スピリット・マイグレーション

ヘロー天気

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1巻

1-1




  プロローグ


 怒号と悲鳴が飛び交う喧騒けんそう。明かりが失われて傾く世界。焦燥の中、手荷物を鞄に収めながら立ち上がろうとした〝彼〟は、強い衝撃と共に砕けた世界の裂け目から、広がる闇へ放り出された。
 生と死の狭間に流れ込む沢山の命。暗く冷たい静寂に沈み行く中、〝彼〟が最後まで放さなかった生への渇望。偶然か必然か、〝彼〟の強い思念は、とある世界にあった装置に救援要請シグナルとして認識された。
 その装置は生と死の狭間の次元に繋がったまま永い間眠りについていたが、彼の強い思念によって呼び起こされ、魂のつどう場所へ消え行く筈だった〝彼〟を、適切な施設へと送り届けた。
 しかし、そこで一つ問題が起きる。永い眠りから目覚めたばかりの装置は、動作が不完全だった。その為、魂と共に運ばれていた〝彼〟の身体から、精神ががれ落ちてしまったのだ。
 人間は本来、肉体と精神が魂によって束ねられた存在。魂の記憶が精神に影響を与え、精神が肉体を動かす。また肉体の受ける刺激は精神に干渉し、精神の働きは魂に〝一個の存在〟としての記憶を刻む。
 そんな三位一体さんみいったいの一つである精神が、この装置のある世界にこぼれ落ちた。〝彼〟の精神はその魂と微かな繋がりを残しつつ、僅かな記憶と共に独立。その特殊な環境も相まって、精神のみの状態で意識を目覚めさせる。

『……ここは、どこだろう』

 何気無く見上げた石の天井には黒い稲妻いなづまのような亀裂が走り、そこから射し込む光がぼんやりと周囲を照らし出している。随分と風化した古い祭壇らしきものの傍に浮かぶ〝彼〟は、にじむ意識で自問を繰り返す。

『ボクは……だれだろう』

 隙間だらけだった意識は徐々に鮮明な意思を持ち始め、〝彼〟は自身が人であった事を思い出す。名前や年齢は思い出せないが、思考の癖などから男であった事も分かった。結構長く生きてきたような気もするし、若かったような気もする。

『なぜ、ここにいるんだろう』

 自分がこの場所において異物である事をなんとなく自覚する〝彼〟は、ここが慣れ親しんだ世界ではない事を理解した。射し込む光は時折かげり、その度に古い祭壇の陰影が強調される。周辺を見渡すと、ちた石畳が続いており、その先には彫刻が施されたアーチ状の壁があった。どうやらこの空間は、そのアーチ状の壁でぐるりと囲まれているらしい。

『なにをすれば、いいんだろう』

 出入り口らしきもののない祭壇のにて、〝彼〟は何をすればいいのかも分からず、ただぼーっと祭壇の脇に浮かんでいた。
 どの位そうしていたのだろうか。太陽の白い光が月明かりのほのかなものに変わり、今が夜である事を理解させる。相も変わらず地縛霊の如く浮かんでいると、小さな影が足元を駆け抜けた。〝彼〟はそちらに意識を向ける。
 どこから迷い込んで来たのか、大人の猫程もありそうな体躯を持つ大きなネズミが、チチチッと鳴きながら祭壇の周りをうろついている。この場から動く事の出来ない〝彼〟は、自由に動きまわれるネズミをうらやましく思った。
 そうしてしばらくネズミを観察する内に、〝彼〟はネズミの首筋付近に小さな穴のようなものがあるのを感じ取った。肉体に穴が開いているのではない。だが、「そこに穴がある」と感じる。

『なんだろう?』

 その部分に意識を向けた途端、吸い寄せられるように身体が流れ始め、気が付くと〝彼〟はネズミの中に入っていた。一体化というよりも、ネズミの意識の上に乗っかったような感じ。所謂いわゆる取りいている状態だ。
〝彼〟が強く働き掛けない限り、ネズミの身体を支配して自由に動かす事は難しいようだが、意識に直接触れている為かネズミの考えている事をおおむね理解できる。
 大ネズミの思考から、この一帯が彼等の住処すみかであり、餌場であり、同時に危険地帯でもある事が読み取れた。
 身体の小さな生き物しか通り抜けられない抜け穴や、大きな動物でも往来が可能な広い通路など、この地下にある広大な空間に関する情報が少しずつ明らかになっていく。
 このネズミは壁の亀裂が広がって出来た小さな隙間から、この祭壇のに出入りしていたらしい。大ネズミは取り憑かれた影響で若干頭が重くなった事を気にしながら、獲物を求めて動き出す。
 取り憑いていると、ネズミの弱い視力でしか周りの景色を見渡せないので、〝彼〟は首筋の辺りから頭を出して周囲を観察し始める。

『なんだか、ネズミにまたがってる気分だなぁ』

 狭い亀裂の穴を結構な速度で移動する。その頭越しに見えてくる出口の光。やがて穴を抜けると、そこには巨大な空間が広がっていた。天井を見上げると自然の洞窟のようなゴツゴツした岩肌が見えるが、壁や床は加工された石で出来ている。どうやら人工的な通路のようだ。
 先程の祭壇程ではないにしろ風化している様子だが、所々に見られる床のくぼみや壁の亀裂は、自然に出来たモノのようには見えない。何か大きな力が加えられて砕けた跡らしかった。
 壁には等間隔に金具が突き出ており、そこで松明たいまつらしき明かりが燃え盛っている。
 壁沿いをチョロチョロと駆け抜けたネズミは、角の辺りで顔を上げて鼻をひくひくさせた。そしてピクリと何かに反応する。〝彼〟がネズミの感覚に意識を向けてみると、〝ニンゲン〟の存在を知覚したようだと分かった。

『近くに人がいるのか?』

 ネズミの身体からもう少しだけ抜け出して高い視点から周囲の様子を探ってみると、広い通路の奥の方に何人かの人影を見つけた。じっと目を凝らしていると、やがて望遠ズームのように視点だけが近付いていき、その姿をはっきり捉える事が出来た。

『……?』

 前に三人、後ろに二人という隊列で構成されたそのグループは、〝彼〟の記憶にある一般人の常識とは掛け離れた格好をしていた。
 革製の防具を全身に装備して剣を提げている者、魔術士や聖職者を思わせるローブ姿に杖を持つ者。また毛皮と葉っぱを組み合わせたような服装で弓を構えている者など、とても普通の現代人には見えないし、顔付きもニホンジンとは違うようだ。

『現代人……? ニホンジン……日本……ゲーム……コスプレ……カルチャー』

 欠けた記憶の中から自身に関する何らかのイメージが形成され始めたその時、毛皮に葉っぱ衣装の女性が矢を放った。「あっ」と気付いた時にはもう、〝彼〟の憑依ひょういした大ネズミは射抜かれていた。
 肉体から魂が引き離される瞬間の断末魔の波動にあおられ、はじき飛ばされた精神体の〝彼〟は大ネズミの死体から少し離れた場所にふわりと浮かぶ。最期に感じ取れたネズミの意識は「イタイ」「ハシル」「ハラヘッタ」だった。

「よし、一発で仕留めたな」
「このくらい簡単よ」
「リーダーさんよう、もうそろそろ下の階まで案内してくれよう」
「ネズミやコウモリ相手にするのも飽きちゃったよねー」

 仕留めた獲物を確かめる為に近付いて来たグループは、そんな会話を交わしながら、ネズミの死体をナイフでさばき、皮やら牙やらを収集する。

「ダンジョンのモンスターを甘く見るな、お前達が下に行くのはまだ早い」

 リーダーと呼ばれた壮年男性は、まだ歳若い血気盛んな青年達にそう言って諭す。
 すぐ近くに浮かぶ〝彼〟の存在には誰も気付いていない。〝彼〟は彼等の話す言葉は分からなかったが、字幕でも読んでいるかのように、その会話の内容を理解していた。精神体である〝彼〟は言葉に乗せて放たれる〝意思〟を認識しているのだ。
 会話の内容と僅かに零れた彼等の思考から、このグループは狩りを目的としてこの場所へ来ている事が分かった。
 ここは彼等がダンジョンと呼ぶ地下迷宮の一階で、下の階へ進むほど凶悪なモンスターが生息しているという危険な場所だった。それでも、モンスターから採れる素材は高値で取り引きされるので、一攫千金いっかくせんきんを狙って訪れる者が後を断たないらしい。剣や魔術の腕試しをしたい者、お宝探し目的の者など、冒険者達にとっては地獄の楽園とも言える場所である。

『ダンジョンか~』

 そう呟いた〝彼〟の中で幾つかの情報が整理されていく。〝彼〟は自身の現状を少しずつ把握していった。
 壮年男性に引率されたグループが去った後、静かなダンジョンの通路に一人残された〝彼〟は、やはりただぼーっとそこに浮かび続けていた。
 傍に転がっていたネズミの死体は、小さなむし達のご馳走となって既に跡形も無い。

『……誰か通らないかな』

〝寂しさ〟や〝退屈〟といった感情を思い出した頃、細長い胴体と尻尾の先にハサミを持つ一匹の蟲が〝彼〟の近くを通り掛かった。〝彼〟の記憶にあるハサミムシという虫に良く似ていたが、体長四〇センチ近くはありそうな巨大過ぎるハサミムシだ。
 じっとその巨大ハサミムシに意識を向けていると、頭の近くに穴があるような感覚が掴めた。大ネズミの時と同じ要領でその穴に意識を集中した〝彼〟は、再び吸い寄せられるようにハサミムシへと憑依した。

『よし、これで移動できるぞ』

 少々多過ぎる足を手に入れた〝彼〟は、ダンジョンの中をうねうねカサカサと移動し始める。特に明確な目的があった訳ではない。しいて言うならば、人恋しさ故に人間探しの探索に出たのだ。

『あ、人がいる……ハサミムシ君、あっちだ!』

 意識に強く働き掛けると、ハサミムシは通路を行く人影に向かって移動を始める。不完全な記憶と共に精神体でこの世界に来てしまった〝彼〟のダンジョン生活は、こうして始まったのだった。



  1


 ハサミムシ型モンスターである〝彼〟が、冒険者の手によって叩き潰されてから数日。大ネズミや普通のネズミ、蟲などに憑依する事にも慣れてきた〝彼〟は、以前より思い通りに相手を操れるようになっていた。

『よ……っ、ほ……っ。よいしょっと』

 ふらふらとバランスを取りながら通路の中を飛ぶ。〝彼〟は今、このダンジョンに生息する大コウモリの一匹に憑依していた。
 この場所に棲む生物は皆、ダンジョンを覆う魔力の影響で変異体となり、巨大化したり凶暴化したりしている。時折この前見たような引率者付きの冒険者パーティーが通り掛かるので、彼等の会話からダンジョンの仕組みや歴史などを知る事が出来た。
 人間でも、長くダンジョンに留まり続けると影響を受けるらしい。
 ちなみに〝彼〟は人間にも憑依を試みてみたが、上手く行かなかった。

『しかしこのコウモリ、身体が大きくなったせいで一回落ちるとまた飛ぶまでが大変だなぁ』

 変異前は普通の小さなコウモリだったこの大コウモリは、従来の習性どおり天井にぶら下がって休むのだが、足を滑らせてよく落ちる。〝彼〟が憑依したのも、ネズミで移動していた所にボトッと落ちて来た事が切っ掛けだった。
 身体のバランスは悪いが、飛行出来るので移動効率が飛躍的に伸びる。お陰でこの階の端から端まで探索し、地上に上がる階段も地下への階段も把握出来ていた。一度地上に出てみようとしたものの、結界があるらしく弾かれてしまった。
 そんな訳で、今日も特に何をするでもなく、〝彼〟は地上との出入り口に近い場所の天井にぶら下がり、「誰か来ないかな~」とぶらぶらしていた。あまり目立つ所にいると矢や火の玉、氷塊などが飛んでくるので、目立たない場所を選んだのである。

『おや?』

 と、その時、恐る恐る地下一階の通路へと足を踏み入れる小柄な人影。「一階は安全だ、何も怖い事はない」と自分に言い聞かせている。
 少々の戦闘訓練経験と冒険者の心得を持つ以外は一般人と大差ない、十代半ばの少女である。まだ冒険者見習いになりたての彼女は、今日は訳あって一人でやって来た。
 装備も普通の街服に長旅用の厚手なコートを羽織っただけで、武器は冒険者協会の支給品であるナイフと短弓に矢が少々。ダンジョンの一階には明かりがあり、松明たいまつなどを持つ必要がなく両手を開けられる。安全な距離から攻撃可能という理由で、彼女は弓を持ってきていた。

「だ、大丈夫、大丈夫。昨日行った所を回るだけだし、モンスターが出てもきっと一人で対処できる」

 緊張しながらそう呟いた彼女は、ベルトに下げたナイフを確認すると、短弓を握り締めて通路を歩き出した。
 いかにも初心者らしい雰囲気をまとう少女の様子を天井から窺っていた〝彼〟は、更に意識を向けようとした拍子に身体の支配が乱れて足を滑らせた。咄嗟とっさに飛ぼうとしたが、半分近く身体を乗り出していたので間に合わなかった。
 目の前にボトッと落ちて来た黒い塊に、驚いた少女は慌てて弓を構える。が、矢をつがえていない。
 焦りながら矢を手に取り、構え直した時にはもう、黒い塊は起き上がって彼女を見詰めていた。思わず背筋が冷える。しかし、黒い塊は襲い掛かってくる様子もなく、ガラス玉のような瞳をじっと向けている。

「……コウモリ?」
「キィ」

〝彼〟は少女の呟きに返答してみた。憑依しているモンスターが矢で射られようが剣で斬られようが〝彼〟自身は特に影響を受ける事はない。肉体の死でどこかへ旅立つモンスターの魂を見送るだけなので、冒険者達の前に立っても問題ない。
 とはいえ狩られてしまうと新たな憑依先を見つけねばならなくなる為、いつも人に近付く時はこっそり行動していたのだ。

「もしかして落っこちたの?」
「キキ」


 少女は一度天井を見上げ、通路にちょこんと立つ大コウモリに視線を戻して問う。それに鳴いて応える大コウモリは一応〝人喰いコウモリ〟と呼ばれるモンスターなのだが、どうやら敵意がない事が分かり、少女は落ち着きを取り戻した。
 大コウモリの牙や羽は素材として売れる為、駆け出しの冒険者や商人達がちょくちょく狩りに来る。彼女でも十分対応出来るぐらい危険のないモンスターなので、警戒心を持たなかったのだ。

「ドジな子ねぇ」
「キィ~」

 少女は短弓を背中に仕舞うと恐る恐る大コウモリに近付き、危険が無い事を確かめてからよいしょと抱え上げる。そして気持ちを紛らわせるヌイグルミ代わりに抱き締めながら、ダンジョンの探索を始めるのだった。


「それでねー、多分昨日ここに来た時に落としたんだと思うのよ」
「キー」
「珍しく気の利いたプレゼントだったから大事にしてたのに、こんな所で落としちゃうなんて、もう……わたしもドジよねー」
「キィ~」

 一人と一匹の奇妙な会話が、ダンジョン地下一階の通路に響く。〝彼〟としても人とのコミュニケーションが出来て嬉しい。言葉のやり取りは出来ずとも相槌は打てるので、愚痴ぐちに近いお話の聞き役を楽しんでいた。
 少女の話によると、幼い頃から冒険者をやっている幼馴染おさななじみの男の子から貰った大事なブローチを、昨日ここを訪れた際に落としてしまったらしく、それを探しにきたのだそうだ。
 冒険者協会の訓練学校にはまだ入ったばかりなので、個人的な探し物にダンジョンまで付き合ってくれるような友達もおらず、くだんの男の子には「落とした」などとは気まずくて言い出せない。そして地下一階を探すだけなら一人でも大丈夫だろうと、勇気を振り絞って下りて来たのだ。
 昨日引率されて歩いたコースを暫く回りながら床を探すが、中々それらしいモノは見つからない。

「無いなぁ……誰かに拾われちゃったとか」
「キィ」
「まさかモンスターが拾って行く訳ないよねー」
「キキ?」

〝彼〟は、そうでもないよ? と伝わらない言葉を返す。時折大ネズミやハサミムシが、ダンジョン内に落ちているコインや宝石の欠片かけらなどを拾って運んでいる所を目撃していたのだ。
〝彼〟は、一定量に達した魔力の流れを視認する事ができる。宝石や貴金属には魔力が染み込み易く、ダンジョン内に転がっているそれ等には、ダンジョンを覆う魔力が蓄積されていくのだ。
 ダンジョンの魔力にてられて変異体となった大ネズミ達は、そのような魔力の塊になったモノにも惹かれるらしい。

『もしモンスターの体内に取り込まれてたら、探すの厄介だろうなぁ』

 少女の腕の中から辺りを見渡して落とし物探索を手伝っていた〝彼〟は、前方の壁際隅っこに大ネズミの姿を見つけた。少女はよそ見をしていてまだ気付いてない。大ネズミは腹をかせて、凶暴になっているようだ。〝彼〟は少女に危険を報せた。

「キィキィ!」
「わっ、どうしたの? 急に――っ!」

 前方の壁際に見える影にハッとなる少女。明らかに己を狙っている大ネズミに気付いて腕の中のコウモリを降ろし、短弓を手に取った。引率パーティーで来た時は、直接の戦闘は経験しなかったので、これが初めての実戦になる。
 牙を剥き出しにして威嚇いかくし、そのまま突進してくる大ネズミに思わず矢を射る。だが訓練場の的にてるのも七割程度といった彼女の腕では、動く相手に中てられる筈もなく、矢は大きく逸れて床を跳ねた。
 次の矢を番えようともたつく間に、大ネズミが少女の喉元を目掛けて飛び掛かる。

「ひ……っ」

 恐怖のあまり、少女は咄嗟とっさにナイフを抜く事も出来ずに硬直する。
 そこへ黒い塊が割って入り、少女を庇った。石をもかじり削る鋭い牙が大コウモリの身体を噛み貫く。大ネズミは食えりゃなんでもいいやと、そのまま大コウモリを捕食に掛かった。

「コウちゃん!」
『え、もう名前とか付けてたの!?』

〝彼〟は大コウモリから抜け出すと、断末魔の波動にあおられない内に捕食者である大ネズミの方へと乗り移る。そして少女の放つ矢からひらりと身をかわして逃走を図り、少女の身の安全と移動手段の確保を両立させた。
 一旦この場から離れる事にした〝彼〟は、壁の亀裂下に小さな穴を見つけ、そこに飛び込んだ。後方から、自分の身代わりとなって半分食われたコウモリの死をなげく少女の泣き声が響く。
 彼女が初心者だからというのも関係あるのだろうが、少なくとも〝彼〟が今まで見た冒険者達の中には、狩りの対象であるモンスター相手に心を痛める者などいなかった。

『優しい子なんだなぁ』

 初めて人とのコミュニケーションを取らせてくれた少女の為に何かしてあげたいと思った〝彼〟は、この大ネズミの身体を使って付近一帯を探索してみる事にした。
 少女の落としたブローチがどの程度の品物であるのかは分からないが、宝石ないし貴金属が含まれる物なら、一日ダンジョンに置いていた分の魔力が染み込んでいる筈。であるなら、〝彼〟の視点をもってすれば見分けられる。
 そうして暫く壁の中の抜け道を移動するうち、体内に魔力の塊らしき反応を持った大ネズミを発見した。変異体である大ネズミは群れを作らなくなるが、一応縄張り意識は持っているので、他のネズミがテリトリーに入ると威嚇いかくして追い出そうとする。
 鋭い牙を剥いて威嚇してくるこの大ネズミに対し、〝彼〟はここぞとばかりに人間の知恵を使った。
 案外器用なネズミの手を使って適当な大きさの石を拾うと、そのまま無造作に近付いていく。先程の捕食でついた血の匂いに刺激されたのか、対峙している大ネズミは益々いきり立って飛び掛かってきた。
 攻撃してきた大ネズミの口に、すかさず石の欠片をプレゼントする。がちんがちんと勢いよく噛みつく大ネズミは、それが噛み砕けないと悟ると石を吐き出すべく後ろに下がる。が、そうはさせじと〝彼〟は更に押し込む。
 石で口を塞がれた大ネズミを仰向けに転がすと、ジタバタしている相手の柔らかい腹部にげっ歯類の強力な門歯もんしを突き立てる。肉を噛み千切る感触なども他の感覚と同じくぼんやりとしか感じないので、その行為にさほどの忌避感きひかんいだくことも無かった。
 そうして、倒した相手の腹から微量の魔力を放つブローチを見つけ出したのだった。

『これかな? あの子の落とし物』

 早速届けてあげようと、〝彼〟は先程の通路へ走った。


『まだいるかな?』

 現場に戻ると既に少女の姿はなく、大コウモリの死体には、ダンジョンの清掃役でもある小さな蟲が群がっている。遠くにある人影をよく見てみると、冒険者らしい格好をした少年が出口に向かって歩きながらあの少女をなだめていた。

「だってだって、せっかくあなたがくれたモノなのに……」
「あんなのまたいつでも買ってあげるさ」

 本当は少女が冒険者協会の訓練学校に入る事にも反対だった幼馴染の少年は、頼むから今後こういう危ない真似はしないでくれと念を押す。

「それにコウモリが君を庇ったっていうのは偶然だよ」
「だって、コウちゃんは……」

 大コウモリの死体を地上に持ち帰ってお墓を作りたかったという少女に、冒険者の少年はモンスターについて説明する。
 ――ダンジョンに巣食うモンスターは、基本的にそのダンジョンに漂う憎しみや怨念が絡み合った集合意識の支配を受けて活動している。
 浅い階に居る変異体の中には、まだ普通の動物だった頃の意識で動くモノもいるが、魔獣や魔物のたぐいになると皆が同じ目的意識を持って行動する。
 この集合意識の存在により、人間になつく事はないし、餌付えづけなども不可能であると多くの実証例で示されているのだ――と、彼は自分の知るモンスターの知識で講釈した。

「まったく君は、なんでも良い方に捉えるんだから危なっかしくて心配だよ」
「うう、ごめんなさい」


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