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えんちょうの章
第百六話:ルイニエナの決意
しおりを挟む廃都サイエスガウルの北門跡付近に敷かれた野営地に陣取る駐留征伐隊。数十人の兵士達が寝起きする簡易拠点前の広場で、それぞれが作業をしたり寛いだりしながら駄弁っている。
「今日の哨戒は一班の連中だっけ?」
「飯はまだか~」
「おい、副長達が戻ってないんだが、誰かなんか聞いてるか?」
「達って、ルイニエナ副長とファーナ補佐官も?」
「あの御二人が揃って巡回なんて珍しいな」
「また揉めてんじゃねーの?」
「補佐官殿の乳揉みてー」
「お前……手に穴空くぞ」
和気藹々としたやり取りと雰囲気。割に合わない遠征先でも、高い士気を維持している猛者達の部隊かと思いきや、実態はだらけてサボってばかりいる穀潰し集団であった。
実際、ここでは見廻り以外、特にやる事も無いのだ。
締まりのない顔で「いやでもあの士官鎧から覗く下乳が」などと宣いながら空中に手で半円を描いていた兵士は、そこから覗く北門跡の瓦礫の向こうに現れた人影を見て怪訝な表情になる。
「んん? 副長と……誰だ、あれ?」
廃都からルイニエナ副長と並んで歩いて来る若い男の姿に、野営地の兵士達がざわめく。
「副長が男連れ?」
「いや、人間じゃないかあれは」
「はあ? こんな場所に――って……おい、まさか」
この廃都周辺に人間が住む村や集落など存在しない。そして駐留征伐隊がここに派遣されている理由は一つ。
「もしかして、例の『勇者』か?」
「あれが? でも何で今頃になって」
だらけていた緩い雰囲気から一転、即座に武装を調えて整列し始める。駐留征伐隊の野営地は軍部隊らしい物々しい空気に包まれた。
ルイニエナ副長と勇者らしき若い男は、北門跡前で一度立ち止まり何事か言葉を交わした後、若い男をその場に残して、ルイニエナ副長が一人で歩き出した。
「それじゃあ手筈通りに頼む」
「……分かった」
慈にそう声を掛けられたルイニエナは、頷いて一人野営地に向かう。その表情は焦りと苦渋に翳っているが、迷いは感じられない。
大神殿の聖域跡から移動したあの後、慈は公園のような開けた場所で六神官の遺品を埋葬した。
その一帯だけ瓦礫が少なく、斑に枯れた芝生が広がっているそこは、元は大神殿の中庭にあたる庭園だった。
ささやかな墓を作り終えたところで、慈は自分が過去の時間に遡っていた事をルイニエナに明かした。
この廃都に召喚されてから約半年間、勇者としての力を付けるべく徘徊する魔獣を討伐しながら廃都中に散らばっていた宝珠の武具を集め、魔族の征伐軍がやって来た日に過去へと跳んだ。
召喚魔法陣が実際に発動した五十年前に戻り、その時代で勇者としての役割を果たして召還魔法で元の世界に還る手筈だったのだが、途中で召還が止まってしまった。
原因は恐らく燃料不足。
遡った後と前とで世界の状態が大きく変わった為、遡る前のこの時間軸は既に別世界扱いとなり、召還一回分の燃料では元の時間軸に戻る分にしかならなかったのだ。
五十年前の世界での活動内容。ヴァイルガリンを討つ協力者となったジッテ家当主カラセオスを中心とする穏健派魔族達や、当時のルイニエナの事情も慈の知る限り詳しく説明した。
結果、その内容に強い衝撃を受けたこの時代のルイニエナは、慈に協力する事を受け入れた。
過去の時間軸では慈達勇者部隊の介入によって、ルイニエナが被っていた同胞からの嫌がらせや横領行為が白日の下に曝されているが、この時代ではそれらは闇に葬られたままだ。
ルイニエナとカラセオス双方の手紙が握り潰されていた事も発覚していないので、ルイニエナは父に見捨てられたという認識のまま従軍を続けて今日に至っている。
勇者が召喚されないまま人類が敗北したこの世界では、魔族軍の侵攻は予定通りパルマムの街を前線基地にオーヴィスを包囲し、聖都サイエスガウルを陥落させた。
当時、第三師団で随行救護隊を率いていたルイニエナも、包囲網の最前線に参加していたが、味方に大きな被害が出る事は殆どなかった為、もっぱら捕虜の治療が主な任務だった。
その活動を通して人間と触れ合う機会も多かったルイニエナにとって、魔王ヴァイルガリンが掲げる魔族至上主義論は、根拠も薄い滑稽な戯れ言としか思えなくなっていた。
『父が正しかった』いくら家が不名誉な謗りを受けていようと、戦いに参加すべきでは無かった。
そんな後悔に苛まれたルイニエナは、不遇な扱いを受けながらもヴァイルガリンの走狗に成り下がっている自分は見捨てられても当然と、実家に頼る事をしなくなった。
結局、征服戦争が魔族側の勝利宣言で終わった後もジッテ家に帰る気になれず、地方で反乱や小競り合いを治める独立部隊に参加して、各地を転々とする兵士生活を数年。
昇進を重ねたりする内に『睡魔の刻』の時期が来てしまったので、信頼出来る部下の家に匿われて眠りについた。
そうして二年ほどの『睡魔の刻』から目覚めた頃、父カラセオスが奇病で倒れたとの報せが実家から届いた。
悩んだ末、十数年ぶりの帰省を果たしたルイニエナは、屋敷で干からびた姿のカラセオスと対面する事になった。
意識は殆どなく、辛うじて生命活動は維持している状態で、治療法も分からないという。同じ症状で倒れた者が、父と親しい族長にも居ると聞いた。
ジッテ家の血筋を引く親族はもはやルイニエナだけ。
首都ソーマに『地区』を抱える一族の娘として、現状を放置しておくわけにはいかなくなったルイニエナは、ジッテ家当主代理として家に戻った。
ルイニエナが征服戦争に参加していた事で、首都ソーマ内でのジッテ家の立場も多少はマシになったと感じたが、どうにも屋敷内の家令や使用人達と噛み合わない。
別に侮られたり蔑ろにされている訳ではなかったが、何か掛け違えているような違和感を覚えていた。
そんな居辛さを感じていたルイニエナは、魔王ヴァイルガリンの勅令で勇者討伐の非常呼集が掛かった際、これ幸いと家の事を家令達に任せて征伐軍の遠征に参加した。
勇者が見つからず、引き続き捜索する為の駐留征伐隊を残して本隊が撤退した後も、家に帰り辛いルイニエナはこの地に留まった。
「……ふう」
少し溜め息を吐いて緊張を解す。いつもだらしなく怠けている野営地の部下達が、珍しく整列などして迎えようとしている。
北門跡前で待機する彼を『勇者』に関係する人物と判断したのだろう。
慈から手紙の握り潰しや横領の話など、過去の時間にあった出来事――自身の救護隊時代に裏で起きていた真実を聞いて、ルイニエナは実家に帰ってからの違和感に納得がいった。
自分は父に見捨てられたと思っていたが、実家の屋敷に居た者達は皆が、父カラセオスはずっと娘の事を心配していたと知っている。
出征してから便りも出さず、戦争が終わっても帰還せず、睡魔の刻の時期が来てさえも戻らなかった戦場渡りの令嬢。
そんなルイニエナが、反ヴァイルガリン派の族長ばかりが掛かるあからさまな『奇病』にカラセオスが倒れたタイミングで帰って来た。
現魔王派と何か取り引きでもあったのかと邪推するも、特に何をするでも無く、言うでも無く。
当主代理としてジッテ家の維持や『地区』の管理に勤しむ、以前と変わらぬ控えめな令嬢の姿に、使用人達も困惑していたのだろう、と今なら分かる。
(私に負い目の気持ちがあったから、屋敷の皆ときちんと向き合う事をしなかった)
慈の話では、ジッテ家の使用人には裏切り者が居たそうなので、カラセオスの『奇病』はヴァイルガリン派か、魔王当人にしてやられた可能性がある。
(今度は間違えない。父を救う為、父を支えてくれていた皆に報いる為にも、私は彼を利用する)
駐留征伐部隊の野営地に戻ったルイニエナは、整列した部下達に出迎えられた。
「副長、お疲れ様です!」
「補佐官殿がまだ戻られておりませんが……」
ちらちらと視線が向かう先。廃都の入り口に佇む若い人間の事を気にしながら声を掛けて来る部下達に、ルイニエナは告げる。
「ファーナ補佐官は戦死した」
「へ?」
「いきなりですまない。私は今後、あそこにいる彼――勇者と行動を共にする事にした」
「は……? え……?」
困惑している部下達に、ルイニエナは現魔王ヴァイルガリンを正当な主君として認めてはいない事を、ジッテ家当主代理として明言する。
「諸君らの中に志を同じくする者があれば、共に来る事を許そう」
突然の謀反宣言にしばし騒然としていた駐留征伐隊の兵士達は、大いに戸惑いながらも事情を問い質す。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ副長! 急にそんな事言われてもっ」
「一体何があったんです?」
「ズレていた歯車が戻っただけだ。うちは元より現魔王に忠誠を誓っていないのでな」
既に雌雄は決しているとはいえ、魔族国ヒルキエラの首都ソーマ内にも、ヴァイルガリンを正当な魔王と認めていない勢力は存在する。
ジッテ家は常に中立を謳っていたが、他の穏健派と見做されていた一族と同様に処置を被ったのだ。
反撃の機会が巡って来たうえに相応の理由が示されたならば、動くしかない。
回復系の術士ゆえに直接的な戦闘そのものは経験不足気味ながらも、ここ数十年間、戦いの場に身を置き続けて来たルイニエナは、やや好戦的な性格になっていた。
「ただ、この隊の皆には世話になったからな。一応声を掛けて行こうと思ったのだ」
そうして今一度問う。志を同じくするなら共に行くか? と。
征伐軍が出されて間もない頃だったならともかく、今やこの駐留征伐隊は左遷部隊と揶揄されるほど中央と出世からは遠い末端も末端。
ここに配属されている時点で、中央の者達から疎まれているか、何かしら問題ありと見做されているか。或いは単に使えない者の棄て置き場として放置されているか、である。
部隊に未練も思い入れも無いのであれば、誘っても問題あるまい。
「副長殿は……もしかして解放軍と合流するおつもりですか?」
人間側にも独立解放軍を名乗り、組織だって活動している戦闘集団が存在する。
魔族軍の正規部隊と戦えるほどの力も規模もないが、敵対勢力としてそれなりに警戒される程度の脅威度と組織力は有していると聞く。
「それは彼次第だ。ここを発ってからどう動くのか、私にもまだ分からない」
大まかな予定しか知らされていないルイニエナは、全て『勇者』の意向に従うと表明してみせた。彼女の言葉と強い瞳の圧から決意の固さを察した征伐隊の兵士達は、顔を見合わせて相談する。
この廃都前の野営地で日々適当に過ごしていた昼行燈な兵士達は、元々祖国や魔王に対する忠誠心も薄い。
何せ部隊長からして不便な野営地で過ごすのを嫌い、何かと理由を付けて近くの街へ出向いたまま戻って来ない有り様だ。
部隊から出奔する者がいても、『食い扶持が浮いたな』くらいにしか思われない。
補佐官が殉職して副長まで居なくなった場合、指揮官不在で部隊が維持できない為、部隊長が引き篭もっている旧オーヴィスの国境の街クレッセンまで引き揚げる事になる。
「……まあ、いいんじゃないか? ジッテ家と現魔王派の確執は前からだったし」
「流石に副長達に付いて行くのは無理だけどな」
「どうせ辺境でだらだら過ごすのは変わらないさ」
そんな調子で話が纏まったらしく、駐留征伐隊の兵士達は同行する者こそ居なかったが、皆がジッテ家当主代理ルイニエナ嬢の新たな旅立ちを応援する事にしたようだ。
「そうか」
ルイニエナは彼等の答えに頷くと、北門跡前の慈に合図を送りながら続けた。
「それと、すまない。ヴァイルガリンに忠誠を立てている者や、監視役として部隊に交じっている者はここで消えて貰う。まだ勇者の存在と私達の動向を知られる訳にはいかないから」
その瞬間、一部の兵士から殺気が膨れ上がった。それを感じ取った昼行燈組の兵士達がぎょっとなって距離を取る。
「全員その場から動くな! 本部隊に謀反企ての嫌疑が掛かった!」
「ルイニエナ・ジッテ副長! 貴殿の言動は我が国に叛意有りと見做せるものである!」
「要監視対象に反逆の意志を確認。粛清相当と判断。これより執行す」
「うげっ、こいつら督戦官かよ!」
「粛清隊まで入り込んでたのか……」
普段からギャンブルにも応じず、代わり映えしない廃墟の巡回任務に励む生真面目な勤労隊員が居ると思ったら、上が絡む監視役の番犬だったかと、不真面目隊員筆頭が舌を出す。
素早く部隊を掌握してルイニエナを取り囲もうとした督戦官と粛清隊員は、彼女の後方から迫る巨大な白い光の壁に気が付いて足を止めた。
「!? なんだ、あ――」
ルイニエナの正面にいた先頭の督戦官が、言葉の途中で光に飲まれて消え去った。
何が起きたのかを悟らせる間もなく通過していった巨大光壁は、野営地にいる全ての魔族兵士達を飲み込み、特定の者だけを消し飛ばした。
ガランガランと音を立てて、消失した者達が装備していた武器や防具が地に落ちる。僅か数瞬の出来事であった。
「ふ、副長、今のは何です?」
「彼の力だ。敵対する相手だけを消失させるらしい。馴染みある諸君らが敵にならなくて良かったよ」
と、本国に連絡が行かないよう目撃者を排除した旨をルイニエナが告げると、その意味を正しく理解した駐留征伐隊の兵士達は、皆で口を噤む事を示し合わせた。
クレッセンの街まで撤収する事は変わらないが、ノンビリ移動して部隊長にはゆっくり報告する。内容も補佐官と副長が数名の部下と共に行方不明になったとだけ伝える予定だそうな。
「ほんとうにすまないな」
「いえいえ。俺達も副長の御目溢しには世話になってましたから」
「正直、今の魔王様が説く闘争志向論とか、なんだかなぁって思ってたんすよね」
「俺、人間の街のゆるい雰囲気が好きだったのに、今はどこもかしこも殺伐としてて哀しかったんですよ」
「勇者と人間勢力を復興させて世を変えるつもりなら、影ながら応援してます」
部隊の兵糧から当面の旅に必要な物資を分けて貰ったルイニエナは、そんな励ましの言葉まで受けて少し面食らいながら送り出された。
野営地を畳み始めた元部下達を尻目に、ルイニエナは廃都の北門跡前に向かう。そこで待っていた慈と合流する。
「おつかれ」
「こんなにも和やかな出奔になるとは思わなかったよ」
ファーナの突剣杖を弄りながら出迎えた慈に、ルイニエナは物資の詰まった鞄を渡しながら肩を竦めて見せた。
鞄を受け取った慈はそれを背負いながら言う。
「それだけ信頼関係が出来てたって事だろ? 良い事じゃないか」
「良い事……なのだろうか」
慈に過去の真実と力を示されて、現魔王ヴァイルガリンを討つ決意をしたルイニエナだったが、これが個人的な事情による祖国への裏切り行為である事は明白だ。
「己が名誉と復讐の為の決起か。あまり誇れる事ではないのかもしれんな……」
「そうか? 相手が簒奪者なら裏切りどころか、救国の英雄だろ」
自嘲を孕んだルイニエナの呟きを、慈は一蹴するように言い放った。流石にその発想は無かったと目を丸くするルイニエナ。
「救国の英雄か。随分御大層な肩書きを背負う事になるな」
「俺なんか人類の救世主だぞ」
過去の時間軸で人類を救った異界の勇者は、本来の時間軸でも遅れて救世の旅に出る。
「じゃ、行こうか」
「うむ。まずは何処へ向かう?」
「カルモアの街ってまだ残ってるかな。裏街道の先にある国境付近の辺境の街なんだけど」
「ああ、あそこならオーヴィスが陥落した後に無血開城したから、ほぼ無傷で残っているぞ」
過去の時間軸では、慈とルイニエナが初めて顔を合わせた街だ。道中に点在する村々も健在との事なので、そこで情報収集をしつつカルモアを目指す。
今後の予定を話し合いながら、慈とルイニエナは廃都跡を出発するのだった。
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