赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第四章 唯

第四話

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 歌を教えているうちに長屋に着いた。

「夕輝さん、有難うございました」
 お唯が頭を下げた。
「俺で良かったらいつでも声かけてよ。お供くらいいくらでもするからさ」
 夕輝はお唯に見送られてお花の長屋を後にした。

 峰湯に帰ると太一が帰ってきていた。
 二人で橋本屋へ向かう道すがら、首尾を聞いたが、途中で見失ってしまったそうだ。

 まぁ、元々そんなに期待してなかったしな。

 翌日、
「おい、天満、今帰りか」
 同じ稽古場の門弟が声をかけてきた。

 夕輝より年上で二十歳くらい。
 羽織袴姿に二刀を帯びている。侍らしい。
 後ろに数人の若い門弟を率いている。

 確か、谷垣って言ったっけ。

「はい。そうですけど」
「一緒に帰るぞ。おい、桐生、荷物を持て」
「はい」
 祥三郞が谷垣の荷物に手を伸ばしたのを夕輝は肩を掴んで止めた。
「すみません。俺、祥三郞君と一緒に帰りますから。行こう、祥三郞君」
 夕輝はそう言って祥三郞を促した。
 谷垣がものすごい顔で睨んでいたが、気にしないで歩き出した。
 祥三郞は後ろにいる谷垣を気にしながら夕輝の後をついてきた。

「夕輝殿、いいのですか?」
「え? もしかして、俺、規則か何か破っちゃった?」
「いえ、規則は破ってませんが……夕輝殿はすごいですね。拙者だったら怖くて谷垣殿には逆らえません」
 確かに、取り巻きもいたし、威張ってる感じだった。

「祥三郞君を荷物持ちにさせようとしただろ。ああいうの嫌だから」
「夕輝殿はお強い」
「そんなことないよ。俺なんかまだまだ初心者だし」
「そうではなく……今日も夕輝殿のところへ行ってよろしいですか?」
「いいよ」
「長八殿はおられるでしょうか」
「来てると思うよ」

 祥三郞は教えるのが楽しくて仕方ないらしい。
 厳しい教えに音を上げそうになりながらも、長八はちゃんと来ていた。
 それも夕輝達が稽古を終える時間を見計らって来ている。
 何だかんだ言いつつ勉強する気満々なのだ。
 ただ、祥三郞の厳しさは峰湯の常連の中では有名なので、長八以外に教わりたいというものは現れなかった。

 勉強が出来て嬉しいなんて、現代では思ったこともなかったなぁ。

 祥三郞が帰り、橋本屋へ行くまでの間、峰湯を手伝っていると平助が来た。

「おう、太一、お前ぇ、良三と一緒に客の背中流してこい」
「へい」
 すぐに湯屋の方へ向かおうとした太一を、
「ちょっと待て」
 と言って止めた。

「ただ客の背中流してこいってんじゃねぇんだ。三助なら良三がいるからな」
「へい」
「客が葛西の草太って男の話をしていたら注意して良く訊いておけ。いいな」
「へい」
 太一は今度こそ湯屋の方へと走っていった。

「平助さん、葛西の草太っていうのは……」
「強盗の一人みてぇなんだ」
「どうやって突き止めたんですか?」
「何、金を手にした悪党がやるこたぁ、飲む打つ買うのどれかだからな」

 海辺大工町にある賭場を探っていた嘉吉が最近羽振りのいい男を探り出してきたのだという。
 それが葛西の草太だ。
 葛西の草太のねぐらを探しているのだが、なかなか見つからないらしい。
 さすがに草太が平助がやってる湯屋に入り来るようなことはないだろうが、彼を知っている者の話に出るかもしれないので、客の話を聞き逃さないように太一にも三助をさせるらしい。

 もともと平助がここで峰湯をやっているのも、情報を集める為、彼に手札を渡している東が金を出して始めさせたのだ。
 湯屋の男湯は朝早くから始めるが女湯は少し遅い。
 女性は食事の支度などがあるかららしい。
 女湯を始める前の時間、御番所の与力や同心が女湯に入りに来る。
 男湯で交わされる話から事件の参考になる噂を聞く為もあるのだそうだ。
 峰湯は与力や同心が入りに来るから女湯があるが、湯屋は混浴のところが圧倒的に多いらしい。

 混浴じゃなくて良かった。

 混浴だったら夕輝は恥ずかしくて入れなかっただろう。
 もっとも混浴のところは素っ裸ではないらしいが。
 そろそろ七つ半を過ぎたかな、と言う頃、太一が夕輝のところへやってきた。
 二人はお峰に断って峰湯を後にした。

「どうだ、なんか聞けたか?」
「それがさっぱりで……力が弱いとか散々ののしられちまいやした」
「三助ってのも簡単じゃないんだな」
「草太ってヤツが見つかって盗賊が捕まったらもう橋本屋へは行けなくなるんでやすね」
「何、お前、橋本屋に行くの楽しいの?」
「そりゃ、お里さんがいやすし」
 そんなにお里がいいかね。
「お里ちゃんには縁談の話が来てるんだから変な気起こすなよ」
「そこまで世間知らずじゃありやせんや」

 夕輝が稽古場から戻ってきたとき、
「天満様はいらっしゃいますか!」
 青い半纏を着た男が駆け込んできた。

「俺ですけど、どなたですか?」
「わたくしは柳橋にある篠野ささのという料理茶屋の手代です。天満様、わたくしといらして下さい」
「どうしたんですか?」
「橋本屋さんが大至急天満様に来ていただきたいと。何でも胡乱うろんな牢人に尾けられたとかで」
「分かった。ちょっと待ってて下さい。太一、お前、お峰さんに出かけるって言ってきてくれ」
「へい」

 夕輝は部屋へ戻ると繊月丸を掴んで飛び出した。
 玄関へ出たところでお峰が駆け寄ってくる。

「夕ちゃん、夕ちゃん、町人が刀なんか持って歩いちゃ駄目だよ。これでくるんでいきな」
 そう言ってむしろに繊月丸をくるんでくれた。
 それを小脇に抱えると、手代と一緒に走り出した。
 後ろから太一もついてくる。

 篠野は柳橋の一角にあった。
 中へ入ると大声で罵り合っているのが聞こえた。

 男が乗り込んできたのか!?

「橋本屋さんはどこですか!」
「こちらです!」
 手代が階段を上っていく。
 夕輝と太一は急いでその後に続いた。

 二階の座敷の一部屋に入ると、橋本屋とお里、それに五十代くらいの羽織を着た男と、手代と同じ半纏を着た五十代半ばくらいの男がいた。

 半纏を着た五十代の男は篠野の主人のようだ。
 お里の父親と篠野の主人が怒鳴り合っている。
 そして、床に二十代くらいの若い男が首に手をやったまま目を剥いて倒れていた。

「あんたが毒を盛ったんだろ!」
 橋本屋が半纏を着た男を怒鳴りつけていた。
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