聖女の烙印を捨て辺境の緑に抱かれての極上スローライフと騎士と魔術師と不器用な狼王の溺愛

結城しおん

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翌朝、私が朝露に濡れた薬草を摘んでいると、背後から音もなく長い影が伸びた。
振り返るまでもない。周囲の空気が、ピリピリとした静電気のような魔力に支配される。

「……おはようございます、セドリック様。今日も朝早いですね」

「勘違いするな。昨夜、貴様の無秩序な魔力の揺らぎが私の結界を叩いた。
安眠を妨害された抗議に来たまでだ」

セドリックは、腕に抱えた数冊の古びた魔導書を、庭の木製テーブルに乱暴に置いた。
羊皮紙の独特な香りと、長い年月を経て蓄積された魔力の残滓が鼻腔をくすぐる。

「貴様のその『豊穣』の力は、あまりに原始的で無防備だ。
今のままでは、感情の高ぶり一つでこの森を巨大な密林に変え、自らの館を飲み込みかねん」

「……この森を、飲み込む?」

「左様だ。力とは、行使する者の意志という器があって初めて安定する。
無意識に垂れ流している現状は、栓のない樽から最高級のワインを溢れさせているようなものだ。
……実に見るに堪えん」

彼は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、その瞳にはどこか奇妙な熱が宿っていた。
それは、未知の真理を解き明かそうとする学究の徒の渇望だ。

「さあ、そこに座れ。魔力操作の基礎――回路の指向性について講義してやる。
本来なら、王宮魔導師が一生をかけても辿り着けぬ極意だがな」

私は目を輝かせ、彼の向かいに座った。
王都では、「魔力がない」と断じられた瞬間に、全ての魔導教育から除外された。
図書室の片隅で古い文献を盗み見るのが精一杯だった私にとって、これは何物にも代えがたい贈り物だった。

「まず、貴様の体内に流れる黄金の粒子を、意識の糸で一本ずつ縒り合わせてみろ」

セドリックの指導は、峻烈を極めた。
僅かな魔力のブレも見逃さず、冷徹な指摘が飛ぶ。
しかし、その言葉の端々には、私の持つ特異な魔力に対する、純粋な敬意が隠されているのを私は感じ取っていた。

「……そうですか。ここを、こうして……」

私が教えられた通りに指先に魔力を集中させると、空中に繊細な光の魔方陣が描き出された。
それは、王国の聖女たちが使う定型化された陣とは異なり、まるで植物の根が大地を這うような、複雑で力強い紋様だ。

「……信じられん。一度の指導で、ここまで核を捉えるとは」

セドリックが、ふと独り言のように漏らした。
彼は私の手元を見つめたまま、紫色の瞳を細める。

「王都の連中は、一体何を鑑定していたのだ。
この深く、果てしない魔力の深淵を『無能』と切り捨てるとは。
……底の浅い連中には、あまりに巨大なものは空虚に見えるということか」

「私は、ただ、この力が誰かの役に立つなら、それでいいんです」

「フン、相変わらずおめでたい女だ。
だが……その無欲さが、魔力の純度を高めているのも事実か」

休憩の時間、私は淹れたてのローズマリーティーを彼に差し出した。
ギルバートが離れた場所から鋭い視線を送っているが、セドリックはそれを柳に風と受け流している。

「セドリック様は、どうしてこの森に?」

私の問いに、彼はティーカップを唇に運ぼうとした手を止め、遠くの森を眺めた。

「……人間という種族の、矮小な権力争いに飽き果てただけだ。
真理は孤独の中にこそあると思っていた。……昨日まではな」

彼は茶を一口啜り、ふっと微かな笑みを浮かべた。
それは、これまでの冷徹な仮面が剥がれ落ちたような、驚くほど無防備で美しい微笑だった。

「……貴様の淹れる茶は、毒だな。
一度知ってしまえば、以前の平穏な孤独には戻れなくなる」

「それは、お褒めいただいたと思ってよろしいのでしょうか?」

「勝手に解釈しろ」

彼は再び、刺々しい態度に戻って魔導書を広げた。
だが、その指先は、以前よりもずっと優しくページを繰っているように見えた。

知識を求める私の渇望と、誰にも理解されぬまま孤独を極めた天才。
二人の奇妙な師弟関係は、この辺境の地で、不思議な調和を生み出し始めていた。

「明日も来る。遅れるなよ、ヴァレリア」

去り際に投げられた言葉は、かつての私を縛った呪いではなく。
明日という日を待ち遠しくさせる、優しい約束のように響いた。
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