赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第四章 唯

第三話

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 下駄屋と酒屋の間にある路地木戸をくぐるとそこに裏店うらだながある。
 時代劇でよく見る長屋というのは裏店のことで、通りに面した表店おもてだな表長屋おもてながや)の後ろに裏店が何棟かある。
 一口に裏店といっても大きさは色々あるのだが、お花の住んでいる長屋は土間に木製の流しと竈、そして四畳半くらいの板敷きの間があるだけだった。
 押し入れなどはない。
 荷物は「長持ながもち」と言う衣装箱のような物の中に入れるのだ。

「お花さん、夕輝です」
「入っとくれ」
 その言葉に夕輝は腰高障子を開けた。
「お峰さんから頼まれたもの持ってきました」
「夕ちゃん、丁度良かった。頼みたいことがあるんだよ」
「なんですか?」
「お唯ちゃんが届け物しに行くんだけど、今から行って帰ってくると遅くなるだろ。だから一緒に行って欲しいんだよ」
「いいですよ」
「あ、私なら大丈夫です」
 お唯が手を振った。

「何言ってんだい! ほら、例の辻斬りのことがあるだろ。女の子ばかり狙ってるって」
「ああ」
 そういえば、連続猟奇殺人があったんだった。
 犯人はまだ捕まっていないんだったっけ。
 お唯は可愛いから変質者に目をつけられてもおかしくない。

「いいです。夕輝さんに悪いですから」
「気にしなくていいよ、お唯ちゃん。俺だって付き添いくらいは出来るよ」
「でも……」
「いいからいいから。ほら、遅くなるよ。行こう」
「……すみません」
 お唯は頭を下げた。

 夕輝と並んで歩き出したお唯は手には風呂敷包みを持っていた。

「どこへ行くの?」
「縫い物を届けに、大伝馬町おおでんまちょう太物屋ふとものやさんまで。おっかさんは仕立物の内職をしているんです」
「そうなんだ」
「いつもはもっと早く行くんですけど、おっかさんの具合が悪かったから、なかなか仕上がらなくて。だからどうしても今日届けないといけないんです」
「お母さん、病気なの?」
「ただの風邪なんですけど、身体が弱いから……」
「具合が悪いのに内職してるの?」
「おとっつぁんも働いてるけど、おっかさんの薬にお金がかかるから……」

 この時代は健康保険なんてないもんなぁ。

「奉公に行くのもお金が必要だから?」
「働いても足りなくて、お金も借りてるんです。そのお金を返さないといけないから……」
「そっか」
 恵まれた環境にいる夕輝には、お唯にかける言葉が見つからなかった。

 二人はしばらく黙って歩いていた。

「……あれなんだろ」
 ふと見ると、道ばたに数人の子供が集まっていた。
 みんな何か食べていた。
「お唯ちゃん、行ってみよう」
「はい」

 心太ところてん売りか。

 片側に網を張った四角い箱に心太を入れて、反対側から棒で突いて押し出している。

「おじさん、それ二つ」
「夕輝さん、私は……」
「俺一人じゃ恥ずかしいからさ、一緒に食べてよ」
「すみません」
「二つで四文だよ」
 夕輝は金を渡して心太を二つ受け取った。

「はい、お唯ちゃん」
 片方をお唯に渡す。
「有難うございます」
 お唯が礼を言いながら受け取った。
 夕輝は早速心太を食べ始めた。

「美味しいですね」
 お唯が嬉しそうに言った。
「そうだね」
 思ったより美味しかった。

 江戸時代は現代より遅れてるから、食べるものも美味しくないのではないかと何となく思っていたのだが、とんでもない思い違いだった。
 食べ物は新鮮だし、ご飯は普通に白米だし、アサリなんて大きくて現代とは比べものにならないくらい美味しかった。
 夕輝の家は江戸時代から東京――昔は江戸だが――に住んでるので江都の味付けも食べ慣れたものだった。

 ただ、江都では生野菜を食べない。
 サラダが食べられないのだけが残念だった。
 有機肥料だから、きっと美味しいと思うのだが。
 しかし、野菜を葛西から運んでくる舟は、帰りに江都市中から集めた糞尿を乗せて帰るのだという。
 だから、寄生虫が心配なのだそうだ。

 肥料も肥やしだしなぁ。

 薬がないこの時代で、寄生虫に寄生されると分かっていて尚、生野菜を食べられる勇者はいないだろう。

 大伝馬町の太物問屋に着くと、お唯は中へ入っていった。
 夕輝は店の出入り口の脇の壁にもたれながら通りを行く人を見ていた。

 長い棒を担いで樽のような丸いものを転がしながら男が歩いていった。
 風車を手にした継ぎの当たった着物を着た男の子が母親らしき女性に手を引かれて歩いている。
 この辺は太物問屋が多いせいか小綺麗な女性や女の子が沢山通る。
 商家の人間らしき羽織姿の男達も通っていく。

 共通しているのは着物を着て髷を結っていると言うことだ。

 同じ東京なのに現代とは全く違う光景に、夕輝は世界から切り離されて一人迷子になったような心細さを覚えて、いつしか、現代の歌を口ずさんでいた。

「夕輝さん、お待たせしました」
 不意にお唯に声をかけられて我に返った。
「じゃあ、帰ろうか」
 夕輝はお唯と並んで歩き始めた。
「夕輝さん、今の……唄? ですか?」
「ああ、うん。ゲームの主題歌……」
「げえむ?」
「あ、つまり、遊びの時の歌って言うのかな?」
「かごめかごめみたいな?」
「まぁ、そんな感じ」
 そんなに大きく外れてもいないだろう……多分。

「聞き慣れない言葉でしたけど、夕輝さんの国の言葉ですか?」
「いや、あれは英語。……海の向こうにイギリスって言う国があるんだ。その国の言葉だよ」
 正確にはアメリカ英語なのだが、この時代にアメリカが独立しているか分からないし、元はイギリスの言葉なのだからいいだろう。

「いぎりすっていう国の歌なんですか?」
「言葉は英語だけど作ったのは日本じ……この国の人だよ」
「どうしてこの国の人なのに異国の言葉で歌を作ったんですか?」
「その方がゲームのイメージ……遊びの雰囲気に合ってたからじゃないかな」
「そうなんですか。なんていう歌なんですか?」

「この国の言葉に訳すと、もしかしたら明日あしたは……かな」
「もしかしたら明日は?」
「毎日つらいことや悲しいことがあるけど、一所懸命生きていれば明日は今日より良くなるかもしれない、みたいな感じかな」
「それ、私にも教えてもらえますか?」
「いいよ。あ、ただ、この国ってさ鎖国中だよね?」
「鎖国?」
 お唯が小首をかしげた。

「つまり……中国……じゃなくて、清とオランダ以外の国とは貿易しちゃいけないことになってるよね?」
「そう……なんですか」
 お唯はよく分からないようだ。
「とにかくさ、英語って言うのがバレると捕まっちゃうかもしれないから、他の人には内緒にしてね」
「はい」
 お唯は真面目な顔で頷いた。
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