ひとすじの想い

月夜野 すみれ

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第七章

第七章 第三話

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 水緒に苦労を掛けた挙げ句、早死にさせてしまうのでは山奥に行く意味がない。
 桐崎の家は生活に困ってないから水緒は本来なら水茶屋で働く必要はないらしい。
 水緒が働きたいというから好きにさせているだけで、報酬として貰っている金は小遣いにしているから身の危険を感じたらめさせて家に置いておけば安全だし、それで食うに困るという事もない。

 流の剣術の腕が上がって桐崎の稽古場を継ぎ、水緒を家にいさせれば危険な目にも遭わず苦労もさせずに済むのだ。
 それなら今すぐ辞めさせれば稽古が終わった後は毎日ずっと一緒に過ごせるのだが水緒が水茶屋での出来事を話しているのを聞いていると流の我儘で楽しみを奪うわけにもいかないと思ってしまう。

 それは桐崎も同じらしく、本来武家の娘という事にしている水緒が水茶屋で働くことを許しているのは無理に止めると掃除や洗濯など使用人にさせているような家事をし始めそうだったから今だけという事で認めているらしい。

 武家に嫁ぐことが決まったら水茶屋はめさせるとのことだった。
 言うまでもなく、鬼や破落戸に狙われて危険だと思えば嫁ぐ前であっても辞めさせて家から出さないようにする。
 水緒の小遣い程度なら桐崎が出せるから危険を冒してまで働く必要はないからだ。

 つまり流が腕を上げて桐崎の稽古場を継ぎ、水緒を嫁にもらえば山奥に行くまでもなく望みは叶う。
 桐崎は流と人間との間に子供を作らせるわけにはいかないと言っていたから稽古場の跡を継ぐのはともかく水緒を嫁にするのは認めてくれないだろうが。

 流が内心で溜息をいた時、水緒が店から出てきた。
 一緒に歩き出すと、
「流ちゃん、保科さんと会った?」
 と訊ねられた。
「保科?」
 流は水緒を振り返った。
「うん、さっき見掛けたの、保科さんだと思うんだけど……」
 水緒が働いている時、外を通り掛かった者が保科に似ていたというのだ。
 仕事中だったし、すぐに人混みに紛れてしまったので声は掛けられなかったという。
 つねも見掛けたと言っていたから本当にこの辺りにいるのかもしれない。

 水緒は保科のことを悪く言っていなかったが、その辺については水緒の言葉は当てにならない。
 破落戸のことすら悪く言わないのだから一緒に暮らしていたことがあって勉強も教えてくれた保科に対して悪い感情は持っていないだろう。
 だが流が記憶を失って目覚めた時の保科はどう考えても水緒を心良く思っていないようだった。
 水緒は供部なのだから鬼に対する警戒を解くわけにはいかない。

 自分が人間で、水緒が供部でなければ二人で静かに暮らしていけたのだろうか……。

 次の日、水緒が働いている水茶屋に着いてから、そう言えば今日はつねが来なかったと気付いた。
 来なくても気付かないくらいなら、やはりセミと同じでても邪魔にはならないということだが、いてもいなくても同じならどっちでもいい。
 強いて言うなら、つねがない方が水緒にとっては危険が少ないという程度だ。

「流ちゃん、着いたよ」
 水緒はそう言って立ち止まった。
 木々の葉は赤や黄色に染まっている。
 もっとも紅葉していない木も結構多いから見に来る人が少ないようだ。
 名所と言われる場所は一面赤や黄色に紅葉しているらしい。

 なんとなく記憶を失う前に流がいた場所より暑い日が長かったような気がしたから水緒に聞いてみたら江戸は平地だから山の上より秋が来るのが遅くて春になるのは早いとのことだった。
 水緒と流が出会った場所がどこなのかはっきりとは分からないらしい。

 桐崎と知り合ったのは妻籠宿の近くらしいが二人が暮らしていたところからそこまで何日も掛かったし、妻籠宿の近くにいたのは偶々で、山の中から真っ直ぐにそこを目指して進んでいたわけではない為どのくらい離れていたのかは分からないという話だ。
 桐崎と会ってからは中仙道を東に向かって江戸にやってきたらしい。
 なので水緒に分かるのは江戸より西に住んでいたと言う事だけだ。
 桐崎も山奥の小さな村の場所など知らない。
 そのため水緒と同じく二人がいたのは西の方としか言えないようだ。

 そもそも流はずっと同じ場所に住んでいたわけではなく、鬼に襲われる度に移動していた。
 何年もそんな状態だったから母と暮らしていたところから相当離れていたとしてもおかしくはない。
 だから流がどこから来たのかは知りようがない。
 流の母親が一族と一緒に暮らしていたとしても、成斥族という一族は聞いた事もないからどこに住んでいたのか桐崎にも見当が付かないらしい。

 流と水緒は倒れた木に並んで座ると水緒が作った弁当を開いた。
 弁当なのに手の込んだおかずが沢山あった。

「上手そうだな」
 家で食べているのとは少し違う料理だし、こういうものが食えるなら毎日紅葉狩りに来てもいいくらいだ。
「流ちゃんが好きだったもの一杯作ったの。もしかしたら何か思い出せるかもしれないと思って」
「そうか」
 水緒がわざわざ流のために作ってくれたと思うと嬉しくなった。

 流は早速料理を食い始めた。
 桐崎は記憶を失う前の流は水緒に夢中だったから物忘れで水緒への想いが無くなったのは良い機会だからと引き離そうとしたようだがどうせまた惚れてしまったのだ。
 記憶が戻った所で今更だろう。

 水緒がいなくなったら自分も生きていたくないと考える程になってしまったのだから更に想いが深まったところで大した違いはない。
 それなら水緒と一緒に過ごした五年間を思い出したい。

 人間の寿命が短いというのならその五年間は貴重な時間だ。
 瞬きする間すら惜しいくらいなのだから。
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