赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第六章 望

第一話

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 捕り物が終わり、深川からの帰り道。
 夕輝と太一は大川端を二人で歩いていた。

 与力の佐々木と同心の東達――東の他にも同心が来ていた――と、捕り物人足とりものにんそくのうち、平助達御用聞きは八丁堀の大番屋へ盗賊一味を連行する為に船に乗っていった。

 それ以外の、夕輝達を含めた捕り方とりかた達はそれぞれ徒歩で帰途についた。
 大川の土手には草が生い茂り、夜風にそよいでいた。
 欠けた月と無数の星が輝く夜空の下で、夕輝は草と大川のみぎわに寄せる水音を聞きながら、花粉症じゃなくて良かった、等と思っていた。

 花粉症と言えばスギが有名だが、ブタクサやカモガヤなどもアレルギー症状を引き起こす、とインフルエンザの予防接種に行った病院のポスターに書いてあった。
 辺りは真っ暗なので草むらはよく見えなかったが、風にそよぐ音を聞けば土手が大量の草に覆われているのは分かる。

 しばらく大川の流れる音と、さわさわという草の音を聞いていたが、ふと、水音や草のそよぐ音が聞こえるなんて珍しいな、と思い、そういえばいつもは太一が絶え間なく喋っているから聞こえないのだと気付いた。
 その太一が黙っているから水や草の音が聞こえるのだ。

「太一、どうした?」
「……え? 何がでやすか?」
「元気ないな。お母さんの具合、悪いのか?」
「いえ、そうじゃねぇんで」
「なら、どうした? さっきの捕り物で怪我でもしたのか?」
「そうじゃなくて……」
 夕輝は訝しげに太一を振り返った。

「どうしたんだよ」
「…………あっしは足手まといだと思いやして」
「誰の?」
「兄貴の」
 その言葉に夕輝は足を止めて太一の方に向き直った。
「俺はお前の兄じゃないけど、足手まといだなんて思ったことないぞ」
「でも、あっしはいつも兄貴に助けられてばかりで……」
「だから兄貴はやめろ。それはともかく、俺だってお前にはいつも助けてもらってるじゃないか」
「あっしが?」
 太一が顔を上げた。意外そうな顔をしている……ようだ。暗くてよく見えないけど。

「俺が分からないこと聞いても、バカにしないでちゃんと教えてくれるだろ」
「兄貴をバカにするなんて、そんなこと……」
「それにシジミを捕って金を稼ぐことだって教えてくれただろ」
「そんなこと、兄貴にしていただいてることに比べたら大したこと……」
「俺には大したことだよ」
 夕輝は語気を強めて言った。

「俺、江都のことは何にも知らないから、ホントに助かってるんだぜ」
「でも、あっしは命を助けていただいてやす。あっしだけじゃなく、お袋まで……だから、あっしの方が……」
「よそうぜ、そう言うの」
 夕輝はそう言って笑った。

「え?」
「椛ちゃんに言われたんだ。助けたとか、助けられたとか言うのはよそうって。俺達、友達だろ。友達が助け合うのは当然じゃないか」
「ダチ? 兄貴はダチじゃなくても助けてやすけど」
 太一の突っ込みに、夕輝は苦笑した。

「それはこっちにおいといて……。俺は太一のこと友達だと思ってるよ」
「兄貴……」
「だから兄貴はやめろ。俺は一人っ子だ。これからも頼りにしてるからさ、よろしくな」
 夕輝は太一の肩を叩いた。
「へい! 兄貴! こちらこそよろしくお願いしやす!」
「だから兄貴はやめろ」

「兄貴、椛姐さんが来てやすぜ」
 太一が薪運びをしている夕輝に声をかけた。
「ありがと」
 夕輝は尻っぱしょりしていた着物の裾を下ろすと、表へ回った。
「夕輝さん、今お時間いただけますか?」
 多分、橋本屋のことだろう。
「いいよ。太一、椛ちゃん送っていくから、ちょっと休憩するって仙吉さんに伝えておいてくれ」
 太一にそう頼むと、椛と並んで歩き出した。

 お里を狙っていた牢人は、この前篠野からの帰りに夕輝が倒し、太一が呼んできた平助がお縄にした。
 椛を狙った平次達もこの前平助に捕まえてもらったが、凶月はまた別の男を雇うだろう。
 だから送っていきがてら話を聞くことにしたのだ。

「橋本屋さんの件なんですが……」
 椛は早速切り出した。
「やはり直接凶月に掛け合うしかないのではないかと父が申しておりました」
「それに異論はないけど、居場所分かるの?」
「今兄達が探してます」

『兄達』って、楸さんの他にもお兄さんいるんだろうか。
 お父さんとお兄さんなら『父達』って言いそうなものだけど。

「本来、凶月のことは天満の一族がけりをつけるべきで、未月が乗り出すことではないのですが、私が狙われているのに座視しているわけにもいかないと……」
ひさきさんが言ったんだね」
「分かりますか?」
「うん、何となく」
 夕輝が笑うと椛も微笑んだ。
 それから他愛のない話をしているうちに椛の家に着いた。

「見つかったらまたご連絡します」
「有難う」

 椛の家からの帰り道、人気のない道の角を曲がったとき、祥三郞が葵を庇って立っているのが見えた。
 こちらに背を向けているが、黒っぽい着物を着ている侍が立ちはだかってるようだ。

 葵さんを狙っている暴漢だ!

「祥三郞君!」
 夕輝が駆け寄った。
「夕輝殿!」
 祥三郞が一瞬ほっとした表情を見せた。
「大丈夫?」
 祥三郞と並んで葵を庇うように立ってから刺客を見たとき、思わず「あっ!」と言う声が出た。

「お前はこの間の!」
 以前、椛を襲った男だった。
 男は口を歪めた。笑ったようだ。
「ほう、生きていたか」

 繊月丸、呼べば来てくれるかな。

 この男は鉄扇でどうにか出来る相手ではない。
 来てくれなければ祥三郞の脇差を借りるしかないだろう。

 ――繊月丸、来てくれ。

 夕輝は心の中で繊月丸を呼んだ。
 刀の姿をした繊月丸が夕輝の手の中に現れる。

 良かった……。
 遠くても呼べば来てくれるんだ。

 いきなり現れた繊月丸を見て、男はぎょっとした顔をしたが、祥三郞と葵は男に気を取られていて気付かなかったようだ。

「また邪魔をする気か」
 男はバカにしたような顔で夕輝を見た。
 夕輝は一度負けているのだから侮られても仕方がない。

「この人を捕まえに来たのか!」
「いえ、夕輝殿、違います。この男は葵殿の伯母上に雇われた刺客しかくです」
「今回は殺せという命令だからな。捕まえようとして手加減する必要はない。邪魔するヤツも殺す」
「金で雇われて人を殺すのか!」
「それがどうした」
 男は鼻で笑った。

 今日こそ、この前の決着を付けてやる。
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