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第一章 天満夕輝
第五話
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そうだ、今が江戸時代ならあのこと聞いておかないと。
「この子はミケだよ」
お峰が三毛猫を抱き上げて言った。
「あの、生類憐れみの令って……」
「生類憐れみの令? それならとっくになくなったぜ」
「聞いてなかったのかい?」
「御触は町役人が徹底するはずじゃねぇか」
「高札場に張り出されたんなら見てなかったんだと……」
夕輝が小さい声で言い訳した。
「いや、そういう大事なことは高札場じゃなくて町役人が直接教えるもんだぜ」
平助が言った。
「でねぇと字が読めねぇヤツに徹底できねぇからな」
それもそうだ。
「『えど』以外のところでは違うのかね」
「んなたねぇだろ。お前ぇの住んでたとこ、田舎っつーより人里離れた山奥って感じだな」
まさか世界有数の大都市ですとは言えなかった。
それにしても、江戸時代の知識が幼稚園の頃、祖母と一緒にTVで観た遠山の金さんと水戸黄門だけの自分が、この時代で上手くやっていけるんだろうか……。
暴れん坊将軍の名前も知らないしなぁ……。
日本の歴史は小学校のときに習ったが、江戸時代に辿り着く前に三学期が終わってしまったので、夕輝の日本史の知識は室町時代で止まっていた。
翌朝、お峰と共に髪結床へ言って月代を剃った。
人別帳に入ってないと剃ってもらえないのではないかと訊ねると、平助が店請をしてくれたらしい。
店請というのは身元保証のことだそうだ。
月代を剃ったせいか頭の天辺がすーすーする。
こんな天辺だけ剃った頭で現代に帰ったらどう思われるだろう。
髪結床から帰るとお峰が家の中を案内してくれた。
後ろから平助と伍助がついてくる。
伍助は夕辺どこかへ帰っていったから、ここに住んでいるのではないはずだが今朝も朝餉を一緒に食べていた。
御用聞きってそんなに暇なのか?
夕輝はお峰が用意してくれた着物を着ていた。
褌の付け方から帯の結び方まで教わってようやく着られた。
「そこが井戸で、あれが手水場」
「あの、トイレは……」
室内にはなかったから外にあるはずである。
そこらの物陰でするのでないなら住居の近くにあるはずだ。
「戸入れ? 押し入れのことかい?」
「いえ、そうじゃなくて……えっと、お便所?」
「なんでぇ、厠のことかい」
「だから手水場はそこだって。我慢してたのかい? 行っといで。お小水が右で大きい方が左だよ」
手水場ってトイレのことだったのか。
「いえ、今はいいです」
「それにしても『お便所』ときたね」
「そういえば、京がどうとか言ってたし、もしかしてお公家さんじゃないのかい。話し方もゆっくりっていうかおっとりしてるし」
公家って言うとおじゃる丸か。
おじゃる丸って観たことないんだよな。
観てれば公家の振りが出来たんだろうか。
適当に「麻呂は~」とか「~でおじゃる」とか言って……も通用しないか。
「公家ってのは髷を結わねぇのかい」
「それは知らないよ。お公家さんなんて会ったこともないもの」
「あ、公家じゃないです」
三人のマシンガントークに隙を見つけて答えた。
「違うって事は分かんだな。お前ぇ、ホントに物忘れなのかい」
「えっと……」
「えっと、えっとってはっきりしねぇな!」
平助の苛立った言葉に、
「すみません」
夕輝は頭を下げた。
「まぁまぁ、話したくねぇことぁは話さなくていいじゃねぇか」
話したくないわけではないが、話が通じるとも思えなかった。
どうやらここは昔の東京らしい。
しかし、浦島太郎の逆バージョンなんて言えるわけがない。
頭がおかしいと思われるのがオチだ。
夕輝にはここに知り合いはいない。
見知らぬ世界でこの人達に見捨てられたらどうしていいのか分からない。
帰れるまではこの人達の親切にすがるしかないのだ。
浦島太郎か……。
竜宮城でしばらく過ごしたら現代に戻ってた、なんてことにはならないだろうか。
玉手箱は送ってくれた亀にあげよう。
「そっちは湯屋だよ」
お峰が廊下の突き当たりを指した。
確かにお湯というかお風呂の匂いがする。
「うちは湯屋だから入り放題だぜ」
「湯屋も見とくかい?」
「はい」
お峰について湯屋に入った。
「ここは峰湯って言うんだよ」
板の間には壁に沿って衣装棚が取り付けられており、中央の壁に二階へ上がる階段があった。
衣装棚の上の壁に何か書いた紙が貼ってあった。
……読めない。
いわゆる草書とか行書とか言う字体だ。
日本語の筆記体も読めるように勉強しておけば良かった。
お祖母ちゃんもこんな字書いてたよな。
母さんが、達筆すぎて読めないって言ったら、今時の嫁は、とか何とかって言ってたっけ。
こんなことになるならお祖母ちゃんに習っておけば良かった。
「読めるかい?」
「読めません」
夕輝は素直に認めた。
「字が汚くて読めねぇのかい。それとも字ぃそのものが読めねぇのかい」
お峰が、なんだい字が汚いだなんて嫌だねぇ、と言った。
どうやらお峰が書いた字らしい。
「楷書なら読めるんですけど……。字が汚いとかじゃなくて、この……草書? 行書? が読めないんです」
そうか、江戸時代は字体も違うのか。
てことは、この時代にしばらくいるなら字を習うところから始めなければならないと言うことだ。
「お前ぇんとこは字が違ったのかい」
「はい」
「へぇ」
「国によって字が違うんだねぇ」
国?
と思ったが、江戸時代は各藩が国という概念だったんだと思い出した。
そういえば……。
「あの、今は何月なんですか?」
「菖蒲月だぜ」
菖蒲月?
「それは何月なんですか?」
「だから菖蒲月だっつってんだろ」
「えっと……お正月が最初の月ですよね?」
「おう」
「そこから数えて何番目ですか?」
「正月が初春月だろ、次が梅見月、桜月、卯の花月、菖蒲月だから、五番目だな」
五月って事か。
当然旧暦だろうが、ここへ来る前は四月だったから、季節に関してはほぼ変わらないようだ。
しかし、初春月だの、梅見月だの、月の名前も改めて覚えなきゃなんないのか。
でも、昔の月の数え方って睦月とか如月とかじゃなかったっけ?
まぁ、そっちも覚えてなかったからどちらにしても覚える必要があるのだが。
「この子はミケだよ」
お峰が三毛猫を抱き上げて言った。
「あの、生類憐れみの令って……」
「生類憐れみの令? それならとっくになくなったぜ」
「聞いてなかったのかい?」
「御触は町役人が徹底するはずじゃねぇか」
「高札場に張り出されたんなら見てなかったんだと……」
夕輝が小さい声で言い訳した。
「いや、そういう大事なことは高札場じゃなくて町役人が直接教えるもんだぜ」
平助が言った。
「でねぇと字が読めねぇヤツに徹底できねぇからな」
それもそうだ。
「『えど』以外のところでは違うのかね」
「んなたねぇだろ。お前ぇの住んでたとこ、田舎っつーより人里離れた山奥って感じだな」
まさか世界有数の大都市ですとは言えなかった。
それにしても、江戸時代の知識が幼稚園の頃、祖母と一緒にTVで観た遠山の金さんと水戸黄門だけの自分が、この時代で上手くやっていけるんだろうか……。
暴れん坊将軍の名前も知らないしなぁ……。
日本の歴史は小学校のときに習ったが、江戸時代に辿り着く前に三学期が終わってしまったので、夕輝の日本史の知識は室町時代で止まっていた。
翌朝、お峰と共に髪結床へ言って月代を剃った。
人別帳に入ってないと剃ってもらえないのではないかと訊ねると、平助が店請をしてくれたらしい。
店請というのは身元保証のことだそうだ。
月代を剃ったせいか頭の天辺がすーすーする。
こんな天辺だけ剃った頭で現代に帰ったらどう思われるだろう。
髪結床から帰るとお峰が家の中を案内してくれた。
後ろから平助と伍助がついてくる。
伍助は夕辺どこかへ帰っていったから、ここに住んでいるのではないはずだが今朝も朝餉を一緒に食べていた。
御用聞きってそんなに暇なのか?
夕輝はお峰が用意してくれた着物を着ていた。
褌の付け方から帯の結び方まで教わってようやく着られた。
「そこが井戸で、あれが手水場」
「あの、トイレは……」
室内にはなかったから外にあるはずである。
そこらの物陰でするのでないなら住居の近くにあるはずだ。
「戸入れ? 押し入れのことかい?」
「いえ、そうじゃなくて……えっと、お便所?」
「なんでぇ、厠のことかい」
「だから手水場はそこだって。我慢してたのかい? 行っといで。お小水が右で大きい方が左だよ」
手水場ってトイレのことだったのか。
「いえ、今はいいです」
「それにしても『お便所』ときたね」
「そういえば、京がどうとか言ってたし、もしかしてお公家さんじゃないのかい。話し方もゆっくりっていうかおっとりしてるし」
公家って言うとおじゃる丸か。
おじゃる丸って観たことないんだよな。
観てれば公家の振りが出来たんだろうか。
適当に「麻呂は~」とか「~でおじゃる」とか言って……も通用しないか。
「公家ってのは髷を結わねぇのかい」
「それは知らないよ。お公家さんなんて会ったこともないもの」
「あ、公家じゃないです」
三人のマシンガントークに隙を見つけて答えた。
「違うって事は分かんだな。お前ぇ、ホントに物忘れなのかい」
「えっと……」
「えっと、えっとってはっきりしねぇな!」
平助の苛立った言葉に、
「すみません」
夕輝は頭を下げた。
「まぁまぁ、話したくねぇことぁは話さなくていいじゃねぇか」
話したくないわけではないが、話が通じるとも思えなかった。
どうやらここは昔の東京らしい。
しかし、浦島太郎の逆バージョンなんて言えるわけがない。
頭がおかしいと思われるのがオチだ。
夕輝にはここに知り合いはいない。
見知らぬ世界でこの人達に見捨てられたらどうしていいのか分からない。
帰れるまではこの人達の親切にすがるしかないのだ。
浦島太郎か……。
竜宮城でしばらく過ごしたら現代に戻ってた、なんてことにはならないだろうか。
玉手箱は送ってくれた亀にあげよう。
「そっちは湯屋だよ」
お峰が廊下の突き当たりを指した。
確かにお湯というかお風呂の匂いがする。
「うちは湯屋だから入り放題だぜ」
「湯屋も見とくかい?」
「はい」
お峰について湯屋に入った。
「ここは峰湯って言うんだよ」
板の間には壁に沿って衣装棚が取り付けられており、中央の壁に二階へ上がる階段があった。
衣装棚の上の壁に何か書いた紙が貼ってあった。
……読めない。
いわゆる草書とか行書とか言う字体だ。
日本語の筆記体も読めるように勉強しておけば良かった。
お祖母ちゃんもこんな字書いてたよな。
母さんが、達筆すぎて読めないって言ったら、今時の嫁は、とか何とかって言ってたっけ。
こんなことになるならお祖母ちゃんに習っておけば良かった。
「読めるかい?」
「読めません」
夕輝は素直に認めた。
「字が汚くて読めねぇのかい。それとも字ぃそのものが読めねぇのかい」
お峰が、なんだい字が汚いだなんて嫌だねぇ、と言った。
どうやらお峰が書いた字らしい。
「楷書なら読めるんですけど……。字が汚いとかじゃなくて、この……草書? 行書? が読めないんです」
そうか、江戸時代は字体も違うのか。
てことは、この時代にしばらくいるなら字を習うところから始めなければならないと言うことだ。
「お前ぇんとこは字が違ったのかい」
「はい」
「へぇ」
「国によって字が違うんだねぇ」
国?
と思ったが、江戸時代は各藩が国という概念だったんだと思い出した。
そういえば……。
「あの、今は何月なんですか?」
「菖蒲月だぜ」
菖蒲月?
「それは何月なんですか?」
「だから菖蒲月だっつってんだろ」
「えっと……お正月が最初の月ですよね?」
「おう」
「そこから数えて何番目ですか?」
「正月が初春月だろ、次が梅見月、桜月、卯の花月、菖蒲月だから、五番目だな」
五月って事か。
当然旧暦だろうが、ここへ来る前は四月だったから、季節に関してはほぼ変わらないようだ。
しかし、初春月だの、梅見月だの、月の名前も改めて覚えなきゃなんないのか。
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