赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第二章 太一

第一話

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 稽古場からの帰り道。
 浅草橋を渡っているとき、神田川を覗き込んでいる赤い華やかな着物を着た娘が気になって足を止めた。

 ちょっと身を乗り出し過ぎなんじゃないか?

 声をかけるべきか迷っていると、向こうからお花がやって来た。

「あれ、夕ちゃん」
「あ、お花さん。こんにちは」
 そう言って頭を下げたとき、娘の身体が欄干を乗り越えた。

 娘が水面に落ちる前に、夕輝も荷物を放り出すと欄干から飛び降りた。

「夕ちゃん!」
 お花が叫んで欄干から身を乗り出した。

 夕輝は泳いで近付くと、娘を後ろから抱きかかえ、顎を上げさせながら立ち泳ぎで辺りを見回した。
 娘はもがいていて、気を抜くと水に引き込まれそうになる。
 ただでさえ、着物が纏わり付いて泳ぎづらいのだ。
 前から近付いていたら道連れにされて溺れていただろう。

 水はかなり冷たかった。
 どんどん体温を奪われていく。
 あまり長く泳いでいるのは無理だ。

 川を行き交っていた船が何艘か近づいてきた。
 夕輝はそのうちの一番近い一艘に娘の身体を差し出した。
 船頭が娘を引き上げる。
 続いて夕輝の身体も引っ張り上げられた。

 船頭は二人を引き上げると川岸の小さな桟橋に送ってくれた。
 桟橋ではお花が夕輝の荷物を持って待っていた。
 その後ろに沢山の野次馬がいる。
 上を見ると、欄干からも大勢が覗き込んでいた。

「船頭さん、有難うございました」
 夕輝が頭を下げると、船頭は頷いて船を出した。
「夕ちゃん、大丈夫かい」
「はい。心配かけてすみません」
「あんたは大丈夫かい?」
 お花が娘に声をかけた。

「死なせてください!」
 そう言って娘が川に身を乗り出そうとする。
「ちょ、ちょっと!」
 夕輝とお花が慌てて娘の身体を押さえる。
「とにかく、着物を乾かさなきゃね。二人ともずぶ濡れだよ。夕ちゃんも髪を何とかしないと」
 夕輝ははっとして頭に手をやった。
「あ! 付け鬢!」
 その言葉に、娘は夕輝に髷がないのに気付いたようだ。夕輝の頭をじっと見ている。
「お花さん、すみません!」
 夕輝は慌てて頭を下げた。

「何とかしてお金を稼いで買って返しますので……」
「何言ってんだい。人助けして無くしたんだよ。甚兵衛さんだって怒りゃしないよ」
「でも……」
「いいからいいから。あたしに任せときな」
「すみません。有難うございます」
 夕輝はますます恐縮して再び頭を下げた。

「とにかく、着替えないと……」
「あなた、無宿者なの?」
「え?」
 娘の言葉に振り返った。

「いや、違うよ……多分」
「何言ってんだい! 多分じゃないだろ! あんたのうちは峰湯じゃないか! ちゃんとそう言わなきゃお峰さんや平助さんが悲しむよ!」
「すみません」
 夕輝は三度頭を下げた。

 お花は夕輝の腕を掴んで娘の方を向くと、
「この人は無宿者なんかじゃないよ! うちの人を助けてくれたし、あんたのことも助けた、立派な人だよ!」
 と、まくし立てた。
「すみません」
 娘は震えながら頭を下げた。

 震えているのは寒いからだろう。
 唇が青くなっている。
 夕輝も寒くて震えていた。
 まだこの季節は水が冷たい。

 二人が震えてるのに気付いたお花は、
「とにかく早く着物を乾かさなきゃね」
 と言った。
「ここからなら峰湯が近いから……」
 言いかけた夕輝の言葉を、
「峰湯って、馬喰町の親分さんがやってるところですか?」
 娘が遮った。

「そうだけど」
「お上に知られるわけにはいきません。このまま死なせてください!」
「待った待った!」
 夕輝は困り切ってお花と目を見合わせた。
「何か困ってるなら話を聞くから、まずは落ち着いて」
「じゃあ、ちょっと歩くけど、うちの長屋に来るといいよ」
「すみません」
 夕輝は頭を下げた。
 娘は俯いていた。

 長屋に着くと、すでに知らせが来ていたらしく、女達が乾いた着物を持って待ち構えていた。
 野次馬をしていた誰かが知らせてくれたのだろう。
 夕輝と娘は別々の部屋に連れて行かれ、着替えさせられた。
 付け鬢もちゃんと用意されていた。

「夕輝は大丈夫か!」
 夕輝が付け鬢を付けたとき、外で大きな声がした。

 平助さんだ!

 あの子はお上に知られたくないと言っていた。
 今、平助に会わせるのはまずい。
 夕輝は慌てて飛び出した。

 外に出ると平助と伍助がいた。

「平助さん、伍助さん」
 夕輝は小声で呼びかけた。
「おう、大丈夫だったか」
「はい」
「川に飛び込んだんだって? 泳げたのかい」
「はい」
「すげぇなぁ。剣術は出来るわ、泳げるわ」
 伍助が感心したように言った。
「普通は泳げないものなんですか?」
川並かわなみとかなら水練すいれんもするけど、普通はな。水辺で育ったんなら別だろうけどな」

 川並ってなんだろう。

 訊いてみると、深川の木場きばにいる筏師いかだしのことらしい。

「てこたぁ生国しょうこくは海がある国かね」

 海……。

 確かに東京は東京湾に面してはいる。
 東京都に面している東京湾の浅瀬で泳げるかは疑問だが。

「川かもしれねぇじゃねぇか」

 川もあるな。
 現代の隅田川や神田川で泳げるのか知らないけど。

「見事だったんだよ! 娘さんが飛び込んだと思ったらすぐにこの子も飛び込んでさ、近くにいた船の船頭より先に助けちゃって」
 お花が身振り手振りで興奮したように喋った。
「ほう。で、その娘ってなどこだい」
「あ、平助さん、その娘さんなんですけど、お上には知られたくないって言うんで、とりあえず事情を聞くまでは顔を見せない方がいいんじゃないかと」
「話ならお加代さんが聞いてるよ。こっちこっち」
 お花はお加代の部屋の前に連れて行った。
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