ただいま、魔法の授業中!

ロンメル

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第1章 今日から君も魔法使い(見習い)

幕間Ⅲ、風の姫

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 武藤弓は知っていた。本能的にだが。今この場において全力で逃げるのは悪手であると。
 それは捕食者に対して隙を与える行為であり、全てにおいて自身を上回る強者と対峙する状況によっては反撃をする機会すらも喪失してしまうのであると。
 最善の手は、このまま目を離さずに後退し、追い付けなくなる距離から全力で逃げる事なのである。

 しかし今、弓の傍らには、いずれも大切な親友が恐怖に怯え、震えている。この状況において、武藤家の家訓に、否、弓の辞書に、《退却》の二文字は存在しないのである―――!

「カンナちゃん」弓は優しくカンナの肩に手を置く。びくりと肩が震える。
「カンナちゃんはしおりんとゆっくり土手を下りて」
 カンナははっとして振り向く。ピンと来て、止めて、と言いかけて、何も言えなかった。
 弓の顔つきが、纏う空気が、とても口出し出来るものでは無かったから。

 弓は腰に提げたホルダーからすらりと杖を引き抜く。弓が握った杖の杖身が空気に触れた途端、一陣の風が弓を中心に土手を駆け抜ける。
 弓が一歩踏み出す。駆け抜けた風が、張り詰めた空気が、全て弓に味方してくれているかのように、カンナには感じられた。

 ――――これが、魔法。

 カンナが分からなかった謎が、今、氷解した。頭でっかちに知識や理屈を叩きこんでも理解できなかった魔法の秘訣が、弓を見て解ったのである。だって、ご覧、弓の纏う空気が、弓の魔法を今か今かと期待して待ち侘びているかのような、この光景を……。

 弓の歩みは止まらない。ずかずかと、ドラゴンの攻撃圏内に侵入する。ドラゴンがその気になれば弓の命は一瞬で刈り取られるだろう。当初、東城先生しか警戒していなかったドラゴンも、杖を引き抜き近付く弓を無視出来なくなっていた。
 隙あらば、爪か、牙か、突進か。いずれの選択肢も目の前の獲物にとっては必殺である筈なのだが、なかなかどうして、隙が見当たらない。故に、接近を許してしまう。
 構えも詠唱も無い弓の魔力の奔流は、無秩序な風となり、弓に纏わり付く。長いポニーテールも風で揺れ、暴れ回る。
 悪戯な風が、不意に髪で弓の視界を遮った瞬間。ドラゴンはその一瞬を見逃さなかった。一息で飲み込まんと迫る大きな口。カンナが、詩織が、誰もが息を呑んだその刹那。

 弓の杖が一閃。無詠唱魔法が奔る。

 ドラゴンは悲痛の雄叫びを上げながら、空を噛むと、弓の傍らに倒れ伏した。

「め、目潰し…」詩織が唖然と呟いた。そう、弓はドラゴンの顎が迫りくるその刹那に、2柱の《風の矢》をドラゴンの両目に叩き込んだのである。その正確無比な射撃精度、噛み付きを誘い込むその胆力。圧巻である。
 ドラゴンは痛みに悶絶はするものの、その視力を奪うまでには至らない。徐々に回復するだろう。しかし弓はこの好機を見逃さない。

「おい!邪魔だーっ!魔法をぶっ放すぞーっ!」

 弓が叫ぶ。土手の上の遠く離れた観衆に。弓の正面。射線上から人払いを行う。
 制服のポケットから手帳を取り出し、なにやら音読し始める。お世辞に見ても滑舌が悪く、流暢とは言えない。
「…もしかして、あれってカンペ?」カンナが詩織に問う。
「うん…。弓ちゃん、難しい魔法は覚えられないから」
 だが、それだけで十分だった。あれだけ待ち侘びた魔法なのだ、詠唱が下手だろうが、杖の振りが雑だろうが、風精霊に愛される魔法使いには関係無い。上級クラスの複雑な魔法はどんどん構築されていく。

 ドラゴンもただ黙って待っている訳では無い。視覚が使えないのなら嗅覚がある。弓の匂いを頼りに噛み付いてみせる。しかし、幾ら試しても空を切るだけ。
 それもその筈。風を支配する弓に、嗅覚や聴覚による情報は全くあてにはならないのだから。

「カンナちゃんにも、しおりんにも、手を出す奴は絶対にウチが許さないから…!」
 そう言う弓には周囲からどんどんと風が吹き寄せ、空気が集められる。大詰めだ。弓は杖を持つ右手をドラゴンに狙いを絞る形で掲げ、左手を後方に伸ばす。
 この魔法は、上級風竜の攻撃手段を模した物であり、その威力による反動を相殺し、命中精度を担保する為に、後方に向けても魔法を逆噴射する必要があった。

 視力の回復したドラゴンが、死に物狂いで弓に詰め寄る。
 そのドラゴンの顎下を狙い、弓は杖を振り下ろす。

「《――――ジェット・ブラスト!!!》」
 
 寄せ集められた空気が凝縮され、爆発的な勢いで杖先から放出される。放出された空気は大気との摩擦で焦げ付き、熱と光を発する。一条の光が、黒森の彼方へと伸びて行く…。
 狙いは正確にドラゴンの下顎に命中し、ドラゴンの意識を刈り取った。耐魔力とか鱗の硬度など関係無い。ドラゴンの巨躯は風に舞い上がる木の葉のように空高く打ち上げられ、ぼろきれのように運動場の端に崩れ落ちる。

「……杖、折れちゃった」
 その威力、圧倒的にして、不完全。それが現在の弓の限界だった。
 疲労で倒れ込む弓を、駆け寄ったカンナと詩織が支える。

 2頭の内、1頭を完膚なきまでに叩きのめし、残るは東城先生と膠着状態に陥っているドラゴンを対処すれば大丈夫な筈だった。弓の杖は折れてしまったので戦力とはならないが、東城先生はまだ少し持ち堪えられるようであり、救援を待てば良かった。
 しかし、それまでだった。
 不意に、運動場から炸裂音が聞こえる。
 運動場を見遣ると、遠巻きから教師達が土手に駆け付けてくるのが見えた。暴れていたもう1頭も鎮圧したのかと探せども、件のドラゴンは見当たらない。替わりに、あれだけ優勢だった隊長騎が、運動場で伸びている光景を目にする。

「逃げろーっ!もう1頭がこっちに来るぞーっ!」

 土手の上から聞こえる男性の声。カンナは周囲を見回す。しかし、運動場にその巨体の影は見当たらない。どこだ、一体、みんなはどこを見ている?
「カンナちゃん、伏せて!」弓が力強く、カンナの上体を地面に押さえつける。詩織とカンナをその小さな身体で盾にしようと覆い被さっていた。
 突然、上空から凄まじい突風が吹き降りる。細かい土砂が霰のように全身に刺さり、痛い。ただ弓が覆い被さってくれた所は、無事だった。
 晴れやかな陽光の中、カンナ達の周囲に影が落ちる。翼のはためき、荒い息遣い、耳元で鳴る重厚な足音。すぐ目と鼻の先で、ドラゴンは着地した。
「くそ……!」
 弓は悪態を吐きながら起き上ると、折れた杖を片手に再びドラゴンに立ちはだからんとする。しかし、先刻と状況は違う。弓の強力な魔法も、杖が折れた以上は打ち止めなのだ。
「ダメ、弓ちゃん…!」
 詩織がすかさず胸元から杖を引き抜くと、一小節の詠唱の後、杖を振るう。
 その刹那、ドラゴンの前肢が大きくカンナの目の前を薙いだ。パンッという破裂音と共に、弓は土手の上まで吹き飛ばされる。
「……え?…え?」ゆっくりと土手の上へと消え行く弓の身体を見送りながら、カンナの顔色が絶望に染まっていく。
 立ち上がろうとするカンナの腕を、詩織は引っ張る。
「弓ちゃんが…、弓ちゃんが…」とうわ言のように口にするカンナを詩織は宥める。詩織の鼻孔からは一筋の血が流れ出ていた。
「…弓ちゃんなら、直撃は免れた筈。…守護霊を、クッションにした、から……」そう言う詩織の言葉は弱々しい。守護霊を失った反動で意識が朦朧としているようだった。
 力尽きた詩織がぐったりと崩れ落ちる。カンナは、何も出来ないまま、親友達を失っていく様をまざまざと見せつけられる。

 視線を感じた。目の前の巨大な影からだった。

 サラブレッド程の大きさ…?全然そんな、可愛いものでは無い。頚や尾も含めてゾウやキリンのような巨躯の、獰猛なライオンやトラのような猛獣が、柵も、檻も、堀も何も遮る物も無しに目の前に立ちはだかる絶望感。捕食も、遊戯も、寵愛も、そして殺生も、目の前のドラゴンの気分次第。カンナは、本当に何も出来なかった……。

 だが、状況は変わる。運動場の教師陣が土手に辿り着いたのだ。息は上がり気味だが、女性徒の絶体絶命のピンチに対処すべく、一目散に駆け寄ろうとする。
 しかし、ドラゴンにもその状況は把握できていたのか、視線を土手下に落とすと、深く息を吸い始める。
 魔法か、『竜の息吹』か、いずれにしろ脇目も振らず走る教師陣にはその危険を察知する余裕は無い。カンナは、「止まって」と叫んだ…つもりだった。
 カンナの必死の叫びは、背後の咆哮によって一瞬で掻き消されていた。
 音を音として認識できなかった。肌や髪が振動で弾ける様な感覚。後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃。そして、意識が遠退く。

 ―――しおりんだけでも守らなきゃ……

 朦朧とする意識の中で、せめて友人は庇おうと、詩織に覆い被さろうとする。しかし何故だか解らないが、倒れ伏すことが出来ない。それが何なのかも理解する間も無く―――
 ―――カンナは気絶した。

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