赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第一章 天満夕輝

第八話

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 夕輝は湯屋の手伝いが一段落したところで繊月丸を持ち出し、湯屋の裏手で素振りを始めた。
 一心に刀を振っている間だけは現代のこと――学校や家族――を忘れることが出来た。

「……き、夕輝、夕輝! おい!」
 平助の声に我に返った。
「あっ! すみません。なんですか?」
「こちらが俺に手札を渡してくださってる、北の御番所の同心の東藤治郎様だ」

 平助が一人の侍を紹介した。
 四十代半ばくらいか。
 黄色と黒の縞模様の着物に、黒い羽織を着て刀を二本腰に差していた。
 袴ははかず、羽織の裾を帯に挟んでいた。

「天満夕輝です。よろしくお願いします」
 夕輝は頭を下げた。
「これが刃引きの刀だ」
 東は使い込まれて古びた日本刀を差し出した。
「有難うございます」
 夕輝は頭を下げて受け取った。
「今夜は頼んだぜ」
 東はそう言うと帰って行った。

「平助さん、俺、もう少し素振りしてます」
「夕輝、剣術は好きかい?」
「はい」
 剣術じゃなくて剣道だけど。
「じゃあ、どっかの稽古場けいこばへでも通っちゃどうだい」
 稽古場というのは道場のことらしい。
「それは……」
「金の心配ぇならしなくていいぜ。俺の仕事を手伝ってんだ。お前ぇが強けりゃ、それだけ俺も安心ってもんだ」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
 確かに、捕り物の手伝いをするなら強ければ強いだけいいだろう。
「だからよ、俺ぁ親代わりなんだからそんなにかしこまらなくて……まぁ、いいか」

 平助がいなくなると、繊月丸が少女の姿になった。

「十六夜、どうして刀を借りるの? 私のこと嫌い?」
「そうじゃないよ。だけど、繊月丸を使ったら斬れちゃうだろ」
「斬れない方がいいの?」
「うん」
「じゃあ、刃引きになる」
「そうか。なら次から頼むよ」
「分かった」
 繊月丸は頷いた。

「あ、繊月丸」
「何?」
「あのさ、君が俺をここへ連れてきただろ」
「うん」
「じゃあ、俺を連れて帰ることは出来ないか?」
 繊月丸は小首をかしげてしばらく考え込んでから頭を振った。
「朔夜に言われた通りにしただけだから」
「そうか」
「十六夜、帰りたいの?」
「うん」
「そう」
 繊月丸は困ったような表情で俯いた。
「あ、繊月丸は気にしなくていいよ。俺が自分で何とかするから」
「分かった」

「あの方が与力の佐々木義太郎様だ」
 平助が言った。

 与力というのは同心の上役だそうだ。
 十人程の男達が集まっている中で、平助が一人の男を指した。
 黒い羽織袴に笠をかぶっている。
 羽織の下には剣道の防具のような黒いものをつけていた。
 羽織の後ろの裾の部分が割れていて、そこから腰に差した二本の刀が出ている。
 打裂羽織ぶっさきばおりというものだと平助が教えてくれた。
 打裂羽織の背中の裾が割れてるのは刀を通すためかと思ったが、馬に乗るとき邪魔にならないようにするためらしい。
 刀を差しても羽織の裾がめくれないようにというのもあるらしいが。

 後で聞いてみるとお峰に、
「あんたの筒袖つつそでの羽織もそうだろ」
 と言われた。

 筒袖の羽織……。
 制服のジャケットのことか。
 確かに背中の真ん中の裾が割れている。
 あれは馬に乗るためだったのか。

「あんたかい、この前ぇ助けてくれたのは」
 突然、見知らぬ男に声をかけられた。
 角張った顔に濃い眉が印象的だった。
「ありがとよ。あんたのおかげで命拾いしたぜ」
 頭を下げた男に、
「いえ、俺はそんな……」
 慌てて手を振った。
「俺ぁ正吾ってんだ。よろしく頼まぁ」
「よろしくお願いします」

 夕輝達は浅草寺の北に広がる畑にいた。
 浅草にだだっ広い畑があるなんて眩暈がしそうだ。
 少し離れたところに一軒家が建っていた。
 仕舞屋しもたやと言うそうだ。
 そこが捕り物の場所らしい。
 男の中には長い柄の武器らしきものを持っていた。先の方がU字型になっている。

 あれは刺又さすまただな。

 学校の安全教室で、刃物を持った不審者を取り押さえるときの道具として警官が持ってきたことがある。
 他にも先がT字型でとげとげが付いている長柄のものや、先の方にとげとげの付いている長柄のものもあった。
 T字型のものは「突棒つくぼう」と言うものだと平助が教えてくれた。
 先の方にとげとげが付いているのが「袖搦そでがらみ」といい、刺又、突棒とあわせて捕り物の三道具なんだそうだ。
 はしごを持ってるものもいる。
 はしごも捕り物道具らしい。

 伍助は蚊取線香を入れる豚の焼き物を大きくしたようなものを持っていた。

「これ、なんですか?」
龕灯がんどう提灯だ」
 どうやら提灯の一種らしい。
「おい、行くぞ」
 御用提灯が一斉に掲げられ、伍助は龕灯に火を入れた。
 龕灯は横に穴が開いていて、懐中電灯のように前を照らすことが出来る提灯だった。

「御用!」「御用!」

 夕輝は平助と共に目指す家に飛び込んだ。
 中で酒を飲んでいた男達が一斉に立ち上がった。
 五人のうち、一人は牢人のようだが、残り四人は町人のようだった。
 一人だけ刀を横に置いていたからそう判断しただけだが。
 五人とも、だらしない着物の着方からして真っ当な職業には就いてなさそうに見えた。
 陶器が倒れてぶつかる音が響く。
 行灯の近くにいた男が火を消した。

 一瞬暗くなったが、すぐに伍助達が龕灯で部屋の中を照らした。
 捕り方の一人が柱にL字型の杭を打ち込んだ。
 横棒の部分を柱に打ち込み、縦棒の部分にろうそくを立てる。
 打込燭台うちこみしょくだいという物だそうだ。
 男達が雨戸を蹴倒して庭に飛び出した。

 夕輝達が後に続く。
 牢人が近くにいた捕り物人足の一人に斬りかかった。

「待て!」
 夕輝は後ろから牢人の方に刀を振り下ろした。
 牢人が振り返って夕輝の刀を受けた。
 青い火花が散った。
 夕輝と牢人は二の太刀を繰り出した。
 夕輝は小手に、牢人が胴に。
 夕輝の刀が牢人の手首を打った。
 牢人のそれは夕輝の着物の腹部をかすめた。
 夕輝は青眼に構えた。
 牢人が八相に構える。
 瞬間、睨み合ったかと思うと、夕輝は真っ向に、牢人が袈裟斬りに振り下ろした。
 刀と刀が弾き合う。
 返す刀で踏み込んで胴を払った。

 入った!

 牢人の刀が夕輝の肩をかすめて流れた。
 牢人が腹を押さえながら膝をつく。
 すぐに捕り物人足達が牢人を取り囲んで押さえつけると縄をかける。
 周囲を見ると町人達も捕まっていた。
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