ZERO〜訳ありオメガ、軍人アルファに囲われて幸せになります〜

犬っころ

文字の大きさ
62 / 101
四章

65

しおりを挟む
コン、コン──
 廊下に響いたのは、戸惑いのにじむ、弱々しいノックの音だった。

 数秒、静寂。
 返事はない。

 その沈黙に、看護師の眉が微かに動く。

 「……御影くん、入りますね」

 小さく声をかけながらも、彼女の手はすでにドアノブに添えられていた。
 何かが──ほんの僅かな違和感が、彼女の警戒心を揺らしていた。
 それは職務上の義務以上に、かつて“患者”に怯え、注射針を取り落とし、震えた自身へのリベンジでもあった。

 彼女はまだ若い。
 けれどこの数週間、クレイン中佐の背を追うように、必死に仕事を覚えてきた。
 目を逸らさずに、冷たく拒絶する患者の前に立ち、何度叱られても、逃げなかった。

 その彼女が、今、無反応の病室のドアを開けた。

 いつもならノックをすれば、鋭く切り返す声が返ってくる。

 「誰だ。呼んだ覚えは無い」

 氷のような眼差しとともに、いつもそう返される。

 ──だが、今日は違った。

 静かすぎる部屋の中に、一瞬だけ安堵が走る。
 奏は、いつものようにベッドに横たわっている。
 毛布は肩までかけられ、眠っている。

一見、静かな“眠り”のように見えた。

 けれど彼女はすぐに異変に気がついた。
 胸の上下が、あまりに浅く、あまりに早い。
 微細な呼吸のリズムが、一定ではなかった。

 「……御影くん?」

 声をかける。
 近づく。
 耳元で、もう一度呼びかける。

 「御影奏くん、わかりますか?」

 まったく反応はなかった。

 その瞬間、背筋に冷たい電流が走る。
 彼女の動作は、迷いを捨てて一気に加速した。

 「W03、患者さんが失神しています。至急、クレイン中佐に連絡を!」

 ナースコールを押しながら叫ぶ声は、わずかに震えていた。
 でも、もうあの頃のように手は止まらない。

 すぐさま手袋を装着し、バイタルを確認するための機器をベッドサイドに引き寄せる。
 手は覚束ない。だが確実に動いていた。

 体温。異様に高い。
 顔は赤く、だがその赤みは“熱”というより“酒”の色だった。

 彼女は一瞬、息を呑んだ。

 ──酒?

 点滴がまだ刺さったままだ。
 アルコールと点滴の併用は、最悪、循環不全や呼吸抑制を引き起こす。
 急性アルコール中毒のリスクもある。

 「……なんでこんな匂い……」

彼女が当たりを見回すと度数の高い缶チューハイが空になった状態で置かれていた。そしてガーバーの包み紙。

 額に汗を浮かべながら、呼吸の確認を続けていた彼女の背後に、急ぎ足の足音が迫る。
 扉がノックもなく開かれる。

 「失礼します! 当直です!」

 先に入ってきたのは当直の軍医。
 その後ろから、熟練の看護師が2人、迅速かつ無言で機器を運び入れてくる。
看護師は缶チューハイとバーガーに気が付き、アイコンタクトを取るとそれをそのまま密閉された袋に入れた。

 「患者W03・御影奏さん、意識混濁あり。点滴刺入状態で昏睡。アルコール臭強く、ハンバーなどの無断摂食あり。現時点で嘔吐・痙攣・失禁の所見はなし。呼吸は浅く不規則、酸素飽和度90%」

 短く、簡潔に報告をまとめる軍医の声を、彼女はどこか遠くに聞いていた。

 奏は、すでにストレッチャーに移され、点滴ごと慎重に身体が固定されていく。
 サチュレーションが再度測定され、酸素マスクが装着された。

 その光景を、彼女はただ、呆然と見つめていた。

 いつもは冷たく、言葉の一つすら許されなかった少年が、今、自分の手の届かないところで昏睡している。
 それを見て、何もできなかった自分がいる。

  そして──叩き起こされるであろう、ある男の姿が浮かんだ。
 夜勤明けでようやく眠りについたばかりの、クレイン中佐。

 報告が届いた時、あの男はどんな顔をするだろうか。

考えただけで背筋が凍る

 彼女は、静かに唇を噛みしめた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

秘匿された第十王子は悪態をつく

なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。 第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。 第十王子の姿を知る者はほとんどいない。 後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。 秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。 ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。 少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。 ノアが秘匿される理由。 十人の妃。 ユリウスを知る渡り人のマホ。 二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。

囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ
BL
【理知的美形王子×痛みを知らない異能王子】  触れた人の痛みは感じても、自分の痛みに気づけない──そんな異能を持つ王子カシュアは、政略結婚で嫁いだ異国で幽閉され、四年間忘れられていた。  彼が再び人前に姿を現したのは、クーデターの混乱のさなか。そして、存在を持て余された末、次期宰相である王子との再婚が決まる。  冷静で無口な王子が、なぜかカシュアにだけは優しいのは、かつて彼が妖精物語に恋をした少年だったから――不器用な王子とともに、愛をたしかめ合うストーリー。※2025/11/26第三部スタート

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話

須宮りんこ
BL
【あらすじ】 高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。 二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。 そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。 青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。 けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――? ※本編完結済み。後日談連載中。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

処理中です...