるから、倒れられたら困るが……」
「はいはい。そうやって時々は俺のこと甘やかしてくれるのよねー」

 甘やかした覚えなどないのだが。歩は俺の言葉を自分に都合の良いように解釈するのが得意だ。それでも、擦り寄ってくる連中とは根本が違う。俺の意図を理解したうえで、どうやったら上手く立ち回れるか、俺と自分に利があるのかすべて計算ずくなのだ。

「……嫌かもしれないけどさ、維孝も早く『カナリア』見つけてくれよ。俺はお前とこれからも馬鹿話してたいんだからさー……」
「……善処はするよ。俺だって――」

 ごとん、と音がした。歩が持っていたスマホが落ちたようだった。

「あぶねー……よかった。画面無事だわ。この間ラグ変えたばっかで助かったわ」
「歩、今日はもういいから帰って休め」
「や、でもお前が」
「俺は大丈夫だから」

 少し渋っていたが強めに言えば、歩は「わかった」と頷いて立ち上がる。

「後はお前の書類仕事だけのはずだけど、今日はもう取り次がないように言っとくから。お前こそ無理しないでさっさと帰れよ。ただ横になってるだけでもだいぶ違うんだから」

 母親みたいなことを言うだけ言って、歩はさっさと退勤していった。こういうときにさくっと気持ちを切り替えることができるのは歩の強みでもある。
 社長室は扉を閉めてしまえば外の音などほとんど聞こえない。そのための高層階だ。
 ソファに横たわっていると、仕事をしているときよりも体の重みを感じる。疲れている。眠れていない。頭痛がひどい。耳鳴りがする。
 それでも俺はまだ耐えられる。それは俺が『ケージ』の中でも上位だかららしい。短い時間だけでも『カナリア』の声を聞ければ、大多数の同類よりも遥かに長い期間症状が緩和される。と言っても元がどうしようもないので、多少ましになろうが俺にはあまり違いはない。
 多少でも声を聞ければ、少しは眠れる。
 だがそのためだけに囲われた『カナリア』に会うのは違う気がした。
 そんなこと言っていられないレベルになってきてしまっているのはわかる。もう何日まともに寝ていない。
 俺だって、自分と波長の合う『カナリア』がいるのなら会ってみたい。子どもの頃のように何も考えずベッドに入って、気付いたら朝を迎えている、そんなごく当たり前のことをしたい。できていたはずなんだ。昔は。
 『カナリア』にもランクがある。
 俺のような上位の『ケージ』には、ある程度高いランクの『カナリア』でなければその効果はほぼ得られない。そんな『カナリア』でさえも、途切れることなく喋り、歌い続けていなければ俺の睡眠を維持することすらできないのだ。大多数の『ケージ』ならば、そんなことは起こらない。
 単純な睡眠時間を確保するだけで、俺にも『カナリア』にも負担がかかる。そんな馬鹿馬鹿しいこと、やっていられないと思ってしまうのも必然だ。
 海外の論文なども調べているが、『ケージ』の力が年々強くなるといった症例はほとんどない。第二次性徴の頃と同時期に自分のタイプの特性が出現する。成人までに特性や個人の症状が強くなることはあっても、強くなり続けることはないのだ。
 しかし俺自身の症状は年々ひどくなっている。当然、定期的に検査などにも行っているが目に見えて異常はなく、個人差によるものが大きいのではないかというのが医師の判断だ。
 と言っても、そもそもこのタイプ自体がまだまだ研究途中なのだ。研究しているとはいえわからないことが多い。今行われていることだって、基本的には対処療法でしかない。根本的な解決ではないのだ。
 うちの会社もこの研究でのし上がってきたものだから、強くは言えない。けれど、人の可能性を『タイプ』でばかり判断してしまうのはどうかと思う。溜息をついたところで状況が変わるわけでもない。
 今日もらった薬もちっとも効きそうにない。『10分~30分程度で効果が現れますが、個人差があります』とあるが、時間はとうに過ぎていた。諦めて起き上がり、残りの書類を片付けてしまうことにした。


 書類を早々に片付けてしまったので、上がってきた資料に目を通していたが、それでも一向に眠気は訪れない。日に日に症状はひどくなっている。以前はもう少しまともに聞こえていた部下の声もひどいノイズで頭に響くし、書類の文字も読めてはいるのに内容が頭に入ってこなくなってきている。
 ずっと、こんなものと付き合っていくのか。俺は。
 いつの間にか外は日が落ち、すっかり暗くなっていた。夜空には昔と変わらない綺麗な月が浮かんでいる。時計を見るともう22時を過ぎていた。
 歩の部下の秘書たちも特に何も言ってこなかった。きちんと指示を守って取り次がないようにしたのだろう。社長が残っているからと自分たちも何も考えずに残るような連中ではない。案の定扉を開けると誰も残ってはいなかった。
 夜はいい。
 人が少ないぶん、ノイズも少ない。人の気配がすると、余計な音がするのではないかと構えてしまう。窓から外を見下ろすと街路樹が揺れている。今日はすこし風が強いようだ。風の音にかき消されて人の声も届きづらい。風の音はそこまでノイズを感じないし、そんな日は人通りも少なくて好きだった。これなら帰りも多少は静かだろう。
 ほっと一息ついたところで、体がきちんと休まるわけではない。『ケージ』の中でも特に睡眠障害がひどい場合、薬で眠らせることもあるという。俺は体質的に薬が効きにくい。麻酔などを使ったとして、どれくらいもつのかもわかったものではない。
 こういったことが多いことから、『ケージ』の自殺率は非常に高い。
 いっそこの窓を割って飛び降りてしまったほうが楽になれるのかもしれない。
 なんて、歩に聞かれたらグーで殴られそうだ。

「……ああ、すまないがこれから下に降りる。表に車を回しておいてもらえるか」

 帰る前にひとつ下のフロアに寄って、自販機でも見ていこうか。社内に設置してある自販機は面倒くさがりの歩がごり押ししただけあってかなり充実している。飲料、アイスだけでなく、お菓子や惣菜パンなどの販売機もあり、社員からの評判もかなり良かった。俺もなんだかんだ新商品がないかどうかこっそり帰り際に見に行っている。
 社長室を閉めてエレベーターを待つ。まず1フロアだけ下に降りたいが、目眩もしているし、いつ足の力が抜けるとも限らない状態で階段を使うのは躊躇われた。いっそ死んでしまってもいいかもしれないと一瞬考えていたばかりだというのに、階段から転げ落ちて死ぬのは嫌なのかと無意識に考えていた自分がなんだか馬鹿らしく思えた。
 社員が帰っている時間とはいえ、高層階だとエレベーターの到着はどうしたって遅い。エレベーターのそばに椅子でも用意させようか。
 頭に入ってこない資料を何度も読み直していたせいで目も疲れが溜まっている。
 せめてエレベーターが来るまでは目を休めようと目を瞑りため息をついたその時だった。


「――の――――リ――」


 人の、声。

 俺は自分の耳を疑った。まともな声なんて長いこと聞いていない。症状が悪化して、ついに幻聴まで聞こえるようになったのか。幻覚をみる『ケージ』もいると言うし、歩の言うとおり、本当にやばいのかもしれない。
 寄り道をするのはやめよう。本当はすぐにでも『カナリア』と会ったほうが良さそうだが、この時間に『鳥籠』に行くのはもう無理だ。あんな人の多いところ。行く前にどうにかなってしまう。それより、病院にしよう。効かないかもしれないが、あわよくば薬で眠らせてもらえるかもしれない。そちらのほうがまだ可能性は高い。
 到着したエレベーターに乗り込み、1階のボタンを押す。閉じるのが遅い。下に降りるまでによりひどくならなければいいのだが。

「――――から――――た――の――」

 扉が閉じかけた時、またその声は聞こえてきた。
 たまらずにエレベーターから飛び出した。
 どこだ。どこから聞こえる?
 フロアのほうに行ってみたが声は聞こえない。エレベーターのところまで戻ると、かすかに聞こえてきた。耳をすませて声のするほうを探る。
 どこだ。どこからだ。
 誰もいないフロアで反響しているのか、ぼんやりとしている。
 もしかして、と俺は階段へ続く扉を開けた。

「――リア――――」

 先ほどよりも声が大きく聞こえる。
 これは本当に幻聴か?
 もしそうなら、俺が聞こえている声の大きさは変わらないだろう。手すりをしっかりと掴んで、一段一段確かめるように上っていく。俺が近づくにつれて聞こえる声はどんどん大きくなる。間違いなく屋上から響いて来ているようだった。
 しかしこの先は施錠されているはず。だとして、この扉の向こうにいるものはいったい誰だというのか。
 近づくほどに動悸が激しくなる。頭痛がひどくなる。手の力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。

「僕だけのカナリア――――」

 ああ、もうどうでもいい。
 この扉の向こうからは、恋焦がれた声が聞こえる。
 ただそれだけでいい。

「――それだけでいい」

 体当たりするように体重をかける。扉が開いた。

「――それだけ――――えっ!?」

 これは幻覚だろうか。
 月明かりを反射した髪が、風になびいてキラキラと輝く。

「歌っていたのは……お前か……!?」

 どうにかして声を絞り出す。ああ、くそ。目眩がひどくなってきた。まっすぐに歩けているかどうかも怪しい。

「えっ、あっ」

 瞬間風が途切れて、鈴のような声が聞こえる。
 どくんと心臓が跳ねる。ノイズのない、綺麗な声。

「…………お前……『そう』、なんだな?」

 誰なんだお前は。目蓋が重い。意識が朦朧としてくる。
 せめてあと少し、もう少し近づけたら、お前が誰かわかるのに。

「ひっ、人違い……ですっ」

 緊張してるのか。それもそうか、そうだろうな。
 だが人違いなものか。言い訳にしたってもうちょっとましなものがあっただろう。こんな状況だっていうのに思わず口角が上がってしまう。ごまかそうとして上擦った声ですら、もうそれだけで愛おしくなってくる。
 もっと聞いていたい。そう思うのに、たった一言だけで俺の意識は沈んで行く。
 どれだけ薬を飲もうと、『鳥籠』の『カナリア』たちが歌ってくれた時でさえ、こうはならなかった。
 幻覚なのだろうか。幻聴なのだろうか。
 俺の体がついに限界で、これが終わりだとでも言うのだろうか。
 だとしても、最後にこんな気持ちになれるのなら、もう構わない。

「やはりお前は……」


 ――俺の、カナリア。


 声になったかならないか。
 俺の意識はそこでぷつりと途切れた。




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