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1巻
1-2
そんな会話を交わす二人の後を、血塗れのブローチを抱えた大ネズミが追いかける。片手が塞がっているので上手く走れず、やっと追いついた時にはもう二人とも出口の階段を上っていた。
地の底からモンスターが這い出て来るのを防ぐ結界によって、階段に一歩踏み出す事さえ出来ない。結局、〝彼〟は、名前も知らぬ少女の落とし物を届けてあげる事が出来なかったのだった。
とりあえず他の冒険者と鉢合わせる前に近くの抜け道へ避難し、ブローチに付いた血を毛皮で拭き取りながら思案する。
『これ、どうしようかな』
精神体の自分では直接物体に触れられないので、預かっておく事も出来ない。そう思いつつネズミの身体から半分ほど精神体を出してブローチを掴む仕草をする。するとブローチは〝彼〟の手に握られる事なくすり抜け、精神体の〝彼〟の手に重なった。
『ん?』
微かに感触を得たような気がして、〝彼〟はブローチに意識を集中させてみる。すると、何かを引き寄せるような感覚があり、気付けばブローチは〝彼〟の手元にあった。正確には〝彼〟の存在する次元に喚び寄せた形だ。
どうやら異次元に在る精神体の干渉で、現象界の物質を別次元へと移動させられるようだ。試しにそこら辺の石ころに触れて集中してみると、ブローチと同じ様に自分のもとへ喚ぶ事が出来た。触れれば今までのようなボンヤリした感覚ではなく、しっかりとした感触がある。
距離の概念が曖昧で、手元に寄せれば手元にあるし、遠くへ離せば遠くにある。収納スペースとしてはとても便利な、無限の置き場所。
『こんな事も出来たのか……うん、これなら失くす心配もなく預かっておけるかな』
いつかまた出会った時にでも返そうとブローチを異次元倉庫に保管した〝彼〟は、他にも触ってみたい物を色々と思い浮かべながら、ダンジョンの通路へと駆け出したのだった。
2
殆ど明かりも無い、闇に覆われたダンジョンの通路を、体長一八〇センチはあろうかという大トカゲがのしのし歩く。
一階をほぼ探索し尽した〝彼〟は、下の階も見てみようと大ネズミの身体で二階に下りた途端、大ネズミを主食としている大トカゲに出くわし、喰われた……ので、そのまま大トカゲに憑依。地下二階を探索する身体として使っている。
『あ、コイン見っけ。拾っておこう』
地下二階からは、野犬が変異した魔犬も出没するようになる。変異後は群れを作らなくなる大ネズミと違って、魔犬は三匹から五匹の群れで行動しているようだ。大トカゲはあまり動き回らない性質らしく、滅多に見掛けない。
広い迷宮を探索するに当たっては機動力の高い魔犬の方が便利そうなのだが、魔犬の警戒心が強いのか、大トカゲの方が強いからか、魔犬と遭遇してもすぐにどこかへ行ってしまう。
床や壁には人の手で整えられた痕跡が見られるものの、一階のような明かりは無く、ほぼ真っ暗。一階と二階を繋ぐ階段の途中にある明かりが、二階の出入り口付近を僅かに照らし出しているのみだ。
所々に生える光苔や光茸が微かな光源になっているが、ここに下りてくる冒険者達は皆自前の明かりを用意するのが通常だった。
『おっとまた死体だ……まだ半分残っているところを見ると、そんなに経ってないみたいだな』
この階の入り口に近い場所では、時折ダンジョンを侮った犠牲者の姿が見られた。やはり暗さに加えて群れで行動する魔犬の存在が、危険レベルを一気に上げているようだ。
仲間が死んでしまった場合は早めに遺体を持ち帰るか、救援が来るまで傍に見張りを付き添わせておかないと、すぐに蟲やネズミ達によって食べられてしまう。
『魔力の薬瓶が一つ、二つ…………六つも残ってる。杖は折れちゃってるなぁ』
一人で下りて来ていた場合や、全員が倒れてしまった場合は、二日と経たない内に冒険者の装備で固めた白骨が転がる事になる。
こうして白骨化した死体が長くダンジョンの魔力に中てられて〝集合意識〟の支配を受けると魔物化し、骸骨戦士のようなモンスターになる。だが、この辺りの階層はまだ魔力の濃度が薄い事や、頻繁に他の冒険者が通る事もあってそういった事態は稀だ。
それに遺体から装備を剥いで稼ぎを得ている者に荒らされる事も多い。装備を剥がされた白骨は魔物化しないよう散らされてしまう。
『モンスターの死体もあるな、こっちはコインと……これは指輪かな?』
当ても無くダンジョンを彷徨う〝彼〟は、人間やモンスターの死体から使えそうなアイテムを収集して回っていた。
一階に比べると結構色んな物が落ちている。大抵は壊れた武器防具や宝石の欠片、それにお金らしきコインだ。それらを拾い集めては異次元倉庫へ一纏めにする。これらはいつか人間とコミュニケーションが取れるようになったとき、重要なアイテムとなり得るからだ。
指輪や耳飾りのような装飾品も時々あり、こうした物はモンスターの腹の中から出てくる。
この前の落とし物ブローチと同様、モンスターには魔力の籠もった宝石類を呑み込む習性があるようだ。
魔術士らしき犠牲者に黙祷を捧げてその場を後にした〝彼〟は、角を曲がった先にランタンの明かりが揺れるのを見つけた。久し振りに生きた人間と交流できるかもしれない――そう思い、明かりの方へのっそのっそと歩き出す。
たとえ出会ってすぐに狩られてしまうのだとしても、人恋しい気持ちには抗えない。
そのまま進んでいくと、地下二階の入り口からそう遠くない小部屋状になった一角で、怪我人を抱えて身動きが取れなくなっているパーティーの姿があった。
彼等は冒険者協会の訓練学校から昇級試験の為にやってきた、試験官二人と訓練生三人の五人であった。無謀な行動によって危機に陥った生徒を庇い、引率者である試験官の一人が大怪我を負ってしまったのだ。
不味い事に、怪我をしたのは回復担当の治癒術士であり、また魔犬の群れに囲まれて迂闊に移動出来ないでいる。このまま睨み合いが続くと、更に魔犬の数が増えかねない。
もう一人の引率者である女剣士の実力であれば単独で救援を呼びに戻る事も可能だったが、怪我を負った治癒術士を未熟な訓練生三人で護りきれるとは考えられず、離れるに離れられないでいた。
試験目的の探索だった為、治癒術士も大怪我を治せるような高価な治癒薬など用意していなかった。自身の怪我を命に別状がない程度まで回復させるのが精々で、そろそろ魔力も尽きようとしていた。
「すまない……僕が油断したばっかりに」
「ありもしない非を憂えるな、お前に落ち度は無い」
引率者の女剣士は、コンビを組むようになって長い治癒術士を壁際に庇いながら、どうしたものかと打開策を練る。現在、彼等を狙う魔犬は七匹。
「何とか魔犬の数を減らして、訓練生達に救援を呼びに行かせるしかないな」
――と、その時、牙を剥いて唸り声を上げていた魔犬の一匹が、ふと何かに気付いたように通路の左側に顔を向ける。すると通路の奥からドスンッベタンッと騒々しい音が響き、這うように駆けて来た大トカゲが、そのまま魔犬の群れに突っ込んだ。
通常、大トカゲがこのような行動を取ることはなく、面食らった魔犬達は飛び跳ねてぎゃわんぎゃわんと吠える。
その隙を逃さず、女剣士は自分達から注意の削がれた魔犬の一匹を屠ると、訓練生達に指示を出した。
「今の内に行け! 入り口の協会関係者に救援要請を出せばすぐに駆けつけてくれる」
「は、はい!」
三人の訓練生は一階へ上がる階段を目指し、暗い通路を走り出す。階段まではそう離れていないので問題なく辿り着ける筈だ。
未熟者とはいえ、この三人の実力であれば一階の通路ならばまず危険は無い。ダンジョンの入り口にある待機所では冒険者協会の関係者が常に緊急事態に備えているので、半刻もしない内に救援を呼べるだろう。
生徒達が走り去るのを見届けた女剣士は更にもう一匹、大トカゲに気を取られて背中を向けている魔犬を片付けると、治癒術士を後ろに庇う位置に陣取った。乱入してきた大トカゲには二匹の魔犬が喰い付いているが、硬い鱗に阻まれて牙が通らないらしく、犬達は噛み付いたまま唸っている。
残り三匹の内一匹は大トカゲの周りをぐるぐる回り、二匹は女剣士と対峙していた。
大トカゲの周りを走り回っていた魔犬が、巨大な尻尾に払われて盛大に転ぶ。
『群れで行動するモンスターには憑いた事ないからなぁ、群れ仲間にくっ付いて来られても困るし――って、おや?』
魔犬の機動力が欲しかった〝彼〟が、どれか一匹に憑依しようかと大トカゲから半分程抜け出した所で、不意に通路の奥に人影が見えた。明かりも持たずに近付いてくるそれは、先程救援を呼びに走った訓練生達だ。
精神体である〝彼〟は暗闇でも見通せるが、普通の人間の目では明かりの届く範囲がやっとだ。彼等は治癒術士の傍に置かれた明かりが届かないギリギリの所で留まり、闇に身を潜めている。
『何してるんだろう?』
訓練生達の行動に不穏なモノを感じ取り、大トカゲから頭だけ出して彼等の動きを観察し始める。
大トカゲと魔犬の乱闘と、二匹の魔犬と対峙している女剣士の様子を壁際の暗闇から窺う訓練生三人。その内の一人がヒソヒソと仲間に話し掛ける。
「なあ、本当にやるのか?」
「当然だろ、ここで救援なんか呼んでみろ。俺達は間違いなく落第だぞ」
「試験官を負傷させたんだ。罰金は確実、下手すりゃ退学だ」
実は彼等は、今回の試験をパス出来れば冒険者協会の簡単な仕事を受けられるようになる。だが、もし訓練学校を退学させられてしまえば、仕事はおろか支援もなくなり、冒険者として生きるのは非常に困難を極める事になるだろう。
試験中の不運な事故による引率者の殉職は珍しい事ではない。熟練した冒険者でも何が起きるか分からないのが、ダンジョンの恐ろしさだ。引率者の二人を始末して口封じし、後日試験を受け直そうと、三人の訓練生は女剣士の隙を狙っていたのだった。
また彼等は、魔犬の習性から考えて、この二人の肉があれば自分達に向かって来る事は無いだろうとも睨んでいた。
「いいか、あの女が魔犬と戦闘を始めたら仕掛けるぞ」
「ああ、俺達で殺れなくても隙を作れば後は犬共が殺ってくれる」
「気は進まないけど、将来の為か……」
やがて女剣士は、一定の距離まで詰めてきた魔犬に剣を振るい、迎撃に入った。
「今だっ」
三人はそれぞれ武器を構えると、女剣士の背後を急襲すべく一斉に飛び出した。
彼等に気付いた治癒術士は、訓練生達の異様な雰囲気と目付きに危険を感じ、パートナーを援護する為に僅かな魔力で使える閃光魔法を放つ。
目の前で弾ける閃光に一瞬視界を奪われ、訓練生達は足を止める。
「……っ、お前達!」
突然の閃光で、彼等の存在とその意図に気付き、表情を険しくする女剣士。しかし二匹の魔犬と対峙している現状では、すぐには対応出来ない。それを見るや二人が女剣士に武器を向けて威嚇し、一人は治癒術士にトドメを刺しに動いた。
「この! 死に損ないがっ」
治癒術士に向かって剣が振り上げられた、その時。咆哮を上げた大トカゲが身体に魔犬を喰らい付かせたまま、思いの外素早い動作で駆け出したかと思うと、剣を持つ訓練生に体当たりをかました。その訓練生は、足元を掬われて見事に引っ繰り返る。
残りの二人は、驚きのあまり目の前の大トカゲに引き摺られてきた魔犬に思わず攻撃を浴びせてしまった。すると二匹の魔犬はいくら噛んでも牙が通らない大トカゲを諦め、訓練生達の方に牙を剥く。
転んでいた訓練生も、大トカゲの尻尾に噛み付いていた三匹目の魔犬に狙われ、慌てて剣を向けながら立ち上がる。偶然か必然か、引率者を故殺しようとしていた訓練生三人は、魔犬の残りの三匹を引き受ける形となってしまった。
互いに背中を預けられない、なんとも複雑な事情を含んだ共闘関係が生まれ、四人と五匹の戦いが始まる。
そんな中、さっきから奇行の目立つ大トカゲが、のそのそと治癒術士の傍に寄って行く。大トカゲが人を襲う事は滅多にないが、モンスターである事に変わりはない。女剣士はそちらが気になったが、二匹の魔犬を相手にしていては気を割く事が出来なかった。
『これをどうぞっと』
大トカゲは治癒術士の傍までやって来て、パカッと口を開く。すると薬瓶が転がり落ちた。訝しみながら治癒術士がそれを拾い上げると、薬瓶の中には割と質の良い魔力水が入っていた。
魔力水はその名の通り魔力の籠められた水で、様々な魔法薬の材料となる。そのまま飲めば手っ取り早く魔力を回復出来る。
「これを、僕に……?」
その問いに答えるかのように、大トカゲは大きな体躯を一度揺らす。転がり出て来た薬瓶は全部で三つ。これだけあれば治癒術士の魔力を二回は全快出来る。
魔力水で自身の怪我を完治させた治癒術士はすぐさま魔犬との戦闘に加わり、戦いは間もなく終結した。
治癒術に特化した職であれ、一人前の冒険者として生きる者の実力は、訓練生のそれとは比べ物にならない。魔犬との戦闘後、三人の訓練生達はたちまち制圧されてしまった。彼等は武装解除の上で拘束され、引率者によって連れ帰られる事になった。
最初、女剣士は三人を処分すると厳しく主張していたのだが、治癒術士が地上で裁きに掛けるよう宥めたのだ。
「この場で処刑されても文句は言えん愚行だったと思うがな」
「心の弱い者はダンジョンの魔力に呑まれて、しばしば凶行に及んでしまうのだよ」
こうして訓練生だった三人は、試験官殺し未遂の罪人として帰路についたのだった。
去り際、治癒術士は、通路に横たわる魔犬の死体を鼻先でふんふんと押し上げている大トカゲに、戸惑いの視線を向ける。大トカゲが助けてくれたという事が信じられない女剣士だったが、確かに彼女自身もその光景を見ていた。
「あの大トカゲ、何だったんだろう……?」
「さてな……むかし人に飼われていた、と考えられなくもないが」
最後に振り返った治癒術士達の視線の先には、彼等に顔を向けた大トカゲがペタンと尻尾を振っている姿があった。
『魔犬、全滅しちゃったか~……また暫くは大トカゲ君と行動するしかないなぁ』
二人の引率者と三人の罪人パーティーを見送った〝彼〟は、魔犬の体内にあった魔力の染み付いた品を異次元倉庫に移すと、頑張ってくれた大トカゲに食事をさせる。
〝彼〟は引率者の二人を助けた事で、自分にそういう善悪の価値観があるのだと認識した。欠けた記憶と曖昧な自己認識は相変わらずだが、日々新しい記憶と知識が増えていく。
『いつか外の世界にも出られるといいなぁ』
そんな事を思いながら、〝彼〟はダンジョンを彷徨い続ける。
――バラッセの街にあるダンジョンには時折、冒険者を助けてくれるモンスターが現れる。そんな噂が冒険者達の間で囁かれるようになったのは、それから暫く経ってからの事だった。
3
地下二階を粗方探索し尽したので〝彼〟は更に下の階へ行ってみる事にしたが、階段で結構な人数のパーティーと鉢合わせ、あっけなく狩られてしまった。
その集団が通り過ぎた後、丁度近くを通り掛かったハサミムシにこれ幸いと憑依。〝彼〟はこうして地下三階に下り立った。
『一階二階とはずいぶん雰囲気が違ってるなぁ』
壁や床には殆ど人の手が入っておらず、天然の洞窟のようにごつごつとした岩肌が剥き出しになった状態だ。階段の周囲のみ、辛うじて整地されたような痕跡が見られる。
そして、空気全体から何かの気配がするのだ。濃厚な気配が満ちているという程ではないが、何らかの存在を思わせる。
『これが集合意識っていうモノの気配なのかな?』
ぐるりと周囲を見渡して近くに人影やモンスターの姿が無い事を確認すると、壁際をワサワサと這って移動し始めた。
基本的に冒険者によるダンジョンの探索は複数人のパーティーを組んで行なうものであり、一人で挑むのは非常に危険だとされている。
世界各地に点在するダンジョンそれぞれの規模や危険度の違いもあり、一概には当て嵌められないが、ここバラッセの街にあるダンジョンにおいては、一人で探索出来る範囲は地下二階までであるとされていた。地下三階からは〝集合意識〟に支配された魔獣が出没するようになるからだ。
「やれやれ、やっと戻ってこられたか」
「ああ、やっぱり外の空気はいいな」
地下三階まで赴いていた十数人規模の冒険者パーティーが、今街に戻って来た。彼等は冒険者協会から派遣された調査団で、ダンジョン利用の更なる活性化を目指して計画された〝拠点建設事業〟の為に雇われている者達である。
主な任務は地下の一角に冒険者の拠点を作ることだった。その為今回は、ダンジョン内の魔力を中和する結界を張る場所を調査してきたのだ。
全員が無事に帰還したと冒険者協会に報告を済ませた後、彼等は連れ立って街へと繰り出す。酒場で部下達と食事をし始めた隊長役の冒険者は、そこで〝冒険者を助けてくれるモンスター〟の噂を耳にした。
「そういや出発前にも聞いたな、まだ続いてたのか」
「初心者グループを中心に、遭遇したって奴らが結構いるらしいですよ? まあ騒がれるのを面白がって吹かしてるだけでしょうけどね」
部下が言うには、噂で挙がるのは大ネズミだったりハサミムシだったり、コウモリだったりもするらしい。
「ふん……ガキの遊び場じゃないんだがなぁ」
街が冒険者で賑わうのは結構だが、素人が面白半分でダンジョンに入ったあげく、他の冒険者に迷惑を掛けるような真似は慎んでもらいたいものだと、熟練冒険者である隊長役が愚痴る。
この街のダンジョンも、一階全域に明かりが置かれるようになった頃から、小遣い稼ぎ感覚で探索に下りては、他の冒険者が仕留めた獲物に手を出すような不心得者が後を絶たなくなった。
思わず愚痴をこぼし気味になっていた彼に、声を掛けて来る者がいた。
「戻っていたのか、ガシェ」
「ん? よ~うリシェロ、エルメールも一緒か。お前らいつも一緒だなぁ」
仕事帰りらしい治癒術士と女剣士を冷やかしたガシェ隊長は、二人を隣の席へ誘う。治癒術士のリシェロとは訓練学校の同期で、元軍人である女剣士のエルメールともリシェロ繋がりで割と親しい間柄である。
ガシェ隊長自身、普段はフリーの冒険者をやっているのだが、仕事が無い時や都合が合った時は三人でパーティーを組む事もあった。
「事業の方は上手く行きそうかい?」
「まあ順調と言やあ順調だな、明後日辺りに祈祷士と作業員を連れて、本格的に結界地帯を造る予定だ」
「ほう、なかなか隊長役が板に付いて来たのではないか?」
「よせやい、オレの柄じゃねーって」
リシェロの問いとエルメールの冷やかしにガシェも上機嫌で答え、そのまましばし談笑に耽る。そういえば――と、ガシェは小耳に挟んでいた、訓練学校の生徒が試験官を手に掛けようとして拘束されたという話題を振った。すると二人は顔を見合わせ、苦笑混じりにそれは自分達の関わった事件だと答える。
「ホントかよ、リシェロはともかくエルメールに喧嘩売るなんざ、そのガキども命知らずもいいところだな」
「僕はともかくって、酷いなぁ」
「ふふっ。実際、リシェロは甘いからな」
その場から動けなくなる程の怪我を負って、結構大変だったと話すリシェロ。更に自分を庇い、魔力水の瓶をくれた大トカゲの話題に触れた。魔犬の群れに飛び込み、窮地を救ってくれた、謎のモンスター。
「え、それマジなのか? 冒険者に味方するっていう噂の?」
「ああ、俄かには信じ難いがな、私も確かだと証言しよう」
「とにかく不思議なモンスターだったよ」
特徴などを詳しく聞いたガシェはふと、地下二階へ上がる長い円形階段の途中で遭遇した大トカゲの事を思い出す。
「まさか、あの大トカゲじゃないだろうな……」
三階以降に現れるモンスターは集合意識に支配されていて、人間の姿を見れば必ず襲い掛かってくる。従って遭遇した場合は先手を打って討伐するのが鉄則である。
それに倣い、大トカゲも先手必勝で倒したが、反撃してくる様子がなかったので少し気になったのだ。結構な傾斜のある階段だったので、あの巨体と低い体格では上手く動けなかったのかとも思っていたのだが――
「もしかして、君も会ったのかい?」
「いや、分からん。もしアレがそうだったんだとすると、悪い事したかなぁ……」
人間に味方するモンスターの存在には半信半疑ながら、もし親友達を助けてくれた大トカゲだったらと考えると、少々後味が悪い。
「ところで、前衛と支援の枠は空いていないか? 暫く仕事がなさそうなのでな」
「お? 二人とも手伝ってくれるんなら大歓迎だぜ」
エルメールの言葉から拠点建設の話に戻り、明後日の本格的な作業にあたって、資材を運ぶ作業員と結界を張る為に同行する祈祷士の話題になる。
「そういやその祈祷士、精霊だけじゃなく生きた動物とも心を通わせて意思の疎通が出来るんだとよ」
地の底からモンスターが這い出て来るのを防ぐ結界によって、階段に一歩踏み出す事さえ出来ない。結局、〝彼〟は、名前も知らぬ少女の落とし物を届けてあげる事が出来なかったのだった。
とりあえず他の冒険者と鉢合わせる前に近くの抜け道へ避難し、ブローチに付いた血を毛皮で拭き取りながら思案する。
『これ、どうしようかな』
精神体の自分では直接物体に触れられないので、預かっておく事も出来ない。そう思いつつネズミの身体から半分ほど精神体を出してブローチを掴む仕草をする。するとブローチは〝彼〟の手に握られる事なくすり抜け、精神体の〝彼〟の手に重なった。
『ん?』
微かに感触を得たような気がして、〝彼〟はブローチに意識を集中させてみる。すると、何かを引き寄せるような感覚があり、気付けばブローチは〝彼〟の手元にあった。正確には〝彼〟の存在する次元に喚び寄せた形だ。
どうやら異次元に在る精神体の干渉で、現象界の物質を別次元へと移動させられるようだ。試しにそこら辺の石ころに触れて集中してみると、ブローチと同じ様に自分のもとへ喚ぶ事が出来た。触れれば今までのようなボンヤリした感覚ではなく、しっかりとした感触がある。
距離の概念が曖昧で、手元に寄せれば手元にあるし、遠くへ離せば遠くにある。収納スペースとしてはとても便利な、無限の置き場所。
『こんな事も出来たのか……うん、これなら失くす心配もなく預かっておけるかな』
いつかまた出会った時にでも返そうとブローチを異次元倉庫に保管した〝彼〟は、他にも触ってみたい物を色々と思い浮かべながら、ダンジョンの通路へと駆け出したのだった。
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殆ど明かりも無い、闇に覆われたダンジョンの通路を、体長一八〇センチはあろうかという大トカゲがのしのし歩く。
一階をほぼ探索し尽した〝彼〟は、下の階も見てみようと大ネズミの身体で二階に下りた途端、大ネズミを主食としている大トカゲに出くわし、喰われた……ので、そのまま大トカゲに憑依。地下二階を探索する身体として使っている。
『あ、コイン見っけ。拾っておこう』
地下二階からは、野犬が変異した魔犬も出没するようになる。変異後は群れを作らなくなる大ネズミと違って、魔犬は三匹から五匹の群れで行動しているようだ。大トカゲはあまり動き回らない性質らしく、滅多に見掛けない。
広い迷宮を探索するに当たっては機動力の高い魔犬の方が便利そうなのだが、魔犬の警戒心が強いのか、大トカゲの方が強いからか、魔犬と遭遇してもすぐにどこかへ行ってしまう。
床や壁には人の手で整えられた痕跡が見られるものの、一階のような明かりは無く、ほぼ真っ暗。一階と二階を繋ぐ階段の途中にある明かりが、二階の出入り口付近を僅かに照らし出しているのみだ。
所々に生える光苔や光茸が微かな光源になっているが、ここに下りてくる冒険者達は皆自前の明かりを用意するのが通常だった。
『おっとまた死体だ……まだ半分残っているところを見ると、そんなに経ってないみたいだな』
この階の入り口に近い場所では、時折ダンジョンを侮った犠牲者の姿が見られた。やはり暗さに加えて群れで行動する魔犬の存在が、危険レベルを一気に上げているようだ。
仲間が死んでしまった場合は早めに遺体を持ち帰るか、救援が来るまで傍に見張りを付き添わせておかないと、すぐに蟲やネズミ達によって食べられてしまう。
『魔力の薬瓶が一つ、二つ…………六つも残ってる。杖は折れちゃってるなぁ』
一人で下りて来ていた場合や、全員が倒れてしまった場合は、二日と経たない内に冒険者の装備で固めた白骨が転がる事になる。
こうして白骨化した死体が長くダンジョンの魔力に中てられて〝集合意識〟の支配を受けると魔物化し、骸骨戦士のようなモンスターになる。だが、この辺りの階層はまだ魔力の濃度が薄い事や、頻繁に他の冒険者が通る事もあってそういった事態は稀だ。
それに遺体から装備を剥いで稼ぎを得ている者に荒らされる事も多い。装備を剥がされた白骨は魔物化しないよう散らされてしまう。
『モンスターの死体もあるな、こっちはコインと……これは指輪かな?』
当ても無くダンジョンを彷徨う〝彼〟は、人間やモンスターの死体から使えそうなアイテムを収集して回っていた。
一階に比べると結構色んな物が落ちている。大抵は壊れた武器防具や宝石の欠片、それにお金らしきコインだ。それらを拾い集めては異次元倉庫へ一纏めにする。これらはいつか人間とコミュニケーションが取れるようになったとき、重要なアイテムとなり得るからだ。
指輪や耳飾りのような装飾品も時々あり、こうした物はモンスターの腹の中から出てくる。
この前の落とし物ブローチと同様、モンスターには魔力の籠もった宝石類を呑み込む習性があるようだ。
魔術士らしき犠牲者に黙祷を捧げてその場を後にした〝彼〟は、角を曲がった先にランタンの明かりが揺れるのを見つけた。久し振りに生きた人間と交流できるかもしれない――そう思い、明かりの方へのっそのっそと歩き出す。
たとえ出会ってすぐに狩られてしまうのだとしても、人恋しい気持ちには抗えない。
そのまま進んでいくと、地下二階の入り口からそう遠くない小部屋状になった一角で、怪我人を抱えて身動きが取れなくなっているパーティーの姿があった。
彼等は冒険者協会の訓練学校から昇級試験の為にやってきた、試験官二人と訓練生三人の五人であった。無謀な行動によって危機に陥った生徒を庇い、引率者である試験官の一人が大怪我を負ってしまったのだ。
不味い事に、怪我をしたのは回復担当の治癒術士であり、また魔犬の群れに囲まれて迂闊に移動出来ないでいる。このまま睨み合いが続くと、更に魔犬の数が増えかねない。
もう一人の引率者である女剣士の実力であれば単独で救援を呼びに戻る事も可能だったが、怪我を負った治癒術士を未熟な訓練生三人で護りきれるとは考えられず、離れるに離れられないでいた。
試験目的の探索だった為、治癒術士も大怪我を治せるような高価な治癒薬など用意していなかった。自身の怪我を命に別状がない程度まで回復させるのが精々で、そろそろ魔力も尽きようとしていた。
「すまない……僕が油断したばっかりに」
「ありもしない非を憂えるな、お前に落ち度は無い」
引率者の女剣士は、コンビを組むようになって長い治癒術士を壁際に庇いながら、どうしたものかと打開策を練る。現在、彼等を狙う魔犬は七匹。
「何とか魔犬の数を減らして、訓練生達に救援を呼びに行かせるしかないな」
――と、その時、牙を剥いて唸り声を上げていた魔犬の一匹が、ふと何かに気付いたように通路の左側に顔を向ける。すると通路の奥からドスンッベタンッと騒々しい音が響き、這うように駆けて来た大トカゲが、そのまま魔犬の群れに突っ込んだ。
通常、大トカゲがこのような行動を取ることはなく、面食らった魔犬達は飛び跳ねてぎゃわんぎゃわんと吠える。
その隙を逃さず、女剣士は自分達から注意の削がれた魔犬の一匹を屠ると、訓練生達に指示を出した。
「今の内に行け! 入り口の協会関係者に救援要請を出せばすぐに駆けつけてくれる」
「は、はい!」
三人の訓練生は一階へ上がる階段を目指し、暗い通路を走り出す。階段まではそう離れていないので問題なく辿り着ける筈だ。
未熟者とはいえ、この三人の実力であれば一階の通路ならばまず危険は無い。ダンジョンの入り口にある待機所では冒険者協会の関係者が常に緊急事態に備えているので、半刻もしない内に救援を呼べるだろう。
生徒達が走り去るのを見届けた女剣士は更にもう一匹、大トカゲに気を取られて背中を向けている魔犬を片付けると、治癒術士を後ろに庇う位置に陣取った。乱入してきた大トカゲには二匹の魔犬が喰い付いているが、硬い鱗に阻まれて牙が通らないらしく、犬達は噛み付いたまま唸っている。
残り三匹の内一匹は大トカゲの周りをぐるぐる回り、二匹は女剣士と対峙していた。
大トカゲの周りを走り回っていた魔犬が、巨大な尻尾に払われて盛大に転ぶ。
『群れで行動するモンスターには憑いた事ないからなぁ、群れ仲間にくっ付いて来られても困るし――って、おや?』
魔犬の機動力が欲しかった〝彼〟が、どれか一匹に憑依しようかと大トカゲから半分程抜け出した所で、不意に通路の奥に人影が見えた。明かりも持たずに近付いてくるそれは、先程救援を呼びに走った訓練生達だ。
精神体である〝彼〟は暗闇でも見通せるが、普通の人間の目では明かりの届く範囲がやっとだ。彼等は治癒術士の傍に置かれた明かりが届かないギリギリの所で留まり、闇に身を潜めている。
『何してるんだろう?』
訓練生達の行動に不穏なモノを感じ取り、大トカゲから頭だけ出して彼等の動きを観察し始める。
大トカゲと魔犬の乱闘と、二匹の魔犬と対峙している女剣士の様子を壁際の暗闇から窺う訓練生三人。その内の一人がヒソヒソと仲間に話し掛ける。
「なあ、本当にやるのか?」
「当然だろ、ここで救援なんか呼んでみろ。俺達は間違いなく落第だぞ」
「試験官を負傷させたんだ。罰金は確実、下手すりゃ退学だ」
実は彼等は、今回の試験をパス出来れば冒険者協会の簡単な仕事を受けられるようになる。だが、もし訓練学校を退学させられてしまえば、仕事はおろか支援もなくなり、冒険者として生きるのは非常に困難を極める事になるだろう。
試験中の不運な事故による引率者の殉職は珍しい事ではない。熟練した冒険者でも何が起きるか分からないのが、ダンジョンの恐ろしさだ。引率者の二人を始末して口封じし、後日試験を受け直そうと、三人の訓練生は女剣士の隙を狙っていたのだった。
また彼等は、魔犬の習性から考えて、この二人の肉があれば自分達に向かって来る事は無いだろうとも睨んでいた。
「いいか、あの女が魔犬と戦闘を始めたら仕掛けるぞ」
「ああ、俺達で殺れなくても隙を作れば後は犬共が殺ってくれる」
「気は進まないけど、将来の為か……」
やがて女剣士は、一定の距離まで詰めてきた魔犬に剣を振るい、迎撃に入った。
「今だっ」
三人はそれぞれ武器を構えると、女剣士の背後を急襲すべく一斉に飛び出した。
彼等に気付いた治癒術士は、訓練生達の異様な雰囲気と目付きに危険を感じ、パートナーを援護する為に僅かな魔力で使える閃光魔法を放つ。
目の前で弾ける閃光に一瞬視界を奪われ、訓練生達は足を止める。
「……っ、お前達!」
突然の閃光で、彼等の存在とその意図に気付き、表情を険しくする女剣士。しかし二匹の魔犬と対峙している現状では、すぐには対応出来ない。それを見るや二人が女剣士に武器を向けて威嚇し、一人は治癒術士にトドメを刺しに動いた。
「この! 死に損ないがっ」
治癒術士に向かって剣が振り上げられた、その時。咆哮を上げた大トカゲが身体に魔犬を喰らい付かせたまま、思いの外素早い動作で駆け出したかと思うと、剣を持つ訓練生に体当たりをかました。その訓練生は、足元を掬われて見事に引っ繰り返る。
残りの二人は、驚きのあまり目の前の大トカゲに引き摺られてきた魔犬に思わず攻撃を浴びせてしまった。すると二匹の魔犬はいくら噛んでも牙が通らない大トカゲを諦め、訓練生達の方に牙を剥く。
転んでいた訓練生も、大トカゲの尻尾に噛み付いていた三匹目の魔犬に狙われ、慌てて剣を向けながら立ち上がる。偶然か必然か、引率者を故殺しようとしていた訓練生三人は、魔犬の残りの三匹を引き受ける形となってしまった。
互いに背中を預けられない、なんとも複雑な事情を含んだ共闘関係が生まれ、四人と五匹の戦いが始まる。
そんな中、さっきから奇行の目立つ大トカゲが、のそのそと治癒術士の傍に寄って行く。大トカゲが人を襲う事は滅多にないが、モンスターである事に変わりはない。女剣士はそちらが気になったが、二匹の魔犬を相手にしていては気を割く事が出来なかった。
『これをどうぞっと』
大トカゲは治癒術士の傍までやって来て、パカッと口を開く。すると薬瓶が転がり落ちた。訝しみながら治癒術士がそれを拾い上げると、薬瓶の中には割と質の良い魔力水が入っていた。
魔力水はその名の通り魔力の籠められた水で、様々な魔法薬の材料となる。そのまま飲めば手っ取り早く魔力を回復出来る。
「これを、僕に……?」
その問いに答えるかのように、大トカゲは大きな体躯を一度揺らす。転がり出て来た薬瓶は全部で三つ。これだけあれば治癒術士の魔力を二回は全快出来る。
魔力水で自身の怪我を完治させた治癒術士はすぐさま魔犬との戦闘に加わり、戦いは間もなく終結した。
治癒術に特化した職であれ、一人前の冒険者として生きる者の実力は、訓練生のそれとは比べ物にならない。魔犬との戦闘後、三人の訓練生達はたちまち制圧されてしまった。彼等は武装解除の上で拘束され、引率者によって連れ帰られる事になった。
最初、女剣士は三人を処分すると厳しく主張していたのだが、治癒術士が地上で裁きに掛けるよう宥めたのだ。
「この場で処刑されても文句は言えん愚行だったと思うがな」
「心の弱い者はダンジョンの魔力に呑まれて、しばしば凶行に及んでしまうのだよ」
こうして訓練生だった三人は、試験官殺し未遂の罪人として帰路についたのだった。
去り際、治癒術士は、通路に横たわる魔犬の死体を鼻先でふんふんと押し上げている大トカゲに、戸惑いの視線を向ける。大トカゲが助けてくれたという事が信じられない女剣士だったが、確かに彼女自身もその光景を見ていた。
「あの大トカゲ、何だったんだろう……?」
「さてな……むかし人に飼われていた、と考えられなくもないが」
最後に振り返った治癒術士達の視線の先には、彼等に顔を向けた大トカゲがペタンと尻尾を振っている姿があった。
『魔犬、全滅しちゃったか~……また暫くは大トカゲ君と行動するしかないなぁ』
二人の引率者と三人の罪人パーティーを見送った〝彼〟は、魔犬の体内にあった魔力の染み付いた品を異次元倉庫に移すと、頑張ってくれた大トカゲに食事をさせる。
〝彼〟は引率者の二人を助けた事で、自分にそういう善悪の価値観があるのだと認識した。欠けた記憶と曖昧な自己認識は相変わらずだが、日々新しい記憶と知識が増えていく。
『いつか外の世界にも出られるといいなぁ』
そんな事を思いながら、〝彼〟はダンジョンを彷徨い続ける。
――バラッセの街にあるダンジョンには時折、冒険者を助けてくれるモンスターが現れる。そんな噂が冒険者達の間で囁かれるようになったのは、それから暫く経ってからの事だった。
3
地下二階を粗方探索し尽したので〝彼〟は更に下の階へ行ってみる事にしたが、階段で結構な人数のパーティーと鉢合わせ、あっけなく狩られてしまった。
その集団が通り過ぎた後、丁度近くを通り掛かったハサミムシにこれ幸いと憑依。〝彼〟はこうして地下三階に下り立った。
『一階二階とはずいぶん雰囲気が違ってるなぁ』
壁や床には殆ど人の手が入っておらず、天然の洞窟のようにごつごつとした岩肌が剥き出しになった状態だ。階段の周囲のみ、辛うじて整地されたような痕跡が見られる。
そして、空気全体から何かの気配がするのだ。濃厚な気配が満ちているという程ではないが、何らかの存在を思わせる。
『これが集合意識っていうモノの気配なのかな?』
ぐるりと周囲を見渡して近くに人影やモンスターの姿が無い事を確認すると、壁際をワサワサと這って移動し始めた。
基本的に冒険者によるダンジョンの探索は複数人のパーティーを組んで行なうものであり、一人で挑むのは非常に危険だとされている。
世界各地に点在するダンジョンそれぞれの規模や危険度の違いもあり、一概には当て嵌められないが、ここバラッセの街にあるダンジョンにおいては、一人で探索出来る範囲は地下二階までであるとされていた。地下三階からは〝集合意識〟に支配された魔獣が出没するようになるからだ。
「やれやれ、やっと戻ってこられたか」
「ああ、やっぱり外の空気はいいな」
地下三階まで赴いていた十数人規模の冒険者パーティーが、今街に戻って来た。彼等は冒険者協会から派遣された調査団で、ダンジョン利用の更なる活性化を目指して計画された〝拠点建設事業〟の為に雇われている者達である。
主な任務は地下の一角に冒険者の拠点を作ることだった。その為今回は、ダンジョン内の魔力を中和する結界を張る場所を調査してきたのだ。
全員が無事に帰還したと冒険者協会に報告を済ませた後、彼等は連れ立って街へと繰り出す。酒場で部下達と食事をし始めた隊長役の冒険者は、そこで〝冒険者を助けてくれるモンスター〟の噂を耳にした。
「そういや出発前にも聞いたな、まだ続いてたのか」
「初心者グループを中心に、遭遇したって奴らが結構いるらしいですよ? まあ騒がれるのを面白がって吹かしてるだけでしょうけどね」
部下が言うには、噂で挙がるのは大ネズミだったりハサミムシだったり、コウモリだったりもするらしい。
「ふん……ガキの遊び場じゃないんだがなぁ」
街が冒険者で賑わうのは結構だが、素人が面白半分でダンジョンに入ったあげく、他の冒険者に迷惑を掛けるような真似は慎んでもらいたいものだと、熟練冒険者である隊長役が愚痴る。
この街のダンジョンも、一階全域に明かりが置かれるようになった頃から、小遣い稼ぎ感覚で探索に下りては、他の冒険者が仕留めた獲物に手を出すような不心得者が後を絶たなくなった。
思わず愚痴をこぼし気味になっていた彼に、声を掛けて来る者がいた。
「戻っていたのか、ガシェ」
「ん? よ~うリシェロ、エルメールも一緒か。お前らいつも一緒だなぁ」
仕事帰りらしい治癒術士と女剣士を冷やかしたガシェ隊長は、二人を隣の席へ誘う。治癒術士のリシェロとは訓練学校の同期で、元軍人である女剣士のエルメールともリシェロ繋がりで割と親しい間柄である。
ガシェ隊長自身、普段はフリーの冒険者をやっているのだが、仕事が無い時や都合が合った時は三人でパーティーを組む事もあった。
「事業の方は上手く行きそうかい?」
「まあ順調と言やあ順調だな、明後日辺りに祈祷士と作業員を連れて、本格的に結界地帯を造る予定だ」
「ほう、なかなか隊長役が板に付いて来たのではないか?」
「よせやい、オレの柄じゃねーって」
リシェロの問いとエルメールの冷やかしにガシェも上機嫌で答え、そのまましばし談笑に耽る。そういえば――と、ガシェは小耳に挟んでいた、訓練学校の生徒が試験官を手に掛けようとして拘束されたという話題を振った。すると二人は顔を見合わせ、苦笑混じりにそれは自分達の関わった事件だと答える。
「ホントかよ、リシェロはともかくエルメールに喧嘩売るなんざ、そのガキども命知らずもいいところだな」
「僕はともかくって、酷いなぁ」
「ふふっ。実際、リシェロは甘いからな」
その場から動けなくなる程の怪我を負って、結構大変だったと話すリシェロ。更に自分を庇い、魔力水の瓶をくれた大トカゲの話題に触れた。魔犬の群れに飛び込み、窮地を救ってくれた、謎のモンスター。
「え、それマジなのか? 冒険者に味方するっていう噂の?」
「ああ、俄かには信じ難いがな、私も確かだと証言しよう」
「とにかく不思議なモンスターだったよ」
特徴などを詳しく聞いたガシェはふと、地下二階へ上がる長い円形階段の途中で遭遇した大トカゲの事を思い出す。
「まさか、あの大トカゲじゃないだろうな……」
三階以降に現れるモンスターは集合意識に支配されていて、人間の姿を見れば必ず襲い掛かってくる。従って遭遇した場合は先手を打って討伐するのが鉄則である。
それに倣い、大トカゲも先手必勝で倒したが、反撃してくる様子がなかったので少し気になったのだ。結構な傾斜のある階段だったので、あの巨体と低い体格では上手く動けなかったのかとも思っていたのだが――
「もしかして、君も会ったのかい?」
「いや、分からん。もしアレがそうだったんだとすると、悪い事したかなぁ……」
人間に味方するモンスターの存在には半信半疑ながら、もし親友達を助けてくれた大トカゲだったらと考えると、少々後味が悪い。
「ところで、前衛と支援の枠は空いていないか? 暫く仕事がなさそうなのでな」
「お? 二人とも手伝ってくれるんなら大歓迎だぜ」
エルメールの言葉から拠点建設の話に戻り、明後日の本格的な作業にあたって、資材を運ぶ作業員と結界を張る為に同行する祈祷士の話題になる。
「そういやその祈祷士、精霊だけじゃなく生きた動物とも心を通わせて意思の疎通が出来るんだとよ」
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