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第三章 未月椛
第六話
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「あ、兄貴、面倒かけて……すいやせん」
「いいから、黙ってろ。今、峰湯に連れてく!」
頭を打っているとしたら下手に動かさない方がいいと聞くが、ここへ置いていくわけにもいかない。
太一を歩かせるのは無理そうだった。
夕輝は何とか太一を背負うと峰湯に向かって歩き出した。
太一を背負って帰ってきた夕輝を見たお峰が驚いて駆け寄ってきた。
「太一! 夕ちゃん、一体どうしたんだい!」
夕輝は太一を部屋に寝かせると、医者を呼んで戻ってきたお峰に事情を話した。
「兄貴、女将さん、ご迷惑をおかけしてすいやせん」
「そんなことはいいから早くお休み」
「すいやせん」
「夕ちゃんの次は太一とはねぇ」
「すみません」
夕輝は恐縮して頭を下げた。
「しばらくは太一はここで預かるとして、太一のご家族に断っとかないといけないね。太一、ご家族はどこにいるんだい」
「……いやせん」
「じゃあ、一人で暮らしてたのかい?」
「へい」
「どこで?」
夕輝が訊ねた。
「今は正覚寺の先の廃寺に……」
「野宿してたのか!」
着てる物はお仕着せの単衣と半纏だし、ここは湯屋だから風呂にも入っていたので気付かなかった。
「へい。ずっと平次の所に居候してたんでやすが、ヤツと袂を分かってからは居候するわけにもいかなくなったんで……でも、店請してくれる人がいねぇと長屋は借りられねぇし……」
「なら早くお言いよ。今夜からうちで暮らしな。部屋は……」
「あ、俺と同じ部屋で」
夕輝が即座に言った。
「いいのかい?」
「俺だけ一人で部屋使ってて申し訳ないと思ってたんです。それに、仙吉さん達の部屋はこれ以上寝られないでしょうし」
「そうかい。それじゃ、そうさせてもらおうかね」
稽古場の稽古の前後は新入りが雑巾がけをする。
雑巾がけが終わり、着替えて稽古場を出ると足早に峰湯に急いだ。
シジミ捕りをする時間を作る為にも、峰湯の手伝いをしっかりしなければならない。
いつの間にか数人の少年達のすぐ後ろになった。
横顔を見ると同じ稽古場の門弟だった。
四、五人が一塊になり、その少し後ろを一人の少年がついていく。
「やあ」
夕輝は少年に話しかけた。
よく見ると同い年くらいらしい。
「あ……」
少年が顔を上げた。
黒い羽織に青灰色の袴、腰に二刀を帯びているところを見ると侍らしい。
少年らしさを残した優しげな顔をしていた。
「天満殿もこちらですか」
「うん……あ、君、お侍さんだよね。敬語使わないといけない……です、か?」
「いえ、気遣いは無用です」
「ありがと。確か、桐生君だったよね。俺は天満夕輝」
「拙者は桐生祥三郎と申します」
二人は並んで歩き出した。
「俺のことは夕輝でいいよ」
「では、拙者のことは祥三郞と」
「分かった」
「夕輝殿は筋がいいと言われてましたが、以前どこかの稽古場に通っておられたのですか?」
「いや、初心者だよ」
確かに現代では剣道を習っていたが、今の稽古場は木刀での形稽古だけで、防具を使った試合形式の稽古はしていなかった。
防具が存在してないわけではないようだが一般的ではないらしく、この稽古場では使っていなかった。
木刀での形稽古には慣れてなかったので、一からやり直す気持ちで始めたのだ。
「夕輝殿は武家ではないのですか?」
「やっぱり分かる?」
「はい」
「祥三郞君が剣術習ってるのはお侍さんだから?」
「拙者は部屋住みなので、父が剣で身を立てられるようにと」
後で平助に聞くと、部屋住みというのは、跡継ぎではない次男三男等の息子のことなのだという。
家や御役目を継げるのは跡継ぎだけなので、長男以外はどこかに養子にでも行かない限り、家長に養ってもらうことになるため、部屋住みとか冷や飯食いとか言うらしい。
「剣術が上達すれば仕事に就けるって事?」
夕輝が訊ねると、祥三郞は苦笑した。
「そう上手くいけばいいのですが……。戦乱の世ならともかく、今は泰平の世故」
そうそう簡単に仕事に就けるというわけではないという。
「平和なのはいいことだと思ってたけど、仕事がなくて困る人もいるんだね」
でも、俺は戦乱の世じゃなくて良かったと思うけどな。
「剣術の腕がなくても、顔が良ければどこかの旗本のお嬢さんに見初められる事もあるのですが」
「そんなうまい話があるの?」
「拙者の下の兄は役者にしてもいいようないい男で、二千石の旗本のお嬢さんに見初められて婿にいきました。うちは五十石の御家人故、うちよりいい家です」
「へぇ」
役者にしてもいいかどうかはともかく、祥三郞も顔はいい方だ。
この時代の基準ではどうなのか分からないが。
ちなみに家格や家柄が釣り合っていないと縁組みは認められないので、祥三郞の兄は一旦旗本の家に形式的に養子にしてもらったらしい。
「夕輝殿も午後の稽古に出てないようですが、何か理由でも?」
「居候してる峰湯の手伝いする為に午後の稽古は休ませてもらってるんだ。祥三郞君は?」
「拙者は勉学の為に」
「勉学……じゃあ、論語も習った?」
ご隠居が侍は算術はやらないと言っていた。
となれば、後は古文や漢文、歴史などのはずだ。
「勿論、論語も習いました」
「じゃあさ、時間がある時でいいから教えてくれないかな」
夕輝の知識で長八に教えるのはそろそろ限界だった。
「夕輝殿も論語をたしなまれるので?」
祥三郞が顔を輝かせて言った。
「いや、うちのお客さんで論語を教えて欲しいって人がいるんだけどさ、俺もそんなに詳しくないから」
「喜んで。人に教えるのはいい復習になります故」
「ありがと」
祥三郎が快く引き受けてくれてほっとした。
この時代は身分の違いがあるので、武士が町人に教えてくれるか心配だったのだ。
どうやら祥三郞は身分に拘らない性格のようだ。
まぁ、身分を気にするなら夕輝が町人と分かった時点で離れていっているだろう。
「いつからですか? 今日からでもいいですが」
祥三郞は乗り気だった。
「今日、長八さん来てるかな? 来てなくても、うち、湯屋だから汗流していかない? それで長八さんが来てたら教えてよ」
「分かりました」
祥三郞は笑みを浮かべて快諾してくれた。
優しい人だなぁ。
「いいから、黙ってろ。今、峰湯に連れてく!」
頭を打っているとしたら下手に動かさない方がいいと聞くが、ここへ置いていくわけにもいかない。
太一を歩かせるのは無理そうだった。
夕輝は何とか太一を背負うと峰湯に向かって歩き出した。
太一を背負って帰ってきた夕輝を見たお峰が驚いて駆け寄ってきた。
「太一! 夕ちゃん、一体どうしたんだい!」
夕輝は太一を部屋に寝かせると、医者を呼んで戻ってきたお峰に事情を話した。
「兄貴、女将さん、ご迷惑をおかけしてすいやせん」
「そんなことはいいから早くお休み」
「すいやせん」
「夕ちゃんの次は太一とはねぇ」
「すみません」
夕輝は恐縮して頭を下げた。
「しばらくは太一はここで預かるとして、太一のご家族に断っとかないといけないね。太一、ご家族はどこにいるんだい」
「……いやせん」
「じゃあ、一人で暮らしてたのかい?」
「へい」
「どこで?」
夕輝が訊ねた。
「今は正覚寺の先の廃寺に……」
「野宿してたのか!」
着てる物はお仕着せの単衣と半纏だし、ここは湯屋だから風呂にも入っていたので気付かなかった。
「へい。ずっと平次の所に居候してたんでやすが、ヤツと袂を分かってからは居候するわけにもいかなくなったんで……でも、店請してくれる人がいねぇと長屋は借りられねぇし……」
「なら早くお言いよ。今夜からうちで暮らしな。部屋は……」
「あ、俺と同じ部屋で」
夕輝が即座に言った。
「いいのかい?」
「俺だけ一人で部屋使ってて申し訳ないと思ってたんです。それに、仙吉さん達の部屋はこれ以上寝られないでしょうし」
「そうかい。それじゃ、そうさせてもらおうかね」
稽古場の稽古の前後は新入りが雑巾がけをする。
雑巾がけが終わり、着替えて稽古場を出ると足早に峰湯に急いだ。
シジミ捕りをする時間を作る為にも、峰湯の手伝いをしっかりしなければならない。
いつの間にか数人の少年達のすぐ後ろになった。
横顔を見ると同じ稽古場の門弟だった。
四、五人が一塊になり、その少し後ろを一人の少年がついていく。
「やあ」
夕輝は少年に話しかけた。
よく見ると同い年くらいらしい。
「あ……」
少年が顔を上げた。
黒い羽織に青灰色の袴、腰に二刀を帯びているところを見ると侍らしい。
少年らしさを残した優しげな顔をしていた。
「天満殿もこちらですか」
「うん……あ、君、お侍さんだよね。敬語使わないといけない……です、か?」
「いえ、気遣いは無用です」
「ありがと。確か、桐生君だったよね。俺は天満夕輝」
「拙者は桐生祥三郎と申します」
二人は並んで歩き出した。
「俺のことは夕輝でいいよ」
「では、拙者のことは祥三郞と」
「分かった」
「夕輝殿は筋がいいと言われてましたが、以前どこかの稽古場に通っておられたのですか?」
「いや、初心者だよ」
確かに現代では剣道を習っていたが、今の稽古場は木刀での形稽古だけで、防具を使った試合形式の稽古はしていなかった。
防具が存在してないわけではないようだが一般的ではないらしく、この稽古場では使っていなかった。
木刀での形稽古には慣れてなかったので、一からやり直す気持ちで始めたのだ。
「夕輝殿は武家ではないのですか?」
「やっぱり分かる?」
「はい」
「祥三郞君が剣術習ってるのはお侍さんだから?」
「拙者は部屋住みなので、父が剣で身を立てられるようにと」
後で平助に聞くと、部屋住みというのは、跡継ぎではない次男三男等の息子のことなのだという。
家や御役目を継げるのは跡継ぎだけなので、長男以外はどこかに養子にでも行かない限り、家長に養ってもらうことになるため、部屋住みとか冷や飯食いとか言うらしい。
「剣術が上達すれば仕事に就けるって事?」
夕輝が訊ねると、祥三郞は苦笑した。
「そう上手くいけばいいのですが……。戦乱の世ならともかく、今は泰平の世故」
そうそう簡単に仕事に就けるというわけではないという。
「平和なのはいいことだと思ってたけど、仕事がなくて困る人もいるんだね」
でも、俺は戦乱の世じゃなくて良かったと思うけどな。
「剣術の腕がなくても、顔が良ければどこかの旗本のお嬢さんに見初められる事もあるのですが」
「そんなうまい話があるの?」
「拙者の下の兄は役者にしてもいいようないい男で、二千石の旗本のお嬢さんに見初められて婿にいきました。うちは五十石の御家人故、うちよりいい家です」
「へぇ」
役者にしてもいいかどうかはともかく、祥三郞も顔はいい方だ。
この時代の基準ではどうなのか分からないが。
ちなみに家格や家柄が釣り合っていないと縁組みは認められないので、祥三郞の兄は一旦旗本の家に形式的に養子にしてもらったらしい。
「夕輝殿も午後の稽古に出てないようですが、何か理由でも?」
「居候してる峰湯の手伝いする為に午後の稽古は休ませてもらってるんだ。祥三郞君は?」
「拙者は勉学の為に」
「勉学……じゃあ、論語も習った?」
ご隠居が侍は算術はやらないと言っていた。
となれば、後は古文や漢文、歴史などのはずだ。
「勿論、論語も習いました」
「じゃあさ、時間がある時でいいから教えてくれないかな」
夕輝の知識で長八に教えるのはそろそろ限界だった。
「夕輝殿も論語をたしなまれるので?」
祥三郞が顔を輝かせて言った。
「いや、うちのお客さんで論語を教えて欲しいって人がいるんだけどさ、俺もそんなに詳しくないから」
「喜んで。人に教えるのはいい復習になります故」
「ありがと」
祥三郎が快く引き受けてくれてほっとした。
この時代は身分の違いがあるので、武士が町人に教えてくれるか心配だったのだ。
どうやら祥三郞は身分に拘らない性格のようだ。
まぁ、身分を気にするなら夕輝が町人と分かった時点で離れていっているだろう。
「いつからですか? 今日からでもいいですが」
祥三郞は乗り気だった。
「今日、長八さん来てるかな? 来てなくても、うち、湯屋だから汗流していかない? それで長八さんが来てたら教えてよ」
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祥三郞は笑みを浮かべて快諾してくれた。
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