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第六章 望
第二話
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「ここは俺が相手をするから祥三郞君は逃げて」
「夕輝殿! 拙者も一緒に戦います!」
その言葉に、夕輝は祥三郞の方に顔を向けた。
「そうだね、ここは二人がかりで戦った方が確実に倒せるよね。でも、ゴメン。俺、こいつと決着つけたいんだ」
祥三郞は夕輝の真剣な顔を見ると、すぐに頷いた。
「承知仕った」
「俺がやられたら、すぐにこいつが追っていくと思うからなるべく遠くに逃げて」
「はい。参りましょう、葵殿」
祥三郞達が走っていく足音を聞きながら、繊月丸を抜いた。
「いいのか。今度は死ぬぞ」
男は笑いながら抜刀した。
夕輝は青眼に構えた。
その瞬間から、祥三郞のことは頭から消えた。
目の前にいる男だけに意識が集中した。
男が八相に構える。
夕輝はゆったりと構えながら、男を見ていた。
男がゆっくりと近付いてくる。
一足一刀の間境の手前で立ち止まった。
二人の間に緊迫した空気が流れる。
カサッ
枯れ葉の落ちる音がした。
その瞬間、男が袈裟斬りを放った。
夕輝はそれを弾きながら一歩踏み込むと、突きを見舞った。
夕輝の突きが男の右肩を強く突いた。
男の右手が刀から離れる。
「くっ! 貴様ぁ!」
逆上した男が左手に持った刀を振り上げた。
夕輝はそのまま胴を見舞った。
男が腹を抱えて蹲った。
夕輝は残心の構えのまま、男を見下ろした。
不意に男が刀で夕輝の足を払おうとしてきた。
夕輝は繊月丸を地面に刺して刀を止めると、男の手を踏んで刀を放させ、それを蹴って遠くにやった。
「夕輝殿!」
「夕輝!」
「兄貴!」
男に注意を払いながら声の方を見ると、祥三郞や平助、太一達が駆けてくるところだった。
「葵さんの警護はもういいの?」
夕輝は祥三郞に訊ねた。
稽古場からの帰りだった。祥三郞は久々に長八に論語を教えに峰湯に来るのだ。
「あの男が大番屋の吟味で葵殿の伯母上に頼まれたと喋ったそうです」
「そもそも、どうして葵さんは伯母さんに狙われたわけ? もし話しちゃいけないなら聞かないけど」
「夕輝殿は命の恩人故、お話し致します」
祥三郞がそう言って話したところによると、本家の一人息子である葵の従兄が風邪で急逝したため、跡取りをどうするかで揉めたらしい。
葵の伯母の息子を養子にするか、葵を養女にして優秀な男子を婿養子にするかで二つに分かれ、自分の息子を養子にしたい伯母が葵の命を狙ったのだという。
「伯母さんが狙ったってバレたわけだよね? てことは、葵さんが婿養子を取ることになったって事?」
「いえ、それが……」
祥三郞の話によると、大番屋で刺客が伯母の名前を出したことから、お家騒動が目付に知られてしまい、伯母の家は改易になってしまったというのだ。
改易というのは武士の身分を剥奪されることだそうだ。
しかも、連座制で伯母の家だけではなく、本家と葵の家も改易されてしまったらしい。
「え、じゃ、葵さん、武家じゃなくなったの?」
「はい」
「そうすると、葵さんはどうなるの?」
「元々葵様の家は微禄の御家人だった故、内職で食べていたので、今も同じように裏店で内職をしています」
「そうなんだ」
祥三郞君が葵さんをお嫁にするわけにはいかないの?
とは訊ねられなかった。
武家の婚姻がそんなに簡単なわけがないのは容易に想像が付く。
商家のお里でさえ、結婚するのに親戚縁者やら組合やらの承諾を貰わなければならないのだ。
ましてや武家はもっと厳しいだろう。
「長八さんがさ、祥三郞君のこと待ってるよ」
慰めの言葉が見つからなかった夕輝は話を変えた。
「本当ですか?」
「うん、首を長くして待ってる」
「そうですか」
祥三郞が嬉しそうな笑顔を見せた。
「子曰く、人は己の……」
「違う! もう一度!」
「し、子曰く、人のおれの……」
「違う! もう一度!」
やっぱ勉強教えてる祥三郞君て怖ぇー。
とはいえ、確かに厳しいのだが、決してバカにしたりはしなかった。
大真面目に、長八が理解できるまで粘り強く教えている。
しかし、自分だったら長八の立場にはなりたくない。
とばっちりが来ないように、夕輝はそっと後ろに下がった。
「夕ちゃん、ちょっといいかい? また、お花さんのところに届け物をして欲しいんだよ」
「いいですよ」
夕輝はお峰から荷物を受け取った。
「兄貴、お出かけですかい」
峰湯を出ると太一が声をかけてきた。
「お花さんのところにな」
「ならあっしもご一緒しやす。荷物持ちやしょうか?」
「いや、いいよ。それより、湯屋の仕事はいいのか?」
「丁度手が空いてるんでやすよ」
太一はそう言うと、夕輝についてきた。
「なぁ、前から不思議に思ってたんだけどさ」
「なんでやしょう」
「あれ、何?」
棒を担いで樽のようなものを転がして歩いている男を見た。
「転がしてるのは臼で、持っているのが杵でやすよ」
「時々見かけるけど、何してる人? 杵と臼って事は餅つき?」
「あれは大道搗きでやす」
「大道搗きって? 餅つきじゃないの?」
太一の説明によると、米というのは搗き米屋で玄米を白米に精米するのだが、わざわざ搗き米屋まで持っていくほど量が多くない場合、大道搗きに搗いてもらうのだという。
大道搗きというのは臼を転がしながら町を流して、呼ばれた家で米を搗くのだそうだ。
「へぇ」
夕輝は改めて臼を転がしてる大道搗きを見た。
その向こうを斧を担いだ杣が歩いて行く。
杣というのは樵のことだそうだ。
江都に杣が必要なのは東京育ちだから理解出来る。
都心には広い公園が多い。
そのほとんどは昔の大名屋敷の庭である。
三百藩近くある大名全部ではないようだが、多くが江都に上屋敷、中屋敷、下屋敷を持っていて、その広大な屋敷には広い庭園があり、そこには大木が沢山ある。
当然、杣も必要となる。
江都の町は他にも色んな職業の人が家々を回ってくる。
鍋釜の修理や刃物研ぎ、桶や樽の修理、魚や野菜、総菜、豆腐、植木、金魚等色々なものを売る棒手振り、蕎麦屋や心太売り、飴売り、その他、沢山の商売がある。
長屋など町人のところには来ないが、賄屋という、一人暮らしの武士などに弁当を届ける商売もあるそうだ。
家に弁当を届けるサービスって現代に始まったんじゃなかったんだな。
太一に教わって、川へシジミ捕りに行けないときの小遣い稼ぎに釘などの金属や紙を拾うことも覚えた。
落ちてる釘等の金属や紙、抜け毛なども、引き取りに回ってくる古金屋や古手屋に売れる。
だから夕輝はとりあえず落ちてるゴミは拾っておくことにした。
江都では紙屑から糞尿まであらゆるものがリサイクルされる。
江都では、普通に食べて行く分にはどんな仕事でもやっていけるような気がした。
「夕輝殿! 拙者も一緒に戦います!」
その言葉に、夕輝は祥三郞の方に顔を向けた。
「そうだね、ここは二人がかりで戦った方が確実に倒せるよね。でも、ゴメン。俺、こいつと決着つけたいんだ」
祥三郞は夕輝の真剣な顔を見ると、すぐに頷いた。
「承知仕った」
「俺がやられたら、すぐにこいつが追っていくと思うからなるべく遠くに逃げて」
「はい。参りましょう、葵殿」
祥三郞達が走っていく足音を聞きながら、繊月丸を抜いた。
「いいのか。今度は死ぬぞ」
男は笑いながら抜刀した。
夕輝は青眼に構えた。
その瞬間から、祥三郞のことは頭から消えた。
目の前にいる男だけに意識が集中した。
男が八相に構える。
夕輝はゆったりと構えながら、男を見ていた。
男がゆっくりと近付いてくる。
一足一刀の間境の手前で立ち止まった。
二人の間に緊迫した空気が流れる。
カサッ
枯れ葉の落ちる音がした。
その瞬間、男が袈裟斬りを放った。
夕輝はそれを弾きながら一歩踏み込むと、突きを見舞った。
夕輝の突きが男の右肩を強く突いた。
男の右手が刀から離れる。
「くっ! 貴様ぁ!」
逆上した男が左手に持った刀を振り上げた。
夕輝はそのまま胴を見舞った。
男が腹を抱えて蹲った。
夕輝は残心の構えのまま、男を見下ろした。
不意に男が刀で夕輝の足を払おうとしてきた。
夕輝は繊月丸を地面に刺して刀を止めると、男の手を踏んで刀を放させ、それを蹴って遠くにやった。
「夕輝殿!」
「夕輝!」
「兄貴!」
男に注意を払いながら声の方を見ると、祥三郞や平助、太一達が駆けてくるところだった。
「葵さんの警護はもういいの?」
夕輝は祥三郞に訊ねた。
稽古場からの帰りだった。祥三郞は久々に長八に論語を教えに峰湯に来るのだ。
「あの男が大番屋の吟味で葵殿の伯母上に頼まれたと喋ったそうです」
「そもそも、どうして葵さんは伯母さんに狙われたわけ? もし話しちゃいけないなら聞かないけど」
「夕輝殿は命の恩人故、お話し致します」
祥三郞がそう言って話したところによると、本家の一人息子である葵の従兄が風邪で急逝したため、跡取りをどうするかで揉めたらしい。
葵の伯母の息子を養子にするか、葵を養女にして優秀な男子を婿養子にするかで二つに分かれ、自分の息子を養子にしたい伯母が葵の命を狙ったのだという。
「伯母さんが狙ったってバレたわけだよね? てことは、葵さんが婿養子を取ることになったって事?」
「いえ、それが……」
祥三郞の話によると、大番屋で刺客が伯母の名前を出したことから、お家騒動が目付に知られてしまい、伯母の家は改易になってしまったというのだ。
改易というのは武士の身分を剥奪されることだそうだ。
しかも、連座制で伯母の家だけではなく、本家と葵の家も改易されてしまったらしい。
「え、じゃ、葵さん、武家じゃなくなったの?」
「はい」
「そうすると、葵さんはどうなるの?」
「元々葵様の家は微禄の御家人だった故、内職で食べていたので、今も同じように裏店で内職をしています」
「そうなんだ」
祥三郞君が葵さんをお嫁にするわけにはいかないの?
とは訊ねられなかった。
武家の婚姻がそんなに簡単なわけがないのは容易に想像が付く。
商家のお里でさえ、結婚するのに親戚縁者やら組合やらの承諾を貰わなければならないのだ。
ましてや武家はもっと厳しいだろう。
「長八さんがさ、祥三郞君のこと待ってるよ」
慰めの言葉が見つからなかった夕輝は話を変えた。
「本当ですか?」
「うん、首を長くして待ってる」
「そうですか」
祥三郞が嬉しそうな笑顔を見せた。
「子曰く、人は己の……」
「違う! もう一度!」
「し、子曰く、人のおれの……」
「違う! もう一度!」
やっぱ勉強教えてる祥三郞君て怖ぇー。
とはいえ、確かに厳しいのだが、決してバカにしたりはしなかった。
大真面目に、長八が理解できるまで粘り強く教えている。
しかし、自分だったら長八の立場にはなりたくない。
とばっちりが来ないように、夕輝はそっと後ろに下がった。
「夕ちゃん、ちょっといいかい? また、お花さんのところに届け物をして欲しいんだよ」
「いいですよ」
夕輝はお峰から荷物を受け取った。
「兄貴、お出かけですかい」
峰湯を出ると太一が声をかけてきた。
「お花さんのところにな」
「ならあっしもご一緒しやす。荷物持ちやしょうか?」
「いや、いいよ。それより、湯屋の仕事はいいのか?」
「丁度手が空いてるんでやすよ」
太一はそう言うと、夕輝についてきた。
「なぁ、前から不思議に思ってたんだけどさ」
「なんでやしょう」
「あれ、何?」
棒を担いで樽のようなものを転がして歩いている男を見た。
「転がしてるのは臼で、持っているのが杵でやすよ」
「時々見かけるけど、何してる人? 杵と臼って事は餅つき?」
「あれは大道搗きでやす」
「大道搗きって? 餅つきじゃないの?」
太一の説明によると、米というのは搗き米屋で玄米を白米に精米するのだが、わざわざ搗き米屋まで持っていくほど量が多くない場合、大道搗きに搗いてもらうのだという。
大道搗きというのは臼を転がしながら町を流して、呼ばれた家で米を搗くのだそうだ。
「へぇ」
夕輝は改めて臼を転がしてる大道搗きを見た。
その向こうを斧を担いだ杣が歩いて行く。
杣というのは樵のことだそうだ。
江都に杣が必要なのは東京育ちだから理解出来る。
都心には広い公園が多い。
そのほとんどは昔の大名屋敷の庭である。
三百藩近くある大名全部ではないようだが、多くが江都に上屋敷、中屋敷、下屋敷を持っていて、その広大な屋敷には広い庭園があり、そこには大木が沢山ある。
当然、杣も必要となる。
江都の町は他にも色んな職業の人が家々を回ってくる。
鍋釜の修理や刃物研ぎ、桶や樽の修理、魚や野菜、総菜、豆腐、植木、金魚等色々なものを売る棒手振り、蕎麦屋や心太売り、飴売り、その他、沢山の商売がある。
長屋など町人のところには来ないが、賄屋という、一人暮らしの武士などに弁当を届ける商売もあるそうだ。
家に弁当を届けるサービスって現代に始まったんじゃなかったんだな。
太一に教わって、川へシジミ捕りに行けないときの小遣い稼ぎに釘などの金属や紙を拾うことも覚えた。
落ちてる釘等の金属や紙、抜け毛なども、引き取りに回ってくる古金屋や古手屋に売れる。
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