赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第四章 唯

第二話

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「大丈夫だったかな」
 青年が夕輝に訊ねた。
「俺は何もしてませんから」
 夕輝が答えると青年は親子に向き直った。
「怪我はありませんか」
 優しく声をかけると、
「有難うございました」
 母親が平伏したまま礼を言った。
「あの人は行ってしまいましたから、もう立ち上っても大丈夫ですよ」
 青年の言葉に母親は立ち上がると、何度も礼を言いながら娘を連れて人混みの中に消えていった。

「君、無茶するね。刀の前に飛び出すなんて」
 青年が夕輝に言った。
「すみません。それより、後ろから刀の鞘を持ってましたけど、あれは……?」
こじりがえしって言うんだ。あれをやると刀を抜けなくなるんだよ」
「そうだったんですか」
「君もあんまり無茶をしないように……」
 青年がそう言ったとき、
ひさき
 椛が人混みをかき分けて出てきた。

「あ! 椛ちゃん」
「夕輝さん」
「椛、知り合いなのか?」
 青年の優しげな表情が一瞬にして険しいものに変わった。
「天満夕輝さんです。夕輝さん、こちら私の兄の未月楸です」
「初めまして」
 夕輝は頭を下げた。

 椛ちゃんに似てたのか。

 楸は名前を聞いて誰か分かったようだ。

「椛を助けてくれたそうだね。有難う」
「いえ、助けてもらったのは俺の方です」
「椛が何度も見舞いに行ったそうだけど」
「はい」
「君と椛はどういう関係?」
「え? 知り合いですけど」
「それだけ?」
 楸が食い下がる。

「はい」
「じゃあ、椛とは何でもないんだな」
「はい」
「君は椛のことをどう……」
「楸」
 椛が顔をしかめて楸の袖を引っ張った。

 椛ちゃん、お兄さんのこと呼び捨てにしてるのか。
 この時代でそれが許されるのか?

 何か事情でもあるんだろうか。

「楸、先に行ってて下さい」
 楸は椛にそう言われて仕方なさそうに歩き出した。
「兄がすみませんでした」
 椛が頭を下げた。
「椛ちゃんのことが可愛くて仕方ないみたいだね」
 夕輝は笑いながら言った。
「はい」
 椛が頬を染めた。
 楸が少し行った先でこちらを睨んでいる。
「お兄さんが待ってるよ。それじゃあね」
 夕輝はそう言うと太一と連れだって歩き出した。

 橋本屋の台所で下働きの人達と一緒に夕食を食べると、帳場に布団を敷いてもらって横になった。

「兄貴、来やすかね」
「兄貴はやめろ。来ないといいな」
 その夜は何事もなかった。

 翌朝、橋本屋の台所で朝餉をごちそうになった。
 店を開けている間はいる必要がないから二人は一旦峰湯に帰って、また暮れ六つ近くなったら来るのだ。

 裏口から出ようとしたとき、
「天満さん、ちょっといいですか?」
 お里が声をかけてきた。

「何?」
「帰るのはしばらく待っていただけませんか?」
「どうして?」
 お里は苦手だ。
 なるべくなら相手をしたくなかった。

「この前、変な男に尾けられてるって言いましたよね」
「ああ」
 あのときは散々な目に遭ったから覚えてる。
 まぁ、あれはお里のせいではないのだが。

「その男が時々この店を窺ってるんです」
「え! そうなの!?」
「はい。父は盗賊の下見だと思っているようですが、あれは私を見張っているんだと思います」
「それお父さんに言った?」
「言いましたが、信じてくれないんです。それで天満さんにその男を見てもらいたいんです」
「俺が見てもしょうがないんじゃない? そう言うのは平助さんに言った方が……」
「言えばどうにかしてもらえますか?」
「う~ん」
 夕輝は考え込んだ。

 これが警察だったら何もしてもらえそうにないが、御用聞きなら事件ではなくても動けるのではないだろうか。
 平助が出てこなくても下っ引きの誰かに探索させることは出来そうだが。

 お里にそう言うと、
「それでは天満さんがその男を見て親分さんに伝えて下さい」
 と答えた。

 結局見なきゃなんないのか。

 夕輝はうんざりしたが、放っておく訳にもいかない。
 見ていくとして太一はどうするか。
 迷った末、前に太一が言っていた「顔が広い」というのを信じて一緒に見せることにした。
 お峰が心配するといけないので、お里に頼んで丁稚の一人を使いを出してもらった。

 こう言うとき電話があれば……。

 店の入り口近くにある小部屋で太一とお茶を飲んでいると、お里が呼びに来た。

「天満さん、こちらです」
 お里について二階へ上がり、障子の隙間から覗いた。
 確かに通りを挟んだ向かいにある天水桶の陰からこちらを見ている男がいる。
 多分灰色だと思われる、よれよれの小袖を着流している。
 腰には刀を落とし差しにしていた。
 頬骨の張った目つきの悪い男だった。
 盗賊の下見なのか、お里のストーカーなのかは判断がつきかねた。
「どうだ、太一。見覚えは?」
「すいやせん、ないでやす」
「そうか」

 まぁ、それほど都合よくいくわけないしな。

「じゃ、お里ちゃん。俺達帰るから」
 夕輝はそう言うと、太一を連れて橋本屋を出た。
「兄貴」
「兄貴って言うな。何だ」
「あっしがあいつを尾けてみやしょうか?」
「あいつ、侍だろ。危ないんじゃないのか?」
「見つからなければ平気でやすよ」
「じゃあ、俺も一緒に行こうか?」
「いえ、一人の方が目立たねぇと思いやす。十分離れたところから尾けて、見つかりそうになったらすぐに逃げやす」
「まぁ、そう言うなら……。気を付けろよ」
「へい」
 太一はそう言うと人混みに隠れるようにして、男を見張れるところへ向かっていった。

 峰湯に帰ると平助は盗賊の探索に出ていた。

 そうか、盗賊の探索があったな。

 盗賊が捕まらない限り、お里のストーカーに人員を割くのは無理そうだ。

「夕ちゃん、ちょっといいかい?」
 夕輝が峰湯を手伝っているとお峰に呼ばれた。
「これ、ちょっとお花さんのところに届けてくれるかい?」
 お峰が風呂敷包みを差し出した。
「はい」
 夕輝は包みを受け取ると、峰湯を出た。
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