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かいほうの章
第六十八話:『贄』の呪印
しおりを挟むパルマムから北に半刻ほど進んだ中央街道沿い。
未だ魔族の支配域にある一帯で、勇者部隊はルーシェント国やクレアデス国の王都アガーシャから逃げて来たという難民達に遭遇した。
彼等にパルマムの街が既に解放されている事を伝えた慈は、皆を安全な街に避難させるべく話を持ち掛ける。
そこへ、大きなテントから一人の若い男が駆け出して来て、彼等の長に『ラダナサ』という人物の意識が戻ったと告げた。
「おおお……それは、良い報せだ」
長曰く、その人物は彼等難民達の恩人なのだという。慈は、その人物を含めて動かせないほどの怪我人が多いのであれば、六神官の治癒術で少しでも回復させておく事を提案する。
「うちの神官はほぼ全員が治癒術使えるから、ここからパルマムまで歩いて行ける程度には回復させられるんじゃないかな」
物理的な欠損で歩けない等の場合は、荷車を用意するなど手は考えると勧める慈に、難民達は是非ともお願いしますと頭を下げる。
先行きの見えない難民生活。日々擦り減って行くだけの日々にすっかり疲弊していた彼等は、突如降って湧いたような幸運を歓迎した。
「つーわけで頼めるかな?」
「勿論です、シゲル様」
アンリウネを始め治癒術を扱える六神官を連れて、難民キャンプの中でも主に怪我人や病人を収容している大きなテントに向かう。パークス達傭兵隊が護衛を務める。
ヴァラヌスは身体が大き過ぎてキャンプの一帯には入って行けないので、出入り口で御者と共に待機させた。こちらの護衛にはシスティーナと兵士隊をつけている。
例によって隠密中のレミは、独自に動いてキャンプ内の諜報活動に勤しんでいた。
大テントに収容されている怪我人は殆どが軽傷の者達で、病人も栄養不足が原因で衰弱していると思われる状態だった。
六神官の治癒術と、ヴァラヌスに積んで来た大量の食糧を提供して、まずは難民達の健康状態を改善させる事から始める。
魔族軍の第四師団の事もあるので、あまり悠長にはしていられない。怪我人が減って空間が広がった大テントを簡易診療所に改修して、六神官達による治療が進められていく。
「とりあえず、全員がパルマムまで歩けるようになったら即出発だな」
「私達も一度補給に戻らなくてはなりませんしね」
クレッセンを出発する時に準備してもらった食糧を放出した為、この先にある三つの街を攻めるなら、パルマムで補給し直しておく必要があるだろう。
慈が大テントの隅で休憩中のシャロルとそんな話をしていると、難民達の長と彼に付き従う壮年男性がやって来て言った。
「あの、勇者様……少し折り入ってお話がございまして」
「何かありましたか?」
慈に話し掛けようとした長に対して、シャロルがスッと前に出て対応する。
普段から身分の差などに無頓着な慈は、勇者の権威も必要な時を除いて無闇に振り翳す事もないので意識から外れがちだが、オーヴィス国が迎えるれっきとした国家公認の救世主。
本来なら平民が直に声を掛けられるような相手ではない。
高位の神官からそれと分かる『控えなさいオーラ』を浴びて、恐縮しきりな難民の長達は、改めて畏まりながら願い出る。
「実は、ラダナサがどうしても勇者様方に伝えたい事があるようでして」
「先程意識が戻ったという、貴方達の恩人の方ですね?」
シャロルはそう言って、慈に御伺いの視線を向ける。
「いいよ、話を聞こう」
「では、こちらへどうぞ」
慈が了承すると、ラダナサの居る別室へと案内される事になった。
別室と言っても、同じ大テントの中を布で仕切っているだけだが、事情があって彼にだけ用意された個人部屋らしい。
シャロルによれば、今日の治癒術の施しでそのような部屋に案内された事は無いという。慈は、少し首を傾げる。
(治癒が必要な怪我とかはしてないって事か?)
部屋には先程の、件の人物の意識が戻った事を伝えに来た若者が居た。どうやら専属で看護に就いているようだ。
「長」
立ち上がって会釈する若者に、長が訊ねる。
「彼の容体はどうかね?」
「意識ははっきりしています。声はまだ、出せないようですが……」
若者はそう説明しながら、慈達にその人物を紹介した。質素なベッドに横たわる寝たきり状態の男性――ラダナサは、目線だけ動かして挨拶する。
見た目、大きな怪我などは負っていないようだが、かなり衰弱している様子だった。そして、彼を診たシャロルは怪訝そうに呟く。
「これは……呪いの類のようですね。それも、複数種類の重ね掛けがされている――」
「呪い?」
「お分かりになりますか」
難民の長達の話によると、ラダナサは自分達をルーシェント国の王都シェルニアから、近郊の街ルナタスまで逃がしてくれた、とある組織の一員らしい。
彼は一般民を脱出させる活動中に一度、魔族軍に捕まった事がある。
その時に何らかの呪印を刻まれたらしく、身体が麻痺して自力では動けない上に、声も封じられている状態なのだと。
救出した彼の仲間が、ルナタスを脱出する難民集団に託して行ったのだそうな。
「シゲル君、レゾルテを呼びましょう。彼女の『浄化聖光』なら大抵の呪いを安全に判別できます」
軽いモノならそれで解呪できる。解呪できないほど強力なモノだった場合、慈が勇者の刃で消し飛ばせば良い。
魔族側がどのような意図で彼に呪いを重ね掛けしたのか、まずは呪いの種類を確かめておきたいという。
「そっか、それじゃあ――」
「呼ばれる前から御傍にどーん」
「おわっ」
ドーンと、慈の背中に抱き着くように現れるレゾルテ。彼女が存外愉快な性格をしている事を知ったのは、遠征訓練の時だった。
「いたのかレゾルテさん」
「貴方がシャロルと二人っきりで個室に入るのを見掛けたので覗きに来た」
「言い方……つーか難民の長も一緒だったろ」
「良いところに来ましたレゾルテ」
シャロルはそんな彼女の言動をさらっと流して話を進める。難民達の恩人で、複数の呪いを重ね掛けされていると思われるラダナサを診て欲しいと。
慈の背中から離れたレゾルテは、頷いて告げる。
「さっきから気にはなっていた。この男性は恐らく魔族。掛けられている呪いは隷属の呪印に近しい抑制型、拘束型のモノばかり――中心に禁呪の気配も視える」
「凄いな、ぱっと見ただけでそこまで分かるのか」
レゾルテの診察に感心する慈。ラダナサが魔族らしいという部分にはあまり驚かない。彼等難民達をルーシェント国から逃がしたのは魔族の穏健派達だと聞いていたので、予想はしていた。
「それにしても、禁呪とは……種類は分かりますか?」
シャロルの問いに、レゾルテは確信をもって答える。
「この形は、戦略儀式魔法で使われる『贄』の呪印。この人は広域殲滅魔法の触媒にされていると見て間違いない」
「っ!?」
思わぬ『危険物』の存在に、シャロルは息を呑んで深刻な表情を浮かべる。
難民の長達も驚いているが、ラダナサは自身の状態を理解していたらしく、よくぞ見抜いてくれたと言わんばかりに頷いた。
「それってどんなものなんだ?」
慈は、自分の知らない魔法に関するワードが幾つも出て来たので、まずはそれがどのようなモノなのかを訊ねた。
戦略儀式魔法に『贄』の呪印、広域殲滅魔法など、いずれも随分と不穏な響きを持っている。
「戦略儀式魔法とは、複数人が協力して放つ大規模な攻撃魔法を指します」
中でも広域殲滅魔法は、魔法の発動起点となる『贄』の呪印を刻んだ者――所謂『生け贄』を使う外法として知られる。
『贄』一体につき、三十人からの魔術士が魔法陣を使って術を練り上げるのだが、発動までには一時間近く掛かるらしい。『贄』の数に上限は無く、『贄』を増やせば発動させる魔術士の必要数も増える。
予め『贄』を攻撃対象地点に移動させ、遠く離れた場所で練り上げた大規模攻撃魔術を、発動の直前まで予兆も感じさせず、ピンポイントで炸裂させるのだ。
その攻撃力は、『贄』一体につき直径500メートルほどの範囲を灼熱の炎で焼き尽くす。
十体も用意すれば、三百人の魔術士が安全な場所から発動させる事で、一瞬にして街一つ分ほどの範囲を炎の海に沈めるような攻撃も可能。
「ふーむ、中々にえげつないな」
「ええ。大抵は隷属の呪印と合わせて使われます。あまりに非道な術なので、国家間で禁呪に指定されているのです」
大昔の戦場で実際に使われた記録があり、その時は敵味方双方に甚大な被害を出したそうだ。当時は『贄』の正確な場所を測る術が無かったので、全ての『贄』が敵陣深くに潜入している事を前提に発動させたら、まだ味方の陣地内に残っていた『贄』から炎が噴き出して大惨事になった。
これには諸説あり、無理やり『贄』にされた者による、術者への報復説も囁かれているのだとか。
そんな危険な『贄』の呪印を刻まれた人物が、それと知られず難民集団に保護されていた状況。慈達は、そこに何か作為的なモノを感じた。
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