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第1章 今日から君も魔法使い(見習い)
十三、王と道化
しおりを挟む黒森を揺るがす轟音。巨竜が樹と衝突したのは、シュウがカンナを抱えて跳び立ったその直後の事だった。小脇に抱えられた少女が悲鳴を上げる。
シュウはカンナを抱えたまま10m程跳躍すると、更にまた跳び立ち、数十mもの距離を数歩で稼ぐ。
カンナはゆっくりと地面に降ろされるも、足の痛みと眩暈で足元が覚束ない状態だった。
「足、怪我してるのか」
息を切らしたシュウが、カンナの手をとりその身体を支えながら、屈んで足の具合を見る。
「…捻挫か。今は何もできないから、戻るまで辛抱してくれ」
「…うん」カンナは頷いた。戻れるんだ。と、その一言に安堵する。
ぎいぎいと、頭上から鈍い音が響く。巨竜の突進を受け止めた大樹の幹の損傷は甚大で、自重を支えきれずに徐々に傾いて行く。
大樹の根元には、巨竜の胴体がめり込んだまま動かない。失神したのか、尾や翼は力なくだらんと垂れ下がる。
その光景を呆然と眺めていたカンナは「…杖!」と思い出したように呟く。
「あー、さっきは申し訳無かった。いろいろ事情があってさ、乱暴な事しちゃったよね」
シュウはカンナに謝罪をする。が、カンナには思い当たる節が無く、いまいち何の事かぴんと来なかった。
「杖は多分ドラゴンの下敷きだな。…大事な杖だもんな?」
シュウは確認するようにカンナに問う。カンナは何も言わずに首肯する。祖母の大切な形見だ、否定のしようが無い。しかしだ。
「もしかして取りに行くつもり?危ないことは止めて…!」
カンナは目の前の少年が無茶をするつもりなのではないかと、それが一番心配だった。
シュウは一瞬驚いた表情を浮かべるも、直ぐに破顔する。
「大丈夫だよ。これくらいなら全然大丈夫!」両手の平をひらひらさせ、余裕を見せる。
「何が大丈夫なの?」
「…あのドラゴンは、西欧州原産の中級種なんだけどさ、きっとこの森には何かの事情で人為的に放し飼いにされていると思うんだよね」
「つまり?」
「人間には馴れている筈だから、滅多に人を襲ったりはしない筈だよ」
「滅茶苦茶追い掛けられたんですけど…」
「アイツら、基本的に高血圧だから、些細なことで頭に血が上りやすいんだよね…。ま、ちょっと遊んでやれば、すぐに忘れてどっか行くだろ」
「…遊ぶ、って?」
カンナの疑問は募るばかりだが、意識を取り戻したドラゴンは大樹にめり込ませた体躯を揺すり始める。
「ごめん。そろそろ行かなきゃだな。…杖、ちゃんと見つけて来るから、ちょっと待っててな」
カンナに手を振り、駆け出そうとするシュウ。その手に自身の杖は無く、素手だった。
「ああ。人に馴れたドラゴンって、杖を向けられると警戒しちゃうんだよね」シュウはそう言い残すと、ドラゴンから離脱した時と同じ速さでドラゴンの元へと跳躍した。
一息でドラゴンの背後に駆け寄ると、ドラゴンの尾を警戒してか一定の間隔を取りつつ、フェイントも織り交ぜながら徐々に近づくシュウ。少年の動きに合わせて長い尾は揺れ、シュウの接近を阻む。
ドラゴンは当惑していた。怖れ知らずに近づく無防備なか弱き少年を。
シュウは楽しんでいた。惑う巨竜のその様子を。
いつの間にか、シュウはドラゴンの前肢を右手で撫で擦っている。巨竜が如何に反応するか試すように。
もちろん、気安く触る人間に巨竜は容赦などしない。前肢の爪が空を薙ぐ。
読めた攻撃だったのか、シュウは難なく躱す。更にだ、シュウは振り上げた巨竜の前肢を這い登り、頚の根元、肩口に陣取る。
突如、嘶きを上げる巨竜。森全体に緊張感が漂う。ドラゴンは警戒しているのだ。何故なら、頚はドラゴンにとっても急所。その急所に、見知らぬ少年が気安く触れようものなら、黒森の王としての沽券に係わるのだ…!
ずん、と重く響く衝撃音。
舞い上がる土煙。
カンナははっと息を呑む。怖れていた事態が現実となった。巨竜はシュウが頚元に着地するのを確認すると、その巨躯を自身が身を寄せていた巨木に叩き付けたのだ。それは、牛が邪魔な蠅を柵に擦り付けて追い払うが如し。しかし、蠅では無く、シュウだ。この規模の衝撃で彼は無事なのだろうか、と狼狽えた時。
土煙の狭間から巨木をよじ登るシュウの姿が見えた。胸を撫で下ろすカンナ。
二度もドラゴンの巨体を受け止めた大樹は今にも倒れそうな程に傾げている。しかし、首の皮一枚では無いが、樹皮と、周囲の樹々と樹冠の枝の引っ掛かりで、未だ倒れずに支えられている状況だった。
シュウはここで初めて杖を抜く。そう彼はとうとう、地の利を得たのだ。
樹上から、無詠唱で放つは火属性の初級魔法―――『火球』。サッカーボール大の火の玉がシュウの杖の一振りでドラゴンの頭部目掛けて放たれる。当然、頭部の硬い鱗に阻まれ、巨竜にダメージなど到底通らない。しかし、シュウはその初級魔法を連続で、執拗にドラゴンの左目を狙い連続で放ち続けるのである。
眼前で徒に火をちらつかされたら、誰でも怒る。ドラゴンも怒る。
頚を振りながら避けていたドラゴンも、次第に苛立ち始め、傾ぐ巨木に頭を打ち付け始める。しかし、尚も火の雨は止まないので、ドラゴンは首を伸ばすとその顎を大きく開いてシュウに食い掛かる。シュウはそれを紙一重で躱しながら、更に樹上へと登って行く。
シュウの挑発に、巨竜はすっかり翻弄されていた。
思えば、ちょっと遊んで来ると言ってから、シュウは一度も本気でドラゴンを傷つけようとはしていない。ドラゴンと言えば、カンナの中では災厄の象徴であり、討伐すべき対象なのだ。故にカンナは、恐らく弓もだが、ドラゴンに上級魔法を放つことに、それが例え殺生に繋がったとしても、躊躇いは無かったのだ。
しかしどうだろうか。シュウは遊ぶという言葉を使った通り、まるで子供が大人を小馬鹿にするような悪戯に終始している。それは、この『遊び』の中で、何かを掴もうと競り合っているかのような…。
巨竜は、傾き掛けの巨木にすっかり全身を預ける形となっていた。森の生活では不慣れな後ろ立ちをし、遥か樹上で尚も挑発し続けるシュウに食い掛かろうと首を伸ばす。
シュウの狙いはそこだった…ようだ。
ドラゴンは自身が届くギリギリの高さに位置取りしていたシュウに、とうとう食い掛かる。しかし、今度は、シュウが落下してそれを躱す。ドラゴンの牙が、シュウの元居た場所に、樹皮に食い込んだ。
めきめきめきぃ、と乾いた音が上空から響き渡る。ドラゴンの強靭な顎が、巨木の樹皮を噛み砕いた音だ。しかし、それで止まる。ドラゴンはシュウを噛み損ねてから身じろぎ一つ出来ない。
樹上から落下してきたシュウが、ドラゴンの頚元に着地すると、その硬い首筋をぺしぺしと叩きながら誇ったように宣言する。
「カンナ、俺の勝ちだ!」
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