カナリア

至里

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003:声の針

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「……俺の……な……あ……」

 おぼつかない足取りの男は何かを言いかけ、どさりと前のめりに倒れた。受身も取らず、漫画みたいにそのままバタンと行くものだから、思わず(え~~~~!?)と叫んでいた。正常に作動したチョーカーが声をただの息へと変えていて、誰の耳にも届くことはなかったけれど。
 慌てて駆け寄り、重い体にぐっと力をこめてどうにか仰向けにする。男はすぅすぅと寝息を立てていた。

(寝、てる……?)

 ぱっと見たところ異常はなさそうだが、急に倒れてしまうほどだ。見えていない部分になにかあるかもしれない。しかし彼を一人では運べそうにない。ひとまず警備室に連絡を取らないと。

(えぇと特徴と、怪我と……)

 状況と男の特徴を伝えるべく観察しながら手早くメールを打つ。
 月明かりに照らされた男は彫刻のように整った造形をしていた。綺麗な黒髪。長い睫毛。すっと通った高い鼻。倒れた際に少し斜めになったからか鼻からいかなくてよかった。屋上の床がコンクリではなかったのが救いだろう。見たところ無事には見えるし、擦ってしまった頬も多少赤くなってはいるが血は出ていない。
 だがよく見ると、擦れて赤くなった頬以外は全体的に青白く見えた。

(青い顔……)

 思わず見入ってしまってメールを打つ手が止まる。青い顔の温度が気になって思わず手を伸ばすと、思っていたよりも温かかった。もっとずっと冷たそうな気がしていた。
 こんな何もない、誰もいない時間なのに屋上にわざわざ階段を駆け上がって来た?
 疑問も何も知ったことじゃないとでも言いたげに、男が規則正しく呼吸している様子を見ていると、手にかすかに振動が伝わってくる。男のスマホが着信を知らせていた。

(どうしよう……)

 カナリアの声は機器を通すと効力は失われると聞く。電話や録音では『ケージ』たちに何の影響も与えないというのは有名だ。
 けれど――。
 スマホは依然として鳴り続けていて、相手がよほど電話に出てほしいのだと伝えてくる。緊急だといけないし、なによりこの状況はどうにかしないといけない。
 僕はもう一度チョーカーの電源をオフにして、それから彼のスマホを取り出して応答を押した。

『――ああ! 坊ちゃま、何かありましたか!』

 電話の向こうで安堵の声が聞こえた。
 坊ちゃま……ってこのでかい成人男性につける形容詞だろうか、と思わず思考が停止してしまった。坊ちゃまというより、『若』とかそういう感じのほうが似合いそうだ。目つきもちょっと悪かったし、身長だって高いから、すぐ側で見下ろされでもしたら圧を感じるに違いない。今は眠っているから怖くないだけで。

『…………あの……?』

 こちらの応答が遅かったからだろう。電話の向こうは少し緊張したような声音に変わった。こほこほと小さく咳払いして声が出るかを確認し、小さく息を吸った。

「あ、あのっ……!」


 電話に出てざっくりと状況を説明したのだが、電話相手は倒れた男の運転手さんだった。こちらとの通話を終えたあと、すぐに警備室にも話をしてくれたらしい。こちらの端末にも警備室からすぐに連絡が来た。今日はもう僕だけだと知っているので、電話とメール両方で連絡をくれた。僕はから、電話に出たのが僕だとは誰も思わないだろう。続けてきた無線の連絡では、すぐに屋上に行ってほしいとのことだった。2回こつこつと端末を叩いてイエスの意思表示をして無線の連絡を終えた。

(……というか、社長だったのか……)

 すやすやと気持ち良さそうに眠っている彼は、なんと僕の雇用主だったわけだ。社長の顔を覚えていないのかと怒られそうだが、一介の雇われ清掃員が社長の顔を知ったところで何が起きるわけでもない。そもそも社員ですら社内で見かけることも難しいとされていてだいぶレアモノ扱いされていた気がする。仮に僕らが社内ですれ違ったことがあったとして。社長のような立場の人間が、作業中の出入り業者にわざわざ自分が社長だとわかるような声をかけたり行動をとるわけがない。僕がきちんと社長の顔を覚えていたところで、下手に声をかけてよくない印象を植え付けでもすれば、そのままクビだってありえる。まあ、声は出せないようにしているから関係のない話だけれど。
 もう数分もすれば、この男を迎えに警備担当がやってくるだろう。先ほど電話に出た運転手さんもやってくるかもしれない。そうしたら、この男はまた『社長』に戻ってしまうのだろう。

 ――うちの社長も『ケージ』じゃん?

 そう言っていた誰かの言葉が頭の中で何度も響いて、胸のどこかをちくりと針のように刺していく。
 彼が子どものように眠っていようが、普段接点がなかろうが、彼は僕らの天敵だ。
 どれだけおとなしそうに見えたところで潜在的な捕食者であることには変わらない。何がきっかけで豹変するかなど、実際のところわかっていない。まだ何もわかってはいないのだ。
 今ここで彼が目覚めて、僕が『カナリア』なのだと知られてしまえばどうなるかわからない。閉じ込められて飼い殺されるか、それともそれなりの暮らしはさせてもらえるのか。何にしろ自由はなくなるだろう。一生を籠の中に閉じ込められてしまってもそれはまだ良いほうで、次の瞬間には僕の喉元に喰らいつかれないとも限らない。『カナリア』の効力が強ければ、暴走して『ホーク』となってしまう可能性も高くなる。
 少しの油断で命を落とすこともある。僕たちに与えられた第二のタイプは、今にも切れてしまいそうな細い糸のような平和がかろうじて保たれているにすぎない。
 少年のような寝顔を見せるこの男だってどうなるかわかったものではない。
 ――僕は他の『カナリア』よりも、ちからが強いから。
 幸い僕には母さんが遺してくれたチョーカーがある。日常から喋れないと印象付けることで一般人オーディナリーだと思わせておかなければならない。
 その辺の『ケージ』であれば問題ないだろうが、おそらく彼は高レベルの『ケージ』だ。
 側にいるだけで背筋がなんだかざわざわする、そんな感覚は初めてだった。もしかしたらこれが本能で察しているというものなのかもしれない。
 それでも彼の様子を見ればすぐにどうこうできるような状態でないくらい疲弊していることはわかる。シャツの隙間から覗く首元には、蜘蛛の巣のようにうっすらとだが血管が広がり始めているのが見えた。倒れたところを見るに、睡眠障害も出ていたかもしれない。母さんに聞いていたケージ特有の『カナリア欠乏状態』の症状だろう。
 まさか目の前で倒れる『ケージ』がいるとは思わなかったが、こうなったのもきっと何かの縁かもしれない。通話を終えたばかりで、まだチョーカーの電源を入れていなかった。今まで何があっても真っ先に首元に手を伸ばしていたのに。
 それに彼くらいならきっと一言くらいは耐えられるだろう。

「……おやすみ」

 小さく呟くと、彼の呼吸はより深く、落ち着いたものへと変わっていった。
 その様子を見た僕は、今まで感じたことのない充足感に包まれていた。安堵と言ってもいいかもしれない。ちゃんと眠ってくれた。なぜかそれが無性に嬉しいとさえ感じていた。
 僕はチョーカーの電源を入れ、メールを書きかけていたスマホを取り出す。社長らしき人物を見つけたと警備担当に送信した。こちらへ向かってきていた警備担当はそれから数分もしないうちに屋上へ到着した。トトト、と端末に打ち込んで簡単に状況を説明して、僕は彼を引き渡した。
 いくつか質問されている最中も、屋上から運ばれていく時も、彼はずっと綺麗な顔で眠ったままだった。



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